花園の中の花園
「ここだ」
中庭の奥、木に囲まれ、ポツリと周囲から遮られたその場所は極彩色の花に溢れ、今までとは明らかに空気が違う。ヒラヒラと舞う蝶までもが見たことのない鮮やかな彩りで、ヴィアに手を引かれたメルヴィルは目を見開いて息をのんだ。
「なかなかに美しいだろう?」
得意気に言ったヴィアに、小さく頷くしか出来ないメルヴィルは手を引かれるままに中へと進む。入口からは見えなかったが、すこし奥には白いテーブルセットが設置されていた。
「座ってくれ、今何か飲み物を用意しよう」
そう言って近くに置かれていた木箱をゴソゴソと漁り始めたヴィアに、メルヴィルは不思議そうな顔をする。
「飲み物がそんな所にあるのか?」
ヴィアの後ろから箱を覗き込んだメルヴィルは、その箱の中を見て眉をひそめた。
その箱の中には、黒い渦しか無かったのだ。
「なんだ、それ」
不審な黒い渦に、警戒を顕にするメルヴィル。そんな彼に、ヴィアは困ったように笑った。
「そう言われると思ったよ。これを見た者は、皆同じ反応をするからな。あぁ、そんなに警戒しなくていい。これは、精霊達からの御褒美、と言ったところか」
「御褒美?」
ヴィアの説明に、なおも疑わしげな目で箱を睨む。確かに黒い渦を見て御褒美などと言われても、訳がわからないだろう。
論より証拠、と渦の中に手を突っ込み、手に触れた目当ての物を取り出す。箱から出たヴィアの手に握られていたのは、ごく普通のワインボトルだった。
黒い渦から出てきた物体に、メルヴィルが一層眉を寄せる。それを横目に、ヴィアは近くに置いてあったグラスを手に取り、ワインボトルから液体を注いでゆく。そして徐に口に含んだ。
「おいっ!」
慌ててメルヴィルが止めに入るが、無視して一気に飲み干す。そしてグラスから口を外し、ケロリと言った。
「うむ、旨い」
「はぁっ!?」
険しい顔でヴィアを見るメルヴィルに、小さく眉を上げる。
「心配するな、ただのリンゴジュースだよ」
「リンゴジュース?」
ワインボトルと木箱を交互に見ながら、ヴィアのグラスを奪う。そして匂いを嗅いで、首を傾げた。
「確かに、リンゴの匂いがするな」
じっとグラスを観察し、目を細める。そしてヴィアを見た。
「だから、リンゴジュースだと言っただろう?」
疑い深いな、と鼻を鳴らし、新しいグラスにリンゴジュースを注ぐ。そしてまた一気に煽った。
「これは精霊達の贈り物さ。我々への褒美のつもりか、はたまた施しか……。だが、便利な事に変わりはない。なんせ、これのお陰で我々の食料はほとんど賄えているからな」
「食料を!?」
思わず木箱を凝視するメルヴィルに、小さく笑う。
「ああ、信じられんかもしれんが、これは思い描く物が手に入る魔法の箱なんだ。といっても出てくるのは食料や飲み物だけで、金銀財宝は無理だがな」
「どういう事だ? ここから勝手に食料がでてくるのか?」
興味津々に木箱を調べ始めたメルヴィルは、まるで新しい玩具を手にした子供のようだ。そんな様子を後ろから眺めながら、説明を始める。
この木箱はヴィアが精霊王に寄生された時に貰った物だ。勿論そこは伏せておくが、とりえず精霊達のの好意で、とだけ言っておく。何の気まぐれかは知らないが、使うといいと放り投げられたそれは、大層便利で役に立つ。
恐らく自然界の、精霊達が操る事のできる植物に関しての物なら、何でも取り出すことができるのだろう。穀物や野菜、そして果物、先程取り出したリンゴジュースは、元は果物からしっかりと思い描くとジュースという形になって出てくる。残念ながら、肉や魚と言ったものは出せないが。
しかし、この木箱のお陰で『花園』の食事が豊かになったのは確かだ。以前は質素倹約を掲げ、ささやかな食事に、お茶の時間なんてものも無かった。それがこれのお陰で食後のデザートや茶菓子まで賄えるのだ、精霊もたまには良いことをする。
そう話している間、メルヴィルは眉を寄せたり目を見開いたりと、ころころ表情を変えていた。そして最後まで聞き終えた後は、むっつり黙り込んでしまった。
そんな彼の様子を不思議そうに見つめながら、ヴィアはちゃっかり新しいワインボトルを取り出す。このボトルはどうやって手にいれているかは知らないが、飲み物を取り出そうとすると必ずボトルに入ってでてくる。穀物などもちゃんと袋に入っているのだから、まったく気が利くというか何というか。
ヴィアとしては、そこに気を使うくらいならもっと愛し子を労ってくれと思わなくもないが、それを言ったところで話の通じる相手でもなかった。
コポコポと二つ並べたグラスに、飲み物を注ぐ。今度はオレンジジュースだ。ちなみに紅茶の葉なども出せるのだが、いかんせんヴィアは、茶を入れるという行為が苦手だった。だから何もする必要のない、果汁のジュースばかりを取り出しているのだが。
八分目までジュースを注いだグラスを、メルヴィルの前に静かに置く。考え事の邪魔をしないように置いたつもりだったが、はっと顔を上げたメルヴィルはグラスを見て慌てて頭を下げた。
「っ悪い、ぼーっとしてた」
「いや、構わない。メルヴィル殿も色々忙しくて、疲れているんだろう」
恐縮して謝るメルヴィルに、肩を竦めて軽く笑って見せる。それに少し不服そうにしたメルヴィルは、何かを思い付いたのかニヤリと悪戯っぽく笑った。
「いや、そうでもないが……ああ、まあ朝からルトミナの顔をみて、どっと疲れたのは確かだな」
その言葉を聞いて、ヴィアも思わず口角を上げた。
「そういえば、盛大に言い合っていたな。仲が良いことだ」
「やめてくれ、あれと犬猿の仲なんだ。昔から顔を合わせては口喧嘩ばかりさ。クロシアはいつもルトミナの味方ばかりで、俺はよく二人に苛められていたもんだ」
「クロシア殿が……あ!」
クロシアの名前を聞いて、大事な事を思い出す。メルヴィルはクロシアの婚約者、もしくは夫の筈だ。それなのに二人きりでこんな場所に居ては不味いだろう。
慌てて立ち上がりオロオロとするが、今さらこの状況が変わる訳でもない。顔を真っ青にさせて立ちつくすヴィアに、メルヴィルも立ち上がる。
「どうした?」
眉を寄せて近付いてくるメルヴィルを、それ以上近寄らないように手で制止する。そして真っ青な顔のまま、ずるずると後ずさった。
「そ、その、すまんっ! クロシア殿が気分を害されたら、ちゃんと弁明しよう! ああ、大変だ、早く行こうっ」
一刻も早くルトミナの元に戻るべきだと、足早に入口へと向かう。しかし、その途中で突然手を引かれ、勢いよくつんのめる。何をするんだと振り返ると、そこには明らかに気分を害しているようなメルヴィルがいた。
「何の話だ? それとも、俺と一緒に居るのが嫌?」
ぐっと手首を握りしめられ、思わず息を止める。そんなヴィアを無理矢理引き寄せ、その腰に腕を回す。そして低い声で唸った。
「俺から逃げるつもり?」
その言葉にフルフルと震えるように首を振る。逃げるつもりはさらさらないが、何故怒っているのかが分からない。間近に見える緑の瞳が、ヴィアの紫の瞳を見て細まった。
「で? クロシアがなんだって?」
下を向こうとするヴィアの顎に手をやり、無理矢理目線を合わせる。身長差の有るメルヴィルに上を向かされたヴィアは、苦しそうに喘いだ。
「いや、ルトミナが……メルヴィル殿とクロシア殿がっ許嫁だと言っていたから……」
「……で?」
すっと目を細めたメルヴィルは、腰に回した腕に力を籠める。このままでは骨が折れるのでは、と真っ青になったヴィアは、必死で言葉を紡ぐ。
「そ、その、許嫁以外の女と二人きりは外聞が……あ! すまん、もう結婚していたか?」
それは失礼したっ、と頭を下げようとするヴィアだが、メルヴィルに顎をしっかりと固定され、それは叶わなかった。
険しい顔でじっとヴィアを見つめていたメルヴィルは、そんな様子に大きく溜め息をつき、だらりと力を緩める。そしてそのまま、ヴィアの肩に顔を埋めた。
メルヴィルの頭が顔の真横に有ることに、ドキドキと心臓が音をたて、顔が熱を持つ。緊張しすぎて身動ぎ一つできないヴィアに、メルヴィルが呆れたような声を出した。
「言っとくが、俺とクロシアは許嫁じゃない。もちろん、結婚もしてない。昔は確かに親同士がそう話していた事もあったが、とっくの前に解消されてるよ」
「え、そうなのか!?」
思わぬ事実に、身体中が熱を持ったのがわかる。ざわざわと鱗が不服そうに蠢くのを感じ、ヴィアは自分が喜んでいる事に気がついた。そして、何故そう思うのかも、わかってしまう。
「俺とクロシアじゃ、お互い友人以上には思えないさ。俺はあんな煩い奴は好みじゃないし、向こうも俺みたいなのは好きじゃない。そうだな……どちらかといえば、もう兄弟に近い感覚だな」
「ほ、ほー、兄弟か、そうか」
メルヴィルが否定すればするほど、ヴィアの心は浮き足立つ。そんな自分に、もうメルヴィルの事が好きだと、素直に認めるしかなかった。
「……あのな、俺は今までヴィアを口説いてたつもりなんだけど? それとも何か、ヴィアは俺を、許嫁がいるのに他の女と気軽に手を繋ぐような軽い男だと思ってた?」
ヴィアの肩から顔を上げたメルヴィルは、憮然とした表情で睨み付けてくる。しかしヴィアは、そんな事よりもメルヴィルの言葉に衝撃を受け、睨まれている事にも気がついていなかった。
「く、口説いてたっ!?」
上ずった声で驚くヴィアに、むっとしたメルヴィルはガシガシと頭を掻いた。
「あのなぁ、そりゃ直接言葉にはしてなかったが、態度で表してただろ?」
そんな事わかるかっ! と内心大きな叫びを上げ、密かに憤慨していたヴィアは、ふとあることに気が付く。
――もしやもしや、これはもしや、両思いなのでは?
その事実に気が付いた瞬間、身体中が発火するかのごとく熱を持つ。しかし、残念ながら、いや幸運な事に、身体中を覆う鱗のお陰で、その様はメルヴィルに知られる事は無かった。
パクパクと意味もなく口を開閉し、何も言えない様子のヴィアを見たメルヴィルは、やれやれと頭を振り、ぐっと体を抱き寄せる。もうされるがまま、抵抗一つ出来ないヴィアは、その逞しい体に身を預けた。
「まあいいさ、これからじっくり口説くから。……いいよな?」
にっこりと笑うメルヴィルに、言いたい。いいよな、も何も、すでに貴方が好きなんです、と。
しかし、これまでろくに恋愛どころか、人間関係すらまともに持っていなかったヴィアには、とてもじゃないが言えなかった。
そう、ヴィアはうっとりと笑いかけてくるメルヴィルに、ただぎこちなく頷くことしかできなかったのだ。
そしてメルヴィルは囁く、逃がすつもりはないけど、と。それを聞いたヴィアは、ゾワリと背筋に悪寒が走るのを感じた。




