そらすのは
翌朝ヴィアは、重い体を引きずってルトミナの部屋へ向かっていた。別に騎士団長やメルヴィルを迎える為ではない、ルトミナにちょっとばかしの頼み事をする為だ。
昨日も訪れた部屋の扉を前に立ち止まり、少し歩いただなのに弾んでしまった息を整える。つい先日魔石化して体内の穢れを取り除いたはずなのに、何故こんなにも体が重いのか。
恐らく精霊達の嫌がらせだろうと結論付けたヴィアは、少し顔を険しくして扉を叩く。静かな空間に固い音が響き、そしてまた静寂が広がった。その場に暫くの間佇んでいると、ようやく中から扉が開かれ、ルトミナが隙間から顔を見せる。来訪者がヴィアだと気づいたルトミナは、すぐさま顔を綻ばせ扉を大きく開けた。
「あら、ヴィア様! 今日は来られないかと思っておりましたわ」
「いや、少し言い忘れた事があってな。騎士団長にアウレを寄越すように伝えておいてくれないか?」
「ああ、アウレ!」
いま『花園』では魔術師が一人残らず取り除かれ、その姿は見当たらない。その為、アウレも姿を見せて居なかった。
「アウレの実験に手を貸すのでしたっけ?」
「いや、貸すと言う程ではない。だが、側に居て良いと言ったからには、約束は守らねば」
ヴィアの言葉に笑いながら頷いたルトミナは、わかりました、と了承する。
「私は新緑の間に行ってくる。この間の新参者達はもう訓練を始めているんだろう?」
「ええ、様子を見に行かれますの?」
「ああ、近いうちに一度目の魔石化をしなければならんだろう」
物憂げな表情で廊下の窓から外を眺め、そう溢す。そんなヴィアにルトミナも眉を下げ、同じように外へと視線を向ける。晴れ渡って雲一つ無い空には、小さな二羽の小鳥が戯れながら自由に飛んでいた。
「このまま新緑の間に向かう。昨日も言ったように、騎士の相手を頼めるか?」
昨日はあんなに気軽に頼んでいたくせに、眉を下げ不安気な様子で尋ねるヴィア。そんな様子が可笑しかったのか、くすくすと笑い声を溢したルトミナは、もちろん、と頷いた。
「面倒な方々の相手は、私にお任せくださいな。これでも元々貴族の娘ですわ、そういった事は得意ですのよ」
これでもも何も、普段の様子からしてルトミナは貴族然としていて、まったく心配していなかった。ルトミナの言葉に柔らかく微笑み、窓から視線を戻したヴィアはくるりと背を向ける。そして歩きながらチラリと後ろを振り返った。
「じゃあ宜しく頼むよ」
「ええ!」
かけられた言葉に嬉しそうに頷いたルトミナは、ヴィアの背中に向かって小さく手を振る。それに軽く返しながら、ヴィアは重い足を新緑の間へと向けた。
新参者達の訓練及び精神統一の場として使われる新緑の間は、ルトミナの部屋からはヴィアの部屋を挟んでほぼ反対側になる。
それなのに、只でさえ重い足を引きずってルトミナの部屋へと向かったのは、アウレを呼ぶ為に他ならない。昨日の精霊王との邂逅で、少しでも現状を変えれないかと考えたヴィアは、その切っ掛けになりそうなアウレ達の研究を手伝う事以外に、自分に出来ることは無さそうだと思ったのだ。
「アウレ達の研究が進めば……」
少しは、愛し子達を救えるだろうか。ポツリと廊下に響いた声には、当然返ってくる言葉は無い。それでも、ヴィアは呟かずにはいられなかった。
今から訪れる新緑の間に居る新参者達も、一年後には何人か減っている事だろう。その数が少ないに越したことは無い、むしろ誰も死ぬ必要なんて無いのに。
暗い顔で廊下を歩いていたヴィアは、等間隔に設けられた窓から見える門に目をとめる。ちょうどメルヴィルとダンテが到着したようで、歩きながら館に向かってくる様子が見えた。
「メルヴィル殿……」
貴方の真実は、何なのだろうか。到底面と向かって言えない言葉を、遠く離れた場所から見下ろしながらそっと吐き出す。その時、下を歩いていたメルヴィルが顔を上げ、窓に佇むヴィアに気づいた。目と目が合った瞬間、優しく笑いかけてくる男に心臓がドクドクと音を鳴らす。その微笑みに居たたまれなくなったヴィアは、慌てて視線を反らし、止めていた足を無理矢理動かし始める。早くあの視線の届かない場所に行きたかった。
――バンッ
荒々しい音を立て、新緑の間の扉を開けたヴィアに、中に居た者達は小さく飛び上がって見せた。それもそうだろう、じっと精神統一をしていた所に、突然化け物のような者が乱入してくれば、誰でも驚くに違いない。
顔をひきつらせて見てくる者達を見て、しまった、と舌打ちしたヴィアは、荒々しく開け放った扉を静かに閉める。そしてゆっくりと振り返った。
「驚かせてすまんな。どうだ、訓練は? 順調か?」
なるべく怖がらせないように、と努めて柔らかい言葉を出してみるが、生憎その努力は報われないようだった。ヴィアが言葉を話すごとに一歩二歩と後退りし、顔を引きつらせた者達に気を落としながら、しょぼしょぼと部屋の中へと移動する。誰一人として答えを返してくれない事に密かに傷つきながらも、何ともない風を装って口を開いた。
「そろそろお前達も、魔石化をしなければならん時期になった。最初は怖いと思うが、私が手伝う。いいか、緊張せずに落ち着いて行えば、失敗する事はない」
出来るだけ軽く、緊張させないように気を使って話すヴィアだが、皆の顔は晴れる事がない。暗く沈んだ雰囲気の中、か細い声が響いた。
「何とか……何とか魔石化をしなくて済む方法はありませんの?」
そう言ってヴィアの前に進み出てきたのは、最初に『花園』に連れてこられた時、ヴィアに向かって金切り声を上げた少女だ。
あの時とはうってかわって、どこか憔悴した様子の少女に眉を下げ、やがてゆっくりと首を振る。
「残念ながら、魔石化以外に穢れを取り除く方法はない。そして、我々がそれを拒否する事も出来ない。ルトミナから聞いていると思うが、これ迄拒否した者達は尽く死んだ。……私は、お前達の誰もが死んで欲しくないのだ」
静かに語るヴィアに、どこからか啜り泣く声が聞こえてくる。益々暗くなる部屋の雰囲気に、少女がポツリと溢す。
「こんな、こんな筈ではありませんでしたのに。私は、私は……」
そう言って顔を覆った少女を慰める事も出来ないヴィアは、視線を床に落とす。
「我々皆、誰しも一度はそう思ったさ。だがこの何百年と、愛し子達はずっと犠牲を払ってきた。だからこそ、今この国は豊かにある。……私たちだけが、逃れる訳にもいかんだろうよ」
「だからって……」
ぐずぐずと崩れ落ちる少女の頭を見つめながら、静かに踵を返す。入ってきたばかりの扉を開け、そっと振り返って言葉を残す。
「三日後……三日後に魔石化を行う。皆それまで訓練を怠らぬように」
そう言って部屋から出たヴィアは、重い扉を閉め深く息を吐く。そして暫く俯いた後、ずるずると足と裾を引きずりながら歩き始める。
沈んだ気持ちのヴィアとは裏腹に、窓から見える空は青く晴れ渡り、どこかで鳥が囀り合う。じっと外を見つめる瞳には羨望と諦めが入り交じった、複雑な色をしていた。
「我々の現状は変わるのか……変えられるのか……」
「変えるんですよ、ヴィア様」
何となく呟いた言葉に、後ろから力強い声が上がる。驚いて振り返ると、そこには真剣な表情でヴィアを見上げるアウレが居た。
「我々の研究もかなり進んではいるんです。後少し、後少し、何かの切っ掛けがあるだけで、完成するんです。だから……私たちが、変えるんです」
「アウレ……」
瞳には熱意が見え、その言葉には決意が現れていた。そんなアウレの姿に困ったように眉を下げたヴィアは、ああ、と吐息混じりの声を出す。
「ああ、そうだな。そうだとも」
諦めてなどいないさ。そう呟いたヴィアは、アウレを見て小さく微笑む。そんなヴィアに真剣な様子から一転、ペロリと舌を出したアウレは頭を掻いた。
「まあ偉そうに言ってますが、実際研究は先輩方に任せっきりで、私は役に立ってないんですけどね」
へへへ、と笑うアウレにヴィアも小さく吹き出す。そして軽く肩を叩いた。
「そんな事は無いだろうさ。現に今、こうやって私の観察をしているんだろう?」
ニヤリと笑って見せると、アウレも小さく吹き出して笑う。暫くの間クスクスと笑っていたアウレは、笑顔のままヴィアを見た。
「でも、本当に信じて下さいね。大丈夫です、私たちの研究班の班長は、アシオレ様と団長争いした程のすごい人ですなら! 本当に本当に、すっごく賢いんですからね!」
「そうなのか?」
そうは言われても、魔術師の内情もよく知らないヴィアにはいまいちピンと来ない。難しい顔で腕を組むと、アウレがむすっと口を尖らせた。
「もうっ、信じてませんね!? 本当なんですからっ!」
怒ったように言うアウレに苦く笑ったヴィアは、はいはいと頷き、歩き始める。慌てて横に並んだ自分より少し低い頭をチラリと見て、その向こうにある窓を一瞬見たヴィアは眩しそうに目を細め静かに言った。
「それにしても来るのが早いな。ついさっきルトミナに言付けを頼んだ所なんだが」
「え、そうなんですか? 私、こっそり『花園』にいたんですよ」
あっけらかんと言ったアウレにあきれた顔をして、苦く笑う。
「まったく、仕方の無い奴だ。そんなアウレに朗報だ。三日後、新入りに魔石化をさせる。見に来るといい」
「宜しいんですか!?」
「ああ、但し、新入り達の精神を乱さぬよう、静かにな」
「ありがとうございますっ!」
何度も何度も頭を下げて感激している様子のアウレは、まるで子供みたいで可愛らしく、ついその小さな頭に手をやって撫でてしまう。
驚いてパチリと目を瞬かせるアウレの反応が面白くて、小さく笑ったヴィアは、少しの間それを堪能してから手を離した。
「さて、ルトミナはまだ騎士達の応対中かな」
そう溢しながらのっそりと歩き始めると、すかさずアウレが着いてくる。
「どうでしょう、私がさっき見に行った時はまだ話されてましたが。会いに行かれますか?」
「いや、別に私が行かなくてもいいだろう」
実は会いたくない人物がいるから、という本心を隠し、平静を装って歩き続ける。特に目的地も無くする事も無いヴィアは、自然と自室へと向かっていた。普段なら道すがら出会う魔術師達の姿は無く、静まり返った館の中はどこか寂しい。
それもそうだろう、愛し子達は大半の時間を部屋に引きこもり、滅多に出てくることは無いのだから。
『花園』の護衛が少しの間、騎士に代わるというのは周知してあったが、もし教えていなければ、護衛が騎士になっている事すら気が付かない者が多かったのではないだろうか。
ありえるな、と想像してつい溜め息がでてしまう。引きこもりの愛し子達に、もっと社交的になれ、とは到底言える立場ではないし、言うつもりもない。外に憧れつつも叶わないと知り、そして日々死の恐怖に怯えている彼らに、なぜ明るく生きよと言えるだろうか。
筆頭という立場故に、様々な者達の絶望や諦め見てきたヴィアは自分の無力さと現状を嫌悪しながらも、微かに感じる変化の兆しに、ほんの少しだけ希望を抱いていた。
「あ、ルトミナ様!」
後から嬉しそうな声がして振り返って見ると、アウレが廊下の窓から下を見下ろしている。新緑の間からヴィアの部屋の中間地点であるここは、ちょうど庭を見下ろすことが出来る。いつの間にこんな所まで来ていたのか、という驚きと、視線の先に見つけた人物の表情に、知らず知らずの内に歩みを止めていた。
「あれは確か、えーっと」
「メルヴィル殿、だ」
そうそう! と嬉しそうに手を叩く音が聞こえてくるが、ヴィアはそれに反応する余裕もなく、その人に意識が釘付けだった。
――あんな冷たい顔、始めて見た。
ヴィアの前で見せていた柔らかい笑顔が、まるで嘘の様な無表情。いや、むしろその瞳には冷たさが垣間見え、思わず身震いをする。
それに相対するルトミナも、険しい顔でメルヴィルを睨み付けていた。
「どうしたんでしょう? 揉めてる?」
心配そうに二人の様子を見ていたアウレが、何を思ったのかいきなり窓を空け、身を乗り出した。
「っ、おい!」
「ルトミナさまぁぁ~!」
危ないっ、と慌てて背中を掴むヴィアなど御構い無く、ブンブンと大きく手を振り回し、ルトミナの名を叫ぶ。そんなアウレの行動が目立たない訳もなく、睨みあっていた二人は揃って此方を向いた。
「ルトミナさまぁぁ~! お庭でお茶でもいかがで~すかぁ!」
「ちょ、まっ」
必死でアウレの体を支えているヴィアが冷や汗を流しながら二人の様子を窺うと、何やら難しい顔で二言三言メルヴィルと交わしたルトミナが、ヴィアに向かってにこやかに手を振る。恐らく、了承という事だろう。それを見てようやく体を戻したアウレに、安堵の息を吐きながら改めて外を見てみた。
ルトミナの隣でメルヴィルが、蕩けるような微笑みを浮かべ、ヴィアに向かって手を振っていた。
「ヴィア様、メルヴィル様と仲が宜しいんですか?」
不思議そうな顔で聞いてきたアウレの質問には応えずに、ヴィアは口を引き結び、メルヴィルから顔を反らした。




