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「華がない」と王妃を降ろされましたが、新王妃の教育係は有料です  作者: 他力本願寺


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第01話【「華がない」王妃の最後の署名】

「華がない」と宣告される六分前、エレオノーラは国王のために最後の歓迎状を直していた。


「閣下、ここは『ご臨席を賜る』ではなく『ご訪問を歓迎する』です。相手は主君ではなく、対等な外交使節ですから」


 二日後に迫った外国使節の入城歓迎式。その歓迎状の控えに、エレオノーラが正確な筆記具で細い朱線を引いたときだった。


 執務室の重厚な扉が開き、侍従が入室した。抱えられた銀盆には、アルデイン王家の国璽が赤々と押された羊皮紙が一通載っている。金の縁取りは祝い事の形式であるはずなのに、侍従の顔はひどく青ざめていた。


 同席していた宰相が羊皮紙を取り上げ、冷徹な声で宣告文を読み上げた。


「王妃教育は完璧ですが、華がない。このため、王妃席次を変更する」


 国王レオナールは、エレオノーラが直していた歓迎状には見向きもせずに言った。


「八年間の務めには感謝している。今日から正妃はリュシアだ。君は側妃として残る」


 エレオノーラは筆先を紙から静かに離した。


 結婚した最初の冬、熱に浮かされた自分へ水を差し出した手が、今は新しい正妃の名を記した文書の上にある。思い出すまいとしても、その手だけは目に入った。


 六日前に国王の第二配偶者として迎えられた、海運国家ラディア海邦出身のリュシア。王家の法律では複数配偶が認められており、国王の国璽付き宣告と宰相の副署、そして王家記録院への登録が同日になされれば、本人の同意がなくても席次変更は即日発効する。


 王の背後で宰相が持つ文書には、副署と今朝付の登録番号が揃っていた。法的な手続きは終わっているのだ。


「海邦との交易を進める今、リュシアを正妃として立てたい。君には住まいも待遇も残す。得意な実務に専念できる方がよいだろう」


 表に立つ妻と、裏を支える妻。王はそれで双方に居場所を与えたつもりなのだろう。エレオノーラには相談の一言もなかった。


「それと、新しい正妃の教育は引き続き君が行え。私も、その方が安心だ」


 レオナールは事もなげに言った。ただの部署の配置換えでも命じるかのように。


 エレオノーラは歓迎状の宛名を裏返しにして伏せると、自分の机の引き出しに鍵を差し込んだ。中から取り出したのは、昨日まで彼女の職務と権限を証明していた『王妃府の正妃印』だった。


「国庫の管理官をお呼びください。印を返納いたします」


「何を大げさな」


 レオナールが苛立たしげに眉をひそめた。


「ただの席次の変更だ。君がこれまで通りにリュシアに作法を教え、王宮の裏方を回してくれれば何も問題はない。妻の務めとして、頼むと言っているんだ」


 これまでのエレオノーラなら、黙って引き受けていただろう。王の威信を守り、国政に穴を開けないために、徹夜で儀礼書を読み込み、他人の仕事まで背負い込んできた。


 けれど、もうその無条件の献身は終わった。人手を増やしてほしいと願い出るたび、君ならできると戻されてきた仕事。その挙げ句に「華がない」と告げられ、権限だけを失ってなお同じ仕事を求められている。今ここで頷けば、これからも何も変わらない。


「承知いたしました」


 エレオノーラは灰青の瞳で真っ直ぐに国王を見据えた。


「では、まず正式な任命書と職務範囲、それに報酬のご確認をお願いいたします」


「報酬だと?」


 レオナールの声が低く響き、執務室内の空気が凍りついた。周囲の侍従や官僚たちが視線を伏せた。一人は眉をひそめ、別の一人は王の顔を窺っている。誰も口を開かない。その沈黙が、エレオノーラには非難のように重かった。


 だが、エレオノーラの声は少しも揺らがなかった。彼女は手元の紙にすらすらと条件を書き付け、王の前に滑らせた。


「王妃教導官として、明日、第二日から第三十日まで二十九暦日。日額六銀冠と定め、合計百七十四銀冠。実働は日中六時間以内、六日を超える連続勤務は禁止とし、補佐官を二名つけていただきます」


 それと同時に、エレオノーラはもう一枚の書類を自分の手元に引き寄せた。白紙に『本人の同意なき席次降格による離縁申立て』と記し、今日の日付と自分の名を添えた。王家婚姻法第十八条に基づくこの請求権は、降格という事実によってすでに発生している。


 彼女は控えていた侍従の一人にその書類を渡し、王家婚姻裁定院の受付へ提出して受理番号を受け取ってくるよう依頼した。


「離縁まで持ち出すのか。待遇を改めれば済む話だろう」


 王は書類よりも彼女の顔を見ていた。引き留める言葉を待っているとでも思ったのだろうか。エレオノーラは書類を引き戻さなかった。


(審理まで三十日。その三十日に、初めて私の仕事の値札を付ける)


 復讐のためではない。自分の仕事と人生を取り戻し、責任の所在を明らかにするための値札だった。


「ふざけるな! 妻が夫を支えるのに、いちいち国庫から金を出すと言うのか!」


 激高する王に対し、エレオノーラは静かに、しかし毅然と言い放った。


「私はもはや正妃ではありません。そして教導官は、国王の妻という身分とは別の、独立した有給公職です。……典礼局長、ならびに財務長官を」


 呼ばれて進み出たのは、典礼局長セシルと財務長官バスティアンだった。彼らは王の怒気に当てられながらも、実務の長としての冷静さを保っていた。


「教導任命には職務公文と財源の確保が必要です。条件が揃うまで、私は教導室には入りませんし、その他の雑務も一切引き受けません」


 エレオノーラの言葉に、バスティアンが手帳を開き、予算の欄に指を滑らせた。


「……日額六銀冠、計百七十四銀冠。初日である本日のうちに全額を教導予算枠へ確保し、第三十日の契約満了日に支払いを決定することは、財務として可能です。支給期限は満了後十五日以内と記します」


 バスティアンの同意を得て、セシルも恭しく頭を下げた。


「対象を儀礼、議事進行、外交文書の読み解き訓練に限定し、条約調印や国費支出の代行等を除外するのであれば、典礼局より正規の任命公文を発行できます。補佐官二名も手配いたしましょう」


 王の口約束ではなく、予算権限者と任命権者の確認が取れた。これで、彼女の労働には明確な境界線が引かれたのだ。


 レオナールは忌々しげに舌打ちをしたが、二日後に迫った外国使節の対応や、新正妃の教育を誰かに丸投げするわけにもいかないことを悟り、乱暴に手を振った。


「勝手にしろ! だが、少しでも不備があれば容赦はしないぞ」


 そう言い残し、王は足音荒く執務室を出て行った。


 エレオノーラは小さく息を吐き、静かに頭を下げた。これが彼女が王宮で引いた、最初の境界線だった。


 その日の夕刻。


 国庫官の前で正妃印と礼装の返納を済ませると、裁定院から受理番号の入った控えが届いた。彼女はそれを、財務長官が予算を確保した教導任命書と共に鞄へ収めた。離縁はまだ成立していない。それでも、正妃の印を使う暮らしは今日で終わった。


 正妃の広大な宮から、側妃へ割り当てられた外宮の小さな居室へと移る荷造りの手を休め、エレオノーラは明日からの予定を確認していた。


 典礼局が慌てて刷り直した予定表には、しっかり『教導官エレオノーラ』の文字と、六時間という勤務時間が記されている。


 だが、その予定表の横に置かれた儀礼簿の綴りを見て、彼女の灰青の瞳が細められた。


 明後日の入城歓迎の儀礼簿の主催者欄には、『正妃リュシア殿下』と新たな名前が書き込まれている。当然だ。今日から彼女が正妃なのだから。


 しかし、同時に送達記録を確認すると、明後日の朝に到着する外国使節に対する「正妃交代」の公式な通告が、一件も発行されていないことに気づいた。つまり、使節団の手元には、旧王妃であるエレオノーラの名義で出された歓迎状が握られたままだということだ。


 このままでは、明後日の歓迎式で、新しい正妃が旧王妃の名前で呼ばれるという致命的な無礼が起きる。外交問題になりかねない不備だった。


 かつてのエレオノーラなら、誰にも命じられなくても、今から徹夜で印刷工房へ走り、手書きで更正票を作成して各所に根回しをしていただろう。王宮の体面を守るために。


 だが、彼女は引き出しから懐中時計を取り出し、静かに盤面を見つめた。


「どの重さの荷物を誰が運ぶか、先に荷札を付けたのですから」


 教導官としての勤務は明日からだ。彼女は未送達の件を典礼局の当番へ知らせ、受領を確かめてから儀礼簿を閉じた。自分で全てを直すことと、不備を見つけた責任を果たすことは違う。


 机には、旧王妃の名が残った歓迎状の控えだけが置かれていた。

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