4章23話:終わり
作戦なんてない。ただ、苛立ちをぶつけていた。今はただ、傷つけることでしか悲しみを拭えなくて、相手を傷つけながら自分を傷つけていた。
「メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア……」
呪文を繰り返す。
いつまで繰り返す気なのか、いつまで繰り返せるのかわからないままに。
唱えるたびに傷が増え、血を流し、全身がボロボロになっていく。
痛みを感じる前に次の痛みがやってきて、その痛みを感じる前に次の痛みがやってくる。
そうやってどれほどの時間が経っただろうか。唱えることに夢中で時間感覚がどこかに行ってしまっていた。
「メヴィ・ソラシア……ッ」
声が掠れ、足元がふらつく。
終わりの時間は近づいていた。
そんなフミーを見て、悪魔は目を細め口元を緩めて下卑た笑みを浮かべている。
「メヴィ・ソラシア……メヴィ・ソラシア……」
飛びそうな意識を繋ぎ止めながら、悪魔を上から下まで眺めた。
傷が増えては再生し、傷が増えても再生する。
チョジュラスの槍がああなった今、不老不死の相手をどうにかする方法なんて知らない。フミーの持ちえるものだと、これしかない。
「メ……メヴィ・ソラシ、ア」
呪文を口にするのも大変になってきた。
それでも、やめない。フミーの大切な人たちを殺すと言った相手を前に、引くなんてできない。そんなことをしてしまえば、後悔してしまうだろうから。
「め、……っ、メヴィ……ソラ、シぃ……ァ」
視界がぼやけ、掠れ、目の前にいる悪魔の像が歪んできても、踏みとどまる。
この感覚は、精神世界でロードミルフィに殺された時に似ていた。
——きっと、これ以上はダメなのだろう。
踏み越えてはいけない線がそこにあるのだ。
それでも、悪魔に殺されるくらいだったら——
「メヴィ——」
「やめとけ。死ぬっすよ〜」
呪文を唱えかけたフミーの口を塞ぐ手が、空から生えた。
「ン——!?」
「チョジュラスの槍は——あぁ、粉々っすね〜」
黒い羽を羽ばたかせる、見知った男が背後にいた。
肩につきそうなほどに黄緑の髪を伸ばし、鋭く白い瞳で、八重歯が光る吸血鬼。
ボロボロになった白いマントに身を包み、気の抜けた笑みを浮かべていた。
「いいタイミングで来れたみたいっすね〜」
ドットルーパはフミーの口から手を離して悪魔をじっと見据えた。
「ドットルーパ……」
「大丈夫。きっと、失っちゃいない。あんたは何も失わない」
フミーを向いてはいなかったが、フミーへ向けられた言葉であることは明らかだった。
決して、味方ではない。確実に信頼できる相手でもない。だとしても、その言葉はフミーを支えるのに充分だった。
同じくフミーも悪魔を見据える。
「おいドットルーパ、動くな。撃つぞ」
悪魔はこちらを指差す指先へ闇色のエネルギーを集め、光らせる。攻撃する意思表示だ。
「その顔と声で好き勝手しないで欲しいっすね〜」
「おいっ!」
悪魔の言葉を意に介さず、一歩、また一歩とドットルーパはマントを揺らしながら彼女に近づく。
悪魔は眉間に皺を刻み、その様子を黙って睨みつけていた。
あと一歩でぶつかる距離になった時、ドットルーパは指差す悪魔の手首を掴む。
「撃てないだろ。契約違反になるもんな?」
「……っ」
「ログライフの身の回りの存在に危害は加えない。それが契約条件の一つだってちゃーんと覚えてるっすよ〜」
同じ色の瞳が交わる。数秒の静寂の後、ドットルーパはすばやく悪魔の背後へ回る。彼女の両脇へ自分の腕を差し込み、羽交締めにした。
「何をするっ!? 離せ、離せ——ッ!!」
「暴れるんじゃねぇっすよ〜」
手足をバタつかせて抵抗を見せる悪魔を抑え、ドットルーパはその様子を見ていたフミーへ視線を変える。
「フミー、今だ。——殺せ」
「——!」
投げられた言葉に、フミーは言葉を失う。
どうやってと問えばいいのか、嫌だと言うべきか迷ったのだ。
「チョジュラスの槍は天使の灰で作られたものだろ。なら元に戻っただけだ。諦めるんじゃないっすよ〜!」
残骸となってチョジュラスの槍を横目で見る。槍だった原型もない姿だけれど、それでもどうにかできる可能性が残されていると言うのか。
「また、誰かが死ぬところが見たくないって言う気か? オイラは誰かが死ぬのとかどうでもいいが、こいつを野放しにして死ぬのはお前の大切な奴かもしれないんだぞ……!!」
「さっきから何を言っている? そもそもあんな灰で我を殺せるわけないだろ!!」
ドットルーパが、悪魔が、叫ぶ。
それを静かにフミーは聞いていた。
ドットルーパが杞憂するまでもない。わかっている。ここで立ち尽くして何かあった方が後悔することを。だから、結論は最初から決まっているのだ。
「それとも……こう言えばいいか。——オイラたちを救ってくれって、助けてくれって、楽にしてくれって……言えばいいっすか〜?」
ドットルーパが言葉を尽くしてくれる。自分たちを殺させるために。だが、そんな必要はない。
「ドットルーパ、アタシは……アタシの意思でアタシの責任で、殺すよ」
誰かが死ぬのが嫌で、誰だろうと殺したくない。その気持ちを受け入れた上で、フミーは二人を——いや、三人を殺す。
それは誰かが望むからとか、誰かのためではない。自分がそうすべきだと思うからそうするのだ。
手を自分の正面にそっと掲げる。掌の上に手に馴染む槍を生み出した。光魔法を使って作った光の槍だ。
輝かしいその槍を手に握りながら、チョジュラスの槍の残骸の前でしゃがむ。その灰を手で掬って光の槍へ付着させた。できる限り全部。
そうした槍を片手に、悪魔とドットルーパを順に見る。
自然と、フミーの目から大粒の涙が静かに流れていた。
「チッ、ログライフ! 代わってやるから魅了かけろ!」
そう悪魔が叫んだあと、彼女の顔つきが変わる。荒々しい表情から氷のような生気のない表情へ。言葉の通り、悪魔からログライフへ意識が変わったのだろう。
「ドットルーパ、ワタクシよ。離して」
ログライフは何度か瞬きをした後、辺りを目まぐるしく見渡す。そして、ドットルーパへ声をかけた。
「ああ、母さんに戻ったのか」
「そうよ。……離しなさい、ドットルーパ」
「最後に言葉を交わせて嬉しいよ、母さん」
「何を、言ってるの? まさかあなたも裏切るの?」
「裏切るも何も、オイラの目的は最初っからこれだよ」
「…………」
ログライフは振り返ってドットルーパをギラつく眼光で睨んでから、前を向いてフミーを真っ直ぐ見つめた。魅了するためであると予想がつく。
しかし、いくら見つめられたところで、フミーの心が揺らぐことはなかった。
「前回は失敗したとはいえかかりかけていたのに、全く靡かないのはどういうことかしら」
「幸運のリボンのおかげかも」
羽交締めにされたログライフの元に、時間を惜しむようにゆっくり、進む。歩くたびポニーテールにした髪が揺れて首元をくすぐる。
「……嫌よ、死んでたまるものですか。あの人と、再会するまでは……っ!!」
「……」
ログライフの気持ちは痛いほどにわかる。
自分たちは同じだ。ただ、好きな人と再び出会いたいだけだ。
フミーだって、何か違えば彼女のようになる。
それでも、フミーは槍先を彼女へ向ける。
「いやあ!! いやよお!!」
「終わりだよ。母さん」
いつも落ち着いていたログライフが絶望に顔を歪ませ、首を横へ振っている。
反面、ドットルーパは穏やかな顔で母親を見つめていた。
陽が落ち始め、炎のような夕焼け色に辺りが染まり始めている。
この光景をしっかりと目に焼き付けながら駆けた。地面を蹴って、蹴って、
その勢いのまま——
「いやああああああああ——!!!」
「ありがとう、フミー」
ログライフをドットルーパ諸共突き刺す。
耳にこびりつきそうなログライフの絶叫と、最初で最後のドットルーパの礼を聞きながら。
——これが、殺す感覚。
槍の重みを感じながら、強く握りしめた。
二人の像は崩れて粒子となり、槍へ付着した灰へと集まって吸収されていく。
全て吸収されるまで、フミーは目を離さないで見届ける。
先程までそこにいた存在が消えゆく喪失感を味わいながら。
殺した分際で涙を流すべきではないと思い、袖でゴシゴシと目元を擦る。
そして、奥歯を噛みながら槍を抱きしめる。
フミーは、ログライフとドットルーパと悪魔を殺した。




