4章22話:悪魔の思考
悪魔にとって、契約は絶対。
悪魔とは、そういう存在だ。
しかし、契約がなくなってしまえばそれも関係ない。
そして、契約というのは簡単になくせる。
——上書きしてしまえばいいのだ。
悪魔は一人としか契約できない。それを逆手に取り、新たに契約して前の契約を破棄する。
そんな簡単な話だった。
「契約……?」
雪のように白い髪の少女はその単語を復唱する。ひどくやつれた顔で弱々しい。実に悪魔好みだ。
「そう、契約。ログライフよりあなたと契約したくなった」
近づいて膝をつき、地面に座り込む彼女と目線を合わせる。
互いの呼吸音が聞こえるほど近い。隔たるものもなく、簡単に触れ合えてしまう。
「ひっ……」
白く伸びた先の小さな手を握れば、小さく悲鳴を上げられる。失礼なことだ。けれど、そんな些細なことは咎めない。
血の色の瞳を真っ直ぐ見つめながら、微笑んだ。
「我と契約をしよう」
今も、肉体の損傷箇所が悲鳴を上げている。せっかくの不老不死の体だが、あの槍で傷つけられてしまえば仕方ない。耐えられているのは急所をギリギリ外していることと、2人分の魂を宿した吸血鬼の肉体の底力と言ったところか。
しかし、こんな肉体で長くは居続けられない。ちょうどいい子が来たことだし、乗り換える時だ。
「見ればわかる。あの槍は天使だ。生命を蘇らせるほどのパワーを持っている。そんな槍を失って、さぞ残念だろう? でも、我なら復元できる」
悪魔は契約をすれば、契約に基づき身の丈以上のこともできるのだ。
嘘ではなく、本当にできる。だから、信じて欲しい。そして、契約しろ。
「なんで、そんなこと言うの……?」
フミーはわずかに開いた唇を震わせながら、悪魔へ問うていた。
なんのことだと首を傾げるが、少し考えれば思い至る。
「ああ、対価の話ね。そりゃあ一方的に恩恵を得られるのは不自然に感じるか。ログライフとした契約と一緒で、我の器にしたいからだ」
「——!」
目的を告げた瞬間、フミーは悪魔を突き飛ばして立ち上がる。
「ふざけないで! そもそもあなたが槍を壊したんじゃない!!」
「ふざけてなんかないさ。君と契約するための、君にとっての恩恵を用意したに過ぎない」
理解不能とでも言いたげな目で射抜かれる。
なにか、返答を間違っただろうか。ただ、偽りなく答えただけだというのに。肉体がない者が肉体を求めるのは当たり前だ。人間というのは面倒くさい。
その感情を一旦呑み込み、少女へ向かって手を伸ばす。
触れた少女の髪はサラサラしていて触り心地がいい。
「君の雪のように白い髪は美しい。血のような色の目も綺麗だ」
だから、欲しい。天使のようなその外見を我が物としたい。
そう口説いているのに、首を横に振り、
「嫌ッ!! 絶対契約しない!!」
悪魔の手をはたいてまたしても拒否だ。
こちらは穏便に進めたというのに、愚かしい。悪魔の中の天使心を無下にした。
ああ、そうかい。そういう選択をするのか。
「……なら、仕方ない」
こちらも相応の態度で接する他なくなってくる。
一度俯いてから、顔を上げた。表情を変えぬまま、少女を指差す。
「契約しないなら、お前を殺してから、お前の大切な人間を殺してやるよ」
「……」
手段を選ばなくなった悪魔の言葉に、少女は目を丸くする。
こう言えば、大体の人間は契約してくれることを悪魔は知っていた。男だろうと女だろうと、子供だろうと老人だろうと。
「なぁ、契約——」
「メヴィ・ソラシア」
「!?」
白い閃光に視界が塗りたくられる。
悪魔を包み込むその光に、悪魔は心当たりがあった。
「それは、天使の……っ!!」
光が走った次の瞬間には、身体中に切り傷が生み出されている。
見覚えのあったそれに一瞬怯むが、すぐ首を横に振る。
——愚かしい。天使の槍で傷つけられたものじゃない以上、できたてのその傷も吸血鬼の再生力によって再生するというのに。
「メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア!!」
自らを傷つけながら、他者も傷つける。そんな破滅的な呪文を、少女は何度も口にする。
赤髪の女の斬撃の波よりも激しいものだった。しかし、その激情の波を受け止めたところですぐ治るのだ。だから、傷を蓄積するのは少女の方であり、自分の身を滅ぼす行為だった。
「メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア、メヴィ・ソラシア……ッ!!」
必然的に、終わりを迎えるのはどちらか明らかだ。
ただ、不便な『悪魔』ことに身動きが取れなかった。ひょっとしてそれが狙いだろうか。『悪魔』
『聞こ』援軍が来るまでの『えてい』体張った時間稼ぎ。『る』
あり得る話だ。『でしょう』しかし、その前に少女が死んだ場合、ログライフの代わりの依代を失ってしま『悪魔』う。
「うるさいな」
押さえ込んでいたログライフが出てき始めている。面倒くさいことに。
『やっと、声が聞こえるみたいね』
「すまんすまん。無視したわけじゃないんだ、決して」
渋々耳を傾け、空っぽな謝罪を口にする。
捨てる気満々の契約相手と話をしたところで時間の無駄だと思って無視していた。
『人の体に風穴空けるとはどういうつもり?』
「空けたのはあの白髪の子なんで勘弁してくれよ」
『その子に契約を持ちかけたのは?』
「それは……作戦さ。油断させるためのね」
『槍については? 生命を蘇らせるなどと口走っていたようだけど。……それが、本当なら——』
「やだな〜。本当にそんな槍だったら壊すわけないだろ?」
『あなたにはもう体を貸せないわ。返しなさい』
「どうするつもりだよ? ログライフお嬢様には策があるのか?」
『あなたは使えないようだけど、ワタクシは魅了を使えるわ。前に失敗したけれど、今の乱心したあの子ならきっと完全にかかる』
「……」
悪魔としてはその作戦に乗る気は起きなかった。このまま少女が自滅し、身動きが取れるようになったら適当にそれなりの奴と契約する。その選択肢を手に取る方がベターだ。
少女を手に入れられるのが一番ではあるが。
「正直、あんたの体もういらないんだよ」
『……は』
「ギリギリ生きていけるかもしれないけどさ、デカいダメージ背負っていきたくないわけ。だから他の奴と契約したいんだよ」
『ふざけ——』
それだけ言って、ログライフの魂を奥へ押し込めた。
死者にしがみつこうとしながら長い時を生きた吸血鬼の終わりなど、そんな馬鹿で呆気ないものたった。
——未だ、白髪の少女は天使の呪文を口にしている。




