4章14話:愛
「ああああ———ッッ!!! は、ぁ——————!!!」
声が掠れて、息が掠れる音だけになっても、苦しさは終わらなかった。息継ぎも上手くできず、口を痙攣させることでしか痛みを紛らわせられない。
「一応説明してあげようか」
口からフミーの血を垂れ流しながら、クロシェット——否、ロードミルフィーは語りかける。フミーの悲痛さなど無視して。
「ここで死ぬと、強制的に現実世界へ引き戻される。その時に痛みを引き継いだりはしない。だから——舌噛み切って喉に詰まらせて窒息死すればいいんじゃない?」
「——!」
この苦痛から解放されるなら、いっそのこと死んでしまい。一刻も早く解放されたい。
フミーのそんな思いを掬ったかの提案だった。
「……んぐ、……はぁ、ぐ、は、ぅ」
言われた通り、舌を噛んで見せたが、何度やっても噛み切ることはできない。
舌から出た血の味はするが噛み切るには程遠い傷だ。
「ははっ。おっかしいのー。全然できてないじゃない」
嘲笑う声がやけにうるさく鼓膜に響く。クロシェットの声だからだろうか。
「代わりに、喉笛噛み切ってやろうか?」
「…………」
右目を薄く開ける。クロシェットの姿のロードミルフィが暗い笑みを作っている姿を見えた。救いを求めるかのように何度も頷く。
「あー、そうそう。痛みは引き継がないって言ったけど、精神は別だからね。せいぜい心的外傷に苦しみ悶えろよ」
悪意を込めたような声と共にクロシェットの顔が口を開けて近づく。
このいじめっ子のような顔はクロシェットらしからぬものだ。クロシェットではないので当然か。
——そう。
これは、ロードミルフィ。
これは、ロードミルフィ。
これは、銀黒の魔女。
「——あぐっ!」
「……っぁぁああああ!!!!」
クロシェットの顔をしたロードミルフィの顔へ齧り付く。柔らかいような硬いような感触が口に広がった。
顎に上手く力が入らないが、入らないなりに顔の角度を変えて歯に引っ掛けるようにして肉を引き裂いた。
そうすれば、『クロシェット』の悲鳴が響く。
「あああ!! あああ!!」
叫びながら自分の顔を押さえていて、ずっと掴まれていたフミーの両手が解放される。
すぐに起き上がって、距離を取った。
「——っ!」
ボトボトと血を落とし、破壊されたことを主張し続ける左目を靴下の片方を使って押さえる。ハンカチはあいにく持ち合わせていなかったので仕方ない。
「くうぅぅぅぅぅ……」
ロードミルフィは呻きながら、フミーを血走った目で睨みつけていた。いつのまにかクロシェットの姿ではなくなっているが、その方がやりやすいのでよかった。
「緑の小鬼はあなた限定で回復ができるって聞いたけど、ここにはこれないみたいだね」
「うる、さい」
「いつも回復してもらってるから、もしかして痛みに耐性ない?」
「黙れ!! あれだけ叫んでたくせに、お前が言えたことじゃないだろ!!」
「そうだね。今もすごく痛い。でも、さっきあなたが見せてくれたから」
「はあ?」
泣き叫んでいたのは演技ではないし、死にたいくらい痛かったのも本音。
母様を見て、父様を見て、在りし日の自分を見て、クロシェットを見て——。
辛い感情を、胸の苦しみをなくすことなんてできない。完全に断絶することなんてできやしないのだから、封じ込めやしない。
受け入れた上で、それを力にする。前を向くのだ。
思えばそれは、カザミショーヤと死に別れたあの日、すでに自分がやっていたことだった。
「戦う理由。頑張る理由。生きる理由。アタシが誰に愛されて誰を愛しているのか」
「わけわからないことを——」
「あなただって、愛する存在がいるでしょ。愛してくれる存在がいるでしょ。そういうことだよ」
「——っ」
ロードミルフィは一瞬気の抜けたような顔をしてから俯く。
数秒の間の後、顔を上げたロードミルフィは綺麗な顔をくしゃくしゃになるほど歪ませてフミーを見据える。
「……たしかに。ボクは、ログライフ様を愛している。そうだ。そうだよ。——こんな傷、こんな痛み、大したことなかった。わかる。わかるよ、フミー。お前も同じか」
まるで、嫌な事実に気づいたかのように苦しげな顔に見えた。
「でもな、ボクはお前を否定するよ。ボクのこともボクは否定する。肯定するのはログライフ様だけで十分だから。ボクはお前が嫌いだ。だから叩き潰す」
ぶつぶつと独り言のように言葉を紡ぎながら、淀んだ笑顔を浮かべてゆらゆら揺れるロードミルフィ。
いくらロードミルフィが体術に長けていなかったとしても取っ組み合いになれば、体格差的にフミーが勝つのは難しいかもしれない。
けれど別に、勝てなくていいのだ。粘れればそれでいい。フミーの役目はネオンがどうにかするまでの時間稼ぎなのだから。ロードミルフィをここへ引き留めればいい。彼は、名前を知るフミーをどうにかしないと気が済まなそうだ。つまりは、フミーがここにいる限り、彼もここにいる。フミーがここにいるためには——死ななければいい。死ななければ、それでいい。
「はああああああ——!!!」
「……っ!」
ロードミルフィ目掛けて体当たりをすれば、重心を崩して彼は転ぶ。しかしフミーの髪を引っ張ってフミーを吹き飛ばそうとしてきた。
めげずにロードミルフィの顔を引っ掻く。
「とぉぉりゃぁああ!!」
「こんっの!! バカ女が!!」
二人の叫び声が混じり合っていた。
——
ネオンは考える。
どうすれば、銀黒の魔女の居場所を見つけられるのか。
「そう遠くには行ってないはず……」
しかし闇雲に探すのも時間の無駄だ。
ならば、知ってそうな者に聞いてみるしかない。
「知ってそうな人……誰……?」
——ログライフか。
「いやいや、知ってても教えないですよ」
自分の思考へ自分で突っ込んでしまう。
——ならばニオンはどうだろう。
銀黒の魔女の小鬼について情報をくれたのも彼だ。
「——あ」
小鬼だ。
魔女の子分である小鬼ならば、居場所を知っている可能性もあるし、無理矢理口を割らせられる可能性もある。
しかし、問題はその小鬼の居場所もわからないということだ。魔女の元にいる可能性だってある。
「いや……でも……」
赤い小鬼は触れた相手の意識をジャック。
青い小鬼は頭に乗った相手の能力コピー。
黄色い小鬼はワープ地点になれる。
緑の小鬼は魔女限定で回復ができる。
——黄色い小鬼なら?
その力の性質上、銀黒の魔女の側にいる意味はない。
でも、本当に居場所を知っているのか。
——どうだ?
——どうする?
「ログライフ……ニオン……小鬼……」
考える時間も惜しいのに、ネオンは結論を迷ってしまう。
迷って、何を道標にすればいいのかわからない。
——そんな時、頭の中に自然と浮かんできたのは過去の情景だった。
ネオンと鏡写しのようにそっくりな女、ネオ・ハクター。それも当然、コピー人形『ネオン』のコピー元なのだから。
その彼女と共に過ごしていた時、彼女の言葉ひとつひとつがネオンを振り回していた。ネオ・ハクターは想像主であり、役割を与えた存在であり、道標だったのだから。
『協調性……というか他者との共存欲がない。君の弱点だよ』
ネオ・ハクターの言葉が舞い上がる。それを掴もうとすればするほど、遠くて、彼女と自分の違いを実感するのだ。
『私も人のこと言えた義理ではないけどね、何も独りでどうにかしろと言ってるわけではないんだよ。時に誰かを頼ることも——』
会話をするたびに、自分がこの人の下位互換であるのだと感じて、それでも、能力的には自分が優れているという矛盾を抱えて、だから、なのだろうか。
『私の役目は、私が果たします』
ネオ・ハクターの言葉を突っぱねた。
自分の役目を自分でこなせなければ、自分には何が残る。自分の存在意義はどうなる。
コピー人形なりの意地だった。
——しかし結局、リクを協力者として二人三脚で役目を完遂するのだから、意志が弱い。
けれど、自分が至らない存在と認識しているのに、それを誰かに頼って補うことをしないのは愚かなものだ。
「——誰かを頼る、ですか……」
自分へ溶け込ませるように小さな声でつぶやいてから、ネオンは駆け出した。




