破滅への手紙
何も言わずに出て行くアンセルムに、ロランは一瞥を送っただけで言葉を掛けることは無い。最も、永遠に戻るつもりが無いことに気付いていないだけであった。それでも、別れの言葉すら送られなかったことに、アンセルムは身勝手な小さな怒りを覚える。
結局、自身がロランに何を求めていたのか、今では分からない。
フランシーヌという女を一緒にこき下ろすことが出来れば、満足だったのだろうか? それとも、親方やシリルの死を涙ながらに悼むことがしたかったのだろうか? ロランと手を取り合って、あの愚かな女王を討てば良かったのだろうか?
アンセルムは握った拳に爪を立てる。皮膚に食い込み、鋭い痛みが走った。
胸の内では負の感情が渦巻き、ロランの顔を思い浮かべるだけで毛が逆立つ。彼を友人だと慕い、信頼していた日が遠い。殺したいほどに誰かを憎めることに、感動すら覚えた。
宿を出た足は、レミが住んでいるはずの界隈へと向かう。無論、レミとて憎しみの対象ではあったが、ロランの比ではない。
元々、悪党だった彼が誰かを陥れ、手にかけることは分かっていたのだ。もし、レミが、シリルという少年がメルクリオの友人であることを知っていたのなら、もちろん、手を出さなかっただろう。運が無かった。その一言に尽きる。
だからと言って、許してやる程、アンセルムの心は広くなかった。普段から飄々として、全てを受け入れているように見えていたのは、全てのものに興味が無かったからだ。興味の無いものが消え失せようと、壊れてしまおうと、アンセルムには関係ない。
けれども、シリルは弟のように可愛がっていた子供だったのだ。将来、彼と一緒に酒を飲める日を楽しみにしていたし、他にも世の中の遊びを教えてやろうと画策していた。
何よりも、シリル自身が早く大人になりたいと望んでいたのだ。一番の願いは、幼い少年の命と共に儚く消えてしまい、成長することはもう出来ない。ただただ、それがやるせなかった。
複雑に曲がりくねった路地を進んでいけば、更に闇が深くなる。道すがら物乞いが座り込み、濁った目で宙を見つめている光景が、何度も目の端に写り込んだ。
フランシーヌに王座が渡ってから起きた悲劇の一つだ。数年前ならば、彼らの姿はそれほど多くは見かけなかった。
通路の先に、アンセルムは目的の人物を見つける。体力も尽きかけ、転がっているだけの老人を、レミはつま先で蹴り飛ばしていた。仰向けになり、露わになった懐に素早く手を突っ込むと、数枚の硬貨を引っ張りだす。
「しけてんな、じいさん」
老人の返事が全く無いどころか、触れられたにも関わらず、身動ぎ一つしないところで、アンセルムは相手が死んでいることに気付いた。
「死体漁りとは、いい趣味してるね」
そう声をかければ、レミが弾かれたように振り返る。
「メル! なんだ? もう会いに来てくれたのか?」
尻尾でもついていれば、大きく左右に振っていることだろう。途端に表情を輝かせたレミに、アンセルムは頷いた。
「君に、頼みたいことがあってね」
人好きのする表情を浮かべようと口角を上げるが、どうにも頬が強張ってしまう。
ポケットに手を突っ込み、確かにそこにある紙の感触を指で確かめた。これを、レミに渡せば、ロランはもちろん、女将も無事では済まない。
快活に笑い、ジョッキを掲げるベレニス女将の顔が頭を過る。胸が痛み、心が軋んだ音を立てた。
けれども、その女将の視線の先にいるのが自分では無く、ロランだと思い浮かべた瞬間、躊躇いは霧散した。
「これを、ある人に渡して欲しいんだ」
「手紙か?」
「本当は自分で渡したかったんだけど、用事が重なっちゃってね」
アンセルムは肩を竦めると、顔色を変えることなくレミに指示を出す。
「明日の夕刻、時計台が鐘を6つ鳴らす時に、昔、ボクらが縄張りを張っていた路地にある娼館の角に行ってくれるかい?」
「あんたの馴染みの娼婦に渡せばいいんだろ」
「そんなとこ」
レミは緩く口角を上げて、下卑た顔つきでアンセルムを見やる。
「その女、俺が買ってもいいか?」
「構わないよ」
あっさりとした返答に、途端にレミはつまらなそうに息をついた。
「メルは昔っから、女に執着が無いからつまんねぇや」
「代わりはいくらでもいるもの」
言いながら、アンセルムの頭にレティシアの顔が過る。何故だか、胸が小さく痛んだ。
「そういうことだから、頼んだよ。これ、お駄賃」
アンセルムは走った痛みを無視して、金貨を差し出す。レミは躊躇うことなくそれを受け取ると、任せておけ、と手に持った封筒を振った。
◆
去って行くレミの後ろ姿を見つめながら、アンセルムはしばらくその場に佇んでいた。
かつて、共に悪事を働いた哀れな男に対して、さしたる同情の念すら浮かばない。一刻も早く、その首と胴が離れてしまえば良いと思った。
完全に姿が見えなくなった後、アンセルムは懐からもう一枚の手紙を取り出す。こちらは、騎士に渡すためのものだ。書体は細く流暢な文章で、貴族に似せたもの。
踵を返し、今度は裏路地を抜けて大通りへと足を進める。迷いなく出た先は、主要な道であるにも関わらず、やはり活気が無く、静まり返っていた。かつての賑わいなど、まるで存在しなかったかのようだ。
太陽が真上にあるせいか、光が目に痛い。思わず手を翳して、影を作る。
城前の広場まで行けば、騎士はすぐに見つかるだろう。手紙を渡すのは簡単だ。
レミの持った手紙と、今、この手に持っている手紙を合わせれば、レミだけでなく、ロランも捕まるに違いない。
巻き添えを食らう形になる女将だけが唯一気がかりだったが、それでも後悔の念は湧いてこなかった。




