亀裂
再び会う約束をレミと交わし、アンセルムは宿に戻って一眠りした。ベッドに横になれば、すぐに眠気が襲ってくる。翌朝、目覚めたのは随分と日が高く昇った頃だった。
適当に身支度を整えて、食堂のある階下へ足を伸ばす。そこで、久しぶりにロランの姿を探した。自ら積極的に会話をしようと試みたのは、いつぶりだろうか?
ロランは探すまでもなく、カウンターに頬杖をついて腰掛けている。アンセルムが近付くと、ロランは視線を上げたが、すぐに元の位置へと戻してしまう。随分と素っ気ないように思われたが、アンセルム自身も同じようなことをやってのけるので、特に文句もない。
「ロラン」
それでも、今日は用事があるのだ。声を掛ければ、ロランが驚いたように目を瞬いた。
「なんだよ?」
「レティシアに会いに行かない?」
名前を出した途端に、ロランの表情が苦虫を噛み潰したように歪む。あからさまに嫌がっている様子に、アンセルムは苛立ちを感じた。
「1人で行ってこいよ」
「ロランがいないと意味ないんだ」
「俺がいなくても構わないだろ」
「レティシアが君に会いたがってる」
「俺は会いたくない」
断られるであろうことは予想していたが、こうも否定されると面白くない。アンセルムは苛々とカウンターの上を指で叩いた。
「今日だけでいいから。一緒に来てよ」
「嫌だって言ってるだろ」
「顔を見せるだけでいいんだ。ロランが元気か心配してた」
「顔も見たくない」
頑として首を振らないロランに、アンセルムはついにカウンターを拳で叩く。
鈍い音が響き、上に乗っていた帳簿が驚いたように跳ねた。お互いに牽制し合うように睨み合う。
「ねぇ、もしかして、レティシアを見て、フランシーヌを思い出すから会いたくないの?」
ロランの目が、小さく見開かれる。口は真一文字に引き結ばれたままだったが、動揺したように身体を揺らしたことから、図星であると察せられた。
否定も肯定もせず、黙り込んだロランに、アンセルムの中で煮えたぎるような怒りな湧き上がる。それこそ、レミに対してよりも憤りを感じた。
「レティシアとフランシーヌは違う人間だ。ロランだって、彼女にそう言ったんだろ? レティシアはフランシーヌの被害者だ!」
「別に、フランが直接レティシアに暴力を振るったわけじゃない。悪いのは、フランの真似をしていたあいつと、それを買った男たちだ!」
「なにそれ。フランシーヌを擁護するの? あの女は、シー坊を殺したんだよ?! ロランだって、目の前で見たじゃないか!」
ロランが今になってもフランシーヌを庇う発言をすることに、アンセルムは怒りを顕にする。後に引けなくなり、感情のままに声を荒げれば、ロランの視線が床を向いた。
「シー坊だけじゃない、この数年間で、フランシーヌのせいで死んだ人間が何人いると思ってるんだよ! それなのに、まだ好きだとか抜かすのかい?!」
「違う」
ロランは視線を上げると、ひたとアンセルムを見つめる。迷うような色が瞳の中に浮き上がった。
「フランのことは、正直、自分でもどう思ってるのか分からない。シリルにしたことを考えると、信じられないくらい憎いと思う。でも、一緒にいた時のことを思い出すと、やっぱり、全てを嫌いになれないんだ」
場が静まり返る。
フランシーヌに対する憎悪で溢れているアンセルムにとって、ロランの告白は裏切り行為に等しいものだった。
あの悲劇的な事件の後、お互いにフランシーヌに対する感情のずれがあることには気付いていた。けれども、明確に言葉にすることがなかったおかげで、二人の間に溝ができることは無かった。
しかしながら、この瞬間、亀裂が入り、修復が不可能なほどに溝が深まる。
「見損なった」
そう吐き捨て、アンセルムは自室へと踵を返す。ロランは俯いたまま、弁解をすることも無く、その背を見送るだけだった。
◆
シリルは、アンセルムよりもロランに懐いていた。兄のように慕い、いつでも、その後ろをついて回る。何かあれば、真っ先に向かうのはいつもロランの元だった。
レティシアが好きなのは、他ならぬロランである。アンセルムを邪険に扱うのに対して、ロランが来れば頬を染め、照れ隠しに口の悪さを発揮することはあれど、辛辣な言葉は放たない。
女将も、親方も、常連客も、アンセルムとロランの両方を知る者はいつだって、ロランにより好意を向け、彼を求める。
羨ましい。妬ましい。
アンセルムの胸の内で、醜い化け物がのたうちまわる。制御が効かない感情の矛先が、全てロランへと向かっていく。
なにが周囲の人間をロランへと惹きつけるのかが理解できない。無論、自身もあの誠実な青年のことは好きだったはずだ。しかし、今では、友人であったことすら信じられない。
フランシーヌに傾倒し、レティシアの興味を惹きつけるロランのことが、憎くて堪らなかった。
「許さない」
アンセルムは激情の中で、ペンと紙を取り上げた。無念の中で死んでいったであろう、親方やシリルの顔が脳裏にちらつく。三年経った今でも、色褪せることなく彼らを思い出すことができた。
それを、あっさりと忘れることが出来るロランは、同じ道を辿るべきである。それこそ、フランシーヌとの駆け落ちが失敗し、連れ戻された時に処刑台へと登れば良かったのだ。
力強い筆跡で、単語は少なく。ペン先に圧力を掛けて、アンセルムは手紙を綴る。その筆跡は、ロランの筆跡そのものだった。
破滅への文章をしたためた紙を折り畳むと、懐へとしまい、少ない荷物を手に部屋を出る。
二度と、この宿の敷居を跨ぐ気は無かった。




