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紅の鳩  作者: りきやん
終わりの始まり

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罪の始まり

 緊張や焦燥、不安からくる冷えを温めようと、フランシーヌは火が爆ぜる暖炉へと近づく。煙突掃除人の少年が以前、そろそろ掃除をする時期だと忠告してくれたことを、場違いに思い出した。くべられて間もない薪を、赤い炎が侵食していく。


 正直なところ、両親の死を告げられても、実感が沸かなかった。側室を置くことをしなかった生真面目な父親と、その父を一歩後ろから見守りながら、毅然とした態度で周囲と接していた母親。今、部屋を訪れれば、厳しい叱責と、温かい抱擁で迎えてくれるのではないかと頭の何処かで思う。


 薪が、一際大きく爆ぜた。


 実感の沸かない事柄よりも、フランシーヌにとっては、ロランの方が目下の問題であった。オーギュストと話をつけたら、すぐにでも救出しに行こうと算段する。


 その時、突然に扉がノックも無しに開く。軋んだ音を立てて開いた先に立っていたのは、器用に片方の口の端だけを上げて笑っている、悪夢のような男だった。


「おかえり、フラン。おやおや、随分と思い切った髪型にしたね」


 無遠慮な足取りで、オーギュストは室内へと入り込む。臆すること無く暖炉側のソファに腰掛けると、ゆったりとした動作で足を組んだ。そして、セルジュに向かって、顎で扉を指し示す。


「再会の場面に、他の男がいるのは野暮だと思わないかい?」


 オーギュストの言いたいことをすぐさま理解したセルジュは、小さく礼をすると、部屋の外へと出た。その背が扉をくぐるのを見送り、オーギュストはフランシーヌへと向き直る。


「フェルナンに聞いたよ。どこかのドブネズミに拐かされたって? 無事に帰って来てくれて、何よりだ」

「クリスの酒瓶を盗んだのは、あなたね?」


 フランシーヌは一切の会話をせず、本題を突きつける。オーギュストは意表を突かれたように、口を閉じたものの、半笑いを浮かべて肩を大仰に竦めた。


「なんのことだい?」

「クリスの酒瓶に毒を仕込んで、お父様とお母様に飲ませたのでしょう?」


 いつになく厳しい調子でフランシーヌは問い詰める。迫力に気圧されたのか、それまで浮かんでいた笑みが、オーギュストの顔から引っ込んだ。


「酒瓶の持ち主だったクリストフは逃亡している。奴が謀反を企んで、逃げたと考えるのが妥当だろう?」

「違うわ。クリスは、私を心配して追いかけてきてくれたのよ」

「理由なんて、いくらでもでっち上げられる」

「いいえ、あなたが犯人よ」


 強く断定した口調に、オーギュストは見定めるようにフランシーヌを眺める。固く引き結ばれた口元に、いつになく剣呑な目つきが、逃がしはしないと言っていた。


「君が帰って来なければよかったのに。セルジュの執念には呆れるよ」


 負けを認めたように、オーギュストは大きくため息をつき、両手を上にあげる。傍目には降参のポーズをしているように見えるが、フランシーヌには馬鹿にされているようにしか思えなかった。


「それで? オレが殺してたとして、どうするんだい?」

「あなたを反逆罪で訴えるわ」

「今の最高権力者はオレだっていうのを、忘れているのかい?」

「いいえ。私が帰ってきたのだから、私が全ての権限を持っているわ」


 それを聞いて、オーギュストは再び笑みを浮かべる。片方の口の端が、ゆっくりと吊り上がった。


「君が生きていれば、ね」


 途端、オーギュストが立ち上がる。


 不可解な行動にフランシーヌは眉を潜めたが、その腕が、真っ直ぐ首元に伸びてくるのに気付き、後ろに下がる。しかし、背中に温まったレンガの感触を感じ、慌てて振り返った。


 赤々と燃える炎が、足元に熱風を吹き付け、嘲笑うように揺れている。


 前を向けば、片方の口の端を器用に吊り上げたオーギュスト。


 その手の平が喉元を覆う。


 圧迫された気道が奇妙な音を立て、目の前に真っ白な光が飛んだ。


 フランシーヌは必死に腕を振り上げ、逃げようともがく。


 その指先が、冷たい陶器に触れた。


 そして、咄嗟にマントルピースの上にあった花瓶を手に取る。考える間も無く、花瓶ごと目の前の相手に手を振り下ろした。


 鈍い音が響き渡り、花瓶が砕け散る。


 同時に、オーギュストの身体も重力に従って倒れた。


 綺麗に飾られていた花が床に投げ出され、零れた水がフランシーヌを濡らす。


 物言わぬ男の頭が床にぶつかり、嫌な音を立てる。暗く赤い色が、紫がかった銀髪を濡らし、絨毯へと染みを作っていく。


 フランシーヌは肩で浅い呼吸を繰り返し、呆然とその様子を見守った。


 割れた破片で切ってしまったのか、右手が引き攣るような痛みを訴えている。


「フランシーヌ様。入りますよ」


 いつもは几帳面にノックを3回するセルジュが、室内の異様な空気を感じ取り、声を掛けただけで扉を押し開ける。目の前に広がった凄惨な光景に、さすがのセルジュも表情を動かさざるを得なかった。


 目を瞠り、右手に割れた花瓶を持ったフランシーヌと、床の間に視線を走らせる。無言のまま、倒れこんでいるオーギュストに近づくと、そっと指先を首筋に当てた。


 脈は感じられない。


 その目を覗きこんでみたが、瞳孔はすでに開ききっていた。助かる見込みが無さそうだと感じたセルジュは、未だに突っ立ったままでいるフランシーヌに向き直る。


「お怪我は?」


 フランシーヌは答えない。


 唇を戦慄かせ、欠けた部分が食い込むのも気にも止めず、花瓶を握りしめている。セルジュはそっとフランシーヌの右手を取ると、その手から花瓶を奪い、手近にあったテーブルにそれを転がした。


「わ、わた……私……」

「不可抗力だったのでしょう?」


 いつもの調子に戻ったセルジュが、淡々と告げる。後退さり、転びそうになるフランシーヌの身体を、そっと支えた。


「ダメよ……そんな……違うの……死なせるつもりじゃなかったの……」

「誰もフランシーヌ様を責めませんよ」


 短くなってしまった、ライラックの髪を、そっとセルジュの手が梳く。気が動転しているフランシーヌはそれに気づかずに、頭を抱えた。


 右手の血が、髪を濡らす。


「あぁ……なんてこと!」


 ついにはしゃがみ込んでしまったフランシーヌの肩を、セルジュはそっと抱く。そして、宥めるようにその背中を擦ってやった。


「さぁ、先に傷の手当を致しましょう」

「あぁ、私、人を殺してしまったの……? どうしよう……どうしましょう……」


 落ち着きなく震えているフランシーヌの手を取り、立ち上がらせると、セルジュは手近にあった椅子へと導く。


 戸棚から薬箱を取り出すと、手際よく、脱脂綿にアルコールを染み込ませ、丁寧に血を拭った。付着した血の量に反して、傷はそれほど深くはない。


「フランシーヌ様。オーギュスト様は不幸な事故でお亡くなりになったのです」

「違うわ、私が、私が……」

「いいえ」


 顔を上げれば、至極真面目な表情でセルジュが手当をしている。普段の世間話をしている時の態度と、何ら変わりが無かった。


「不幸な事故だったことにするのです。フランシーヌ様が負い目を感じる必要はございません」

「無かった……ことにするの?」

「幸い、目撃者はおりません。私と、フランシーヌ様だけの秘密にしておけば、事が露見するようなこともないでしょう」


 それに、とセルジュは付け加えた。


「あの方が亡くなったことで、残念に思う人物など、甘い汁を吸っていた年寄りの大臣共くらいでしょうから」


 あまりにも辛辣な台詞に、フランシーヌは黙り込むしかなかった。同時に、不在時にどれほどオーギュストが酷い施策を行ってきたのかが、窺い知れるようだ。


 セルジュの口ぶりは、暗にオーギュストのことを批判している。


「それよりも、ロランの処遇はいかが致しますか?」


 人の死をそれよりも、で片付けたことに関して、驚きを隠せないものの、確かに、フランシーヌの中でもロランについては最優先事項の事柄だった。


 秘密を共有し、己の過ちを肯定してくれる人物がいることで、いくらか落ち着きが戻ってくる。目の端に映る死体を視界から締め出し、真っ直ぐセルジュの顔を見た。


「もちろん、釈放よ」

「手配しておきましょう」

「そう……ね」


 フランシーヌは歯切れ悪く返事をする。


 本来ならば、自ら地下牢に赴き、外まで付き添って行きたかった。けれども、オーギュストへ仕出かした蛮行を隠してロランと相対する自信は無い。


 負い目から、まともに顔を見れる気がしなかった。加えて、いま会えば、罪の内容をそっくりそのまま告白してしまいそうだった。


 手当を終えたセルジュが立ち上がり、薬箱を元の場所へと戻す。


 平時であれば、泣き出しそうな笑顔を浮かべて、手当の礼を言うはずのフランシーヌは、床を見つめたまま身じろぎひとつしない。


 すぐ側には死体が転がっているというのに、セルジュは至って冷静に物事を考えていた。


 フランシーヌが消息を絶っていた際には焦燥から常に苛立っていたのだが、目の前にいるという事実だけで随分と心が穏やかである。例え、その手が血に濡れていようと、その心が違う男に向いていようと、在るべき所にその存在があるだけで満ち足りていた。


「私がお側にいる限り、心配には及びませんよ」


 フランシーヌが顔を上げる。その表情は未だに強張ったままだった。そして、礼を言うことも無く、ただひとつ、ゆっくりと頷いただけであった。

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