一枚、上手
クロード・カスタニエは目の前にある手配書に大きなため息を付いた。
エリク・シャルダンという名前が大きく書かれたそれは、掲示板の一面全てを覆うように何十枚にもわたり貼り付けられていた。おまけに、懸賞金まで懸けられている。情報提供でもそれなりの額になっているが、万が一、捕まえれば一生遊んで暮らせるであろう金額が渡されるらしい。
紅の鳩などという小さな組織への投資にしては、信じられないほどの入れ込みようだった。
「紅のリーダーは俺なんだけどな」
日に焼けた茶色の髪を、乱雑に掻く。
手配書には、中性的な顔立ちの涼しい目元をした青年が描かれている。描かれた似顔絵は、どう見ても、顎鬚を生やし、吊り上がった目をしたクロードとは、似ても似つかなかった。
エリク・シャルダンの名を借り、組織を動かしていたのは他でもないクロード・カスタニエその人である。
本人の了承を得て名前を使っていたものの、エリクの名を政治犯へと仕立てあげてしまったことは、不本意ではあった。けれども、それを謝罪しようものなら、もう自分の名前では無いから構わない、と、ばっさり切り捨てられることは目に見えている。
手配書を一枚剥ぎ取り、その仔細を眺めながらクロードは、歩みを進める。
隣国からの物流のルートを確保する目的で、国外に出ていたため、正確な情報は掴めていないが、最近は不穏なニュースが国内に溢れていた。フランシーヌ姫の失踪から始まり、国王と王妃の臥床。そして、オーギュスト・ドゥ・ラフォルギーという男の擁立。
オーギュストが政治を執ることになってから、早速、罪の無い庶民が処刑されたらしい。このような片田舎にも情報が届くのであるから、余程、市民を震撼させた出来事だったのだろう。
法の改正や、税制度の改正、全てを迅速に行う手腕の良さは認める。けれども、それが改悪されているのであれば、話は別であった。
このままでは、独裁者が生まれてしまう。それこそ、クロードが最も懸念していたことだった。
クロードは、元々貴族でありながら、王政に疑問を抱いていた。多くの物事を学べば、学ぶほど、国民が主権として国家を動かすことが理想ではないか、という思想が膨れ上がり、ついにはカスタニエ家と離縁された。
14年も前の話である。
その際に、シャルダン公爵の下で抑圧されていたエリクを連れ、二人で紅の鳩を組織したのだ。
武力ではなく、思想で国を変えることを志し、水面下で動き続けて随分と経つ。始めた頃は、紅の鳩の浸透は難航していたが、今では随分と支持者も出ていたのだ。
けれども、どれだけ文面で訴えようとも、識字率の低い下層階級にまで届けるのは難しい。そこで、学びたい者に読み書きを教え、教養の水準を上げようと悪戦苦闘していた矢先に、騎士団によって解体されてしまった。
外出中であったクロードは難を逃れたが、他の者達がどうなってしまったかは分からない。一刻も早く、首都に戻りたいという思いでいっぱいだった。
エリクの名を借りていたおかげで、クロード自身に紅の鳩との関係についての嫌疑がかかるのは遅れるだろう。そして、エリク本人も、この手配書とは違う容貌へと変わっているため、面と向かって会ったとしても、シャルダン公爵の子息だと見抜くことは難しい。
言ってしまえば、エリク・シャルダンなどという人間は、もうこの世には存在しないのだ。
「無事に逃げててくれよ、クラリス」
手配書の似顔絵の頬を、そっとなぞる。絵の中のエリクが、微笑んだようにクロードには見えた。
◆
舗装されていない砂利道を、クロードはゆっくりと進んでいた。馬にも乗らず、歩き続けているせいで、どうにも足が張っている。
30代に入ってからの体力の衰え方が早いことに、クロードは苦笑を漏らした。どこか、手近な場所に宿を取ろうと、周囲の建物に目を配る。すでに日は水平線へと傾き、景色を赤く照らしだしていた。
一番最初に目についたのは、軒先にランプが吊るされている小さな宿だった。これ以上、歩くことに限界を感じていたクロードは、迷わずそちらへ足を向ける。扉を押し開ければ、小気味よいベルの音が響いた。
「いらっしゃい」
のんびりとした亭主の声が、クロードを出迎える。立派な白髪に、王都ではすでに流行遅れとなっているチョッキを身に纏った、人の良さそうな老人だった。
「一泊したいんだけど、空いてますかね?」
「こんな田舎に泊まる物好きはそうそういないよ。あんたの他に、いるのは一組だけだ」
主人が苦笑しながら目線で示した先には、2人の人間が座っていた。
ダークブルーの髪に、始終機嫌が良さそうに笑顔を浮かべている青年。そして、もう一人は後ろ姿であるせいで、少女か少年かは分からない。けれども、ライラック色の髪があちこちに跳ねているせいで、どうにも性別は男であるように思えた。
食事の最中だったようで、和気藹々とした雰囲気でスープを啜っている。
「旦那も先に、食事にしますかい?」
じっと見つめていたせいで、腹が空いていると思われたのだろう。宿の亭主はそう勧めてきた。
「あぁ、そうしようかな」
王都であれば、自分がカスタニエ家を離縁された者であることを知っている人間もいるかもしれないが、ここは辺鄙な田舎である。おまけに、相当に汚い身なりをしていたので、元貴族であるなどと怪しむ者がいるはずもなかった。
1人で食事をとるのも侘しいので、2人組の横に座らせてもらおうとクロードは食卓に足を向ける。少しでも国内の情報を収集する目的もあった。
「相席しても、構わないかい?」
会話が止まる。
ダークブルーの髪をした青年の方が、手を止めてじっとこちらを見上げた。値踏みをするかのような視線を向けられるが、無事にお眼鏡に適ったのか、青年は小さくひとつ頷く。
「ありがとう」
床に荷物を置き、椅子を引いて腰掛ける。その際に、ちらりとライラックの髪の人物を盗み見た。
コバルトブルーの大きな瞳に、サイズの合っていないダボついた服を着ている。その顔立ちは、どう見ても女性のものであり、服装と髪型に違和感を拭えない。
どこかで見たことがある面立ちに、クロードは目を細めた。
「おっさん、旅の途中か何かか?」
「おっさんじゃなくて、クロードだ」
青年の明けすけな物言いに、思わず訂正を入れる。久しぶりに名乗った本名には、違和感があった。
「クロードさん、ね。俺はロラン。こっちは、シシィ」
よろしく、と差し出された手を握る。人懐っこい、気の良さそうな青年だ。
「よろしくお願いします」
シシィと紹介された少女からも握手を求められ、クロードはその手を握る。
泣き出しそうな笑顔を浮かべて挨拶をする様子に、大昔に遠目から見たことがある1人の人物を思い出した。ここ数十年の間、顔を見ていなかったため確証は持てないが、年の頃は目の前の少女と同じはずだ。
「で、クロードさんは旅の途中なのか?」
「物見遊山の旅行ってとこだな。ロランたちは、なんでこんな田舎に?」
「俺達も旅の途中だよ。田舎から出て、王都に向かうとこ」
クロードの目の前に、亭主が皿を置く。
スープからは湯気がいっぱいに上がっているが、その中に入っているのは、人参が数欠片と、何かも分からない葉野菜が数枚。
スプーンを手に取り、一口、口に運ぶ。意外にも、野菜の甘味と旨味が引き立つ優しい味だった。
「王都に行くのか? 何しに?」
「奉公先を探しに行くんだよ」
「そりゃ、大変だな。伝手はあるのか?」
「一応ね。親戚のおばさんが、王都で宿をやっててさ。しばらくは、そこでやっかいになる予定」
「どこにある宿だ? 俺も昔は王都に住んでたんだ。知ってるかもしれないな」
「裏路地にある宿だよ。えっと、確か番地は……」
告げられた住所に、クロードは頷く。
下層階級の居住区だ。実際に足を運んだことは無いので、宿があるのかどうかは分からないが、作り話だと考えるには難しかった。
それ程に、ロランはしっかりと淀みなく話している。そこで、先程から、黙りこんでいるシシィに話題を振ってみることにした。
「王都と言えば、最近は混乱しているらしいな」
「混乱?」
「あぁ。国王と王妃が、姫様が消えたせいで臥せってしまったらしいぞ」
ロランの手が止まる。同様に、シシィも動きを止めた。
「そのせいで、オーギュスト様が政治を執ることになったそうだ」
言いながら、クロードは横目でシシィを眺めた。明らかに、その顔色が悪くなり、動揺しているのが手に取るように分かる。
「噂じゃぁ、オーギュスト様に政権交代してから罪も無い人間が処刑されたって話だぞ」
シシィの手から、スプーンが音を立てて机に落ちる。
その様子にクロードは確信せざるを得なかった。幼い頃の記憶が、色をつけて蘇る。
遠目から見たことがあるだけで、話したことすらない。長いライラックの髪を揺らして、豪華なドレスに身を包んだその姿。
「大丈夫か? シシィ」
「え、えぇ。ごめんなさい、手が滑ったみたい」
このような片田舎では、誰もその正体に気付くことなど無いだろう。姿を見たことのある自分でさえ、確信を得るまでに時間を要した。
髪と服装を見れば、多くの人々は田舎の出自だと言われて納得してしまうかもしれない。けれども、その振る舞いや仕草は、平民にしてはやけに上品だった。
「お前たちも、王都に着いたら大人しくしてることだな。目に付くようなことをしたら、殺されちまうかもしれない」
ロランとシシィが顔を見合わせる。
クロードはそれを横目に見ながら、人参の一欠片をスプーンで掬い、口へと運んだ。




