忍び寄る影
クロードは自室のベッドに転がりながら、大いに頭を悩ませていた。
シシィと紹介されたあの少女の正体は、おそらくフランシーヌ・ドゥ・ボーヴォワール姫である。離縁される以前、王城で開かれるパーティーで見かけたことしかないが、政治の話題で動揺していた姿を見るに、間違いはないだろう。
なぜ、ロランと名乗る青年と一緒にいるのかは、分からない。二人が自分が席に着く以前は和やかに会話をしていたことからも、誘拐の可能性は低い。政治的なしがらみで、行動を共にしているのか、若さゆえの気まぐれから来る出奔だったのか、クロードには推し量りかねた。
オーギュストが悪政を敷いているという噂が本当であるなら、一刻も早くフランシーヌを王都に戻さねばならない。国王も王妃も臥した今、主権を取り戻せるのは正統な血筋を引く王女その人だけだ。
直接、あの二人に忠告することも出来たが、出会って間もない男が正体を見破り、その行動を諌めたとなれば不信感しか抱かないだろう。余計に反発し、遠くへ逃げて行くのは目に見えている。
王都へ向かうなどと平然と嘘をついていたが、本来は王都とは真逆の方向へ向かっているはずだ。せめて、彼らの目的地さえ分かれば、とクロードは臍を噛んだ。
「何が目的だ」
寝返りを打てば、ベッドが軋んだ音を立てる。薄手のシーツを身体に巻き付け、暖を取ろうと身を丸めた。
ランプを点けなければ部屋の様子も分からないくらい、暗闇が広がっていたが、その中でもクロードの目は冴えている。目を瞑っても、睡眠を取ることなどは到底できそうになかった。
クロードは、フランシーヌが姿をくらますことで起こる、政治的混乱を考える。
彼女が何を思って、出奔したのか、その糸口を掴みたかった。そして、その横にいたロランという青年が何者なのかを推測する。
話し方や仕草は、平民のそれであり、特に秀でた特技があるようには見受けられなかった。下層階級の出身であろう青年と、一国の王女が手を組むことで生まれる利益は何一つとしてなかった。
王政に反対する側の人間であるが、決して政治的混乱を招きたい訳ではない。現在の不安定な情勢を考えれば、フランシーヌを元の居場所に据え、国の基盤を直して貰うのが先決だった。
いくら、国民主導の政治を切り拓くと言えども、少しずつ変化を与えねば、混乱を招きかねない。王都に到着次第、フランシーヌの居場所を騎士団に教えるべきだとの結論に至る。
「とは言ってもな」
カスタニエ家と離縁された手前、大手を振って城前をうろつける身ではない。
実弟が騎士団長をやっているはずだが、今更、合わせる顔があるはずもなかった。年が離れた弟は、いつも自分の後ろを着いて回っていたことしか記憶に無い。
ある程度、成長をしていたクロードにとっての遊び相手は、弟では無く、もっぱら従兄弟のエリクであった。
「手紙、に限るか」
クロードは身体を起こすと、手探りでテーブルの上からマッチの箱を探し出す。火を灯し、ランプを点けると、荷物の中から紙と羽ペン、そしてインクを取り出した。
余計な挨拶は一切書かず、用件のみを記す。フランシーヌを見かけた居場所、風体、ロランという青年のことだ。
書き終えた紙を丁寧に畳み、封筒に入れると、再び鞄から蜜蝋を取り出す。蝋印は持っていなかったため、仕方なく、手近にあった蝋燭台の底で封をした。
「明日は馬を飛ばすか」
馬を借りるのに懐が痛む上に、馬で王都に入るのは目立つが、悠長に歩いて帰っている暇は無かった。
フランシーヌのことに加え、紅の鳩の仲間たちも心配である。クロードが決心するのは早かった。
◆
ロランとフランシーヌは部屋に二人きりだった。
薄暗い部屋の中、ランプの炎が悲しげに揺れている。時折、火を灯すための油が爆ぜ、小さな音を立てていた。
ロランは木で出来た丸椅子に腰掛け、フランシーヌはベッドの縁に座っている。お互い、向かい合ったまま、神妙な面持ちをしていた。
「フラン、本当にいいのか?」
「えぇ。このまま、北上しましょう」
青白い顔をしながら、そう言い切ったフランシーヌを、ロランは心配そうに見つめる。
夕飯の時分、相席をした男から得た情報は、二人を震撼させるには十分だった。クロードと名乗った男は、あろうことか、フランシーヌの両親が臥せっているなどと言ったのだ。
「親父さんと、お袋さん。心配じゃないのかよ」
「もちろん、心配に決まってるじゃない。オーギュストの悪い噂も、気にはなってる」
フランシーヌは目の前にいるロランの上着の袖をそっと掴む。
「それでも、ロランと一緒にいる方を私は選ぶわ」
ロランは袖を掴んでいるフランシーヌの手に、そっと自身の手を重ねる。不安からか、彼女の手は驚くほどに冷たかった。
「無理してないか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
いつもと同じ、今にも泣き出しそうな優しい笑顔が浮かんだ。けれども、ロランは本当にフランシーヌの目から涙が零れ落ちるのではないかと心配になり、重ねていた手をそっと顔に添える。
フランシーヌは、目を細めると、その手に頬をすり寄せた。
「早く、海を見たいわね」
「満天の星空もな」
「半分くらい消えても、分からないくらい沢山星が出てるって聞いたわ」
楽しそうに話すフランシーヌに、ロランは淡く笑みを浮かべる。宥めるように、その頭を優しく撫でた。
「明日も長い距離を歩かないといけないからな。もう休もう」
「おやすみなさい、ロラン」
「おやすみ、フランシーヌ」
ロランは立ち上がると、上着を脱いで椅子に引っ掛け、フランシーヌの隣に寝転がる。
彼女が布団に潜り込んだのを確認してから、ロランはランプの火をそっと吹き消した。




