死刑
シリルは寒さと手の平の痛みに必死に耐えながら、暗い地下牢の中で身体を丸めていた。
気持ち程度しか敷かれていない藁の上で過ごしているせいで、だんだんと体温が奪われる。冷たい石畳の上に転がれば、信じられないほどに身体が強張り、痛みを訴えてきた。
火傷した手の平は処置をされなかったせいで、水痘が膨れ上がり、関節を曲げることすら辛かった。
日の光が無いため時間も分からない。牢に備え付けられた便所の悪臭が嗅覚を刺激し、常に嘔吐感に襲われる。少しでも楽になろうと、身体を横たえても、痛みを和らげる手助けにはならなかった。
普段はこの牢の前を通り、暖炉からフランシーヌの部屋へと侵入しているのだ。鉄格子を一枚隔てた向こう側にさえ出られれば、いくらでも自由になることが出来ることを知っているだけに、悔しさともどかしさに苛まれた。
何よりも、レミ達の無事を知りたかった。きっと、自分が重大な間違いを犯したせいで、彼らも窮地に追い込まれているに違いない。隣の牢にレミがいる可能性も否定できなかった。
シリルは上手く動かない手の平をじっと見つめる。
親方は、自分が捕まってしまったことを知っているのかも、気がかりだった。
牢を出た時に、両親のように、出来損ないは必要ないと言われて、再び売り払われてしまうかもしれない。それは、暖炉で手を滑らせて落ちて死んでしまうことと同じくらい、いつも恐れていたことだ。
憐れな少年に、これからの処遇については一切知らされていないため、牢を出た先に待ち受けているものが死刑だとは夢にも思っていない。
小さく腹が鳴る。牢に入れられてから、渡されたものと言えば、黴に覆われているパンと、下水の匂いがする飲料水だった。
空腹には耐えられるものの、渇きに抗うことは難しい。すでに、喉は張り付いてしまったかのように、渇きによる痛みが絶えずシリルを責めていた。
耐え切れずに、何度コップに手を伸ばしたか分からない。けれども、その度に下水の匂いが立ち上り、シリルはそっとコップを元の場所へと戻すのだった。
普段、親方からきちんとした食べ物を与えられているシリルは、それらを口にすることに強い抵抗を感じ、結局手を付けることはしていない。
「ここか?」
扉の外から聞こえてきた声に、シリルは顔を上げる。
随分と、人に会うのが久しぶりな気がした。
鍵が差し込まれ、錠が外れる音がする。やっと釈放されるのだろうか、と期待に胸が膨らんだ。
「うわっ……くせぇ!」
「ったく、これだから地下牢は嫌なんだよ。クリスの奴が消えちまったせいで、俺達がとばっちり食うなんて、ひでぇ話だ」
「さっさと終わらせようぜ」
どうやら、2人組で迎えに来たようだ。
シリルは衰弱した身体に鞭打ち、必死に立ち上がろうとする。
「僕、出られるの?」
「あぁ、そうだぞ、坊主」
「お咎めは?」
「一応は、無しってことになったな?」
迎えの一人が、もう片方の男に聞く。聞かれた男は、大きく頷いた。
その様子に、シリルは踊りだしそうになるくらい、舞い上がった。随分と長い間、牢に入れられていたような気がするが、せいぜい1日か2日と言ったところだろう。すぐにでも家に帰って、親方を安心させたかった。
「いつまでも、こんなところにいられねぇ。さっさと上に行くぞ」
上手く立ち上がれないシリルを見かねて、片方の男が腕を引っ張る。幸いにして、手の平には触れられなかったため、火傷の痛みに響くことは無かった。引きずられるようにして、牢から出される。
てっきり、その場で手を離されるかと思いきや、男は掴んだまま歩き始めた。
「どこに行くの?」
「バルコニーだ」
シリルには、理解が出来なかった。なぜ、バルコニーなどという場所に行く必要があるのだろうか。
掴まれた腕を自由にしようと、引っ張るが、大人の、それも鍛え上げられた肉体を持つ騎士に適うはずもなかった。
「離してよ!」
「ダメだ。大人しくついて来い」
見上げた男の表情は固かった。もう一方の男は、同情を含んだ表情で、シリルを見つめている。
お咎め無しで釈放されるというのに、どうにも、不安が襲ってくる。
「ねぇ、どうしてバルコニーに行くの?」
「オーギュスト様に会わせるためだ」
「それって、フラン……シーヌ姫の結婚相手?」
「そうだ」
なぜ、そのような人物に会う必要があるのか、シリルには思い当たる節がさっぱり無かった。
万が一、その男がフランとシリルが知り合いだということを感知しているのであれば、自分の妻となる相手の行方を知りたがっているとも考えられる。けれども、そんなことはシリルが逆に聞きたいくらいだった。
地下牢から地上へと続く薄暗い階段を登っていく。
シリルの歩幅を考慮しない男が、どんどん先へ引っ張るせいで、すでに疲弊しきっていた。縺れる足を必死に動かし、肩で息をしながら、なんとかついて行く。
階段を登った先は、廊下が続いていた。
普段は目にすることの出来ない鏡や珍しい天井絵に目を奪われるが、鑑賞する暇も無く抜けて行く。そして、再び現れた階段を登った先に、バルコニーは広がっていた。
広場に面したその場所は、よく国王や王妃、そして、フランシーヌが立ち、演説や告知を行う場所でもあった。そのような場所に自分が立つ日が来るとは思っていなかったシリルは、目を丸くする。なぜ、バルコニーに呼ばれたのか、ますます理解できなかった。
「オーギュスト様、連れて参りました」
「ごくろう」
男は掴んでいた腕を離すと、敬礼をしてそのまま下がってしまう。もう一方の男も、それに倣うように、引き止める間も無く踵を返した。
取り残されたシリルは、高飛車に騎士たちに言葉を渡した男に視線を向ける。
薄く紫がかった銀髪が、光を受けて輝いており、そのマリンブルーの瞳はフランシーヌの色によく似ていた。けれども、器用に片方の口の端を上げて笑っている様子に酷薄な印象を受ける。
自然とシリルの背筋が伸びた。
「君は、とても運が良い」
ゆるりとマリンブルーの瞳が細まる。色こそ似ているものの、その瞳の奥に宿る獰猛さはフランシーヌとは似ても似つかないものだった。
「貴族の領域を侵したにも関わらず、お咎め無しで釈放されるのだから」
一歩、また一歩とオーギュストが足を踏み出す。それに気圧されるように、シリルは後ずさりした。
「本来なら死刑だったのに、どうしてそれが撤回されたのか知りたいかい?」
死刑、という単語にシリルは息を呑む。
その単語の意味はもちろん知っている。けれども、窃盗の罪状で死刑になるはずがない。
シリルはただ、怯え、目を瞠ることしか出来なかった。
オーギュストはその表情を見ると、楽しそうに口の端を上げる。
「それはね、君の代わりに死刑になった人間がいるからだよ」
遠くで、時計台の鐘の音が響き渡る。正午を告げるその音は、責め立てるようにシリルの頭の中で鳴り響いた。
目まぐるしく、脳内に知り合いの顔が浮かんでは、消えて行く。心の臓を手で握り潰されたかと思うほどに、目眩がした。
「ご覧」
オーギュストが手を広げ、芝居かかった調子でバルコニーの端へとシリルを誘う。
見たくない、と願う意思に反し、足が前へと進んで行く。
温かいはずの日の光に、鳥肌が立った。ともすれば、込み上げてくる嘔吐感を必死に堪えながら、辿り着いた先に見たのは大勢の見物人。
貴族も平民も見分けが付かないほどに入り混じり、何事かを必死に喚き立てている。彼らの視線が向かう先は、たった一箇所だった。
木で組まれた簡素な台の上、一振りの剣を持った執行人。そして、もう一人、縄で縛られた男。
「おや……かた……」
遠くからでも見間違えるはずがない。
何故、親方が縛られ処刑台の上に立たされているのだろうか。大衆の目にさらされるような罪状を、彼が持っているはずもなかった。
少なくとも、シリルが罪を犯すその時までは。
「待って……ねぇ、どうして?」
「言っただろう? 君の代わりに死刑になった人間がいるから、君は無罪放免という訳だ」
怒号のように響き渡る野次が、シリルの耳に届く。
恐怖が手足の先までもを支配し、その光景に釘付けになったまま、一歩後ずさる。それを見咎めたオーギュストは、歪な笑みを浮かべながら、シリルの首根っこを抑えた。
「見届ける義務があるとは思わないのかい? 他の誰でもない、お前のせいであの男は死ぬんだ」
引きずるように、バルコニーの端にシリルを立たせる。見たくもない光景が、嫌でも目に入って来た。
「低俗な人間が、何を血迷ったか貴族の屋敷に盗みに入るなど、本来なら市中引き回しの刑でも足りないくらいだ。階級に逆らえば、どうなるか、その目に焼き付けておくといい」
縄で縛られたままの親方が、無防備に首を晒している。
あれだけ大勢の者が周りを取り囲んでいるというのに、誰一人として、シリルのたった一人の家族を助けようとする者はいない。
見守る者たちの表情は、清々しい程に、興味と好奇心に彩られていた。そして、親方の隣に立っていた執行人が、手に持った剣を振り上げる。
「やめて……」
乾ききった喉から、掠れた声が漏れる。そして、絶叫に変わった。
「いやだあああああ!」
少年の願いは誰にも届かない。
執行人は躊躇うことなく、叩きつけるように剣を振り下ろした。
◆
アンセルムは船を漕いでいた頭を抑え、軽く首を振った。
親方の吉報を待っていたにも関わらず、どうやら意識が飛んでいたようだ。目の前では、女将が先程の自分と同じように、大きな身体を揺らして、船を漕いでいる。
今は何時だろうかと考えたところで、時計台の鐘の音が聞こえてきた。正午にだけ鳴り響く鐘の音のおかげで、時計を確認せずとも時間が把握できるのは有り難い。
凝り固まった身体を解すために、大きく伸びをする。結局、昨日は王城前で門前払いを食らっただけで、シリルと親方がどうなったのか知ることは出来なかった。
この後、しばらく待っても、彼らの無事を確かめることが出来なかった場合は、もう一度女将と共に王城前まで出向くつもりである。もしかしたら、牢に拘留され疲れきったシリルを休ませるために、家に戻っているかもしれない。
乾いた喉を潤そうと、アンセルムは女将を起こさないようにそっと立ち上がる。けれども、彼の努力も虚しく、同時に宿の扉が騒々しく開かれた。
強盗でも乗り込んできたかと思う派手な音に、アンセルムは振り返り、警戒する。そこに現れたのは、息も絶え絶えに走りこんできた、常連客だった。
「どうしたんですか?」
夜に見かけることは多々あれど、昼間に訪ねてくるのは珍しい。それほどまでに酒が飲みたいという、アルコール中毒者でもないはずだ。
「た……たい……!」
息切れで言葉にならない男に、アンセルムはグラスに水を汲んで、差し出してやる。止める間もなく、乱暴に傾けられた容器に、口から溢れた分が床を濡らした。
「お、女将さん!」
アンセルムは眉を潜めると、座ったまま器用に眠っている女将に目を向ける。
常連客はグラスをアンセルムに押し付けると、その身体に手を掛けて大げさに揺すった。
「大変だ! 女将さん!」
「なんの騒ぎだい……?」
女将がぼんやりと、常連客の男の顔を見る。不愉快そうに顰められた表情を物ともせず、男は続けた。
「寝てる場合じゃねぇよ! ティボー親方が死んだ!」
「なんだって?」
アンセルムの手から、グラスが滑り落ちる。
床の上で破片が飛び散り、日の光を受けて目が痛くなるほどに輝く。
女将は肩を掴んでいた男の手を振りほどき、逆に殴りかからんばかりの勢いで男を揺する。
「ティボーがどうして?! 何が起きたんだい?!」
「ひ、広場で、しょ、処刑され、た! シリル、の、か、代わり、に!」
揺すられ、舌を噛みそうになりながらも、男が必死に伝える。
女将は崩れ落ちるように、椅子へと座り込み、その目に大粒の涙を浮かべた。
アンセルムも、今度こそ、女将に掛ける言葉が見つからず押し黙るしかなかった。




