13
フランシーヌの瞳は、コバルトブルーだ。
別人だと分かった途端、肩の力が抜け落ちていくのを嫌でもロランは感じた。
「こんばんは、ご機嫌いかがですか?」
「あー…」
安堵から、ロランは気の抜けた返事を彼女に返す。
その声も、フランシーヌのように鈴の音を転がしたような優しい声音ではなく、どちらかと言えば猫撫で声に近い甘い声音だ。
「私に何か?」
頬に手を当てて、小首を傾げて問いかける仕草に、アンセルムに群がっていた女性たちとは違うものをロランは感じる。
言ってしまえば、振る舞い方が上品だった。
しかし、声を掛けたものの、特に用事もない。
そのまま有耶無耶にするのも気まずく感じたロランは、仕方なくアンセルムの話題を振った。
「あんたは良いのか?アンのところに行かなくて」
「興味ありませんもの」
「アンに?」
「えぇ」
きっぱりとそう言い切った女性に、ロランは思わずへぇ、と声を上げた。
あのアンセルムに興味が無いとは、珍しいことだ。
驚きながらロランが見つめていれば、ライラック色の髪の女性が微笑みながら上目遣いをする。
その様子に、ロランは「あぁ、やはりこの店の女だな」と感じた。
男が喜ぶ絶妙な角度を心得ている。
「もしよろしかったら、お名前を頂けますか?」
「俺?ロランだ」
「ロランさんね。私は、フランシーヌと申します」
は?と、ロランの口から声が漏れる。
あまりに突然の宣告に、素っ頓狂な声が出てしまった。
「あんた…本気で言ってるのか?」
「本気も何も、私の名前ですから」
「フランシーヌが?国の姫君と同じ名前じゃねぇか」
ロランが言えば、フランシーヌと名乗った女はくすくすと笑う。
「えぇ。それに、ほら、姿もそっくりでしょう?どう?私を抱いて下さらないかしら?今宵限り、フランシーヌはあなたのものよ?」
くるりと回れば、ライラック色の髪が動きに合わせて揺れ、はしたない程にスカートがめくれ上がる。
その様子に、ロランは怒りを隠せない。
フランシーヌという名前に、姿が似ているところまでは我慢できたものの、それを商売道具にして男に抱かせようとしていることは許せなかった。
本物のフランシーヌを侮辱されたようで、気分が悪い。
「あんた、全然似てねぇよ」
「まぁ…酷いわ」
ロランの怒りが、伝わっていない訳ではなかった。
それでも、フランシーヌと名乗った女性は、真似を辞めない。
「どこが気に入りませんの?」
「全部だ、全部」
ロランは怒りに身を任せ、彼女の腕を掴む。
痛みに顔を歪ませたのが目の端に映ったが、気にすることなくロランは詰問した。
「もう一度聞く。あんた、名前は?」
低い声で噛み付くように脅せば、偽物のフランシーヌは観念したのか、大きくため息をついた。
「どうやら、あんたは騙されないらしいね」
今までの上品な振る舞いは何処へ消えたのか、大仰に肩を竦めてため息をついた。
その変容に呆気にとられながらも、ロランはじっと彼女を見つめる。
「あたいの名前はレティシアだよ。ったく、あたいの姿見た男は、手ぇ叩いて喜ぶってのに」
「おいおい、レティシアさんよ。ずいぶんな変わりようだな」
「うるさいな。こっちが地だよ」
レティシアは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、顎で奥の部屋を指し示した。
「おいで。あんたの相手してやるよ」
「俺は別に…。あんたこそ、アンのところに行かなくて良いのか?」
「言っただろ?あたいは興味無いって。あいつ、金払いと顔は良いけど薄情者だしね。それに、あんた。あたいがいなきゃ、今夜は一人ぼっちになるよ」
ついて来い、と促されてロランはしぶしぶ足を向ける。
今夜、と言われてもロランはこの場で一夜を明かすつもりは毛頭無く、アンセルムと別れた直後にレティシアの姿を見かけなければ早々に退散していただろう。
案内されたのは、店の隅のテーブルだった。
遠目で見た限りではアンセルムは柔らかそうなソファに座っていたのだが、それに対してこちらは硬い木の椅子だ。
先導していたレティシアが先に腰を掛け、ロランもそれに倣うように席についた。
席に着くなり、レティシアは足を組んで、テーブルに肘をつく。
その双眸を猫のように細めて、ロランを観察していた。
「で、あんた。あたいの何がお気に召さなかったんだい?」
細く白い手首が赤くなっているのが目に入るが、ロランは特に罪悪感を感じることもなく、憤然として答える。
「フランシーヌに似せて、客を取っていること」
「はっ。しょうがないだろ?こんなに女がいるんだ。何か専売特許が無いと、客を取られちまう」
「だからって…」
「うるさいよ。あんた、姫様の信奉者かい?」
レティシアはやだねぇ、と呟いて肩を竦める。
「たまにいるんだよ。あんたみたいな奴。本物の姫様はもっと清らかだ、穢すようなことをするな、この淫売が!って、喚く男」
「俺はそこまで…」
「一緒だよ。あたいの商売道具にいちゃもんつけるな」
ばっさりと言い切られて、ロランは言葉を呑み込む。
花売りをして稼いでいる女性が、その日の食事のために働いているのはロランももちろん承知している。
見た目が美しく、行為が上手であれば、貴族に気に入られて引き取ってもらえることもあるだろう。
けれども、それはほんの一握りの人間の話だ。
多くの女性たちが、客を取るのに必死なことも理解している。
そのために、フランシーヌの名前と似た容姿を武器に商売をすることも致し方ないことかもしれない。
けれども、ロランの感情的な部分はレティシアを許せずにいる。
「で、あんた。今夜は誰に相手をしてもらうんだい?」
どう返答すれば良いかロランが迷っている内に、レティシアがそう問いかけてくる。
にやりと釣り上がった口角は、明らかに面白がっていた。
「そんなつもりで、今日は来た訳じゃねぇから」
「そんなら、どういうつもりで来たんだい?」
「あいつの付き添い」
更に奥で女性を侍らせているアンセルムを親指で示せば、レティシアは大きな声で笑った。
「あっはっは、そりゃ、大変だね。ご苦労さん」
「本当だよ。あいつといると、自分が惨めでしょうがないしな」
「あーあー、ご愁傷様。でも、あたいはアンの奴より、あんたの方が好感持てるよ」
レティシアはにっこりと笑みを浮かべる。
フランシーヌの真似でもなければ、含みを持った笑いでもない、それは心からの笑みだった。
それを見たロランは、真似などしなくても客を取れるのではないかと考える。
とっつきにくい姫君の格好をした女よりも、こうやって気さくに話が出来る女の方が好まれるだろう。
呆然としていたロランの目の前で、レティシアが手を振る。
「おーい、どうしたんだい?」
「いや…あんた、地の方が良いよ」
「え…は?」
今度はレティシアが呆然とする番だった。
その頬に朱が差す。
「飲んでもないのに、酔っ払ったのかい?」
「ちげーよ」
照れ隠しに吐かれた冗談に気づかず、ロランは呆れ返りながら苦笑を浮かべる。
随分と打ち解けた雰囲気に、いつの間にか感じていたはずの怒りが中和されていった。
フランシーヌのふりをすることについては納得できないが、元来の性格が悪い訳では無いことに、随分と気も解れていく。
「んで、レティは俺の相手ばっかりしてていいのか?金は落として行かねぇぞ」
「…レティ?」
レティシアがあからさまに不審な表情を浮かべて聞き返す。
「レティシアって長いんだよ。レティでいいだろ?」
な?とロランが促せば、レティシアはしばらく固まった後、ひとつだけこくりと頷いた。
その頬が、先程よりも、明らかに紅潮する。
「なんだよ、赤くなって」
「うっ、うるさい!えっと…ロー!」
「ロー?」
「ロランだから、ロー!」
「ロランくらい、略さないで呼べよ」
「あんただって、レティって呼ぶんだから、お相子だろ!」
そっぽ向いて拗ねるレティシアの様子に、ロランは面白くなって吹き出す。
そうすれば、レティシアは手近にあった濡れた雑巾のように汚いタオルをロランに投げつけた。
それは惜しくもロランの顔に直撃する前に、その手の中に収まってしまう。
笑い続けるロランの目に、レティシアの細い手首が飛び込んでくる。
相当痛い思いをさせただろう、その赤色は未だに消えていなかった。
「さっきは、怒ったりして悪かった」
笑うのを辞め、ロランはじっとレティシアの目を見て謝る。
別に、と返事をした後、その視線から逃げるように、レティシアは横を向いた。




