他人の真似
レティシアと話している途中、ずしり、と背中に重みを感じたロランは何事かと振り向く。そこには、にこにこと笑顔を浮かべたアンセルムと、2人の女性がいた。
先ほど、エレーヌと名乗った者は分かったが、もう1人はいったい誰なのか、ロランには検討もつかなかった。その2人の腰に手を回して、アンセルムはご満悦の様子である。
「なんだよ、アン」
「いやー。ロラン君が、お気に入りの女の子を見つけたみたいで、良かったなぁ、と思ってね」
ねー、とエレーヌでない方の、黒髪の女性にアンセルムは相槌を求める。声を掛けられた女性は、ねー、と同じ調子で返答した。
「にしても、フランシーヌ様に似てるね、君」
するりと女性の腰元から手を離して、アンセルムはロランの背中に肘をついて身を乗り出す。
鼻先を掠めた匂いに、ロランはこの悪友が短時間の内に、とんでもない量の酒をその胃に収めていることに気付いた。面と向かっている訳でもないのに、アルコール臭が鼻につく。
酔っ払っているのだろうか、と考えかけて、普段の態度とそう変わらない、と結論を下す。アンセルムと何度か盃を交わしたことのあるロランは、彼が並大抵の量では酔ったりしないことを思い出した。
「どう? ロランじゃなくて、ボクと遊ばない?」
ロランが背中のアンセルムを退かそうと躍起になるが、相手も負けじと体重を掛ける。そのような無言の攻防戦を見つつも、レティシアは気づかないふりをして甘い猫撫で声を出した。
「アンセルム様、ごめんなさい。私、今日はそういう気分ではないの」
そう言ったレティシアに、側にいた女性たちは鼻持ちならないとでも言うように、眉を顰める。しかしながら、アンセルムもロランもその様子には気づかない。
フランシーヌの真似をするレティシアに、ロランは内心面白く無いと毒づいていたし、対するアンセルムは他人の真似をするレティシアに、意味深な笑みを浮かべていた。
「それは残念。お嬢さん、せめて、お名前だけでもボクに教えて頂けますか?」
「えぇ。私、フランシーヌと申します」
ロランの背中に身を預けていたアンセルムがぴたりと静止する。
その反応に、誰だって驚くのは当たり前か、とロランはため息をついた。そして、アンセルムがどういった返答をするのかに興味を持つ。
「姿だけでなく、名前も一緒なの?」
「そうですの」
「まるで、本人がいるみたいだよ」
「ふふっ、嬉しいお言葉。ありがとうございます」
本人の顔は愚か、声さえ聞いたことが無いくせに、よくもそんな文句が言えるものだとロランは呆れていたが、次の言葉で全ての思考が停止した。
「でもさ、他人の真似をするのって辛くない?」
いつになく、真剣なアンセルムの声が響き渡る。遠慮の無いその言葉に、場の空気が凍ったのは間違いない。
レティシアは数秒固まり、2、3度目を瞬いた後、にっこりとした笑顔を貼り付けた。
「今はロラン様とお話している最中ですの。どうぞ、そちらのおふたりと遊んできてはいかがですか?」
明らかな拒絶だった。
言葉の端々に怒気が含まれており、アンセルムは間違いなくレティシアの気分を害していた。女性2人は元より、ロランでさえも閉口していたというのに、当の本人はへらりと笑って肩を竦めただけだ。
「ふられちゃった」
「……いい気味だ」
ロランは敢えて茶化すように言う。そうすれば、アンセルムは膨れっ面を作って、ロランのダークブルーの髪をぐしゃぐしゃに引っ掻き回した。
「わっ、何すんだよ!」
「ボクだって完璧じゃないんですー」
「お前の口からそんな殊勝な言葉聞けるとは思わなかった」
やがて、気が済んだのかアンセルムはロランから身体を離すと、膨れっ面を良い笑顔へと一転させる。ロランは手櫛で髪を整えながら、その笑みの持つ意味にため息をついた。
「じゃ、ロラン。ボクは今夜は帰らないから」
「へーへー。分かってますよ」
宿代が勿体無いな、などと自分が支払うわけでもないのに、ロランは考える。
ばいばーい、と2人の女性を従えて出て行くアンセルムを目で追いながら、すぐさま後悔した。エレーヌの顎に手を掛けて、アンセルムがキスを浴びせかける。かと思えば、もう1人の黒髪の女性にも同じことをしたのだ。
いやに長い、角度を変えながらの口付けに、ロランは思い切り顔を顰める。友人のキスシーンなど好んで見るようなものでは無い。
こめかみに手をやったロランに、レティシアはけらけらと笑った。
「見せ付けてくれるねぇ」
「アンの奴と一緒にいると、万年頭痛持ちになりそうだ」
「ご愁傷様」
レティシアは突然立ち上がると、どこかへ行ってしまう。
彼女も自分と話すのに飽きて、戻ったのだろうか、と考えて、ロランはこのまま帰ろうかと立ち上がりかける。けれども、奥から戻って来たレティシアが水の入ったグラスを持ってきたことに気付いて、再び席についた。
他人に無頓着なのかと思えば、意外と気が利くのだろう。
ことん、と机の上に置かれたグラスに、ロランは素直に有り難いと思った。
「さんきゅー、レティ」
「どういたしまして。しっかし、アンセルムの奴、あたいが承諾したら、女3人連れてベッドに縺れ込むつもりだったのかねぇ」
レティシアの言葉に、ロランは口に入れた水を吹き出しかける。
慌てて飲み込んだそれは、気道に入ってしまったらしく、思い切り咽込んだ。
「げほっ……おまっ、なんてこと」
「初心なローには、刺激が強い話だったかな?」
「俺が言いたいのは、女の子がそんなこと口にするもんじゃない、ってことだよ」
レティシアは皮肉を込めたように、口の端を上げると、ロランが置いたグラスから勝手に水を飲む。
「それは、こんな場所で育った女に言うことじゃないねぇ」
ロランはグラスを視線で追いかけたものの、何も言わない。そもそも、どう切り返して良いのか分からず、口をつぐんだ。
どうやら、自分の中での「女の子」の基準が、知らないうちにフランシーヌになっていたようだ。外を見てみれば、世の中にはいろんな種類の「女の子」がいることに、初めて気付く。
「ところで、あんた。アンセルムにあたいの名前、教えるんじゃないよ」
息詰まった空気を振り払うように、レティシアが話題を変える。ロランはありがたくそれに乗っかった。
「なんでだよ?」
「教える価値もないだろ」
レティシアはグラスをテーブルに置くと、唇を尖らせた。
ロランは店に足を踏み入れた時のやりとりを思い出して、目を細める。確かに、教えたところで次に会う時には、あの薄情な男は名前など覚えていないのだろう。
価値もなければ、意味もない。
「それに、あたいはここではフランシーヌでいなければならない。フランシーヌ以外の名前なんて、必要ないのさ」
レティシアはそう零すと自嘲気味に笑う。
その表情に、ロランの中に形容し難い感情がこみ上げる。商売道具としてフランシーヌの真似をしていることが、ロランは許せない。それは、この眼の前に座る少女も一緒なのではないかと気付いたのだ。
「それでも、お前はフランシーヌじゃなくて、レティシアだろ?」
慰めるようにそう言葉をかければ、レティシアは硬直した後、嬉しそうに微笑む。
「いいやつだね、あんた」
そして、再びロランに持ってきたはずのグラスに手を伸ばすと、その中身を一気に飲み干した。




