お出かけ
「ロラン! ロラン! ロラン!」
騒音が響き渡る。足音も高く階段を駆け上がる人物に見当をつけたロランは、シーツを頭から被りながら、枕の下に頭を突っ込んだ。
昨日は、アンセルムのせいで寝床に潜り込んだのは夜も更けた頃だった。
行きたくもない場所に無理やり連れて行かれた挙句、到着した途端に必要ないとばかりに放置されたのだ。おかげでフランシーヌと名乗り商売をしていたレティシアと知り合う羽目になってしまった。
決して彼女との対話の全てがつまらないものではなかったが、フランシーヌの真似をしている女性が存在することを知ってしまった点に関しては、ロランは非常に後悔していた。自分の想い人が商売道具の専売特許にされているなど、考えたくはない。
騒音はそのようなロランに配慮することもなく、着実に近づいてくる。そして、派手な音を立てながら、ドアが開いた。
「ロラン! ねぇ、ロランってば!」
部屋に飛び込んだシリルは、シーツが膨らんでいるのを目にして、にんまりと笑う。無視を決め込んでいる悪い大人に、制裁を加える意味で、少年はその上に飛び乗った。
「ぐぇっ……!」
「起きてよー、ロランー!」
背中の上に突然体重を掛けられ、ロランは呻き声を上げる。胃の中に未消化のものが残っていれば、確実に戻って来ていただろう。
「おまっ……!ふざけんな、シリル!」
「いつまで寝てるの?! もうそろそろ仕事の時間でしょ?!」
そう反論したシリルは勢い良くシーツを捲り、枕を引き剥がす。朝日が目に眩しかったのか、ロランは左手で目を覆った。
「俺は眠いんだよ! 帰れ!」
まるで犬猫を追い払うようにロランが手を振れば、シリルは憤然とした面持ちになる。
「へぇー、ふーん。ロランってば、そういうことするんだ。僕、ちゃんと昨日はフランにお手紙渡してきたのに」
「あー、ご苦労さん。助かったよ」
「でも、出すならもっと長い手紙を書いてあげなよ」
シリルの言葉に、ロランが身を固くする。けれども、ベッドの上で跳ねることに忙しい少年は気づかなかった。
「お前な、人の手紙を見るな」
「だって、受け取った時に見えたんだもん。見られるのが嫌なら、せめて折りたたむとかしたらどうなの?」
至極最もな反論を食らったロランは、気まずそうに咳払いをする。見えたところで、字が読めないこの少年には内容が分からないはずだ。せいぜい、理解できるのは宛名くらいのものだろう。
そう結論付けて、改めてシリルを見れば、仕事着を着ていないことに気がついた。いつものような煤けた簡素なつなぎではなく、ブーツにショートパンツ、ジャケットに薄手のマフラーといった出で立ちだった。
「お前、仕事は?」
「今日はね、お仕事お休みなの!」
嬉しそうに声を上げるシリルに、ロランは首を傾げる。
「何でまた。今日は休日じゃないだろ?」
「親方にね、アンが帰って来てるって言ったら、せっかくだから遊んで来て良いよ。って言われたの!」
「ったく、ほんとに甘いな、ティボー親方は」
シリルの都合はとにかく、アンセルムの都合が合うとも限らない。現に、未だにこの宿に帰ってきていないはずだ。
「残念ながら、アンならいないぞ」
「えーっ?! なんで?!」
明らかに、彼に遊んでもらえることを期待していたのであろう。基本的に笑顔の絶えないアンセルムは、女性だけでなく、子供にもそれなりに人気があった。
手先の器用な彼の手品は、まるで魔法のようで、少年少女たちはすぐに夢中になるのだ。そして、そんなアンセルムを独り占めできる事を、シリルは密かに喜んでいたのだろう。
わかりやすく、その肩が落胆した。
「いつ帰ってくるの?」
「さぁな。そのうち帰ってくるんじゃねぇの?」
「そのうちって、どれくらい?」
「昼ごろじゃねぇ?」
「昼まで待てないよー!」
再び駄々を捏ね始めたシリルは、ベッドの上でめちゃくちゃに暴れる。その手足は遠慮なくロランを攻撃した。
子供の力とは言え、地味に痛いそれを遠ざけようと、ロランはシリルを脇へ押しやる。
「ロラン遊んでよー!」
「わぁーったから! お前が女将さんに許可貰ってきたら、アンが帰ってくるまで、俺が遊んでやる!」
「ほんとっ?!」
言うが早いが、シリルはロランのベッドからするりと抜け出ると、転がるようにして階下に走り去っていく。唖然としながらその様子を見届け、今日も忙しくなるであろうことを想像したロランは、小さくため息をついた。
◆
「で、どこに行きたいんだ、お前は」
「メインストリートにある、雑貨屋さん!」
「お菓子屋じゃなくて?」
「うん」
女将にすんなりと許可を貰ってきたシリルに、ロランは呆れ返るしか無い。
常日頃から感じていたが、親方はもちろん、女将もシリルには相当甘い。そして、あのアンセルムでさえも、彼をシー坊と呼び可愛がっているのだ。
このままでは、将来わがままの困ったちゃんになるのではないかと懸念したロランは、せめて、自分だけは厳しくあろうと決心する。
そのような胸中に気付くことなく、シリルは先導して前を歩いていた。石畳の赤い部分だけを踏んで移動する、子供らしい遊びを一生懸命に続けている姿に、ロランは苦笑する。
「シリル。雑貨屋で何を買うんだ?」
「んー?」
石畳を飛び渡る遊びに夢中なシリルは、気の抜けた返事を返す。その様子に、ロランは肩を竦めた。
「聞いてるのか? シシィ」
「シシィじゃない! ちゃんと聞いてるよ。買うわけじゃないけど、見たいものがあって」
「見たいもの?」
「うん」
普段、菓子類を好んで買うシリルが、雑貨屋で売っているようなものに目を向けるのは珍しかった。菓子屋に行くなら、ついでに自分もいくつか買おうと考えていたロランは、小さく肩を落とす。
「何を見るんだ?」
「ないしょ!」
勢いをつけて、遠くにある赤い石の部分に飛び移ったシリルが振り返り、笑う。
「ロランには教えない」
「なんだそれ。付き合ってやってる俺に失礼だろ」
「そんなことないもん。アンにもフランにも、誰にも秘密なの!」
シリルがそう言い切った途端、後方から女性たちの黄色い声が上がる。
ロランが驚いてその方向を見つめれば、シリルも弾かれたように視線を向けた。
「なんだ?」
「ね、ロラン。見に行こうよ!」
言うが早いが、シリルは遊びを辞めると一直線に声の方向へかけて行く。
「あ、おい!」
人だかりへと潜り込んでいくシリルを、ロランは慌てて追いかけた。迷子になる可能性も捨てきれない。
いくら知った街だからと言って、一緒にいる手前、子供を1人にするような無責任なことはロランには出来なかった。
「ねぇ、あそこにいるのフェルナン様らしいわよ!」
「本当?! 見に行きましょうよ!」
シリルを追う途中で耳に挟んだ会話に、ロランは眉を顰める。
フェルナンと言えば、騎士団長のフェルナン・カスタニエしか彼の頭には思い浮かばなかった。しかしながら、そのような重要人物が下町に来たとなれば、よっぽどのことが起きたに違いない。
何かを囲うように出来た人垣の隙間に、シリルが身体を滑り込ませたのがロランの視界に入る。身体が小さいというのは、便利なものだと思うと同時に、そこで見失ったことに焦燥感を覚えた。
図体がでかいという訳ではないが、一般男性と同じくらいの体幹を持ったロランにそれ以上、少年を追うことは不可能だった。こうなれば、シリルが自主的に戻って来るのを待つしか無い。
ロランは大きくため息をついた後、一体何が起きているのかを探ろうと、周囲に耳を傾けた。




