ロード・カリシアス・モルリアヴァ 前編
汚い。汗が気持ち悪い。吐く息が臭い。やだ。もうやだ。もう嫌な事はやりたくない。
ママもうやりたくないよ。
やめて、殴らないでよ。もうやめてママ、……ママ!!
「-ド。……ロード!!」
誰かに揺さぶられて俺の悪夢は終わりを告げた。
「大丈夫? 魘されていたわよ?」
起こしてくれたのは俺の上司で情婦であるフローレンス。フローレンスは心配そうに俺の顔を望みこんできた。
「……また昔の夢?」
「ああ――」
俺が小さく返事をするとフローレンスは自分の胸に俺の頭を押し付け、優しく頭を撫でた。
「……もう大丈夫よ。此処には貴方を虐める悪い大人はいないのだから」
そうしてフローレンスは子守唄を歌い、俺を赤ん坊の様にポンポンとあやした。俺はウトウトとまどろみながら昔の事を思い出していた。
俺が産まれた場所はスラムだった。
父親は知らない。母親は娼婦モドキで酒の匂いを何時も漂わせていた。
娼婦と言う職業は娼館、もっと言えば国家が管理する職業だった。下手に子供を作って高位の貴族に認知を迫らない為に、それと伝染病等を広めさせない為に、言っちゃあ何だが家畜の管理以上に厳しくチェックしていた。
母親も元々は娼婦だったが、色々問題を起こして辞めさせられた。娼婦と言う仕事はほとんど永久就職物で、辞めれるのは身請けされるか年季を迎えるかのどちらかなので、母の解雇は異例の異例で借金を免除される程に性格が最悪だったのだ。
安い金で母を買う男は質の悪い男ばかりだった。そう言った男は娼館の責任者の目利きによって弾き出され玄関すら入る事が出来ない。
そんな男達だから母親は何時も怪我が絶えず、苛々していた。客を取っている間、俺はどんな寒い日でも外に出されていたが、外に漏れる程の怒号と殴る音が聞こえる日が多だあった。
その鬱憤は子供だった俺に向けられた。
殴る蹴る暴言を吐くは当たり前だった。俺は普通の子供が与えてられる筈の愛情を受けずに生きて来た。
それでもまあ、ガキの頃の俺は自分で言うのもアレだが純粋無垢で母親の愛を未だに信じていた。自分が良い子だったら何時か、何時か愛してくれると本気で信じていた。
……母親が俺をペドの親父に売ろうとするまでは。
「……フローレンスの手は冷たいなー」
「ふふっ、私のお母様も手が冷たかったわ。嫌なら温めましょうか?」
「いいや。ひんやりして気持ちいい」
フローレンスの手を俺の頬に当てて撫でて貰った。性行為後の熱くなった身体にはフローレンスの手はヒンヤリして気持ちの良かった。
フローレンスは本当に『イイ女』だ。
美しく聡明でだからってそれに鼻を掛けず努力を忘れない。彼女はヨシワラの代表なのだか、細々とした事は他人に任せている。正直悪用すればクーデターなんて簡単に起こせる人間が俺を含めて何人もいるが、全員そんな気を起こさない。
何故なら皆が心底フローレンスに惚れこんでいるからだ。
女としてフローレンスを惚れこんでいる人間もいるが、中にはリジーの様に上司として敬愛している者もいる。まあそれでもセックスしているが。
例外はフローレンスの付き人をやっているニーノ。あいつは身体の関係をつくらない事で(アイツの身体の問題もあるが)フローレンスの『特別』な存在になった。『特別な存在』を嫉妬する人間もするが、蜜よりも甘い麻薬の様なフローレンスの身体を今更貪らないなんて無理だ。
ああ、もう一人フローレンスとヤッていないのはフローレンスが通っていた学園の教師だったルエ・カマガだ。あのエロ爺、見た目は蝦蟇蛙みたいな醜い顔で女にだらしがないが、ああ見えてやり手だ。
フローレンスを無理やり退学したのを容認した前理事長をクビにして自分が理事長になり、元婚約者達が好き勝手しない様に見張った。
国の有力者の子女子息達が生徒として教師として通い、その中で頭の良い生徒・教師達は学園を見限り出ていったので学園に残っているのは権力があるドラ息子・ドラ娘。悪人達がそれを狙わない訳がない。ソレを察したルエ・カマガが適当な事を言って学園を休校、生徒・教師達を彼の知り合いがいる学園へと転入させた。お陰で被害を事前に喰い止める事が出来た。
見た目に反してかなりのやり手でしかもあんな見た目で奴を慕う人間が多い。その上優秀な力を持つ人間が多い。奴経由であの国の情報を手に入れているからな。しかもどこから手に入れたのか分からない情報を知っている。
あの時もそうだった。
『知っているかロード? 禁忌にミシュラ神の救済がある事を?』
あのフローレンスのポールダンスの時にあの男はそう話を始めた。
『救済? そんなのあるのか?』
『まあ救済を知っているのは神殿の人間か熱心な信者位なもんだ。あんまりこの話を知っている人間が多いと悪用する馬鹿が出ても可笑しくないからな。ちょいと長めの神話を話さなければならないが良いか?』
俺は無言で頷いた。
ミシュラ神の愛子が死んで千年と半年経ったある日の事だった。
ミシュラ神の元に冥界を統べる神であり、ミシュラ神にとっては伯父神である『デス』と彼の幼妻でありミシュラ神にとって従姉妹である『ペルネ』がやって来たのである。
デス神は基本的に冥界から出る事は滅多になく、ペルネは嫁に貰う時に一騒動を起こしてペルネと一緒に入れるのは十二ヶ月の半分である六ヶ月しか一緒に居られない為、六ヶ月間は仕事以外の時間は二人のラブラブタイムに費やするから、この時期は絶対に冥界の外に出る事はないのだ。
『どうしたんですか伯父上? ペルネと一緒に冥界に出るなんて珍しい』
『いや~……今日さ。とある罪人がいてさ~』
『罪人? 罪状は?』
二人はお互いの顔をチラリと見ると言いにくそうに直ぐに視線を逸らした。
『…………親殺し』
長い沈黙の中デスはやっと罪状を話した。
『……うん! そう言う顔になるのは最初っから予想出来たけど! 仮にも最高神で女神なんだからそんな悪人顔しちゃたら駄目!!』
『……弁解位は、聞いて差し上げましょう』
『……実は』
昔々ある所に孝行者の息子がいたそうな。
息子は早くに父親を亡くし、母親が女手一つで自分を育て上げた息子は母親の為に毎日の様に働いて年老いた母親を養いました。
しかし年を取る程に母親は少しずつ可笑しくなった。
眼を離せば昼夜問わず徘徊する様になり息子は長年の仕事を辞めざるをえなくなった。『物が盗まれた』と物忘れが酷くなり、『誰かに見られている』と幻覚が見えて暴れる様になった。
息子が何より辛かった事は優しかった母が悪鬼の様に恐ろしい顔になって暴言や暴力を振るわれる事と息子の事を忘れてしまった事。
追いつめられた息子は思い悩んだ末に、母を枕で窒息死させた後、自分も紐で首を吊って自殺した。
『……ムー……』
『ね? ちょっと同情できる部分があるでしょ?』
『頼れる親族もいないみたいね……嘆願書が出ているの?』
『ああ。息子を知っている亡者とストスと』
『ストス……? あの人間嫌いのストスの兄上が?』
ストス神はミシュラの異母兄であり、鍛冶の神である。生まれつき左側の顔面にに大きな瘤が出来ており、そのせいで母親に見捨てられた事がトラウマとなり、極度の人間嫌いとなった哀れな神である。だから人間界に滅多に干渉しない兄神が何故この親殺しの罪人に気を掛けるのだろうか?
『実はよ。この息子が元々の職業が工芸品を作る職人で、しかも熱心なストスの信者でな』
『成程。ストスの兄上が気に掛ける程の熱心な信者と言う事ですね。……しかし決まりは決まり。親を殺した者はその血を絶やし、地獄に未来永劫苦しめ続けると言う決まりです』
『あのねミシュラちゃん。嘆願書の最後の一人が息子に殺された母親なのよ』
『……え?』
ペルネは懐から手紙を取り出しミシュラに手渡した。
そこには自分が段々と自分では無くなる恐怖、その恐怖すら分からなくなってしまった事。自分の世話で嫁も友人も作る事出来ずにいた息子への申し訳なさ。自分のせいで仕事を失い最後には親殺しの大罪まで負わせて人生を潰してしまった息子への罪悪感。自分が自分では無くなる前に自分で死ねば良かったと言う後悔。それでも息子への深い愛情と親孝行してくれた息子への感謝の言葉に溢れていた。
最後に自分は地獄に堕ちても構わないからどうか息子を許して欲しいと言う願いだった。
『ムッ……』
これにはミシュラも唸ってしまった。
被害者である筈の母親が自分を殺した筈の息子の罪を被っても良いから、どうか許して欲しいと願ったのだ。
被害者まで嘆願されるのなら、全知全能の神であり、秩序と正義を愛する神でもあるミシュラも悩まざるをえなかった。
『ミシュラちゃん。ミシュラちゃんの愛し子を殺した人達とこの息子さん。殺人の理由が違うと思うわよ?』
ペルナの一言にミシュラは頭を棍棒で叩かれた様な衝撃があった。
『うん……情状酌量の余地がある…………よし。あの問題の件と一緒に解決させよう』
そうしてミシュラは親殺しの罪を犯した息子の元へ向かい、そして命じた。
『自分を産み落とした母親を殺した罪は重い。だが、お前を許して欲しいと願う者が沢山いた。……お前の母親含めてな』
最後の言葉に息子は泣き崩れてしまった。
『お前が犯した罪は重いが、動機には酌むべき所がある。其処でお前はある試練を受けて貰う。
お前をこのまま現世に戻し生き返らせる。生き返した時初めて会う人間を命を掛けて守れ。寿命はお前残りの人生とお前が殺した母親が生きる筈だった残りの寿命を渡す。
その命を掛けてお前が守るべき者を守れ』
そうしてミシュラは息子の新たな肉体を作り、現世へと戻した。
息子が現世に戻されて初めて会った人物は。
故郷を敵国に燃やされ、一人ボロボロの状態で逃げていた幼い王女だった。
『お、おいそれ、まさか、『聖女キャロリーナ』と『聖盾ジム』の事を言っているのか?』
『その通りだ』
聖女キャロリーナと聖盾ジムは知らない人間がいない程の有名な英雄だ。
遥か昔、残虐非道の国王が支配する国がいた。国王は世界征服を狙いあらゆる国と戦争を起こし、貴族平民女子供関係なく、眼を逸らす程の惨たらしい頃仕方をして征服し続けた。
戦火の炎は小さな国も襲った。
両親と兄姉達が命を掛けて王女を逃した。逃亡の最中に一人の男と運命的な出会いを果たす。
男は傷だらけで小汚い普通の男で王女の国の国民ではなかったが、王女は男と一緒に逃亡する事になった。
実はこの男、非常に手先の器用な男で逃げる最中に幾つもの罠の道具を作り、何とか敵兵の眼から逃れる事が出来た。
王女は家族と国の仇を討つ為にまだ幼いのにレジスタンスのリーダーとなった。そして王女の右腕となった男の活躍は此処でも発揮した。
彼は鍛冶の才能があった。何と一夜に千の防具と万の武器を作りあげると言う、神に祝福されたとしか言いようがない力だった。
ジムは武器を作らず大きな盾を自ら作り上げた。そして雨の様に降り注ぐ矢から何度も何度も王女を守った。王女の身体をを斬り裂き、貫こうとした剣や槍をその盾で何度も阻止した。己の事など顧みず王女を守るその姿に敵は恐怖を覚え、思わず動きが止まる程の執念だった。
王女には人を指揮する才能があり、何度も最悪な戦況の中でも起死回生の閃きで何度も逆転し続けた。
そして彼女は聖女の様に慈悲深い少女だった。
何度も王国の蹂躙で潰された国を、人生をめちゃくちゃにされた人達を見て何度も見続けた。その度に何度も涙を流し、王国の暴虐を何としても止めると覚悟し続けた。
彼女の心根に惚れた人達が、彼女と同じ志の同志達が彼女の元へ集まり、小さなレジスタンスはいつの間にか一つの大きな軍団となった。
彼等は王女の指揮とジムが作った防具と武器によって、着々と暴虐の王国から土地を奪い返して行った。
暴虐の王国側にもレジスタンスに蔵替えする者も多かった。何せ暴虐の王国は戦争ばかり起こし、自国の事など顧みない国だったからだ。
最初は烏合の衆だと思って楽観視していた暴虐の王国側。しかしレジスタンスの凄まじい勢いで進行し続け、暴虐の王国が自体の深刻さに気付いて慌てた頃は、城の周りにレジスタンス達に囲まれていた。
こうして暴虐の王国を倒した王女キャロリーナは国を建国。
しかも君主制ではなく、初めて議会制を取り入れた。
無論、建国当初は苦労の連続続きだった。他国にはない議会制を取り入れたのは良いが法の整備にてんやわんや。
しかし、議会制を取り入れた事で貴族・平民と言う身分制を無くし、色んな立場の人間がアレコレ意見を言える事は国の発展に大きく貢献した。今では大陸で一、二位を争う大国となった。
その後のキャロリーナについて沢山の文献は残っているが、彼女の一番信頼する部下だったジムについてあまり詳細がない。
キャロリーナが彼を宰相の椅子を用意したがソレを断り、彼は牧師となり神に祈りを捧げた。彼は戦争によって家族を失った子供や身体を壊し身寄りのいない老人を引き取り、最後まで面倒を見続けた。特に老人となるとどんなに病気が酷くても、どんなに性格が最悪な老人でも、ジムは見捨てず息を引き取るまで世話をした。
一度、牧師見習いが『何故そこまで彼等を見捨てないのですか?』とジムに質問した。
『私は一度大切な人を見捨ててしまった。ミシュラ様によって償うチャンスをくれたんだ。私はそのチャンスを溝に捨てたくない』
この言葉について後の学者達の議論の一つとなった。ただ、大まかな見解として『ジムは母親か父親、もしくはその両方を何らかの理由で捨ててしまった。その事を後悔したジムがミシュラ様によって償いのチャンスをくれた』のが大勢の学者達の認識である。
その後ジムの正式な没年は知らないが、キャロリーナは彼の死を家族が失った時以上に悲しみ三日三晩泣き続けたと言われている。その後ジムの遺言によりジムの遺灰を海に埋葬した。
謎多き聖盾ジムについての資料はあまりにも少ない。上記のエピソードは全て嘘かも知れないし本当かもしれない。謎が多い彼の存在は沢山の芸術家や作家達にとても愛される存在となった。
『まさか『聖盾ジム』が親殺しの罪人だったとはな……学者達もそんな考えがなかったろうな』
『そりゃあ英雄が親殺しと言うこの世界の禁忌を犯しているなんて普通の人間は思わないさ。ミシュラ神もそれを公表する事は望まないしな』
俺は思わず周りを見回す。VIP席の為周りに誰も居らず大音量の音楽が流れているお陰で話は聞こえていない様だ。
『そうして極稀にミシュラ神のお眼鏡に叶った罪人達が罪を償う為に試練を受ける。……本当に慈悲深いお方だよ』
『アンタまさかミシュラ神を信仰しているのか?』
意外だ。この男の事だから特定の信仰なんてしていないと思っていたが。
『死んだ母親が熱心な信者だったからその名残でな。何事も公正で我々弱き者の為に心を砕く姿に感銘を受けてな。ワシも一緒に祈りを捧げておったよ』
多分息子の醜い容姿を不憫に思ってミシュラ神に祈っていたんじゃないかと俺は思う。……何だかんだでこの醜男は俺と違って親からも愛されていたんだな。
『ただ単に手前の仕事をしただけじゃあないか? 何方かと言えばペルネ様の方が慈悲深い神だと思うぜ? もとはと言えばペルネ様が切っ掛けにその制度? が出来たんだろ?」
『おいおい。お前こそペルネ神の肩を持つ様じゃあないか。ワシはお前さんこそ無神論者の典型的な例だと思っていたぞ!』
ルエ・カマガは大袈裟に目を見開く。
まぁ神様の存在を信じない『無神論者』と言う存在はいる。そもそも神はそう簡単に人間界に姿を見せない。最後に姿を見せたのは記録している限り六百年前だ。『禁忌の罰』については神の天罰ではなく、強力な術使いの呪いでそうなっていると主張している人間もいる。ただ無神論を唱える人間は極稀で、神を信じていないからと言って日常生活を送る上で特に支障はないし。
『この世界で神を本気でいないと思っている人間はまずいねえよ。それに俺は結構神様の存在を信じている方だぜ』
だって。
直接自分の眼で神様の姿を見ている。
もっと言えば現在俺がその試練を受けている最中だ。
元ネタはギリシャ神話から。
因みにミシュラの母親はメーティスとテティスの様に『父親を超える優れた長子を産む』予言があっただけの唯の精霊の一人だった。
父親であった当時の最高神はその予言を知って、ミシュラの母親にだけは手を出さない様にしていたが……詳しい話は作品内で語るつもりである。
蛇足であるがミシュラの弟はミシュラの母親と人間の男との間の子供である。