集い
慎吾の婚姻当日は晴れ渡っていた。
といっても、王族のように式を挙げる訳ではないので、王に結婚すると報告に行くという日であるが、龍の宮からは父の慎怜が来て、それに伴って月の宮に興味があると言った明蓮と悠姫、自分達も行くと言った李関の父の関心、母の李華、そして祝ってやりたいと言った維月とそれに付いて来ると聞かなかった維心と、一気に龍人口が増えた。
蒼はそれを放って置く訳にも行かず、それならばと宮移転完了の祝いの宴と称して鶴の宮から緑青と娘姉妹、そして輝重の宮から輝重と鈴藍、そして利晋を呼んで宴を開くことにした。
なので当日は王族の結婚式かというほどバタバタとしたが、結局のところ慎吾達の用は朝の蒼への報告だけだったので、夜の宴までは二人は屋敷に戻っていた。
しかし、明人はそうはいかなかった。
明蓮はとても好奇心が強く、宮の中をあっちこっちとうろうろし、滞在先の信明の屋敷に夜までおとなしくしていることはなかった。それに付いて回って案内するのはもっぱら明人の仕事で、信明は任務がと体よく逃げてしまっていたのだった。父の性分は、きっと良く知っているのだろう。
金髪の龍である嘉韻のことは珍しがっていたし、あまりにじっと見るので嘉韻は困っていた。
しかし、一番困ったのは、宴の前だった。
「…そのような。我は行かぬ。」
明蓮がそう言って眉をひそめたので、信明は言った。
「しかし、我が王がせっかくに父上達もご招待してくださったものを。なぜにそのようなことを。」
明蓮は言った。
「主の王がご招待くださったのはありがたいが、我が王維心様もご同席なさると聞いておる。王妃様も然り。そのような場を許されるほど、我は序列が高くないわ。たかだか序列五位であるぞ。」
明人は顔をしかめた。あの龍の宮で序列五位とは、かなりの位置ではないか。信明は首を振った。
「その維心様からも、出席するようにと、命が降りましてございまする。違えることは出来ませぬ。」
明蓮は驚いた顔をした。
「王がそのような命を。知らなんだ。なぜに先にそれを言わぬ。」と、宮から連れて来た侍女に言った。「急いで着物を出せ!悠姫の準備も急がせよ!」
信明はホッと息を付いた。明人は思った…きっと、昔からこんな風なのだ。親父って苦労してたんだな…。
宮は夜ならいつも明かりが落ちているが、今夜はとても明るかった。
輝重達も、緑青達も到着し、華やかに宴が執り行われていた。
明蓮も悠姫も、そして関心も李華も緊張した面持ちで席に座っている…なぜなら、月の宮では人数が少ないので、皆近い位置に座るからだ。数メートル先には維心が維月と並んで座っているような状況に、四人の緊張は極度に高まっていた。
涼が李関の第一子になる男子を先月出産していて、その子の名は李心といった。涼はその子を抱いて李関と幸せそうに微笑み合っているが、李関の屋敷ではあれほどに喜んで孫の世話をしていた二人も、今は王が気になってそれどころでなかった。李関も最初はそうであったが、月の宮で過ごすうちにあまりに龍王が近いので、慣れてしまっていた自分を、今更ながらに感じていた。
ふと、維月がこちらを見た。関心がびくっとして固まると、維月は隣の維心を突ついて何か言い、維心もこちらを見た。もっと固まった関心に気付かぬように、維月が立ち上がり、それに促されるように維心も立ち上がった。
明蓮も悠姫も含めて固まっている所へ、二人は気軽に歩いて来た。慎怜も居たが、慎怜は次席軍神でいつも王と話す機会があるので、そこまで緊張した感じではない。慌てた残りの四人は、急いで頭を深々と下げた。龍の宮で、このように間近に王と王妃を見ることは絶対にない。話すにも間に誰か入るほどで、滅多に傍になど来なかった。そんなことには気づかないように、維心が言った。
「本日はめでたいの、慎怜。主の子が婚姻とは、我もほんに長く生きておると思うわ。」
慎怜は頭を下げた。
「王にお気にかけて頂きまして、恐縮致しておりまする。」
隣りから、維月が言った。
「いつかご挨拶をと思っておりましたのよ。」と、関心と李華に言った。「涼は私の人の時の娘。李関にはとてもお世話になっておりまする。このようにかわいらしい孫まで授けていただいて。」
関心は深々と頭を下げた。
「そのような。本当なら我らのほうからご挨拶に伺わねばならぬところでありまするのに。痛み入りまする。」
維心が頷いて、あくびをしている李心を見た。
「ほんにのう。維月にとっての孫であるなら、我の孫と同じよ。健やかに大きくなるよう願っておるぞ。」
関心はそれこそ床にめり込むのではないかというぐらいに頭を下げて言った。
「ははー!」
維心は、ふと明蓮を見た。そして言った。
「明蓮。それにしても主の家系とはほんに困ったもの。明人まであのようなことになって。血は争えぬの…その気の色のことは教えてやったのであるか?」
明蓮は恐縮然りで言った。
「はい、先日対面しました折に、すぐに申しましてございまする。王にはお気を煩わせてしまい、申し訳ございませぬ。」
維心はため息を付いた。
「ま、我らの気はこうであるから仕方がないわ。どちらにしても主も悠姫を、我は維月を傍に置いて落ち着いたのであるから、よかったの。後は義心よ。あやつには一刻も早く誰か娶らせねば…。」
横から維月が言った。
「まあ維心様…そのようなことを。無理に縁付けるのはどうかと思いまするわ。気の色の件は私もお聞きしましたけれど、それならば待つのが良いのでございましょう。待たせてやってくださいませ。」
維心は横を向いた。
「…誰を待っておるのか知らぬがな。」
そして、さっさと席へと帰って行く。維月はため息を付いた。
「もう、ご機嫌を悪くなさって。気にしないで。いつものことですから。」
維月はそう言い置くと、席へと戻って行った。その場にいた者達は、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
宴も闌になり、皆が楽しく話して、明蓮と関心がそれぞれの孫のことに話が盛り上がっている頃、慎怜はそっと月の宮の広く新しい庭へ出た。
龍の宮の庭とは違って大きな木は少ないが、綺麗に整備されて手入れされ、ここはここで違った美しさがある。慎怜は月を見上げた。自分が死なせてはならぬと手も付けずに、それでもずっと愛していた人の女は、今黄泉に居る。
病で死すると分かって、その女の懇願を受けて慎吾をなした。当然のことながら慎吾誕生と共にその女は死に、慎怜の気持ちも穏やかに消え去って行った…死した女をいつまでも想っていることは出来ないからだ。
慎吾のことはいつも気に掛けていた。自分の唯一の子である龍が、人の世で育てられていることは本意ではなかったが、女の母なる者がどうしても離さなかったため仕方がなかった。
その息子が、妻を迎えた。自分もそんな歳になったのかと思ったが、信明と同じ年である慎怜は、未だ350歳ほどだった。共に精進して来た義心も同じ。義心が全く妻を迎える様子もないので、慎怜も子も居ることだしもう良いかと思っていた。
だが、王は筆頭、次席のいずれも並んで独身であることに、頭を悩ませられているようだった。なぜなら、龍の領地が広がるにつれ、軍神達はあちらこちらに駐屯し、バラバラになっているからだ。力の強い軍神が要る…それは、これから先もずっとであるが、その軍神達が結婚もせず子をなさないのでその血が継がれて行くことがない。これでは、どんどん力が失われて行くと懸念されているのだ。
その王自身も、長らく独身でおられたが、妃を迎えられたと思った途端、次々にお子をなして、四人の男子が、今では将維を筆頭に皆力の強い軍神に育っている。慎怜も義心も王からは子だけでも残すようにと言われているが、そんなに簡単に自分の子をそこらの女に生ませる気もなかった。
慎怜が深くため息を付くと、傍の小さな人工の川の近くに、美しい女が一人、佇んでいた。
何やら思い詰めた様子であるのが気になって、慎怜は声を掛けた。
「…何かお困りか?」
その女は、弾かれたようにこちらを向いた。まともに見ると、本当に美しい女だった。真っ黒の髪に黒い瞳。鳥のような「気」がすると慎怜が思って見ていると、相手は答えた。
「…龍のかたですのね。」相手は、ため息を付いた。「いえ…少し物思いがありましただけでございまする。」
慎怜は特に今すぐ何かを思い詰めてするという訳でもないのだなと思い、踵を返した。
「そうか。ならば良い。失礼した。」
慎怜が場を外そうとすると、その女は慌てて言った。
「まあ…本当に龍というのは情が薄いこと。」慎怜は眉を寄せてその女を見た。女は続けた。「我は、龍とはもう接しないでおこうと思いましたのに…。」
慎怜は気を悪くして言った。
「何を一括りにしておるか。龍と申してもいろいろおるわ。ま、主がそう申すなら我は去るゆえ。存分に物思いに沈むが良い。ではの。」
「お待ちください!」背を向けようとした慎怜の腕を、相手は必死に掴んだ。「失礼を致しました。我は…一人でおるのは寂しいのでございまする。少しだけここに居てくださいませ。」
慎怜はびっくりしてその女を見た。目は涙で潤んでいて、よほど何かを案じているのかなんなのか、とにかく放って置いては何かあるかも知れぬと、仕方なくそちらを向いた。
「我はあまり話しなど出来ぬが、それでも良いのなら居る。」
相手はホッとしたように頭を下げた。
「ありがとうございまする。我は紅雪。」
慎怜はその名を聞いたことがあった。確か、鶴の宮の皇女ではないか。
「…我は慎怜。龍の宮の軍神だ。」
紅雪は驚いたように慎怜を見た。
「では、慎吾様のお父上?」
慎怜は頷いた。
「そうだ。息子に会いに参ったのよ。で、主に龍がどうのと言われた訳よな。ま、あながち間違ってもおらぬ。我らは薄情よ。それはこの生まれのせいであるから、我ら個人のせいではない。あっちもこっちも大事にしないだけであるのだ。誠大事にしようと思わぬ限り、情を掛けることはないの。だが、焦りもある。なので愛そうと努めてみたりもするのだ。主も誰に引っかかったのか知らぬが、相手は恐らく努めては見たものの、心底思うまでには至らなかったのだろう。許してやるが良いぞ。我にはその相手の気持ちが良くわかるゆえな。」と、慎怜はため息を付いた。「で、これだけ話したしもう行っても良いか?」
紅雪は首を振った。
「お待ちくださいませ。まだお聞きしたいことがありまする。」紅雪は言った。「慎怜様、では仮に愛していると言ってくださったとしたら?」
慎怜は顔をしかめた。
「そのような。第一愛しているという状態がどういう状態なのか理解しておるのかが問題ぞ。ただ好意を持っておるだけで勘違いしておる可能性もある。欺いておる自覚などないであろうな。本人はそれが愛情だと思うておる訳であるから。」
紅雪は愕然とした。では、欺いていた訳ではないのね。
「…何か、わかったような気がいたしまする。」と、ほーっとため息を付いた。「我も、憧れであったような気が致します。宮の奥で育ったので、他の神と接することもなく、恋など知らずに育ったものですから。恋をしている自分に酔うというか…。なんだか、つまらなくなりましたわ。」
慎怜は呆れたように紅雪を見た。
「女もそんな感じでは、男もたまらぬよの。我は好きだ嫌いだは分からぬが、回りには悩んでおる軍神もおるし。もしかしたら、そういうものはお互いに勘違いから始まるものなのかも知れぬな。」
紅雪は笑った。
「本当にその通りですわ。でも、それで愛せるのなら、我は安心致しました。」
慎怜は驚いたように紅雪を見た。
「…と言うと?」
紅雪は寂しげに微笑んだ。
「父に、嫁ぎ先を決めよと言われて…三名のかたのお名前を聞きました。誰でも、選ぶが良いと。」紅雪は川の方を見た。「お名を見ただけでと理不尽に思うたのですが、相手を愛しておるのだと思い込めばよろしいのですね。ホッと致しましてございます。」
慎怜は黙った。王族の結婚とは、本来そんなもの。何も紅雪だけのことではないだろう。だが、あまりに寂しげで、それでも前向きに考えている様子が、哀れに思った。
「顔も知らぬのが嫌であるなら、主、我に嫁ぐか?」慎怜はふと、言った。「だがの、我も女を想うということが出来ぬゆえ、主の言うところの恋愛は出来ぬであろうがな。」
紅雪はびっくりしたような顔をした。そして、急に真面目な顔になって、まじまじと慎怜を見た。
「まあ…。」と、しばらく絶句してから、紅雪は決意したように頷いた。「はい。私は慎怜様に嫁ぎまする。」
慎怜はびっくりした。何気なく言ったことだったのに。
「主の、しっかり考えてからの方が良いぞ。今会ったばかりではないか。主は恋愛をしたいのであろうが。」
紅雪は首を振った。
「慎怜様が良いのです。他の神でも、愛してくださるかどうかも分からぬのに。それならば、こうして親切にここに居ただけの女の話を聞いてくださるかたの妻になったなら、少なくとも不幸にはなりませぬゆえ。」
理にかなっているようにも聞こえるが、かなり乱暴な気もした。だが確かに、誰に嫁いでも同じなら、我に嫁いでも同じという事なのだろう。
慎怜はじっと黙って紅雪を見た。確かに美しい。愛せるかどうかなど全くもって分からないし、困ったことにもなりかねない。だが、この女は別に愛せなくても良いと言う。ならば、良いかもしれない。
「…我も王から身を固めよと言われて困っておった所。では、それで良いのだな?我は自慢ではないが、主が言っておったように、情が薄いぞ?龍であるし。」
紅雪は頷いた。
「構いませぬ。我のほうは、愛しておるのだと勘違い致しまするゆえに。」
慎怜はフッと笑った。
「おおそうか。」と、紅雪の手を取った。「では、主の父に挨拶に参るとしよう。だがその前に、我が王にご報告してからの。」
紅雪は微笑んだ。
「はい、慎怜様。」
そして、二人は宴の席へ戻って行った。
その後宴の席が大騒ぎになったのは言うまでもない。




