切迫
…と思ったら、十六夜はまた慌てて戻って来た。
「蒼!維心だ!維心が来た!」
蒼はビクッとして振り返った。
「ええ?!一週間だから確かに維心様にしたら頑張った方だけど…なんて間の悪い!」
「結界に掛かったから、仕方がないし、通したぞ。」と、十六夜はまた飛び立って行きながら言った。「お前、なんとか誤魔化せ!わかったな!」
蒼は窓枠に走った。
「え、オレ一人で?!」十六夜は小さくなって行く。「十六夜!」
「もう一人居るだろうがー…」
遠くからそんな声が聞こえて来た。蒼は振り返った。
膝を付いて聞いていた嘉韻が、びくっとして蒼を見た。蒼はじっと見ている…嘉韻は思った。まさか、我?!
蒼はため息を付いた。嘉韻に何が出来るだろう…でも、居ないよりはいいか。
「嘉韻、すまないな。頼むよ。」
嘉韻は心の中で絶叫した。無理だ!我に龍王を留めるなど、絶対に無理だ!
《明人!慎吾!王の居間へ来い!》
明人と慎吾は、ハッとして顔を上げた。
珍しい。嘉韻が念を飛ばして来るなんて。明人が立ち上がった。
「…なんかあったのか?えらく切迫したような雰囲気だったが。」
慎吾も頷いて立ち上がった。
「場所が場所であるものな。急ぎ参ろう。」
明人も頷き、王の居間へと急いだ。
何が待ち構えているかは、着いてから知った。
嗣重は維月を、自身の出来たばかりの宮の奥の間で、ひたすらに愛していた。
これほどに慕わしく、癒される気に出逢ったことは、今まで一度も無い…。嗣重はそれに、ただただ酔っていた。
「…嗣重様…。」
維月が言う。嗣重は、維月を上から見た。
「どうした、維月?」
維月は微睡んでいる。自分の支配下にあるからなのだと、嗣重には分かっていた。しかし維月は、それでもしっかりとしている時もあった。時にふと、空を見上げ、じっと何かを考え込んでいる。
しかし、そんな時でも、嗣重が抱き寄せると、素直に腕の中に入った。嗣重は、離れている時に自分を忘れて居ても良い、ただ、こうして過ごして行ける時間さえあれば…と、ただそう思っていた。
嗣重は起き上がって、維月に襦袢を着せ、袿を羽織らせた。そして自分も着物を着ると、森の方へと出た。
「維月…さあ、我の気に入りの杉であるぞ。我が生まれる前から生きておるのだ。」
維月は、やっとはっきりした頭を振って、嗣重を見上げた。
「まあ嗣重様…私、どうしたのでしょう。何か頭がボウッとしてしまって。申し訳ありませぬ。」
嗣重は首を振った。そして抱き寄せて杉を見上げた。
「時にそのようなこともあるやもの。良いではないか…維月よ。」
維月は、抱き寄せられても、抵抗しようと思わない自分を、おかしな気持ちで見ていた。このかたを、私はどうして拒まないのかしら…。
嗣重は優しく微笑んだ。
「どうしたのだ?そのように考え込んで。」
維月は首を振った。
「いえ…なんでもありませぬ。」
「大ありだ!」十六夜の声が叫んだ。「こら嗣重!気持ちは分かるが、駄目だ!オレは別に嫉妬で言ってる訳じゃねぇぞ。維心が来たんだ!あいつは維月に極限まで会いたくならないと来ない。今回は特に長く我慢して、やっと来たから探し回るぞ!」
嗣重は眉を寄せた。
「長く?まだ一週間ほどではないのか。」
十六夜は同じように眉を寄せた。
「まあ…あいつは一日でも離れたくないヤツなんだ。」と、維月を見た。「維月、覚えちゃいねぇな。それでいいから、とにかく帰るんだ。今、蒼と嘉韻が維心を誤魔化してるが、それも時間の問題だぞ?お前、維心が狂ったら何をするか知ってるだろうが。」
維月はまだはっきりしない頭を必死に動かした。
「何の話…?どうして嗣重様に駄目だと言ってるの?私、何を覚えていないの…」と、頭を押さえた。「なんだか、頭が痛いわ…。」
十六夜は、維月の腕を取った。
「嗣重、連れて帰るぞ。お前のやってることは、お前にとっちゃいいかもしれねぇが、維月はどうだ?確かにお前を嫌っちゃいねぇ。だが、筋が通ってないぞ。それに、この宮でやっと落ち着いた臣下達のことを考えろ。確かにばれなきゃ大丈夫だろうが、こうしてバレちまうもんなんだ。特に維心には駄目だ!あいつは、抑えが利かねぇ…皆を殺されたくはないだろう?」
嗣重は黙った。分かっている…だからこそ、こうして記憶も残さず、維月を愛していた。だが、気取られてしまうものなのだな…。
嗣重は頷いた。
「連れて参れ。我は…しかし、維月を愛しているのだ。」
維月はびっくりした顔をした。十六夜は頷いた。
「わかってるよ。皆そう言うんだ。特にお前には許してやりたい気持ちだが、そうもいかねぇ…せっかく助かった一族だ。大切にしな。」と、維月を抱き上げた。「さ、維月、帰るぞ。だが…嗣重の気がするな…困ったもんだ、維心に明日まで会うなと言って我慢するのか、あいつは…。」
維月は驚いて自分の体を見た。気?それって…それって私、嗣重様と、あんなことを…?!確かに、自分の体から嗣重の気がするのがわかる。維月はパニックになりそうだった。いつ?!いつそんなことに?!
十六夜は飛び上がりながら、維月をどうしたものか考えた。全く、困ったもんだ…。
維心はイライラと蒼の居間に座っていた。蒼は言った。
「十六夜が母さんを連れて行ってしまっているので。」蒼は言った。「今すぐにはお連れすることが出来ないのです。」
嘉韻と、慎吾と明人は、王が言ったことに頷いた。しかし、自分達がここに居て、いったい何の役に立つのだろう。慎吾と明人は、嘉韻を恨んだ。どうしてこんな所に、自分達を呼んだのだ。
明人は、後で散々文句を言ってやろうと思っていた。
維心はまだイライラと言った。
「連れて行くなど…いったい、どこまで連れて行っておるものか。」維心は言った。「あやつはあっちこっち維月を連れ歩き過ぎであるのだ。里帰りと申すなら、ここでじっとしておればよいではないか。そんなことをしておって、またどこかの神が維月を見染めたりしてしもうたら…。」
蒼はため息を付いた。あながち間違いでもない維心の心配に、なんと返していいのかわからない。確かに母さんは、うろうろしない方がいい。ゴタゴタの種は、蒔かないでほしかった。
維心は力なく言った。
「…だから、我が宮から出したくなかったのだ。本来、妃は奥宮でじっとしておるもの。なのに維月はうろうろとするし、それは許しておるのに、こっちへ帰って来ると聞かぬし…」と、明人達を見た。「我は間違っておるのか?」
明人達はぶんぶんと首を振った。確かに、龍王の言っていることは、神の世では当然のことだ。あんなに大きな宮の妃が、あのようにふらふらと一人で出歩くことがまず考えられない。まして正妃であるのだから、何十年も里帰りなどしないというほうが多かった。
嘉韻が言った。
「確かに、頻繁に帰って来られると思いまする。我が居た鳥の宮では、炎嘉様はあまりうるさくなかったと聞いておりまするが、炎翔様は妃の里帰りは一切許しておらなんだ。ゆえ、龍王様は、よくお許しになっているものと…。」
維心は深く頷いた。
「そうであるのよ。特に月の宮では、それが分かるものが少のうての。そうか、主は神の世で育ったのであるの。」
嘉韻は頷いた。
「はい。ここに来て、いろいろと教わっておりまするが、まだ慣れておりませぬゆえ、言葉の意味などを聞いて、友にいつも面倒がられまする。」
維心はフッと笑った。
「我も同じよ。だが、わからぬのだから聞くよの。その気持ちは我にもわかるぞ。」
蒼は少しホッとした。この中で神の世で育ったのは嘉韻だけ。もしかしたら役に立つかと思ったが、思ったより役に立っているかもしれない。
維心は明人と慎吾を見た。
「主らもの、神の世に生きるのであるから、こちらに精通した友の疑問には快く答えてやるが良いぞ。我らだって知りたいと思うのであるから。嘉韻は神の世のことを主らに話してやるであろうが。それと同じと思うが良い。」
明人と慎吾は神妙な顔で聞いていた。なぜか矛先がこっちに向いているような気がするが、王がそのまま引き延ばせ!というような目でこちらを見ているし話の腰を折る訳にもいかない。
そんなこんなで龍王の説教を聞いていると、空間から念の声が聞こえて来た。
《蒼、遅くなっちまったな。》
十六夜の声だ。維心も黙って見上げる。
「十六夜!どこに居るんだよ、維心様が待っていらっしゃるのに!」
蒼は心中ホッとしていたが、困ったように言った。十六夜はしらっと答えた。
《なんだ維心、もう来たのかよ。いつもながら早いな。来るなら来ると言えよ。》
維心は憮然として言った。
「いつもよりは長く待っておったと思うがな。それより、維月をどこにつれて行っておる。」
十六夜の声は、答えた。
《美月の里にいる。有と話してたらこんな時間になっちまったし、今日はここに泊るつもりだから蒼に連絡したんだがな。明日には帰るし、お前もそこで待ってろ。》
美月の里とは、蒼達がまだ人だった頃、月の力を使える者が代々住んで来た神社を有する敷地のことで、そこに屋敷を大きく建てて、最初は住んでいたのだ。神の世に関わるうちに、維心にこの月の宮を建ててもらい、こちらに移住した。美月の里には、まだ蒼の姉の有が人として生きていた。
十六夜がそこへ行ったってことは、今母さんに維心様を会わせたら、いろいろ都合が悪いことがあるということだ。蒼は言った。
「わかった。有によろしく言っておいてくれ。」
《言っとくよ。》
維心は立ち上がった。
「またそのような。なぜに我を維月に会わせぬようにするのよ!」と、庭の方へ向かった。「里へ行く。」
「ええ?!」
その場の全員と、十六夜の念の声が叫んだ。
「い、維心様、明日には帰って来ますから!」
蒼が言ったが、維心は足を止めない。
「顔を見るだけでも良い。とにかく、行く。」
維心は、止める間もなく飛び立った。蒼が言った。
「十六夜!行ったぞ!」
《わかってらあ!くっそう、間に合うか?!》
蒼は何が間に合うのか分からなかったが、とにかく間に合って欲しいと思った。
明人達はそんな様子を目の当たりにして、王が日常的に思いの外大変な思いをしていることを知った。




