第09話 別れ
「ただいまー母さん。今日は川でたくさん魚が釣れたんだ」
「そう、ありがとう。じゃあ焼き魚にして食べましょうか」
釣りを終えて家に帰ると、お母さんが出迎えてくれた。俺は釣れたばかりの魚を手渡し、ずっと気になっていた部屋のドアに顔を向ける。
「そうだね。母さん俺がいない間、父さん大丈夫だった?」
「えぇ何ともないわ、大丈夫よ」
「そっか、ちょっと様子見ついでに呼んでくるよ」
部屋に入ると俺が来たのに気づいたお父さんがベッドから起き上がろうとしていた。
「父さん、安静にしていないといけないんだから、無理しちゃだめだよ」
「ちょっと体調が悪いだけだ…ゴホッゴホッ…まだまだ自分で歩けるわ」
そう言いながらも、お父さんは俺の肩に手を乗せて立ち上がり俺の手を借りてリビングへと向かった。
しわしわになった手、昔を見る影もないほどに筋肉が落ちて骨が浮き出てきている。そんなおじいちゃんになった手だが、俺の手を握る力強さは子供の頃のまま、俺の前で手を引っ張って森を歩いていたあの頃のままだ。
「どうした…」
「…何でもない」
お父さんを椅子に座らせ、俺もいつもの席へと座る。
焼ける魚の香ばしい臭いがすうぅっと鼻を通り抜ける。今日もお母さんの美味しい料理を食べられるのは本当に幸せだ。この幸せがずっと続けばいいと思わない日はないが、そうも言っていられない。
「さぁできたわよ、皆で食べましょうか」
「「いただきます」」
俺は竜人、両親は人間。種族が違うと割り切っていたはずの昔と現実にいざ直面する今とでは、受け入れ方がまるで違う。お父さんが急に倒れた日から、俺の傍を死が歩き回るようになった。
昔は、二人に安心して最期を迎えてもらおうと生きていた。まだまだ遠い日の事として短絡的に考えていたんだ。
その日を迎える自分の気持ちを考えていなかった…二人に会えなくなるのは、寂しい。
寿命の違いでいつか死んでしまうと分かっていながら、これからも元気で生きていくだろうと考えていた…
あっという間に過ぎ去った50年を偲ぶ俺に、パハドが語り掛けてきた。
「二人との別れが辛いのか?」
「(そりゃあ辛いさ、50年以上も一緒にいるんだぞ)」
「でも親を失う経験は、誰しもがするものだろう?」
パハドの言うように人間だろうと魔人だろうと、親を失う経験は避けては通れない道だ。
「(あぁ、分かってる。いつかは来ると覚悟していたんだ。だからこうして、出来る限り一緒に過ごすようにしているさ)」
「この世界じゃあ、子を早くに失う親も親の顔を知らない子も珍しくない。50年も一緒に居れて、最期を看取られる親父さんとお袋さんは幸せだと思うぜ」
「(…そうだな)」
パハドなりに俺を慰めてくれているのだろう。その声には、いつもの陽気な声に優しい口調が混じっている。50年来の相棒なだけに俺の欲しい言葉をかけてくれるいい奴だ。
「ごちそうさまでした」
「一人で大丈夫かい父さん?」
先に昼食を食べ終わるとお父さんは俺の手を借りずに、そそくさと自分の部屋へと戻っていった。
俺も食事を終えて家の外へと見回りに向かう。この30年で森の姿も一変してしまっている。森を徘徊する魔物の数は増え、力のない動物たちは気配を隠して暮らしている。
そのため、俺は常に家の柵の周りを龍覇気の威嚇で覆っている。だが、この威嚇でもビビらない魔物がいないとも限らないので定期的に見回りをするようにしている。
「少し外の様子を見てくるよ」
「気を付けなさいよ、魔物が最近増えてるんだから」
牽制のための見回りなんだけどなぁ。お母さんは昔と変わらず元気だが、近頃ますます俺を子ども扱いしてくる。俺ももう、50代なのは知っているはずなんだが見た目が18歳の高校生くらいだから心配になるのも仕方ない…のか?
俺は庭の中央に立ち、辺りを見回す。
目視の確認が終われば次は魔力探知だ。効果範囲を視界の及ばない半径200mまで調整し展開する。
「危険だが縄張りから動く気配がない魔物が数十匹、こいつらは問題ないな。問題があるとすれば、縄張りを持たない獰猛な魔物…この一匹くらいか。数日すれば家の近くまで来てしまうな」
魔力探知の範囲をその魔物へ直線状に修正、命令の効果を選択しスキルを発動する。
「龍覇気!!!……去ね」
龍覇気の効果はすぐに魔物へと伝わり、半径200mの外へと逃げていった。話の分かるやつで良かったよ。命令の効果が効かない場合、敵対生物として処分するしかない。30年の間に何度もラカヴから来た獰猛な魔物とも戦ったが、縄張りを追われた種族のくせにどいつもこいつも獰猛さと狡猾さが桁違いで手こずらせてくるやつばかりだった。
「さて、今日はこんなところか。…ん?」
東の方角から異様な魔力量と移動スピード、間違いないラカヴから来た魔物だ。走り方からして四足歩行の獣のようだな。
俺は、背中に背負ったロングソードに深紅の鱗で覆われた右手をかけ一息に走り出す。立ち上る砂煙が晴れた頃には、そこに人の影は見えず残るのはえぐれた地面にできた足跡だけだった。
ほんの数秒で正体不明の魔物との距離を詰めきり、攻撃を仕掛けてくる前に終わらせる。竜人の身体能力に仙鬼法を上乗せ、魔力探知で魔那の流れが弱い部位を即座に見つけ出し致命の一撃を見舞う。
「破魔龍月斬!!!」
ロングソードを真横に放った一閃、魔物の口から入った刃は背骨を両断しながら背中と腹を真っ二つに引き裂いた。
俺はロングソードに付いた血を片手でぶうぅんと血振り、鞘に戻す。葬った魔物を確認するために背後に倒れた死体のもとまで向かい、全身をくまなく調べる。
「ふぅ、この魔物初めて見るな。ところどころに傷跡がある、それにこの皮膚、生半可な武器じゃ傷一つ付けられんだろうな」
姿かたちは、動物のプロングホーンに似ているが角は茨のようの刺々しく、体毛は濃い紫色をした立派な魔物だ。2mほどの体とその傷に目が行きがちだが、俺が最も気になったのは片方が折られているこの角だ。折られた角の断面が、まるで刀で切ったかのように滑らかだ。
「明らかに何者かに鋭利な物で切られている。それにこれは…」
俺が角の断面に付いた液体のようなものに左手で触れた途端、指先が赤く爛れ掌全体にまるで生き物みたいに広がろうとした。
「毒か!?そんなはずは…解毒!」
直ちに回復魔法をかけてその毒を解毒した。でも変なのだ、俺はベラスカとの戦いから未来の敵との戦闘に備えるべく、出くわした魔物とは出来るだけ戦うようにしてきた。その中で毒をもつ魔物とも戦い毒耐性のスキルを獲得している。無効化ではないから毒が効かないわけではないが、魔物程度の毒ならすぐに毒耐性で解毒できるはずだった。だのに毒は治まるどころか指先から浸食しようとした。毒耐性と回復魔法の相乗効果でなんとか解毒できたが、もし治っていなかったら腕を切り落とすしかなかっただろう。
今度は、角に付着している毒と魔物に対して解析鑑定をかけてみる。
…解析完了
種族:茨角獣
・ラカヴに生息する魔物。茨のような50cmほどの角と紫色の体毛が特徴。走る速度は、初速で時速100キロに到達し徐々にスピードを上げ最速150キロで走ることができる。
・平均体重100㎏、平均体長2m。老齢の固体は体調3mにまで達する個体の目撃例が出ている。性格は温厚で臆病、ラカヴでは被捕食者に位置している。
・捕食者から逃げるために幻覚魔法を使用し、茨の棘で撃退することもある。
物質名:蜂攣毒
効果:幻覚作用・興奮作用・神経毒・腐食毒・細胞毒・魔那毒
どうやら、この魔物は毒を持っていないようだ。そしてこの毒、おそらく蜂のような魔人から打ち込まれた毒のようだな。幻覚作用に加えて闘争本能を刺激する効果がある。しかも、打ち込んだ相手とそれに触れた相手とで発症する毒の効果が異なるとは…この毒を操る魔人、唯物ではないな。
この森周辺に魔人ほどの魔力をもつ者の反応は感じないが、いつ魔力探知外から襲われるかも分からない。しばらくは警戒を解かないほうが身のためだ。
「そろそろ日が沈むな、視界が悪くならないうちに早く帰るかーー」
「(アモン!?聞こえる!?)」
お母さんからの思念伝達だ。声からしてとても慌てている、何か…嫌な予感がする。
「(お父さんが倒れたわ…すぐに帰ってきて、もう…長くないかもしれないの)」
俺は返事をする前に家までの直線上にある障害物を全て破壊しながら走り出していた。立ちはだかる木々や岩々を成長した竜人の腕力で薙ぎ倒し粉砕しながら突き進み、お父さんのもとまで雷鳴の如くに駆け抜けた。
「父さん!!」
急いで家に帰ると、ベッドの横たわるお父さんとその手を握って涙を流すお母さんの姿があった。俺の到着に気づいたお父さんはお母さんの手を借りて起き上がり、俺は左手でお父さんの手をお母さんの手に重ねるように握った。そして、いつも帰った後にする会話のように普段と変わらない口調で話しかける。
「父さん、帰ったよ。今日ね、ラカヴから来た魔物を倒したんだ。父さんに教えてもらった剣技で倒したんだよ、すごいでしょ?」
「あぁ、偉いぞ、流石は俺の息子だ…アモン、右手を出しなさい…」
「でも…」
「いいから」
俺は少し躊躇いながら鋭い鱗で覆われた右手を差し出した。お父さんは、流血を恐れることなく俺の右手をその両手で強く握ったのだ。
「アモン…お前はこの黒龍様の呪いを受けてなお、50年もの間一緒に生きてくれた。最初はお前がいつ死んでしまうのかとずっと心配だったが、元気に育っていくお前を見てそんな不安もいつしか日常になっていった。そして諦めていた…息子に最期を看取ってもらえる夢が叶う…こんな嬉しいことはないよ。…なぁアモン、お父さんはな、お前のその姿…本当は呪いじゃないと思うんだ、その強い身体は黒龍様がお前にずっと元気でいてほしいという俺たちの願いを聞き届けてくれたものなんじゃないかと…今ではそう信じているよ。だから…この先もずっとお前には元気でいてほしいんだ…」
「うん…!うん…!元気でいるよ、すぐに死んだりなんかしないさ…だから、だからさ、これからも見ていてよぉ…俺が元気で生きていくのずっと見ていてよぉ…」
握った両手から伝わる心臓の鼓動がだんだんと弱まっていく。霊魂精神のせいでお父さんの魂が少しずつ崩れ、魔那の流れが滞っていく様がより鮮明に見えてしまう。俺では止められようもないのに、どうにかして止めようと必死に手を強く握り返す。
「アモン…これからお前がどんな選択をしようとも…お父さんはお前が生きていてくれれば…それで…満足だ…」
お父さんの魂が崩れ去り、肉体から光の粒となって散らばっていく。部屋を満たした光の粒は少しずつラキア粒子となって消えていった。
「父さん…父さーーーんっ!!!」
泣き叫ぶ俺をお母さんが泣きながらも抱きしめる。混ざり合う感情が言葉にならない呻きとなって吐き出される。
涙が収まれば、そこには父を失った喪失感と空虚な未練だけが残っていた。お父さんが亡くなってまだ悲しいはずなのにお母さんは涙を拭って真剣な表情で俺を見つめた。
「アモン、聞いてくれる?…お父さんを弔ったあとの遺骨は、黒龍様への生贄を全うした証としてあの墓標の周りに撒いてあげる決まりなの。だからお父さんの最後のお仕事を手伝ってあげて…」
「…分かった」
お母さんが用意した焼き場にお父さんを運び、火をくべる。6時間にわたって薪を足し続け火を高温に維持し続けた。火炎系の魔法では威力が強く、お父さんの遺骨が綺麗に残らないため、火葬では一切魔法は使わない。
お母さん曰く、土葬ではなく火葬なのにも理由があるらしい。高濃度の魔那に晒され続けた生物の遺体は、魔那の含有量が多くそれを喰らう魔物に狙われやすくなるなるとの事。
強い人間や魔人であればなおのこと、狙われやすく遺体も朽ちにくいのだそうだ。
俺は、6時間経った後の焼き場の遺体を確認し、遺骨をすべて遺灰となるように粉砕して壺に詰めた。
その日の深夜、お母さんと50年ぶりに墓標の前へと足を運んだ。久しぶりに見るそれは、年月を経てもこの威風堂々とした雰囲気からは底知れない恐ろしさを感じる。
俺は壺の中から遺灰を掬い上げ、一回一回お父さんと過ごした日々を惜しむように撒いていった。
「お母さんが死んだら、その時は…またここにお願いね」
「…分かったよ」
お父さんが死んで間もないというのに、次はお母さんが死んだときか…その時を考えてしまうと気が重いな。
「そう暗い顔することないわ、あなたが居てくるから私もお父さんと一緒の場所で眠れるのよ。黒龍様の生贄はね、一人が死んだとしても片割れもここで死ななくちゃいけないの。でも自分の死期を悟ってここに来た途端に死ぬなんて無理な話でしょ?だから大概は、ここにたどり着く前に魔物に襲われて亡くなるか、独りで生きているうちに老衰してしまうの。だからね、お母さんはとっても幸せ者よ」
嬉しそうなのにどこか悲しげで、でも未来に希望を抱いているそんなお母さんの表情に俺の心も救われる。
いつかお母さんとも別れる日が来るのだろう、それは明日かもしれないし、数年先かもしれない。しかし、その日には今日のように泣きわめくのは控えよう。お母さんは心配性だ、俺が泣いてしまったら心配で安心して眠ることもできなだろうから。泣くならせめて感謝の涙で送ってあげよう。これまで、生んで育んでくれた事へのお礼として、生んでよかったと思って逝けるように。




