第十一章:道化師たちの舞踏
生存のルールは、常に血で書かれる。
檻の中では、誰が主人で誰が獲物かなど、腹を空かせた闇の前では無意味だ。
ここでは、死んでいることが唯一の安らぎなのかもしれない。
まず最初に形を成したのは「臭い」だった。その悪臭の構成は、硫黄、アンモニア、饐えた汗、そして有機物の腐敗が混じり合った強烈で吐き気を催すもので、逃げ場のない息苦しい空間に閉じ込められていた。サイラスは、自分の意思に反して体が不規則に動くのを感じた。まるで、何者かに操られる操り人形のように。
「……紳士淑女の皆様! そしてお坊ちゃんにお嬢ちゃん! あらゆる世代の、食欲旺盛な観客の皆様がた!」
混沌とした喧騒の中から、重厚でいて耳障りな声が響き渡った。硫黄の混じった空気に増幅されたその声は、歪み、狂気に満ちた「感情」そのものの顕現だった。
サイラスは目を開けた。自分が天井の闇へと伸びる奇妙な太いロープに縛り付けられ、吊るされた肉塊のようになっているのが見えた。粗末で黄色がかったスポットライトが彼を照らし出し、目に見えない観客たちが彼を弄んで放つ、陽気で病的な嘲笑に直面させた。
進行役が振り向き、サイラスの目を見つめた。それは背が低く、張り詰めたような生き物だった。目に当たるものが見えないにも関わらず、サイラスは彼に見つめられているのを感じた。それは残酷で、精神を貫くような視線だった。
「……ご覧ください! 居眠りしていた踊り子の一人に、盛大な拍手を! なんて素晴らしい目覚めでしょう!」
進行役はサイラスの覚醒を喜ぶふりをした。しかしその奥底では、低く濁った第二の声が、ショーの最中に彼が生き返ったことへの苛立ちを込めて呪詛を呟いていた。
「……底から引きずり出されたばかりのサンゴみたいな気分だぜ……」
若者は、自分が色とりどりの、継ぎ接ぎだらけの襤褸切れを纏っていることに気づいた。その先端には金属片が打ち付けられており、強制的な動きのたびに陽気な音を立てる。宮廷道化師の衣装を、おぞましく模倣したものだった。
「……ここで何が起きてる? あんたたちは誰だ? 俺の服はどこへ行った!?」
サイラスは恐怖に駆られて叫んだが、意思に反してダンスは続いた。遅まきながら、彼は自分の声が奇妙に平坦に響くことに気づいた。
「……おやおや、予想以上にお喋りな子だ。だが、他の連中みたいに悲鳴を上げないのは残念だね。期待外れだよ!」
進行役の男はそう言い、顔の笑みをさらに広げた。その灰色の肌は、歪んだ頭蓋骨の上で際限なく伸びるかのようだった。
ふと横を見ると、同じ状況に置かれているのは彼だけではなかった。生気のない、死んでいるようにしか見えない肉体たちが、喜劇的なお祭り騒ぎを模した音楽に合わせて、凄惨な舞踏を繰り広げていた。死体によって演じられる、おぞましいほど完璧な振り付け。
「……ちっ、新入りの一人が生きてやがる……ハエの野郎、外しやがったな!」
背後で甲高い声が唸った。派手で奇抜な服を着た男だったが、包帯で巻かれた仮面からは腐った物質と蛆虫がこぼれ落ちていた。
「……当たるわけないだろ? 完全に迷子になってるんだから」
上から声が響き、その振動がロープを伝わってきた。
「……あんたは……『チョウ(蝶)』か?」
サイラスがその呼び名に当惑して言うと、周囲から耳障りな笑い声が上がった。それは観客からではなく、サーカス団員たちの間だけで共有される、内輪の嘲笑だった。
「……『チョウ』よ、自分の居場所を見ろ……正体を表しやがったな!」
進行役は、台本にない出来事に苛立って唸った。すると突然、数人の人影が高い場所から落下し、地面に激突して湿った嫌な音を立てた。それが病的な、壊れた笑いを誘う。
「……賭けに負けた! 賭けに負けたぞ!」
白髪で背の低い、熱狂的な「ノミ(蚤)」たちが叫びながら、空中ブランコから落ちた者たちを棚から落ちた人形のように拾い上げ、跳ね回ったり宙返りしたりしながら演技を続けた。
「……黙れ、ノミの馬鹿共が! 芸を続けろ。さもないとメスのダニの群れの中に放り込むぞ!」
仮面の男──「チョウ」は、足元を滑らせながらも、ステップを調整して失態を隠した。観客はそれを演出の一部として受け入れたようだった。
「……『チョウ』、不愉快だぞ、集中しろ……客に悟られる!」
別の男の声がした。同じ衣装を着ていたが、相方ほど死臭を漂わせてはいなかった。
「……生きたまま腐ってんだよ。年取って肉が崩れてくるのを誤魔化すのが、どれだけ大変か分かってんのか」
男は怒りを露わにしながらも、完璧な宙返りを決め、相方の腕の中に着地した。
「……ようこそサーカスへ。俺たちが『チョウ』だって知ってるってことは、前にここに来たことがあるのか、それとも……。……おい、どうした? 魂が抜けたみたいだぞ……」
「チョウ」はリズムを崩さずに話しかけたが、若者の意識が遠のいていくのを見て声を落とした。
「……おい、歓迎の挨拶のたびに意識を飛ばすんじゃない……」
団員たちの議論は、サイラスの意識が闇へと溶け込んでいく中で消えていった。
「……神経の接続が信号に耐えられるか確認する方法はないけれど、そこにある物体で……を傷つけることは不可能だと断定できるわ……」
女医の声が頭の中で、古びたドリルのように響いた。
「……だめ、水平を保って……彼らは……まだ……役に立てる! 私はまだ……!」
金属的な言葉がサイラスの精神に溶け出し、彼はこれが誰かの記憶なのか、それとも崩壊した自分の精神が作り出した幻想なのかを判別できずにいた。
突然、激しい頭痛が襲い、自分の存在を繋ぎ止める「安定」を強要した。しかしその後に続いた痛みは、頭を打った衝撃を遥かに超えていた。自分の体が、何らかの理由で内側から腐り、溶け出していくような感覚。
「……素晴らしいわ、死んでる……。なんで私が新入りを調べなきゃいけないの? でも興味深いわね……」
甲高い女の声が、サイラスの体の状態について独り言を漏らしていた。彼女がサイラスの腕にある「大砲」のタトゥーを見つけた時、周囲には冷ややかな会話が流れていた。
「……おい、不届き者。俺の判事がその手を切り落とす前に離れろ……」
厳格で残酷な響きを持つ、旋律のような声が唸った。
衝撃と共に、サイラスは叫びながら目を覚ました。勢いよく身を起こした時、彼はすでに拘束から解かれていた。その勢いのまま、目の前にいた誰かに強烈な頭突きを食らわせ、相手の頭蓋が軋む音がした。サイラスは再び地面に倒れ込んだが、意識は飛ばず、ただ痛みで叫び声を上げた。
「……ほらね、ヴェロニカ? 『ハエ』が余計なところに手を出せば、報いを受けるって言ったでしょ。あの子は自分の衝動を抑えられないのよ」
短い髪に上向いた鼻の、甲高い声の女が言った。
「……二人ともうざいけど、確かにこいつは最高だわ。少なくとも、大釜の時間を待たずに新鮮な獲物にありつけるもの」
「チョウ」が、風変わりな足取りで一行に続いた。彼は倒れている「ハエ」の腕を持ち上げると、皮の剥がれた口を開けて大きく噛み付いた。その拍子に、彼自身の歯が数本、口からこぼれ落ちた。
「……これだから嫌なんだ。取っておこう……まだ使える」
「チョウ」は自分を慰めるように言った。後でドレッサーの前で、歯を差し込むかネジで締め直せばいいだけのことだ。
「……私が付けてあげるわよ、『チョウ』。さあ立って!」
ヴェロニカが、生きたまま腐りつつあるその男を容易くねじ伏せた。
「……バレリア、新入りを起こしてピエロたちのところへ連れて行きなさい。演目が始まるわよ」
ヴェロニカは男の頭を掴んで引きずり上げ、文句を言う暇も与えなかった。彼女が男の歯を無理やり元の場所へ押し込むと、機械的な断末魔の叫びが響き渡った。
「……それ、場所が違う気がするわ……切歯はもっと……」
バレリアが何か説明しようとしたが、ヴェロニカの殺意に満ちた一瞥だけで口を閉ざした。ヴェロニカは他人に訂正されるのを極端に嫌っており、その鬱憤を晴らすかのように、男の歯を一本一本、激痛と共に無理やりねじ込んでいった。
「……いいわ。新しいことを始めましょう。あなたを楽屋へ連れて行って、何ができるか見るわ」
バレリアは疲れを滲ませながらも、精一杯親しげに見える表情を作ってサイラスに言った。
「……何を、どこでしろってんだ?」
男の湿った喉鳴りと悲鳴が響き渡る中、サイラスは女の言葉を理解できずにいた。
「……サーカスに来たら、自分がどの『昆虫』なのかを知ることが一番大事なの。全員が『観客を楽しませる』という目標のために動くグループだけど、部門ごとにやることは全く違うわ。分かるでしょ? 『チョウ』は踊り、『ノミ』はアクロバット、『クモ(蜘蛛)』は壁を登ってロープ芸。そして『ハエ』は……ハエらしく振る舞うの」
バレリアは調子の外れた声で長々と説明し、ハエについての冗談を飛ばした後、立ち上がろうとするサイラスの手を引いた。甲高い声の女に導かれ、二人は急いでその場を後にした。
「……あんたは馬鹿ね。トラブルに首を突っ込む時は気をつけなさいよ。私は巻き込まれたくないんだから。昔は私の髪もボリュームがあって美しかったのに、『クモ』が私を連れ去ろうとしてから、こんな風になっちゃったの。もしあの時、彼が私の手を掴んでいたら、私は迷わず手を切り落としていたでしょうけど、でもね……」
女の話は不愉快で、その声は耳に突き刺さった。サイラスは彼女の終わりのない独白に頭痛を覚えた。しかしその時、薄暗い照明の先から怒りの叫びが響いた。
「……何よこれは! 新しい検体を勝手にうろつかせないで! 収容しなさい!」
そこには、看守の服を着た「ハエ」のような、あるいは包帯を巻かれた死体のような人影が立っていた。髪はハエの足のように縮れ、肌はタコのようにぶよぶよとしていた。それはアンドレアという名の看守だった。
「……こっちのセリフだ! その『タラ(出来損ない)』は何なんだ!? その『ハエ』に何が起きたんだよ!」
サイラスは、包帯だけで辛うじて形を保っている若い女のなれの果てを間近に見て、嫌悪感と共に叫んだ。その言葉にバレリアは嘲笑し、アンドレア──「ハエ」の怒りに火がついた。
「……聞いた、バレリア? あんたのことを『ハエちゃん』だって! 私は『驚異のハエ』アンドレアよ。あんたに相応しい名前ね!」
バレリアが茶化したが、アンドレアがそれを遮った。
「……聞きなさい! 私の見た目や行動にあんたが口を出す筋合いはないわ。それとも、あんたの股ぐらについてる『安物の小バエ』を笑ってほしいの!?」
アンドレアはバレリアの胸を数回叩き、包帯を巻いた口から唾を飛ばしながら叫んだ。その口元の肉は、今にも崩れ落ちそうだった。
「……いいわ、もう何も言わない……。サーカス団員の前で場違いな議論をするほど落ちぶれてはいないわ。私たちは下の階層の秩序を守る看守として、常に冷静さを保たなきゃならないんだから。慎重に……」
短い髪を掻きむしり、屈辱に顔を歪ませながら、女は何かを伝えようと長々とした説明を始めた。
「……あんた、ルールを知らないの!? 虫を運ぶ時は収容すること! 虫の移動は複数の看守で行うこと! 決して単独では動かない! まず検査を受けさせてから、解放するの。それに、暗闇に出入りする時は、扉が完全に閉まったか確認すること……」
女は怒り狂って吠え立てた。それはサーカスにおける生存規則のようだったが、サイラスは誰からもそんな説明を受けていないことに気づいた。
「……あいつらに会ったら、この頭痛の仕返しをしてやる。ここに来た時、何一つ教えられなかったんだからな……」
サイラスの言葉を聞くと、女は頭を抱え、近くの鉄格子に寄りかかった。
「……私があんたなら、そんなことはしないわね……」
サイラスが言い終わるか終わらないかのうちに、アンドレアの後ろの檻から「ハエ(蝿)」たちが一斉に飛びかかった。しかし、彼女が触れられるより早く、アンドレアは素早く振り向き、電気警棒でハエたちの腕を叩き折った。ハエたちは苦痛と怒りの叫びを上げて逃げ惑う。
「……二度とこんな馬鹿な真似をしないよう、教えてやるわ! この檻の主は私よ!」
その癩病を患ったような女看守は、鉄格子の向こう側の獣よりも恐ろしい、この地獄の捕食者のように見えた。
「……『ノミ(蚤)』の連中の手口は見たことがあるの? 前に看守の一部だったことがあるのか、それとも新しい種類の虫なの?」
バレリアが興味深そうに尋ねた。彼女はこの「虫」が、古い記録にあるようなサイキック(超能力者)ではないかと疑っていたが、彼の行動に不自然な強制力は感じられなかった。彼女は、サイラスの食い荒らされた足から、汚れにまみれた黒髪までを注意深く観察した。
「……まあ、こうしてランドールは食われちまったんだな」
サイラスが呟くと、女たちは一瞬沈黙し、顔を見合わせた。それが彼女たちのツボに入ったのか、二人は小声で何かを囁き合いながら楽しそうに笑った。
「……ああ、俺は看守だ。仕事をしていて……『クモ(蜘蛛)』に刺されたんだ……」
サイラスは一瞬言い淀んだ。自分が本当にここで働いていたと言っていいのか分からなかったからだ。ふと自分の足を見ると、襤褸切れの下でさらに悪化した、おぞましい肉の状態が目に飛び込んできた。
「……このクソったれな小っせえクモ野郎が! 一体誰が俺の足を食いやがったんだ!?」
サイラスは激昂し、他に欠損している部分がないか自分の体を調べ始めた。看守たちは不思議そうな顔で彼を見た。通常、「虫」たちは変貌する前の自分の姿も、変貌した後の異常な振る舞いも覚えていないものだからだ。
「……ねえ、起きてる間に、どこかで転んだりしなかった?」
バレリアが真面目な顔で、疑わしげに尋ねた。
「……覚えてねえよ。俺が『淡水船乗り(ど素人)』みたいな無様な真似をしたってのか?」
サイラスが港の訛りで返すと、バレリアの堪えていた笑いが消えた。
「……いえ、そうじゃなくて……。なんて説明すればいいのかしら」
彼女は自分の懸念をどう伝えるべきか迷っていた。
「……私が言ってあげるわ。あんた、虫になる前の自分のことをよく覚えてるみたいだけど……自分が『死んだ』かどうかも覚えてる?」
アンドレアの言葉に、サイラスは凍りついた。彼は自分の手を見つめ、目に涙が溜まっていくのを感じた。逃げ出したかった。しかし、これまでと違い、彼には帰る場所がなかった。あの兄のせいで、すべてが壊れてしまったからだ。
「……いや。刺されて、切り開かれた。次に目が覚めた時は、反乱の中のボロ布だった」
二人の女は、それが何を意味するかを理解した。この男は、ソロモンの末裔、ヘルナンデスなのだ。市役所で起きた事件──各カマリヤ(派閥)が重要な目的のために市長襲撃を計画していた「カマリヤの蜂起」の最中、兄アザイが兄弟たちを裏切り、小規模派閥の最後の一人を始末して頂点に立とうとしたあの惨劇の生き残り。
「……まあ、芝居はやめましょう。進行役に文句を言われる前に、片付けた方がいいわ」
アンドレアが言い、バレリアが続いた。サイラスはまだ、彼らがバラバラの時と集まっている時でどう違うのかを測りかねていた。
「……あんたたちは、離れている時も同じなのか? つまり……一つの意思で動いているのか、それとも別々の人格があるのか?」
サイラスはたどたどしく、手振りで尋ねた。
「……それを聞くと『ホスト(主催者)』の話を思い出すわね。次はそんな馬鹿なことをしないでよ。あんたのせいで、またルールが増えちゃったんだから……」
バレリアが苛立ったように甲高い声で吐き捨てた。
「……どんなルールができたんだ?」
サイラスが尋ねたが、返ってきたのは無知を示すジェスチャーだけだった。
「……知らないわよ。その時、私たちは演技に入る直前だったから。檻と観客の準備をするので手一杯だったの」
アンドレアが言い、鉄格子の向こうを覗き込むために足を止めた。
すると突然、狂気に囚われた背の低い男たちが、笑い声を上げながら飛び出してきた。
「……癩病女! ぶよぶよの肉塊! 去勢野郎! 枯れた喉!」
彼らは鉄格子を揺らしながら、看守たちを傷つけるための韻を踏んだ野次を叫び続けた。
「……何だあいつらは? 『イワシ(雑魚)』か……」
サイラスが零すと、バレリアとアンドレアは、先ほどまでの緊張が嘘のように晴れやかな笑い声を上げた。対照的に、男たちは一瞬で冗談を捨て去り、サイラスに対してより暴力的な敵意を向け始めた。
「……行きましょう。新しい友達ができたみたいね、道化師さん」
アンドレアが促したが、その時、鉄格子を叩く鋭い音が響き、全員が沈黙した。
「……早くして。この感じ、嫌いだわ……『カブトムシ(甲虫)』の喧嘩かしら?」
バレリアが疑念を口にすると、「ノミ」たちは恐怖に駆られて逃げ出した。
「……分からないけど、あのクソ共が自分たちの危険も顧みずに見物してるってことは……。まさか……『判事』……。いえ、まさかね……」
アンドレアは言葉を飲み込み、足を速めた。サイラスには何が起きているのか理解できなかったが、正体を確かめるためにその場に残るほど愚かではなかった。
彼らがたどり着いた部屋には、フェルナンデス邸で見覚えのある、破れた壁紙と傷んだ家具が並んでいた。
「……ここを知ってるぜ……。金持ち共の腐ったお香の匂いだ……」
サイラスがその場所を見渡した瞬間、背後から湿った粘着質のもので殴られた。
「……黙れ、馬鹿! 扉が閉まったばかりで、『イナゴ(蝗)』を避けるので精一杯だったんだから! それに、なんでこの虫がまだここにいるのよ!?」
ゾーイという名の女が、仲間たちに向かって唸った。アンドレアが彼女と話し始める。
「……あの『メカジキ(ツンケンした奴)』の頭はどうなってんだ?」
サイラスは鼻を鳴らし、額を伝う液体の臭いを嗅いだ。
「……気にしないで、ゾーイはああいう性格だけど根はいい子よ。それより、仲間からシフトの組み方や異常事態のプロトコルについて説明は受けた? 暗闇で普段とは違うことが起きた時に私たちがやってる、ありふれた手続きなんだけど。……というか、あんたが制服を着ていないのはおかしいわね。脱がされたの? それとも最初から着ていないの? それは規則違反よ。『ホスト』は常に適切な服装をしろって言ってるわ。自分たちが虫とは違うってことを忘れないため、それに行方不明になった時に死体を見分けるためにもね……」
バレリアの終わりのない独白が止まった。彼女は、サイラスが何一つ説明を受けていないような顔をしていることに気づいた。おそらく、誰か──十中八九ルーファス──に殴り倒されたのだろう。
「……ちょっと、ぼうっとしてたんだが……」
サイラスは言葉を濁し、考え込んだ。
「……入り口で綺麗な『ダニ(壁ダニ)』に会ってな。後ろ姿は見ちゃいけないはずだったんだが、つい見てしまったんだ。そうしたら、あいつに触れられて……」
サイラスが、自分の顔をなぞった柔らかい舌の感覚を思い出して顔に触れると、バレリアの表情が驚愕と恐怖に染まった。
「……何か問題か?」
困惑するサイラスに、上から男の声が響いた。
「……正直に言ってやる。大問題だ、この間抜け。お前は即死しているか、さもなくばダニの麻痺毒で後から死ぬはずだったんだ。それも、よりによって『メス』のダニだったんだろ」
「……馬鹿げてるわ。私たちでさえ、それがあるからメスは避けてるのに。第一、ここにはダニなんていないはずよ。反吐が出るわ!」
別の声が続き、天井から四肢の長い、しなやかな影が舞い降りてきた。踊るような動きをするそれは、「クモ(蜘蛛)」だった。
「……よう、クモの連中。糸が伸び切ってるんじゃないの? これ以上聞き耳を立てるんじゃないわよ、この変態共」
バレリアが唸ると、さらに数体の「クモ」が降りてきた。彼らの体は異常な角度に曲がり、複数の肢を持っていた。
「……こいつが新入りか? 妙だな……」
赤い目をした痩せ細ったクモが言い、サイラスの顔に骨を投げつけた。男たちの誰一人として笑わなかったが、どこからか「小バエ」の不気味な笑い声だけが響いた。
「……カレウチェに連れてかれちまえ! 何の真似だ……!?」
サイラスは憎しみを込めて骨を投げた主を睨みつけた。
「……これで多くの可能性が消えたな。こいつはただの道化師じゃない」
クモは失望したように不平を漏らした。
「……見世物小屋の連中に預けろ。あいつらなら、こいつの使い道をマシに見極めるだろうよ」
別のクモが言い、再び暗い高みへと登っていった。
「……無視しなさい、欲求不満の変態共なんだから。どうせ『ノミ』と喧嘩でもしに行くんでしょ」
バレリアはクモたちが去っていくのを見送りながら、イナゴとハエの争いについて毒づき、歩き出した。
「……楽屋へ連れて行くわ。その後に、大事な話をしましょう……」
その時、背後から耳を劈くような、残虐な悲鳴が響き渡った。それは、絶望と凄まじい苦痛に満ちた叫びだった。
「……今の声は『イナゴ』ね……急ぎましょう。あのお腹を空かせた哀れな連中が、痛みに声を上げるなんてことは、普通はあり得ないんだから……」
バレリアは鼻を鳴らした。彼女は気づいていなかったが、サイラスは彼女の表情を凝視していた。薄暗い明かりの中でもはっきりと分かった。彼女の顔は、闇の中に潜む「何か」への純粋な恐怖で歪んでいた。
サイラスは死の淵を歩き、自らの血筋という重荷を背負ってサーカスの深淵を彷徨う。
「ダニ」の口づけを生き延びた彼を待つのは、救済か、それともさらなる解体か。
悲鳴を上げた「イナゴ」を捕食した「何か」が、ゆっくりと彼らの背後に迫っていた。




