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第4話 モンスター

 体を撫でられているような感覚がして、俺は目を開けた。

 はずなのに……何も見えない。暗いのだろうか。

 でも、やはり体の上で何かがうごめいている。

 手? 手か何かでさすられている? 柔らかい手。

 気味が悪い。

 それが何か確かめようと自分の手をそれの方へと移動させようとした――が動かない。手首が何かで拘束されているらしい。


 背中が硬い地面にくっついているあたり、俺は仰向け状態なようだ。


「起きたのね」

 女性の声が聞こえる。……俺は助かったのか? いや、でもなにこの状況。

「え、あの……ちょっと今パニックなんですけど」

 頬を撫でられる。その対象は、次第に下にいって、首筋に――

「――あっ、ちょっと、くすぐったいのでやめてください」

 不意打ちに声が漏れる。頭が真っ白になった。

「かわいい声出すね。あいかわらず」


 あいかわらず?

 どこかで聞いたことがあるような気がする声だった。合ったことがある人なのか?


 俺の思考を邪魔するように、そっと耳を触れられる。

 なんだか愛撫されてるみたいだ。全身で鳥肌が芽吹いた。


 足は拘束されてないようだった。両足は自由に動かせるなら……とりあえず逃げるか?

 しかし、流石に暗闇だと蹴って逃げるのも難しいように思える。

 それに、今の状況が一切合切意味が分からない。一応、確認しておくべきだと思った。


「とりあえず、一旦明かりをつけましょう。話しにくいですし」

「敬語なんて使わなくていいのに。常葉くん」

 俺の言葉完全に無視……え。


「ちょ、待った」

 俺の前世の名前を知っている? なぜ? というか誰?

「まだ気付いてないの?」

「……もしかして、茜?」


 そう考えた理由は、あるにはあった。前世の記憶にある少女の声に似ているような気がしたのだ。

 だけど、確証なんてない。

 記憶といっても、あくまで自分が生きてきた15年……いや、こちらで物心がついてからの10年くらいの記憶がのしかかっているせいで、前世の記憶はある程度薄らいでいる。

「うん」

「……そっか」


 びっくりした。けれど、なんだか拍子抜けしている。現実味がないというのだろうか。

 いや、現実味とも違うか。

 簡単に言えば、俺と前世の俺が別人という意識が根底にあるのだ。

 前世の知り合いと会ったからといって、驚きはあれど感動はない。

 それに、突発的に前世の自分の意識が上がってくることはあるが、それはあくまで突発的なものにすぎない。

 


「明かり、あるなら付けない? 久しぶりに顔見たいし」

 でも、俺はそういう部分を隠して会話を交わすことにした。その方が、彼女に正しい立ち振る舞いのように思えた。

「……わたしの容姿を見て、嫌いにならないって誓ってくれる?」

 嫌いになる? ……どういうことなのだろうか。

 俺は顔形が前世のものとは一切変わっていない。でも、もしかすると彼女は顔が前世と変わっているのか?


「誓うよ」

 なんにせよ、自分が彼女のことを嫌いになるとは思えなかった。俺はできるだけ、真摯な声色で答えた。


 そう答えると、するっと、手首を拘束していた何かが外れた。

 少し強く締められていたせいで、軽いあざができるかもしれない。まあ、すぐに直るけど。


 音もなく、茜の気配は消えていった。

 しばらくして、暗闇に仄かに赤みが映った。


 ここは小部屋のような場所らしい。部屋の手前で通路が折れ曲がっているのだろう。

 赤みがかった光は小部屋の右手から差し込んでるようだった。

 次第にその明かりは近づいてくるのか、強くなっていった。

 やがて、黒色のオイルランプが見えてきた。


 そのランプを持っているのは……大きな蛇? まだ生きてたのか!

 赤い尾が見えたときに、俺は立ち上がってしまった。


 俺はそいつの全体像を見た瞬間――自分の認識が誤ってることに気付いた。

「あ……」

 上半身は――女性らしい丸みを帯びた、人間のものだ。

 長くてさらっとした髪に、すらりと細い顔立ち。その顔立ちは、間違いなく記憶に刻まれている。

 顔は――紛れもなく茜だった。しかし、へそより下は太い蛇の尾のようになっている。


 『嫌いにならないでね』というのは、こういうことだったのか。


 驚いている俺の顔を見て、少し茜は目を伏せた。

「ひ、久しぶり」

 と、手を上げて返事をしてみたが……言ってから、明らかに素っ頓狂に感じた。

 昔から、想定外のことには弱い人間なのだ。


「……これは間違ってるよな。うーん。言葉って難しい。……でも、その体だけで、嫌いになったりはしないよ。俺は」

「言葉では、どうとでも言えるでしょ」


 茜は視線を合わせない。俺の言葉がたどたどしいのが問題なんだろう。でも、かっこつけたような言葉を言ったら、それはそれで胡散臭いじゃないか。


「あー、うん。まあ、そうだよね。でもさ――」

 少し逡巡する。言っていいのか、これを。


「――俺は魅力的だと思うよ。その姿も」

 確かに、体躯は人間のそれとはかけ離れている。

 けれど、その尾は艶やかで、鮮やかな赤色のうろこと相まって情熱的な輝きを見せていた。

 彼女の少し大人っぽい容姿と合わさって、紛れもない美しさを放っている。


 しかし、胸を隠しているのが面積の狭い布だけしかなく、目のやり場に困るところがあえて言えば難点だろうか。

 もう少し、肌を隠せる服を着るべきだ。へそとか脇の辺りとか、むき出しなのは良くないと思います。


 彼女はするすると、蛇行しながらにこちらへと移動してくる。そして俺の目と鼻の先で止まった。

 にらみつけるようにして、こちらを見てくる。近い。近すぎる。息とか、かかってる。

 顔から熱が噴出しそうだった。たぶん、傍から見ると顔が真っ赤だろう。


 しゅるしゅるっと、茜の尻尾が俺の周りを囲む。

 そして、弾けたように。


「常葉くん愛してるっ!」

 ぎゅっと俺を締め付けた。なんとかして体を動かして逃げようとするも、拘束が強くてどうしようもない。

 ――息が吸えない。

 また、視界が白に包まれていく。

 俺はそこで意識を失った。


 茜は臆病で、それでいて大胆で、たまに暴走する少女だった。

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