最終話:そして、取材は終わる。
長い独白を終えた真田の右頬を、透明な滴が一つ、重力に引かれていった。観月はそこからさりげなく視線をずらす。
「美菜さんは、治療を受けたりはしないんですか。」
それに答える真田の声は深い諦めを現すように、静かで低い。
「治療して、回復させて、どうするんですか。もう一度、美菜に息子を撃たせるんですか。」
真田は一旦言葉を切り、それから再び口を開いた。
「以前、精神科医にかかりながら治療を受けていたこともあります。会話の中から、少しずつ光の事件に立ち入って行って、美菜の記憶を揺さぶっているようだった。」
「それで、どうなりました?」
「最初は順調に見えましたが、ある程度治療が進行した時、おそらく美菜の中で結論に到達したんでしょう。突然、半狂乱になった。発作的に自傷に走り、意識を失った。目覚めた時は元通りです。」
「以来、俺は美菜の夢を覚まさせないことに力を尽くしています。」
「幼稚園バスの送迎もその一環という訳ですか。」
真田は肯いた。無理やりに口角を上げているのは自嘲の笑みのつもりだろうか。
「幼稚園には無理やり頼み込みました。本来のルートの前と後、他の園児の目がない状況で毎日ぬいぐるみのやり取りを行ってくれるように。園長先生が良い人で、行事ごとにも招待してくれます。お遊戯会なんか、舞台の隅にぬいぐるみを置いてね。それを見て美菜が声援を送るんですよ。」
その風景に込められる感情が何なのか。観月には読み取ることが出来なかった。もしかすれば、未だに名前のない物なのかもしれない。
どうやら、真田はすべてに答えてくれるようとしている。観月は後ろめたさを抱えながらも、さらに質問を重ねた。
「どうして、ネット上の記事を削除しないんですか。」
少々、流れから外れた質問かと思ったが、真田はそうは思わなかったらしい。
「それも、同じ理由です。」
意外な答えに、観月は先を促した。
「精神科医の仮説ですが、美菜自身の抱える記憶と報道などの情報の食い違いが、彼女の状態の一因となっているらしいんです。
つまり、否定したい『自分が光を撃った』記憶があり、それと異なる『夫が光を撃った』という報道がされていて、世間一般でもそうなっている。
それをもとに彼女の精神は記憶を否定する。『私は光を撃っていない』と。
『撃っていない』んだから、当然結論も変わります。『光は撃たれていない』つまり、生きていることになる。」
自分が語った理屈が、観月にしみ込むのを待つように、真田はそこで間をとった。
「奇妙なことですが、事件の報道記事を目にしても美菜はそれを自分のこととは感じないようです。同姓同名に驚くだけで。
彼女の中では光は撃たれてなんかいないんですから当然でしょうか。
むしろ、自分が撃っていないという事実が補強されて、容体が安定するくらいです。」
「だから、ネット上の記事を削除はしない。」
肯く真田の姿は、どこか小さく見えた。
「流石に美菜に自分から見せることはしませんが、世間的には撃ったのが間違いなく俺でなければならないんです。そのためにも公開されていた方が都合がいい。
もっとも、最初に俺が嘘をついたりしなければ、美菜と二人、事件を乗り越える道があったかもしれない。反対に、美菜は耐えきれずに本当に自殺することになっていたかもしれない。どちらにしても、意味のない仮定です。」
意味がないと断じつつ、そんな『もしも』を考えずにはいられない。そんな心が透けていた。
沈黙が、再び室内に降ってくる。それを質問の終了と受け取ったのか、真田が今度は自分から口を開いた。
「ほんの数か月の付き合いですが、観月さんが『報道の自由』や『ジャーナリズム』を盾に傍若無人にふるまうタイプの人間でないことは分かっているつもりです。
ですから、あえて身の上話をしました。ただ他言無用をお願いするよりも、すべてを語った方が納得していただけると考えたからです。」
他言無用。それは、観月にとって予想の範疇の内容だった。もとより、記事に起こすつもりはない。
真田に向かって頭を下げる。
「分かりました。伺ったお話は決して他言いたしません。どうも、ありがとうございました。」
観月が顔を上げると、真田と正面から目があった。同時にあと一つ、聞いていないことがあるのを思い出す。他の職員たちにも聞いた。例え記事にできないとしても、これだけは聞いておかなければならない。
真田の了承を得て、それを口にする。
「真田さんは何故、対策庁で働くんですか。」
真田は長いこと考えこんでいたが、やがて観念したように口を開いた。
「分かりません。初めて、考えるわけでもないんですが。どうしても、分からない。」
ごまかしているのではない。本気の答えに聞こえた。
「自衛隊と警察の特殊部隊を軸に対策庁が発足するとき、考えるより先に志願していました。
事情を知る人たちには『罪の意識』とか『光を撃てなかったことに対する代償行為』とか色々言われました。それが的外れとも思わないけれど、正解とは思えない。結局、今も分からないままです。」
言葉にするには、その心は混沌としすぎているのだろうか。声にも表情にも色はなかった。
観月は再度礼を言い、事務室を辞した。扉を閉めるとき、真田は書類のファイルを開いていたが、その視線はどこか遠くを眺めているようでもあった。
取材は、残すところあと一日になっていた。
やがてやってきた、観月の取材最終日は幸いにして何事もなく過ぎていたが、1つだけ普段と違うことが起こった。
夕飯時になると沢村と吉村の二人が調理場に立って支度を始めたのだ。
聞けば天ぷらを揚げて、うどんを茹でるという。なんでも対策庁の処理班では、特別の場合に天ぷらうどんを食べる伝統があるらしい。
慣れているのか、二人の手際は中々に見事で危なげがなかった。出来上がった天ぷらも玄人はだしのものだ。
一つ特徴的だったのは天ぷらの薬味がすりおろしたニンニクだったこと。いかにも元気が出そうだが、強烈に匂う。それでも、カラリと揚がった天ぷらとあっさりしたうどんには濃厚なニンニクの風味が不思議とマッチした。
食べながら、吉村は大げさに別れを惜しみ、沢村は語りおさめとばかりに対策庁に関する薀蓄を披露してくれた。
斉藤をはじめとして、他の職員も率直に別れを惜しんでくれ、ささやかな送別会は温かな雰囲気で過ぎていった。
翌日、朝。観月は第2班への引継ぎを終えた第1班の面々と橋倉支所の前に立っていた。
「どうも、お世話になりました。絶対に良い記事に仕上げますので、楽しみにしていてください。」
そう言って観月が頭を下げる。流石に感慨深いものがある。
「また、遊びに来てくださいよ。観月さんならいつでも大歓迎です。」
そう言って、吉村が笑顔を浮かべる。陽気な彼の性格には力を貰うことも多かった。
「何か、不明なことがあったらいつでも問い合わせてくださいね。できる限り力になりますから。」
頼もしいことを言ってくれたのは沢村だ。実際、取材中も助けてもらいっぱなしだった。
「記事の成功を祈っています。頑張ってください。」
そう言ってくれたのは所長の渡、存在感は薄かったが取材の便宜を色々と図ってくれたことには感謝しかない。
「あんまり手伝えなくて悪かったなぁ。記事、楽しみにしてるよ。」
こういう場が不慣れなのか。頭をかきながら、言ったのは西野だ。ひょっとしたら少し照れているのかもしれない。
「私も、記事が楽しみです。成功を祈っています。」
これは斉藤だ。最初は驚いた覆面も見慣れた今となっては、どことなく親しみを感じる。
「長い間、お疲れ様でした。」
最後は班長の真田が締めた。
同時に、差し出された右手。観月は少々驚きつつもそれを握った。固い掌。真田の口角が上がる。既に癖になっているのだろう。眉間にしわの寄った不格好な笑顔だった。
「良い記事を書いてください。」
「はい、本当にありがとうございました。」
油断すると涙が出そうで、観月は必死に我慢した。
取材の始まったときは寒風吹きすさぶ冬だったが、今は桜の蕾もほころんでいる。まさに、別れの春だった。
こうして、観月文香による児童超常変異現象対策庁橋倉支所の取材は静かに幕を閉じた。




