第20話:真田の答え
美菜からの電話がすべての始まりだった。
普段、勤務中の電話はしないようにと約束してあって、事実それまで一度もなかった。
光を出産するときでさえ、電話してこなかった妻だ。
出る前から、ただ事でないことは分かっていた。
覚悟を決めて出てみれば、電話口の美菜はひどく動揺していた。しゃべる言葉は早口で、要領を得なかったが、それでも光の身に何かが起きたことは間違いなかった。俺は消防署に通報するように指示を出して、自転車にまたがった。
その時点でCAMPでは、という疑いは感じていた。既に最初の発生から4か月近くが経過して、警察官である俺も対応のための訓練を課せられていたからだ。
俺は現場に一番乗りだった。
自転車を降りて、拳銃を抜いた。安全装置を外したかどうかは覚えてないが、その後のことを考えるに、きっと外したんだろう。
当時、俺たちはメゾネットタイプのマンションに住んでいて、子供の部屋は1階だった。きっとそこにいるだろうと目星をつけて玄関のドアノブに手を伸ばした。
玄関は、カギがかかってなかった。普段は必ず鍵をかけていたのに。
ただそれだけのことで、ひどく不吉な気持ちになったのを覚えているよ。
意を決して家の中に入り、土足で上がり込む。予想通り、光と美菜は一階にいた。
美菜はすぐに俺に気が付いた。安堵の表情が一瞬、その後は俺の手に握られた拳銃に驚いていた。
一方、俺も安堵していた。
一見して、光の体のどこにも変異しているような形跡が見られなかったからだ。研修で見せられたスライドのような、棘やら触手やらはどこにもなかった。
ただ、ひどく具合が悪そうに、目をぎゅっとつぶって震えていた。
ああ、よかった。CAMPじゃない。このまま、救急車を待とう。そう思って、銃をしまおうとした時だ。
光が不意に目をカッと、見開いた。
震えたよ。白目と黒目が逆だったんだ。闇夜に浮かぶ満月のようだった。瞬間、CAMPだと確信した。撃つべきだと理解した。それでも、俺は拳銃を向けられなかった。
俺がためらった隙に、光は襲い掛かってきた。4歳とは思えないほどの馬力で体当たりを受け、俺と光はもつれるようにして転がった。
おそらく光は脳から変異が進行するタイプだったんだろう。変異が表に出にくく、判断が難しい。親が対策庁からかばって、結果として大事になることも多い。
光ともみ合いながら、俺は無我夢中だった。体重こそ勝っていたから、何とかしのげていたが、敏捷さと腕力は既に相手の方が上だったから必死だ。しかも、その短い間にも変異は進んでいた。どんどん、相手の体が大きくなっているんだよ。超能力を使い始めるのも、すぐだったろう。
何より、俺は光を助けたかったが、相手はこちらを殺そうとしてくる。勝負になるはずがない。
結局、俺は万力のような怪力で壁際に磔にされた。両手の動きを封じられ、とどめを待つばかり。実際、やり合っていたのは十数秒ってところだろう。その時だ。突然、光の体から雑巾が引き裂かれるような音がした。
見れば、あの子の皮膚がズタズタに破れて、中から不気味な化け物が出てこようとしていた。
身体には、毛とも、棘ともつかない、黒くてヌラヌラとしたものがビッシリと生えていて。口にはいつの間にかサメのような歯が生えていた。しきりに何かかみ砕いているから見てみれば、それまで生えていた光の歯を、まるでクラッカーみたいに齧っているんだ。
俺は絶叫したよ。光が化け物に食われちまったと思った。
銃声が響いたのはその時だった。最初は何が起こったかわからなかったが、光の体がゆっくりと倒れていくのを見て、理解したよ。
観月さんが昨日言った通りだ。光を撃ったのは、俺じゃない。……、美菜だ。
もみ合いのうちに、俺が取り落とした拳銃をいつのまにか拾っていたんだ。
狙っても当たるものでもないし、そもそも暴発に近い状況だったのかも知れない。でも、命中した。
内臓の変異はそれほどに進行しておらず、まだ拳銃程度で有効打が与えられたのは幸運と言っていいんだろう。
俺は頽れそうな体に鞭打って、なんとか美菜のところまで行った。体中が軋んだが、何かに急き立てられてでもいるような気分だった。
美菜は放心していたよ。その眼は何も見ていないようだった。俺はその手から拳銃をもぎ取ると、銃口を光の体に向けた。
はっきりした理由なんてない。ただ、美菜にだけ撃たせたままじゃいけないと思ったのかもしれない。
ただ、俺は撃てなかった。最初に光をCAMPだと判断した時と同じように、体が固まってしまってどうしても引き金を引けなかった。
その直後、警察の特殊部隊が突入してきた。
あの時、俺は何を感じていたんだろうか。撃たずに済んでホッとしていた気もするし、撃てなかったことを悔やんでいたかもしれない。とにかく、事件は終わった。光は死んだ。
俺と美菜は病院に運ばれて、診察と治療を受けた。美菜の定まらない足元と、反対に妙に動かない視線が、心もとなかった。
警察が事情を聴きに来たが、美菜はショックを受けているからと言うと考慮してくれたようだった。一つには、俺が割と要領を得た説明をできたのが良かったんだろう。
不思議と冷静だったんだな。
一つだけ嘘をついた。光を撃ったのが俺だという嘘だ。
美菜を、子供を殺した母親にはしたくなかった。
騒動に気が付いたのは、病院で夜を明かして、自宅に戻った日のことだ。歩道にカメラとマイクを持った人だかりがあって、近所の住人は居間のカーテンの隙間から視線を投げてきた。
シャッターの光、投げかけられる質問、突き刺さる視線。その一つ一つが美菜を損なっていくような気がして、逃げるように家に入った。
家の中は静かだった。電話でもあれば、着信が入っていたかも知れないが。
鑑識が入ったせいか、あちこち家具に乱れがあったが気にする余裕はなかった。
二人で倒れ込むようにソファに腰掛けると、美菜はリモコンをもってテレビを点けた。普段通り、習慣じみた動作だった。
午前のワイドショーはちょうど俺たちの話題を扱っていた。家の見取り図まで使った、事件の詳細。もみ合った後、俺が拳銃を撃ったことになっていた。
画面が切り替わり、保育園の運動会の映像になった。かけっこで走る光の姿。年少組の時のやつで、カーブの途中で美菜を見つけたあの子は、コースを逸れて美菜の方へ行ってしまうんだ。美菜に言われてすぐにコースに戻ったけれど。
しばらく見入ってしまった後、我に返って横を見た。美菜が初めて泣いていた。声もなく。
画面を指す指先は、触らなくても冷たさが伝わってくるようだった。
「わ、わたし、光を。」
伸ばした手が、ちょうど拳銃を握っているように見えて、俺は思わず彼女を抱きしめていた。
「違う。違うんだ。」
何が違うのか。とにかくそんな風に言っていた。
インターフォンが鳴らされたのは、そのすぐ後だ。
何かと思ったら、マイクを持った若い女で、「お話をお聞かせ願えませんか。」ときた。
厚かましくて、ふてぶてしくて、後にも先にも女を殴ってやりたいと思ったのはあの時だけだ。
それから、少しの間をおいてインターフォンは繰り返し鳴らされた。我ながら、よくインターフォンを壊さなかったもんだ。俺たちが何かリアクションすれば儲けものだとでも思っていたんだろう。
不運なことに、インターフォンの電源は直結式だった。プラスドライバーを探し、壁から外したインターフォンの電源コードを外していると、うつむいた目から涙がこぼれ落ちた。
俺は、子供を失った翌朝に、何をやっているんだろうと思われて仕方がなかった。
悲しくて、惨めで、悔しくて、やっぱり悲しかった。
美菜は既に芸能ニュースに切り替わったワイドショーを点けたまま、声も上げられずに泣いている。俺は泣きながらインターフォンを分解していて。門の外には山ほどの野次馬だ。
あれは、地獄ってものの一つの形だろう。
その後、心配してきてくれた美菜の母親が昼飯を作っている時に、上司から呼び出しが入った。予想以上の騒動になったから、改めて状況を確認したいとのことだった。
義母は不安げに顔をしかめて、美菜は心細そうだった。それでも、俺は行くことにした。
何かしていないと、気がおかしくなりそうだったから。
午後から始まった事情聴取は長くなった。別に不審な点があったわけじゃない。
というよりも、どうも上の方では俺が撃ったのではないことは、公然の秘密のようになっていたらしい。
まあ、観月さんでも分かったくらいだ。実際に現場を見てみれば、すぐに俺の証言の矛盾に気が付いただろう。正面から襲われたのに、背後から撃ってるんだから、見る人が見ればすぐに分かる。
時間がかかったのは、現場の状況と俺の証言の食い違いをなくしたいという署の意向を俺が察することができず、しばらく自説に拘ってしまったからだ。
こうなんじゃないのか。という問いに対して、はい、そうです。と、言っていればよかったのにな。いちいち、口答えしていたから長くなってしまった。聞く方も、こう言え、ああ言えと指示するわけにもいかなくて、困っていたことだろう。
なんだかんだ言って、俺も普段の調子じゃなかった。
聴取もそろそろ終わりという頃、顔見知りの若い刑事が部屋に飛び込んできた。ひどく慌てた様子で、俺を探していたらしい。俺を見つけると、まるで叫ぶみたいに言った。
「奥さんが、救急車で運ばれた。自殺を図ったらしい。」
一瞬、意味が分からなかった。代わりに、携帯電話を一昨日の晩から充電をしていなかったことを思い出したりしていた。充電が切れてたから、直接連絡がこなかったのか、と。
そこから先は、よく覚えていない。
気が付けば、遺体もないのに光の葬儀は終わっていた。
美菜は3日後、すべてが終った後に目を覚ましたが、その時にはもう自分の時計を止めてしまっていた。
彼女は、決して弱い人間じゃなかった。でも、それでも耐えられないことはある。
俺が撃っておけばよかったのかもしれない。上司の呼び出しにも応じるべきではなかったんだろう。せめて、そばにいてやるべきだった。
そんな風に考えない日はないが、今さらどうすることもできない。
だから、俺たちは10年間ずっと、夢の中で暮らしてる。
次回、最終回。その後に短いエピローグがあって終了です。




