第19話:観月の問い
美菜はぬいぐるみを抱えたまま、器用に玄関のカギを開けると観月を部屋の中に案内した。
間取りは2LDKか3LDKと言ったところだろうか。玄関からまっすぐ伸びた廊下の先にリビングがあり、ダイニングテーブルの奥にソファ、それにTVが置かれていた。
美菜は慣れた様子でぬいぐるみをテーブル脇の椅子へ腰かけさせると、観月にソファを勧める。
「ちょっと、待っていてね。生ものだけ冷蔵庫に入れちゃうから。観月さんも生ものなんかあるなら入れておくけど?」
「いえ、生ものはありませんから大丈夫です。」
観月の答えに頷くと、美菜はキッチンへと入っていく。商品をしまっているのだろう。
しばらくすると、それが終わったのか。今度はカウンター越しにコーヒーか紅茶か、希望を聞いてきた。
ちなみに美菜のおすすめは紅茶らしい。
「おまたせ~。」
紅茶を淹れ終った美菜がティーポットとカップ、それにお菓子を観月の前のリビングテーブルに並べていく。
観月と美菜には紅茶のカップ。ミルクも用意されている。そして美菜を挟んで観月の反対側にはホットミルクが入ったマグカップ。
「ほら、光。おやつにしましょう。」
そう言って、ぬいぐるみをダイニングテーブルの椅子から抱き上げて、マグカップの前に座らせる。自然で優しい手つき。
「はい、手を合わせて。いただきます。」
ぬいぐるみにそう声を掛けると、美菜は自分も紅茶を手に取った。観月もそれに続く。
美菜は以前、カフェで話した時と同様に楽しそうに喋り、それ以上に楽しそうに観月の話を聞いた。
その合間、合間に、ぬいぐるみの口元をぬぐってやり、ミルクをこぼさないようにと注意し、あるかなきかの菓子の破片を拾ってやる。
実際、何を話して、何を聞いたのか。後になって、観月には思い出すことが出来なかった。
ただ、目の前の状況に圧倒されていた。
真田が帰宅したのは、観月の訪問から1時間ほどしてからだろうか。ジムにでも言っていたのか。スポーツバッグを背負って玄関をくぐった真田は、観月の姿に硬直した。
その顔には、はっきりとした困惑がある。
「お帰りなさい。早かったのね。観月さんとスーパーで偶然会えたから、ご招待しちゃった。」
悪戯を成功させたような美菜のウキウキした台詞。それである程度状況を理解したらしい。真田の表情はすぐによき夫のものに変化した。
「観月さん、いらっしゃい。また、ウチのが強引に引っ張り込んだんでしょう。申し訳ない。」
「いえ、こちらこそ。お邪魔してしまってスイマセン。」
観月とそんなやり取りをしながら、真田はテーブルの端、ぬいぐるみの横の床に腰を下ろした。
「おかえり、光。いいもの食べてるな。おいしいか?」
そんな風に話しかけながら、頭をなでる。
その様子に、真田の登場で一旦落ち着きを見せていた観月の精神が再度混乱し始める。この場の正常がどこにあるのか。真田と美菜の本心がどこにあるのか。まったく掴めないままに、いつしかお茶会は終わっていた。
「気を遣わせてしまって、スイマセンでした。それと、調子を合わせていただいてありがとうございました。」
真田がそう言ったのは、観月を家へと送っていく車内での事だった。観月は助手席に座っている。帰宅の段になって雨が勢いを増したために、車を出してくれたのだ。
「あの、あれは、一体」
聞きたいことはハッキリしているのだが、どのように聞くべきかが分らなかった。雨のしずくとワイパーがフロントガラスを横切っていく。
「美菜は、よき妻であり、よき母です。この10年、ずっと。」
10年、ずっと。それは、厳かな宣言のように真田の口から告げられた。その眼差しはまっすぐに前方を見据えている。
「大体のところは、既にご存知でしょう?」
観月が肯くのを気配で察したのか、それと見ずとも分かるということか。真田は視線を動かさずに続ける。
「彼女の時計は10年前のあの日で止まってしまった。そして、俺はそれをそのまま受け入れることに決めたんです。」
静かな口調に反して、異論を認めない。強い言葉だった。雨が勢いを増したように感じる。
いつの間にか、アパートの近くに着いていた。この辺りだと伝えると、真田が路肩に停車した。
「一つだけ、聞いてもよろしいでしょうか。」
観月はドアを開ける前に、切り出した。真田の顔には、眉間にしわの寄った見慣れた表情が浮かんでいる。相手が何も言わないので、観月はさらに言葉を続ける。
「もし、これから言うことがとても許せないのなら、そう言ってください。二度と顔が見たくないというのなら、もう支所にもいきません。この仕事を打ち切れと言うならそうします。」
しつこい物言いに真田は怪訝な顔だ。ただ、観月は言わずにはいられなかった。なぜなら、今から口にする言葉は真田に致命傷を与え得るものではないかと、そう恐れていたからだ。
真田が無言で先を促す。
観月は意を決して口を開いた。
「――――――――――――――。」
一瞬の静寂の後、真田の示した反応は観月の予想を裏切るものだった。
激高し罵られることもなかった。憎悪の籠った視線で睨みつけられることもなかった。
男は、傷ついているようでもあった。落胆し失望しているようにも見えた。悲しみに沈み込んでもいた。そして、ほんのわずか安堵しているようでもあった。
「そうか、そこまで。」
天を仰ぐようにして、息をつく真田。その姿は長い潜水からようやく大気中へ顔をだし、胸中に酸素を取り入れているようだった。
「明日、対策庁で話しましょう。」
真田はそう言い残して、去って行った。観月は傘にあたる雨音を聞きながら、自分の部屋へ戻った。
真田の言葉通り、二人がデスクを挟んで対峙したのは、次の日の夜のことだった。幸いにして、日中に出動はなく、夕食と入浴を終えた職員たちはそれぞれ仮眠室へと引っ込んでいる。
二人がこうして向かい合うのは、取材の初日、安楽死の是非を巡って衝突して以来のことだった。
観月が腰かけていることが、違いといえば違いと言えた。
自ら観月を呼びつけながら、真田は口を引き結んだままだった。気づまりな沈黙が場に落ちていく。デスクの上では、緑茶が場違いにのどかな湯気を上げている。
「こちらの話をする前に確認しておきたいんですが、どうやってあの結論にたどり着いたんですか。」
やっと、真田が口を開いた。
「細かな材料はいくつかありますが、大きいものは2つです。一つは負傷者が真田さんだけであるということ。もう一つは、変異者の銃創の位置です。変異者は背後から心臓を撃たれていた、と。」
「銃創の、位置。そんな情報をどこで?」
真田の口ぶりは観月の言葉を噛みしめ、吟味するようだった。
「伝手を辿って、当時を知る記者に聞きました。記事には載せなかったが、捜査員から確かに聞いたと言っていました。」
真田は再度沈黙した。何かを諦め、踏ん切りをつけるような沈黙だった。
「あれは、梅雨の時期。珍しく、晴れ間ののぞいた日の事だった。」
そんなセリフを皮切りにして、やや唐突に真田は語り始めた。眉間にはいつも通り深いしわが刻まれていたが、いつもの敬語は鳴りを潜めていた。




