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第18話:真田美奈

 10年前の6月某日。△△市消防本部の通信指令センターに一本の通報が入った。

 通報の主は同市在住の主婦、真田美菜。

 美菜の通報は本人の混乱を如実に表し、状況は不明瞭だった。しかし、その混乱の源が4歳の息子にあることはなんとか察せられた。

 CAMPの初めての発生から4か月。多くの犠牲の上に、社会は既にその対策を理解していた。すなわち、騒動の中に子供がいればCAMPを疑うこと。そして、引き金を引くのをためらわないこと。

 ただちに消防署から救急車が、警察署からは特殊部隊が出動した。


 しかし、この日に限って、それらは不要なものとなった。


 現場である真田家に到着した彼らが見たもの。

 それは、茫然と座り込む母親。拳銃を手に立ち尽くす警官。半ば怪物と化した姿で、血溜まりの中、息絶えている子供。撃ちこまれた弾丸が、既にその命を奪っていた。


 真田鋼一郎が初めて撃った変異者は、当時4歳の息子だった。



 それが観月が過去の記事から読み取った真田の事件の概要だった。しかし、事件とそれにたいする報道はそれだけでは終わらなかった。


 日に数十件のCAMPが発生する中で、ほとんどのケースで大した報道はされない。精々、夕刊の隅に変異者の名前が並ぶだけだ。

 では報道されるケースの条件とは。たとえば、変異者以外の犠牲者が出ること。もしくは、なにかセンセーショナルな付加価値があること。


 真田の事件は後者に該当してしまった。犠牲者という意味では、真田が軽傷を負っただけだったが、愛する一人息子を自らの手で殺めた父親。そのストーリーはお茶の間の需要に合致した。

 警官である真田の勤務の評判。幼稚園での子供の様子。ささいなことが盛んに取りざたされる2日間。そして、3日目に更なるニュース。


 妻・美菜の自殺未遂。家族の目の離れた隙に、風呂場で手首を切っていた。発見が早く大事には至らなかったのが不幸中の幸いと言えた。


 不安定な遺族を無神経に追い込んだとの批判を恐れ、美菜の自殺未遂以降は報道が控えられたのであろう。その後の記事は見つからなかった。


 最初に事件を知ったとき。その内容に慄然とし、それ以上に現在、真田が対策庁にいるという事実に愕然とした。

 このような目に遭って、何故。今も対策庁にいるのか、いられるのか。その心中を思うとなにかと恐怖にも似た、とてつもない感情が湧いてくるような気がする。

 妻に職業を偽っていることも説明が付く。このような目に遭って、夫が対策庁に務めることを喜ぶ妻がいるはずもない。

 美菜の細い手首に巻かれていたベルトの太い時計がいやでも思い出された。いったい、あの下にはどんな思いが隠されているのだろうか。


 そして、真田本人のマスコミ嫌い。これも当然と思われた。美菜の自殺未遂に無関係とはとても言えまい。

 当時はCAMPについて、根拠のない風説が盛んに吹聴されていた。伝染病説や遺伝説。中には虐待を受けた子供が防衛本能から化け物に変わるのだと、そんなバカバカしい説まで真面目に議論されていた。

 そんな中で大々的に変異者の親と報道された真田夫妻がどのような目に遭ったか。それこそ、子供を目の前で失い不安定な母親が自殺へと追いやられても、不思議ではないはずだ。


 それは確かにマスコミの罪であり、そして観月もその末席に名を連ねる人間だった。『報道の自由』とは、一体どこまでの犠牲を許容するモノなのだろうか。

 そんな重い感傷があるいは観月をして、この事件を掘り下げさせたのかもしれない。

 時間を見つけて古い記録を漁り、当時を知る知り合いに話を聞いてみたりもした。何故そこまでこだわるのか。自分でも明確な答えは出せないまま。ただ調査を続けていた。


 その中で、次第に疑問が生じてきた。疑問、という表現が適切でないならば、あるいは違和感と言おうか。

 そもそも、インターネットで簡単に過去の記事を閲覧できたことがおかしいのだ。

 CAMP事件の報道において、変異者と被害者の本人もしくは親族が申し立てれば、インターネット上の記事は削除される。事実、第一班のオペレーター・斉藤春夫の事件については、すでに削除されていた。もし、インターネット上でその情報を得ようとすれば、苦労することになるだろう。

 違法を承知で掲載しているサイトもなくはないが、真田の事件の記事は大手新聞社のデータベースから普通に閲覧できた。

 つまりは、真田も妻の美菜も記事の削除を申し立てず。公開されるに任せているということだ。それは、痛ましい事件の関係者として珍しいことだった。


 気にしだし、考え始めるとなかなか止まらなかった。しかし、観月の迷いとは関係なく、調査を進める中で疑問は次第にひとつに集約され、仮説が生み出されていく。

 それを抱えて観月はさらに悩んだ。それは既に10年前の過去だった。今さら掘り起こしたところで誰の利益にもならないかもしれない。


 そんな葛藤を抱えた観月が真田美菜と二度目の邂逅を果たしたのは、一度目と同じくスーパーでのこと。シトシトと、冷たい雨の降る午後だった。

 買い物を終え、サッカー台(荷造り用カウンター)で商品をエコバッグに詰めていた時、後ろから声を掛けられた。

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには人懐っこい笑顔を浮かべた美菜が立っていた。今日も左手には大きな腕時計がはめられている。

「こんにちは。こんなところで奇遇ね。」

 観月も挨拶を返し、他の客の邪魔にならないように店の外へ移動する。傘を差しながらこの前ご馳走になったコーヒーのお礼を言うと、美菜は大げさに恐縮して見せた。


 家への招待を受けたのは世間話の中で、観月の取材がもうすぐ終わると伝えた後のことだった。

 折角、知り合いになれたのに。と、残念がる美菜の誘いに観月は乗らせてもらうことにした。

「それじゃあ、どうしましょうか。一度、荷物を置いてきていただいた方がいいかしら。それとも、直接の方がいい?」

 聞けば観月のマンスリーマンションと、美菜の家は方向が若干異なった。一度、帰った場合少しばかり遠回りになる。傷みやすいものは買っていないし、暑い季節でもない。雨の中歩き回るのも億劫だった。

 結局、観月はそのまま同行させてもらうことにした。


 真田家はスーパーからほど近い合同官舎だった。いくつかの省庁の職員が居住しているのであろうマンション型の集合住宅で、家族向けらしい。それなりに余裕のある間取りであることが外からも推測できた。

 美菜は官舎手前数十メートルの駐車場で足を止めた。柵には『橋倉合同官舎第二駐車場』の文字。どうやら官舎居住者用の駐車場の様だ。

「ごめんなさい。ちょうど、幼稚園の帰りの時間なの。すぐ来ると思うから、少しだけ待たせてもらっていいかしら。」

 観月は了承した。そう言えば、この前の時も子供の話は出ていた。今、幼稚園ということは事件から何年か経った頃の子供ということになる。

 一度、子供が変異を起こした親は、そのほとんどが再び子供を持つことをしない。心に残った傷跡がそれを許しはしないのだ。離婚などで家庭自体が崩壊するケースも多いと聞く。

 真田と美菜の二人はそれをどのように乗り越えたのだろうか。


 幼稚園のバスを待ちながら、観月は不意に奇妙な不自然さを感じた。それが何かわからずに、やみくもに左右を見渡す。美菜が不思議そうな表情をした。

 あ、と声をあげそうになった。不自然さの理由が判明した。同時に幼稚園バスが近くの角から姿を現す。

 それを見た観月の背中を、冷や汗がゆっくりと駆け下りていく。

 幼稚園バスの待合場所であれば、当然いるべき者がおらず。同様にバスに乗っているべきものがいない。


 そう、ここには子供の帰りを出迎える他の母親の姿がない。そして、近づいてきたバスの中には子供の姿がなかった。あるのはただ運転手と引率の保育士の姿だった。

 それが意味する事実を正確には測れないまま、観月はただ緊張してそこに立っていた。ただならぬ予感だけがあった。


 園児の姿が車内にないにもかかわらず、バスはゆっくりと美菜の前に停車した。ドアが開き、保育士の女性が下りてくる。

 女性は一瞬、呆けたように立っている観月に視線を送ったが、すぐに美菜へと視線を向けた。その両手には全長70センチほどだろうか、大きなぬいぐるみが抱かれている。誰もが知っている、食品をモチーフにしたキャラクターだ。

「真田さん、お待たせしました。スイマセン。光君、眠くなっちゃったみたいで。」

 保育士の声はあくまで朗らか。対する美菜の声もどこまでも自然だ。

「こちらこそスイマセン。こら、光。起きて、自分で歩いてちょうだい。」

 美菜がぬいぐるみを軽く揺さぶる。当然、起きることはない。

「もう、しょうがない子ね。」

 そうこぼしながら、美菜は保育士からリュックサックを受け取った。恐らく幼稚園からの連絡帳などが入っているのだろう。

 保育士は二言、三言、連絡事項を伝えると再びバスに乗り込んで、走り去って行った。後にはぬいぐるみを抱いた美菜と、混乱した観月が残された。

 美菜が観月に向き直った。

「観月さん、こんな状態でごめんなさい。息子の光よ。4歳で今、年中組なの。」


 真田(ひかる)。それは10年前、真田鋼一郎が自らの手で射殺した一人息子の名前だった。

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