第17話:大丈夫
私服に着替え、支所を後にする。
吉村は日の光に一瞬、目を細めたがすぐに歩き出した。観月は黙ってそれに続いた。
小春日和と言ってもいい、好天気だった。
しばらく歩いた後で、吉村が後ろを振り向いて言った。
「観月さん、誓って心配かけるようなことはしないから、一人にしてくれって言ったらどうします?」
観月は少し考えてから、それに答えた。
「吉村さんが、本当にそうして欲しいならしょうがないですね。そもそも、付きまとう資格はありませんから。ただ、沢村さんに言われていますし、私の仕事としても出来ればご一緒して話を聞かせていただきたいところです。」
吉村は肩をすくめた。口角をなんとか持ち上げた表情は、無理に冗談めかしているようだ。
「そっか。それじゃあ、しょうがない。オンナのコのお店に行くのは諦めます。」
「お店って、まだ昼前ですよ。」
「知らないんですか。今はそんなお店もモーニングサービスがあるんですよ。」
本当ですか。そう尋ねる観月の声に応えることはせず、吉村は再び歩き出した。足取りはしっかりしているが、後ろ姿はどことなく頼りない。
昼前の住宅街は人通りも少なく。ひたすらにのどかな空気の中にあった。
「俺ね。初めての出動の時、現場で吐いたんですよ。」
不意に吉村が語りだした。独白ではないが、強いて返答を求めているわけでもない淡白な口調。
「勤務終了間際の早朝出動で、事後処理の時に我慢できなくなって。班長にムチャクチャ怒られました。ご家族に見られなかったのが不幸中の幸いってヤツですね。」
二人を原付が追い抜いていく。その騒音に遮られて、吉村は一旦口を閉じた。
「怖かった。すごく。」
再び訪れた静寂の中で、ぽつりと零れた言葉。それが指しているのは、初出動か、それとも今日の出動か。吉村はうつむきがちに歩いている。
前方に小さな公園がみつけ、二人は日あたりのよいベンチに腰掛けた。
「どこに行こうとしているんですか。」
観月はそう聞いてみた。現在地は既に、本来の帰り道から大きく離れていた。
「さあ、分かんないです。どこか行っちまいたいだけかも。」
そのまま黙って座っていると。吉村の足元にゴムで出来たボールが転がってきた。顔をあげると砂場の方から、幼稚園入園前だろうか、子供が一人歩いて来ようとしていた。後ろには母親らしき女性も見える。
吉村はボールを拾うと、ちょうどその子の目の高さに差し出した。投げ返せばはやいが、まだ受け取れる年齢ではないと判断したのだろう。
子供はおぼつかない足取りで近づいてきた。あどけない両手がボールに、吉村の手に伸ばされる。
「っ!」
吉村は咄嗟にボールを放し、手を引っ込めていた。子供の怪訝な表情。観月はさりげない動作でボールを拾い上げると、改めてその子に渡してやる。
母親に、「お礼を言った?」と聞かれたその子は、舌足らずな口調で「ありがとう」と言うと砂場の方へ戻って行った。
吉村は立ち上がると、公園の隅にある水飲み場へと向かった。水を出し、手を洗う。出しっぱなしを防ぐためだろう。一定時間で止まってしまう水を何度も出しなおす。
何かに脅かされているような、余裕のなさ。
しばらくの後、そんな自分を見つめる観月の視線に気が付いたのか。諦めたような顔をして、ベンチに戻ってきた。
言い訳するように口を開く。
「いままで、班長や沢村さんの手を汚いと思ったことはなかった。でも、今、自分の手がひどく汚れている気がするんです。」
何と声を掛けていいかわからず、結局観月は沈黙する。
吉村は自らの膝に肘を置き、手を顔の前で組み合わせた。うつむいて目を閉じたその姿勢は一心に祈りを捧げているようにも見える。
「『もみの木』、結構、運営が厳しいみたいなんですよ。補助金も寄付もあんまりなくって。」
唐突に吉村は語り始めた。閉じられていた目が、今は見るともなく地面に向けられている。
「チビたち全員、高校には行かせてやりたい。伸泰と優花は成績良いから、できれば大学も行ってほしい。未来はコックさんになりたいって言ってたから、調理師の専門学校か。
給料は悪くないし、3日のうち2日は家の事を手伝ってやれる。」
ゆっくりと、数えるように。自分がここで耐える意味を必死に確認している。
「大丈夫。俺は、大丈夫だ。」
自分に言い聞かせるような言葉。それを口にする吉村は、柔らかな日差しの中でひどく固く脆いものに見えた
それから、吉村はあてもなく街を彷徨った。といっても、大したことはない。コンビニで雑誌を立ち読みし、店のベンチで100円のコーヒーをすする。電器店ではマッサージチェアを試してみた。
「昔っから、金のかからないトコばっかり行ってたんで。もう、習性ですね。」
弁解する口調で、吉村は観月に言った。
そんな子供の家出のような彷徨が終わったのは、既に日の暮れた午後7時の事だった。
立ち寄った図書館の、閉館のアナウンスが合図になった。吉村は大きく息を吐くと、顔を上げた。観月に向かって口を開く。
「帰りましょうか。」
あちらこちらへ、かなりの距離を歩いた思ったが、最短距離を進めば意外なほど『もみの木』は近くにあった。どうやら、フラフラと周囲をうろついていただけらしい。
日没とともに冷たさを増した風が二人を追い立てるが、それでも吉村の足は重かった。その足が家の前で、一旦止まる。
何とか普段通りの自分を出そうとしているのだろう。数秒の逡巡の後、吉村は門をくぐり、玄関の扉を開けた。
その直後、甲高い声が響いた。
「あ、シンスケにいちゃん、帰ってきたー!!」
声を上げたのは、小学1年の剛だ。大声で吉村の帰宅を家中に知らせると、間髪入れずに吉村に突進。勢いそのままに抱き着いた。
「おかえりー!!」
「グフッ」
子供とは言え、加速のついた体当たりに思わず吉村の口から低い音が出た。
剛の勢いにつられるように、他の子供たちも玄関へやってくる。
「どうした。今日は全員でお出迎えか?」
尋ねる吉村の陽気な口調。その中に怯んだようなぎこちなさを感じてしまうのは、観月の考えすぎ、あるいは気のせいなのだろうか。
しかし、事実として彼の両手は剛の頭をなでることもなく、虚空をさまよっていた。街をうろうろと歩き回っていた、先ほどまでの吉村自身のように。
その手が不意に掴まれた。
「どうした、って。全然帰ってこないから、心配してたんだよ。」
そう言って、口を尖らせたのは右手を握った優花だ。
「今日は、カレーだって。」
そんな報告をして、吉村の顔を覗き込んだのは未来。こちらは左手を握っている。
3年生の二人は台所へ吉村を引っ張って行こうとしているらしい。
いつも以上に甘えてくるのは、子供ながらに何かを察しているからだろうか。
吉村は子供たちの手の温かさに竦むような気持だった。自分の手に残った臭気が知らず、相手にも伝染してしまうのではないかと。そんな恐れを抱きながらも二人の手を、まとわりつく剛を引きはがすことが出来なかった。
その時、加奈子が台所から顔を出した。
「何やってんの。早く席につきなさい。ご飯にするよ。」
子供たちに声をかけ、吉村に笑顔を向ける。
その笑顔を見て、吉村も、それから観月も理解した。加奈子は知っている、と。
吉村の体に緊張が走った。口を開いたが、言葉は出てこない。
加奈子は笑みを深くした。息子をいたわり、誉める顔だ。
「おかえり、信介。おつかれさま。」
「ただいま、かーちゃん。」
吉村の声が、わずかに震えていた。
「あー、兄ちゃん。泣いてる!」
はやし立てたのは6年生の誠だ。他の子が目を丸くする。
「な、泣いてねーよ。俺が泣いたりするわけないだろ!!」
吉村が子供のように言い返す。濡れた瞳がキラリと光った。
ああ、大丈夫なんだな。観月はそう思った。
もしかしたら、吉村は耐えきれずに対策庁を離れるかもしれない。反対に、重荷を抱えたまま現場に立ち続けるかもしれない。どんな選択をするのか、それは分らないけれど。
でも、そんな道を選んでも、吉村は、この家族は、きっと大丈夫なんだ。と、そう思った。
子供たちがにぎやかに吉村を連行していく。
支えているようでもあり、支えられているようでもある。吉村の背中が、少しだけ大きく見えた。
~お詫びとお知らせ~
ここまで投稿してきまして、残すところあと数話。
最終盤に入るところで、全体の見直しと推敲のために3日程おやすみをいただきたいと思います。
最初に少なくとも2日に1度は投稿すると言っておきながら、申し訳ありません。
次回、第18話は8月24日(月)朝7時に投稿します。




