第16話:引き金
<吉村、安全装置を外して、銃を構えろ。ゆっくりとだ。>
無線越しの真田の声は、いつにもまして無機質な響きを伴っていた。迫られるようにして、吉村は動き出す。取り落としそうなほど震える手で、ホルスターから拳銃を取り出した。そのまま、何とか安全装置を解除して、構える。
無線から、吉村の荒い呼吸音が聞こえてくる。
それでも、繰り返された訓練の結果か。少年に拳銃を向けたその構えは、意外なほど様になっていた。
<深呼吸をしろ。>
真田の声が聞こえているのか、いないのか。
そんなやりとりの間にも少年の変異は進行している。今、ビキビキと氷がひび割れるような音をたて、両の肩口から太く短い棘が姿を現した。
時間の余裕はない。いつ、少年の脳の変異が完了し、襲い掛かられるかわからない状況だった。
それでも、真田の声は無機質なままだ。
<吉村、俺が3つ数えたら引き金を引け。>
吉村が顔を上げた。マスクで表情はうかがえない。しかし、その様子は助けを求める子供のように見えた。
対する真田は変異中の少年から目を離さない。
観月はその背中が吉村同様、汗でびっしょりと濡れていることに気が付いた。少年の唸り声、変異の進行を示す骨のきしむ音、吉村の呼吸音、それらが混ざり合って観月の精神の平衡感覚を狂わせるようだった。
<変異はかなり進行している。既に遅滞薬を使用する段階でないのは分るだろう。いつ俺たちが殺されるかわからない。俺たちの次は校庭に避難している他の生徒たちだ。殺されたくないなら、引き金を引け。>
真田の語るその言葉は、悪魔の論理か今の世の真実なのか。
淡々と語られる言葉には、真田は吉村より先に撃つ気はないこと、吉村が撃たないことを許容しないという断固たる意志があった。
気圧されたのか、吉村は再び少年に向き直った。照準は胴体、少年の心臓に向けられる。
間髪入れずに真田のカウントが始まった。
<1、>
吉村の呼吸が一際乱れた。
何かを感じ取ったのか。ロクに意識のないはずの少年がわずかに観月達の方へ顔を向けた。すでに、半ば以上異形へ変異したその表情。
<2、>
少年の口がかすかに動くのが観月には見えた。声はマスクに遮られ耳に届かない。元から声など出ていないのかもしれない。しかし、
助けを、求めているように見えた。
無線からは、吉村の歯の触れ合うガチガチとした音が聞こえてくる。
<3、>
「うわぁああああああああああああああああ!!」
緊張に耐えかねたのか、吉村が絶叫した。震える銃口は、それでも少年の上から動かない。
それに張り合うように真田も叫ぶ。
<撃て!!>
吉村が撃った弾丸はわずかに狙いを逸れ、少年の左肩近く、肩甲骨のあたりに命中した。少年が獣じみた悲鳴をあげてとび退る。瞬間、さらに複数の銃声が教室に轟いた。
撃ったのは真田。その射撃は4回。
放たれた弾丸は少年の頭部を粉砕し、胸の中央を赤く穿っていた。
教卓の前の床。少年は奇妙にねじくれた姿勢でそこに倒れた。
残ったのは硝煙のにおいと、班員の面々の荒い呼吸だけだ。
<吉村、銃を下げて、安全装置を掛けろ。>
少年に対して未だ警戒を解かない真田が吉村に指示を出す。しかし、吉村には動きがない。
<吉村!!>
大声で呼びかけるとようやく顔を真田の方へ向ける。
<よくやった。銃に安全装置を掛けて、観月さんのところまで下がっていろ。>
繰り返しの指示がようやく通じたのか。吉村はノロノロと銃をしまうと、ふらつく足取りで観月の横に立った。
<沢村、確認を頼む。>
<了解>
それまで横で見ていた沢村が慎重な足取りで少年に近づき、容体を判定する。呼吸や脈を念入りにチェックした後で無線に向けて報告する。瞳孔を確認した後に少年の瞼を丁寧に閉じさせていた、その手つきが印象的だった。
<沢村より、支所。呼吸、心拍ともに停止。変異現象の進行停止。処置完了しました。>
<支所、了解。>
吉村が半ば、くずおれるように膝をついた。真田は拳銃を収納すると、無線に向かって指示を飛ばす。
<西野、俺たちを出迎えた学年主任の先生に報告を。グラウンドにいるはずです。その後はストレッチャーと道具一式、教室へもって来てください。念のため、マスクは忘れなように。>
<了解>
<沢村と吉村。西野が来たら1号車で先に戻れ。もし、体調がすぐれないようなら早退してもいい。>
<了解しました。>
明確に返答したのは沢村。対照的に吉村の返答は聞き取れないほどに弱々しかった。
<観月さんはどうしますか。>
<私も沢村さんたちと一緒に引き揚げさせてください。>
真田の問に、観月は当然の様にそう答えていた。いま、追うべきは吉村だということは明らかと思われたからだ。
真田は肯くと、少年の骸に向き直った。そこから寒々しさが教室に溢れ出してくるようだった。
「沢村さんの時は、どうだったんですか。」
支所へ帰る途中、1号車の中で吉村が口を開いた。助手席に深く沈み込み、見るからに憔悴している。
沢村の運転はいつにもまして丁寧だった。信号で静かに停止、そして発進。視線は油断なく前をむいている。
「僕は研究基地で似たようなことをしていたから、吉村より耐性みたいなものはあったかもしれない。でも、辛かったよ。」
一人の部屋に帰る気はしなかった。かと言って誰かに話せるわけでもなく、飲み屋を一人で何件も梯子して記憶をなくした。気が付いたとき、アパートの床に吐しゃ物まみれで転がっていた。なんとか、帰宅はしたらしい。
「後にも先にも、酒で記憶がトンだのはあの時だけだよ。」
笑い話のような失敗談だが、沢村の口調はどこまでも真剣だった。
「どうやって、割り切ったんですか。」
再度の問い。それに対する答えは素っ気ないほどのものだった。
「割り切れてなんかいないよ。」
沢村は注釈を加えるように言葉を続ける。
「割り切れるものじゃないし、割り切ってはいけないんだよ。僕たちの仕事を、あんなことを。」
「でも、それじゃあ」
おそらく、本人ですら自分が何を言おうとしていたのか整理できていないであろう吉村の言葉。それでも、沢村は肯いた。
「代わりにという訳ではないけれど、僕は言い訳を用意している。やらなければ、自分の命が危ない。加えて他の大勢が危険にさらされる。怪物のようになってしまう前に、人を襲う前に止めてやるのが本人のためでもある。変異していない部分は解剖後に遺族へ返還されるから、早く処置すればそれだけ人間らしい姿でお別れがしてもらえる。なんて風に。」
続く言葉は、力なく吐き出された。
「どれも、ごまかしでしかない。こんな理屈で理性は説得できても、本能や感情の部分でどうしようもなく拒否反応は出てしまう。それでも、どうにかやっている。」
吉村は言葉を発しない。観月は語るべき言葉を持たず、ただ二人を見つめていた。
しばらくの後、沢村が言った。
「班長も、西野さんも。多分、心から納得してやっている人なんていない。」
歩道を3人の高校生が歩いていく。試験休みか、それとも単純にサボっているのか。ふざけあっていて、楽しそうだ。そこにあるエネルギーは、今、とても遠いモノのように観月の目に映った。
「今日、吉村が撃った弾は、完全な致命傷ではなかったはずだ。だから、君はまだ降りることができる位置にいると僕は思う。しばらくは、研修と訓練が続く。その間に、ゆっくり考えればいい。」
初めて安楽死を行った者が、その後の1週間、本来のシフトを外れて研修と訓練を受けるという話は観月も聞いていた。そのまま職場を去るものが多いことも。
うつむいた吉村の表情は後部座席の観月からはうかがえない。誰も口を開かない車内に路面から伝わる振動だけが低く響いていた。
帰所した3人を出迎えたのは所長の渡と第二班の面々だった。CAMPの同時発生に備えるため、出動があった場合はその日の非番の班が出所し待機するのである。
沢村は彼らに挨拶をすると、吉村に早退を勧めた。既に皆が了解していたのであろう。誰も異論や疑問を差し挟むことがない。
細々とした処理を片付けた後で、吉村は帰宅の準備を始める。どうしようかと迷っていた観月に沢村が声を掛けた。
「今の吉村を一人で帰すのは不安があるので、申し訳ありませんが、付き添ってやってもらえませんか。」
取材という意味では、渡りに船の申し出だ。観月は二つ返事でその申し出に頷いた。吉村何も言わなかった。




