第15話:ジンクス
その日、観月は自宅代わりのマンスリーマンションで資料の整理を行っていた。長かった取材も終わりが見え始め、結果をまとめる時期に来ていたからだ。
しかし、作業はお世辞にもはかどっているとは言えなかった。理由ははっきりしている。斉藤が病院に運ばれた日に、真田に言われた言葉がひっかかっているのだ。
あの時、真田は言った。「俺の名まえを調べてみればいい。」と。
今、目の前にはノートPCが置かれている。ブラウザを立ち上げ、検索をかけるのに30秒もかからない。
それでも、どこかためらう気持ちがあるのは、鉄のような男が見せた脆さに怯んでいるせいか。
一つ、深呼吸をして、覚悟を決める。漢字五文字の名前を打ち込み、Enterキーを押した。
「どうも、皆さん。ご迷惑をおかけしました。」
その日の勤務は斉藤のそんなあいさつで始まった。一週間の適性試験や再研修を含めて、およそ10日ぶりの復帰だ。
とは言っても、なにか特別なことがあるわけではない。斉藤の復帰は前回の当番日に通知されており、職員は粛々と自身の業務を開始した。
その中で唯一の例外は吉村だった。どうにも落ち着かない様子で、むやみに席を立ったり、カップをひっくり返したりしている。ちょうど飲み終えて空だったため、事なきを得たが、傍目から見ても精彩を欠いている。
もっとも、彼については今日に限ってのことではない。先月に所長の渡からある宣告をされて以来、勤務時間中はこんな感じである。その宣告とは、つまり変異者の処置予告。2年間に及ぶ研修期間の締めくくりとして、実際の子供への処置を行うべし、と宣告されているのだ。
それにしても、今日の吉村は一際ヒドイ。前回の当番日もここまでではなかった。
なにか理由があるのかと思った観月は、訓練の合間に沢村に尋ねてみた。さすがに本人に「今日、ダメだけどなんかあった?」とは聞きづらかったのだ。
沢村は苦笑しながら答えてくれた。
「あれは多分、ジンクスを気にしているんですよ。」
聞けば、対策庁の職員の間には様々なジンクスが存在するらしい。吉村ほどではなくとも、気にする人間は対策庁の職員には多いとのことで。やはり危険な仕事に携わる者の間では、おまじないにも似たジンクスがまことしやかに語られやすいのかもしれない。
「今日の場合なら、『復帰者がCAMPを連れてくる。』ですね。負傷などで一時的に班を離れていた職員が復帰すると、不思議とその直後は出動がよくかかるんです。」
深刻でもない口調から、沢村自身はそれほどジンクスを重く見ていないことが伺えた。
「なるほど、他にはどんなものがあるんですか。」
折角だからと、さらに掘り下げようとする観月。沢村も別に嫌がる素振りもなく口を開く。
「そうですね。『ヒマとは言うな。』なんてのもありますよ。最近、出動がない。なんて話をするとテキメンに出動がかかるとか。
他には、『勤務中にジンクスを語るな。』……。」
突然、サイレンが響いた。エマージェンシーコールだ。直前の会話の内容から、思わず顔を見合わせてしまう二人。だが一瞬の後、我に返ると皆に続いて所内に駆け込んだ。
所内では既に斉藤がイヤホンとマイクにかじりつき、詳細を聞き取っている。他の職員は出動前の装備の最終チェックだ。沢村もすぐさまそこに加わる。
チェックと言っても、本格的なものは朝の勤務開始直後に行っている。職員がものの40秒で支度を終えると、すかさず斉藤が口を開く。
「現場は市立竹山中学校。1年A組教室。変異者は同校生徒の荒見健太。信号発信は約5分前で、別に教師から本庁へ通報あり。」
それを受けて真田がすばやく指示を出した。
「2号車は西野と沢村、1号車は俺と吉村。2号車が先発だ。」
「了解」
4人が事務室を飛び出し、車両に乗り込む。事前の打ち合わせ通り、観月も1号車の後部座席に乗りこんだ。
直後に真田が1号車を発進させる。サイレンの音が住宅街の平穏を掻き消していく。今、この音を耳にする母親たちは、学校に行っている我が子の身を案じているのだろうか。
街を走り抜けている間も、斉藤は無線によって続々と情報をもたらしてくる。真田はそれを受けて各班員に指示を飛ばす。
その時、観月は吉村の顔がいつになく青ざめていることに気が付いた。傍から見ても明らかな手の震えは、寒さが原因ではあるまい。
無理もない。今日のこの出動が永遠に来ないでほしい。恐らく、彼はそう願っていたはずだ。
一瞬、声を掛けようとして、思いとどまった。出動中は私語を含め、余計な行動はしないように言明されていたし、なにより掛ける言葉を見つけられなかった。
代わりに口を開いたのは真田だった。無線の合間に吉村を見ると、おもむろに声を掛ける。その口調はどこまでも事務的だった。
「吉村、いくつか確認だ。」
呼ばれた吉村はビクリと体を震わせた。真田の方を振り向いたその眼は心細さに揺れている。
「今からお前が現場で行うすべての事。それはお前が『する』ことじゃない。」
相手が何を言っているのか分らない。そんな表情を浮かべた吉村。真田はそれに構わず先を続ける。
「班長である俺。所長である渡さん。そして、対策庁。お前の上にいる人間がお前に『させる』ことだ。その全ての責任はお前に命令し、それをさせた俺たちのモノだ。そこを勘違いするな。」
吉村の唇が小さく動いたが、そこから声は出てこなかった。観月の目には「でも」、と言おうとしたように見えた。
「それから、これは必要なことだ。誰が何と言おうと、俺たちがやるべきで、俺たち以外がやってくれない。必要なことだ。
覚悟を決めろ。誰も助けちゃくれない。なぜなら、俺たちが助ける側にいるからだ。」
「はい」
あくまでも淡々と投げかける真田の言葉。それに対して、吉村は何とか一言だけ返事を返した。手は未だに震えているが、揺れた瞳がわずかに定まった。
2台の車が正門から侵入し、正面玄関に横付けされる。今回はサイレンが最後まで鳴らされたままだった。玄関前には待ち構えていたのであろう。中年の教師。ワイシャツの上からジャンバーを着込んだ男が立っていた。
真田は現着の報告を無線で行うと、1号車の運転席から降りて男に駆け寄った。他の面々はそれぞれ処置の準備にとりかかる。真田は男と短く言葉を交わすと、班員に向き直った。
「事前の情報に誤りはない。教室は既に封鎖済みで避難も終わっている。俺たちはこれから変異者の確認と処置を行う。西野は車両で待機。沢村は資機材をもって処置者のフォロー。吉村、以前言った通り今日の処置はお前が行え。」
「了解」
指示に応えた3つの声。うち1つはやはり震えていた。
リノリウムの床を真田、吉村、沢村、それに観月の4人は静かに、しかし素早く進んだ。目指す1年A組は廊下の端。並んだ教室の中で唯一、窓にシャッターが下り、ドアが防火扉のようなもので封じられているためスグに分かった。
CAMPの出現から10年。学校を始めとした子供が多く集まる施設は、変異者を迅速に隔離できるようにこのような設備を整えている。
<真田より、支所へ。只今より教室へ侵入する。>
<支所、了解。>
短いやり取り。続いて真田は後ろの3人に向き直る。
「変異者の詳細状況は不明だ。有毒ガスなどの生成に備え、マスクを着用後侵入する。以後、会話はすべて無線を使用。侵入の順番は俺が最初、続いて吉村、沢村。俺が許可するまで銃は抜くな。」
「了解」
全員、沢村のトランクからガスマスクを取り出し装着。既に着用しているハンズフリーの無線の、さらに上から装着できる構造だ。真田はさらに腰にガス検知器を取り付けた。
検知できるガスの種類は限られるうえ、変異者の生成する物質は常識で測れないモノも多いためハッキリ言って気休めではある。
拳銃を右手に持った真田が、内部からは開けられない構造の扉を慎重に押し開く。隙間をのぞけば、蛍光灯に照らされた白々しい室内。苦しみにのたうち回ったのか、倒れて転がった机の脇に人影が見えた。
扉をさらに開き、一気に体を滑り込ませる。ゆっくりと前進すると、マスク越しに少年のうめき声が真田の耳を打った。
少年はうつぶせにうずくまっていた。獣のような姿勢で全身を痙攣させ、断片的なうめき声をあげている。運動部にでも所属していたのか。日に焼けた肌。短く刈りそろえられた髪。
その後頭部から背中にかけて、角のような野太い突起が何本も突き出していた。毒々しい赤色と黒のコントラスト。制服のブレザーは既に切り裂かれ、突起の隙間から少年の地肌がのぞいている。
まだ、人を襲う段階までは到達していない。急迫の危機はないと判断した真田が後続へゴーサインを出す。吉村と沢村、それに観月が入ってくるのを確認し、無線に向けて口を開く。
<真田より、支所。変異者を発見。首筋から背中にかけて棘状器官の発生を確認。既に頭部と胴体の一部が変異を開始しているため、遅滞処置を無効と判断。>
そこに続けたのは沢村だった。
<沢村より、支所。班長真田と同様に確認。遅滞処置を無効と判断。>
以前の出動と同じように、最後は真田が引き取った。
<ただちに、安楽死を実行する。>
<支所、了解>
瞬間、ごくりと吉村の喉が音をたてた。




