第14話:7年目の
「いやあ、改めて話をすると照れますね。」
話を終えた斉藤はそう言って手で顔を仰ぐ仕草をした。彼の前には空になった皿とカップ。咲良が話しているときは斉藤が食べ、斉藤が話をしているときは咲良が食べるという風で、二人は何気なくケーキを完食していた。
一心に聞いていた観月のケーキはほとんど手付かずになっている。
「ところで、話の中に出て来た『住谷純』というのは?斉藤さんの事だとは思うんですが。」
観月の質問に二人は顔を見合わせて微笑む。向き直った斉藤の目には「本当は分っているんでしょう?」と言わんばかりの色がある。
実際、心当たりのあった観月はそれを口にした。
「児童超常変異現象被害者保護法。通称、変被保法の身元情報保護ですか。」
「そうです。私が被害に遭った時、まだ被害者の実名報道は規制されていなかった。加えてまだCAMPに対する偏見も強かったので、差別的な嫌がらせが日常茶飯事になってしまった。
だから、対策庁に採用され、引っ越しを行った時に通名制度を利用したんです。」
身元が広く知られ、生活が困難になった関係者を保護するための「通名制度」。通名とはいうが、住民票などの各種書類も独立して作成され、ほぼ別人になると言っても過言でない。
「それじゃあ、住谷純は斉藤さんの本名なんですね。」
肯く斉藤。観月は喉を潤すようにコーヒーを一口含む。目の前の夫婦を襲った突然の理不尽。それを乗り越えて来た歴史を思う。
あと一つ、聞いておきたいことがあった。
「どうして、CAMPに就職されたんですか。斉藤さんも咲良さんも不安はあったと思うんですが。」
この質問に最初に応えたのは咲良の方だった。当時を思い出すように、少し伏し目がちになっている。
「不安は、正直あったし、いまでも心配よ。でも、あのまま引きこもっていたら、この人がダメになるのは目に見えてたからね。それよりは絶対にいいと思ったし、いざ就職したら少しずつ良い顔するようになってきて。だから、もう何も言わないことにしたの。」
顔をあげた咲良の顔には笑顔が浮かんでいる。迷いのない良い表情だった。
続いて、斉藤が口を開いた。その顔には照れたような笑みが浮かんでいる。
「就職の面接では、『自分のような被害者を減らすために力を使いたい。』なんて言っていたんですけどね。本当は対策庁くらいしか就職先がなかったんですよ。
当時は本当に偏見がひどくて、一般企業では面接もしてもらえなった。その点、対策庁は精神鑑定や身元の確認は厳重ですが、常に人手不足ですからね。使えるものは何でも使うんですよ。」
「でも、抵抗はなかったんですか。対策庁のイメージはお世辞にもよくないでしょう?」
斉藤は観月の言葉をかみ砕くように、肯いた。たっぷりと間を取ってから再び口を開く。
「そうですね。確かに不安も抵抗もありました。でも、やるしかないと思ってました。多分、負けたくなかったんです。いろんなモノに。」
「負けたく、なかった?」
「ええ、私をクビにしたり、アパートから追い出した人たちは言ってみれば、CAMP被害者である私を一人前の人間扱いしてないんですよ。何もできず、ただ他人に迷惑をかけるだけのお荷物だと思っている。
そう言う相手に対して、働いて、給料をもらい、家族を養うことで、証明してやりたかった。私が誰に恥じることもない一人前の人間だと。
対策庁を選んだのも、自分を突然襲ったCAMP対して勝負を挑む気持ちだったのかもしれません。」
まあ、今から思えば。ですけどね。そう締めくくった斉藤の顔は、再び照れたような笑顔に戻っていた。
観月は二人に対して、頭を下げた。
「どうも、今日は貴重なお話をありがとうございました。」
斉藤と咲良は鷹揚に肯く。取材の時間が終わり、再び雑談が戻ってくる。それは観月が二つのケーキを片付けるまで続いた。
「それで、どうするの?」
観月と別れ、家に向かう車の中で咲良が斉藤に尋ねた。口調はあくまで軽い。答えは分っているが、一応確認してみるといった風だ。
「うん、残留を希望して、テスト受けるよ。」
処置班への残留か、他部署への異動か。正直、テストには不安がある。また、同じように倒れてしまうかもしれない。
「そっか、頑張ってね。」
オペレーターとはいえ、勤務状況次第では現場に出ることもある。本音を言えば異動してほしいはずの咲良のエールに、斉藤の口からは自然と感謝が出てきた。
「ありがとう。本当に、いつも感謝してる。」
ちょっと赤くなった妻の頬を、斉藤は愛らしいと思った。
家に着き、郵便受けを見ると一通の手紙が入っていた。品のいい柄がわずかに入った白い封筒。それを見た時、思わず斉藤の口から声が漏れた。
ああ、そうか。
それは7年前の事件、加害者になった少女の母親からの手紙だった。消印は昨日。少女と他の5人の命日だ。
忘れていた。そう考えた後で、間違いに気がついた。
必死に思い出さないようにしていただけだ。目をそらし、蓋をして、もう自分は大丈夫だと、必死で言い聞かせていた。他でもない、自分自身に対して。
「そりゃ、夢も見るわけだ。」
咲良も、その手紙が何なのか、気づいているはずだ。彼女は昨日が何の日か忘れてはいなかっただろうから。気遣う表情で、斉藤と手紙を見ている。
斉藤は大丈夫だよ。と笑いかけると、先に立って玄関をくぐった。居間のソファに腰かけ、小テーブルに手紙を置く。
少女の母親から手紙が来るのは初めてではなかった。事件の直後は頻繁に、それ以降は年に一回のペースで送られてきた。
全て読まずに処分した。事件直後はそんな余裕はなかったし、時間がたって事件を乗り越えたと勘違いしていた自分にとって、それはただ過去の亡霊にすぎなかった。
でも、乗り越えたと思っていたのは斉藤の間違いだったのだろう。でなければ、事件のおこった日にあの夢を見たり、現場で意識を失ったりはしないはずだ。
斉藤は、深呼吸をした後で、初めてその手紙を開封した。
そこにあったのは。むき出しの傷口だった。
型通りの時節の挨拶。その後は斉藤の体調、近況を気遣う言葉が続く。長い手紙だった。繰り返される謝罪の言葉。彼女は娘を、そして何より自分を責めていた。
何度か読み返す。テーブルに手紙を置き、目を閉じた。
瞼の裏におぼろげな人影が浮かんでくる。7年前にちらりと見たきりで、顔など覚えていない。
娘がCAMPを発症し、夫を殺された母。加害者の家族という立場で、娘と夫の死を悲しむこともできず、ひたすら被害者に頭を下げ、詫びつづけ、自分を責め続けている。そんな姿が見えるようだった。
隣に腰を下ろしていた咲良が、手を握ってくれた。
自然とやるべきことが見えてくるようだった。その思い付きを疑うこともせず、素直に口に出す。
「あの子の、お墓参りに行かないか。」
どの子、なのか。咲良にも伝わったはずだった。その手に力がこもる。彼女はまっすぐに斉藤を見つめると、しっかりと肯いてくれた。
そして、今。斉藤は咲良と隣り合って墓へと向かう道を歩いている。右手には花束。胸ポケットには墓の位置が書いてある手紙。あの後、墓のある寺の場所を手紙で訪ねたところ、すぐに返事が届いた。
住所は隣県。行ってみると、寺は郊外の丘のふもとにひっそりと佇んでいた。空は晴れわたり、緑と青で彩られた風景はどこまでものどかだった。
前方、墓場の入り口に一人の女性が立っていた。手紙にあった通りだが、痩せた顔に浮かんだ不安げな表情が、その正体を雄弁に物語っていた。
古賀容子。少女の母親。
目をそらし続けていた自分とは違い、7年間、その場で苦しみ続けた人だった。
相手も斉藤に気が付いた。泣き出しそうな表情で深々と頭を下げる。
斉藤の足が止まった。急に喉の渇きを自覚する。
自分にできるだろうか。そんな自問が頭をよぎる。
それをするために、今日は来たのだ。
斉藤は彼女に楽になってもらいたかった。本当に事件を過去にするために。
伝えたかった。自分は今、幸せだと。もう大丈夫なのだと。だから、貴方も娘さんを許して、旦那さんと娘さんの死を悲しんで、二人のために涙を流してほしいと。
所詮、6名の被害者のうちの1名。しかも、負傷者の分、自分の存在は軽い。おこがましい考えかもしれない。
それでも、今は斉藤が唯一の被害者だった。すべてが無理でも、せめて6分の1だけなら彼女を許してあげられるだろう。
背中に咲良の手が添えられるのを感じた。古賀容子はまだ、臆病な目でこちらを見つめている。斉藤は足を踏み出した。




