第10話:デート
ランチを食べ、映画を見て、ショッピングモールへ。しばらくぶりのデート(?)は楽しく、順調だった。
ショッピングモールを行先に選んだ時、一瞬、今朝見た夢の内容が頭をよぎったが、気にしないことにした。すれ違う人が覆面をかぶった斉藤にいぶかしげな視線を投げていくが、二人とも慣れたもので今さら気にすることもない。
「そう言えば、新しい帽子が欲しかったんだけど。」
と言いながら、斉藤春夫は咲良の顔色をうかがう。妻はやれやれと肩をすくめる。
「また、買うの?もう、置き場所がないわよ。一体、貴方は自分の頭がいくつあると思っているの。」
お決まりの小言が来たが、それ以上にとめるつもりはないようだ。その証拠に口元には微笑みが浮かんでいる。
実際、斉藤は帽子をたくさん持っている。覆面のインパクトを少しでも和らげようと被りはじめたのだが、今やそのコレクションは『小規模店の品ぞろえ』の領域にまで到達していた。
数か月に一度はゴミ袋を手にした咲良との仁義なき戦い。不要な帽子を処分しようとする咲良と、不要な帽子などないと主張する斉藤の終わりなき闘争が勃発し、無断で帽子を買って帰った日には口もきいてくれないくらいに機嫌が悪くなる。
しかし、今日の咲良はかなり機嫌がいいようだ。この機会を逃す手はないと、斉藤はいそいそと店に向かう。目指す店は2階の紳士服の店が集まった一角だ。
エスカレーターを使い2階に上がる。目当ての店は右側奥だ。
いざ、と足を踏み出そうとした瞬間、反対側でざわめきが起こった。
斉藤は足を止め、振り返った。まばらな人垣越しに、棒切れのような小さな足が見えた。
予感があった。駆け出した。
咲良がついてくるのが分かった。人垣をよけて倒れている少年の様子を見る。小学校中学年といったところだろう。全身の激しい痙攣を目にして、斉藤の中で予感が確信へと変わっていく。
並行して両親らしき二人組に質問を投げる。意識して事務的で無機質な声を出す。混乱している人間にはその方が効果的だ。
「今日の体調はどうでした。症状に該当するような持病はありますか?」
半ば反射的に、母親らしき女性がおずおずと口を開く。
「体調は悪くなかったです。持病も、」
一瞬、奥歯をかみしめた後、斉藤は両親らしき二人と、近寄ってきていた店員たちに身分証を見せながら宣言した。
「私はCAMP対策庁職員です。この子はCAMPを発症した恐れがあります。」
一気に言いきる。下手に間を置けばそれこそパニックが起こりかねない。そうなる前に、店員たちを指さして指示を出す。
「アナタは、通報をお願いします。119番で結構です。アナタは入口に備え付けられている遅滞薬をとってきてください。残りの方はお客さんと店員の皆さんの避難をお願いします。」
指示を受けた店員たちが、我に返ったように四方へ走り出していった。周りの客たちも異常事態の発生に気が付き、出口へと走りはじめる。
そこまでやった斉藤は咲良を振り返り、彼女にも避難を勧めようとした。
しかし、突如として眩暈に襲われた。少年の容体を見るために膝をついていなければ、倒れていただろう。それほどまでに強烈な眩暈。
続いて起こるフラッシュバック。今朝見た夢。いや、違う。『あの時』の光景が斉藤春夫に再び襲い掛かる。
湧き上がる悲鳴、飛び交う怒号、極まる混乱、そして強烈な苦痛。
「…ン、ジュン!!」
咲良が肩をつかみ、自分の名を呼んでいた。必死の形相。急速に現実に戻ってくる意識。
店内にはちょうど避難を呼びかける館内放送が響いていた。既にフロアには斉藤達と少年、それにその両親以外の人影はない。
斉藤は少年の両親に向き直った。
「あなた方も、早く避難してください。」
相手の反応は鈍かった。当然だろう。突然、息子がCAMPだと言われてすぐに逃げられるはずがない。何より目の前でその息子が激しく痙攣し、苦しんでいるのだ。
それでも、斉藤は厳しく冷たい声で二人に強いた。
「この子がCAMPなら、最初の被害者はもっとも近くにいる人間です。貴方たちはこの子に大好きな父さんと母さんを殺させるつもりですか!!」
気迫に気圧されたのか、二人がわずかに腰を浮かした。斉藤はすかさず咲良に言う。
「君も二人と一緒に避難してくれ。」
何かを言い返そうとした咲良を、視線で制す。
「大丈夫だから、早く行ってくれ。頼む。」
きっと、必死で言葉を飲み込んだのだろう。咲良は肯くと、少年の両親を半ば引きずるようにして階下へと降りていった。
そこで再びの眩暈。体を起こしていられず、思わず床についた手は少年と同じほど震えていた。
(駄目だ。いまは、しっかりしろ。角谷純。)
斉藤は口内を思いっきり噛みしめた。激しい痛みと血の味が、何とか意識をつなぎとめてくれる。
少年の様子を見れば、前腕部に棘とも鱗ともいえる硬質化した器官が現れ始めていた。違っていてほしかった。しかし、やはりCAMPだったのだ。
その時、店員の一人が遅滞薬を抱えて戻ってきた。斉藤は何とか体を起こしてそれを受け取る。
「ありがとう。貴方も避難して。もう、戻ってきてはいけない。」
店員は強張った顔でうなずくと駆け出して行った。
斉藤は、なおも震える手で遅滞薬の準備をする。拳銃に似た形の注射器に遅滞薬をセットし、注射筒に薬液を送り込む。呼吸が苦しい。息を吸っても、吸っても、肺に酸素が取り込まれていないような気がする。
準備の出来た遅滞薬の注射器を少年の鳩尾へあてがう。
(まだ、まだ駄目だ。もう少し、もう少し。)
斉藤の視界は明滅し、既に意識は朦朧としていた。それでも、力を込めて引き金を引く。確かに薬剤が注射されたことを確認して、斉藤は意識を手放した。
「一生かけて、君を幸せにする。結婚してください。」
住谷純がそんなセリフで篠原咲良にプロポーズしたのは、付き合いだして4年。就職して2年が経とうとしていた春のことだった。
夕焼けの浜辺で指輪を手渡すというシチュエーションは、後日「ベタベタ過ぎる。」「一昔前のドラマか。」などとからかいのネタになるのだが、それはまた別の話。
お互いの両親への挨拶、式の準備、新居探しなど、慌ただしく日々が過ぎ、新生活が始まった。
それらがようやく落ち着いてきたころ。二人でショッピングに出かけた。近所の店ではなく、車で片道1時間半ほどの大型のアウトレットモールだった。
衣料品を中心に、どっさりと買い込んで咲良は上機嫌だった。純は少しばかりくたびれていたが、表情には出さないようにしていた。
二人でベンチに腰掛け、コーヒー片手に休憩していた時だった。
通りを挟んで向かい側のベンチに腰掛けていた家族連れ。両親に挟まれて座っていた女の子が、手にしていたソフトクリームを落としたのだ。
重力にひかれて落下し、コーンを上にした姿勢で地面に張り付いたソフトクリーム。純と咲良は続いて響くであろう女の子の悲鳴を予想して視線を上げた。
ただ、そこにはべそをかく女の子はいなかった。
女の子は激しく痙攣しており、女の子の悲鳴の代わりに、母親の悲鳴があたりを引き裂いた。
CAMPの進行はケースごとに大きな違いがある。百件あれば百のパターンがあると言っても大げさではないのだが、それでもいくつか区別された類型は存在する。
純と咲良が遭遇したケースは、いわゆる『劇症型』と呼ばれるものだった。
これらのケースでは変異者が化け物のような姿になる点は他と同様だが、体はそれほど肥大化せず、大きくても2メートル前後。発現する超能力も大規模な被害を出すようなものはほとんどない。
しかし、変異の進行は異常に早い。じつに数十秒から数分で完了するのである。
少女のいるベンチへと駆け寄った純が見たのは、喉を切り裂かれ血を吹きだす父親と血まみれの顔で目を爛々と光らせる少女の姿。
全身の変異が完了していなくとも、脳が変異してしまえば人を襲うようになる。
少女の体が跳ねるように動いた。咄嗟に咲良をかばった純の脇を風のように通り過ぎる。後方で悲鳴が湧き上がり、パニックが発生する。人々が悲鳴をあげながら逃げ惑う。
純は左頬に焼けつく熱さを感じて手をやった。真っ赤な血がべったりとついてきた。
同時に走り抜ける凄まじい痛み。純は断末魔を思わせる悲鳴をあげた後、意識を失った。




