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第9話:真田夫妻

(あれは誰!?)

 それが、その光景を目にした観月の最初の感想だった。

観月の取材は基本的に真田たち第一班の勤務に密着して行われる。なので彼らが休みの日は基本的に取材は行っていないのだが、だからと言って休んでもいられないのがフリーのつらいところ。

 というか、ツテを頼って手に入れた仕事ではあるのだが、対策庁の取材というこの仕事。まったくもって割が良くないのである。

 とりあえず、拘束期間が長い。実働は3日に1日とはいえ、経費も3分の1で済むわけではない。しかしながら、「CAMP関連は売れない」というのはここ数年の出版業界の常識で、出版社も財布のひもは固いのだ。はっきり言って、この仕事だけじゃ生活できない。

 元々は対策庁が広報活動(イメージアップ)の一環で出した広告料付きのオファーを、大手の出版社が受けたのがすべての始まり。受けたはいいが売れない企画に高い取材料は使えない。そこで安さが取り柄の観月文香 (フリーのペーペー)の出番となったわけである。

 長くなったが、つまり観月がその日何をやっていたかというと、別の取材(アルバイト)をしていたのである。利益が薄いなら、たくさん売らなきゃ生活できない。

 とはいえ、既に時刻は夕方近く。仕事がひと段落した観月は、帰りにスーパーに寄ろうとしたのだが、そこで真田と遭遇した。


 スーパーまであと数十メートルというところで、右側の道から問題の二人組がやってきた。冗談抜きで、はじめはよく似た別の人だと思った。眉間には皺がなく、朗らかな笑顔を浮かべ、明るい声を出している。

 観月の知っている真田は眉間にしわがより、神経質な表情を浮かべ、温度の感じられない無機質な声を出す男だ。

 相手が観月を見て驚いた顔をしなければ、「世の中には2人は似た人がいるらしい。」などと独りごちてすれ違っていた。

「お、おつかれさまです。奇遇ですね?」

「あ、あぁ。おつかれさま。」

 とりあえず、互いに挨拶。そして、なんだかよくわからない曖昧な笑顔の交換。行き違うべきだったが、なんとなく足を止めてしまった。当然、話すことなどあるはずもない。

「あら、職場の方?」

 気まずい沈黙が場を支配する寸前。状況を打破したのは真田の隣を歩いていた小柄な女性。ショートカットで歳は真田より少し若いくらいだろうか。可愛らしいと形容する年齢でもないかもしれないが、可愛らしい人だった。

 こだわりだろうか、小柄な体に似つかわしくない太いベルトの腕時計が目を引く。


 連れからの質問に我に返ったのか、真田がそれに応じる。

「ああ、こちら観月文香さん。ジャーナリストで、職場に取材にいらっしゃってるんだ。」

 女性は、「そうだったの」と納得すると、観月に対してペコリと頭を下げた。

「初めまして、真田鋼一郎の妻の美菜と申します。夫がお世話になっております。」

 丁寧な自己紹介に、観月も慌てて頭を下げる。

「ジャーナリストの観月文香です。こちらこそ、真田さんにはいつもお世話になってます。」

 そう言って顔を上げると、美菜は満面の笑みを浮かべて観月を見ていた。あどけないという他ないような、幼さを感じさせる表情に、不意を突かれたような気持になって観月はドギマギしてしまう。

「観月さん、いまお暇?できたら少しお話し聞かせてくれないかしら。私、ジャーナリストの人って初めてだから、興味あるの。」

 客観的に見れば不躾な話かもしれないが、それを感じさせないのは彼女の人柄だろうか。無邪気な言動を不思議と許してしまいたくなる雰囲気がある。一言で言えば天然っぽい。

「おいおい、観月さんも忙しいだろうに無理を言っちゃいけないよ。」

 真田が美菜をたしなめる。支所では聞いたこともないような、優しい声だ。どこか労るようでもある。言われた美菜は物わかり良くうなずくが、明らかにがっかりしているのが見てとれた。

「そうね。急に誘ってもご迷惑よね。ごめんなさい。」

「いえ、今日の仕事は終わっていますから、少しなら。ご家族の話も伺いたいと思っていましたし。」

 半ば反射的に観月は答えていた。それを聞いた美菜は途端に笑顔になる。

 しかし、観月の目を引いたのは夫である真田の表情だった。美菜の背後に立つ形になっていたため目にしたのは観月だけであろう。その顔には、9回裏にサヨナラエラーをした野球選手のような、痛恨の表情が浮かんでいた。「しまった。」そんな心の声が聞こえてきそうな顔だった。


「それじゃあ、チョットだけご一緒しましょう。近くに素敵なカフェがあるのよ。静かなお店だから、息子がいると行けないんだけど、今日は母にお願いしてきたの。それとも、観月さんはご飯の方がいいかしら?」

 今にも駆け出しそうなほど上機嫌な美菜。真田の表情も既に先程までのものに戻っている。しかし、見間違いなどではないことは彼の額にうっすらと光る汗が物語っていた。

「夕飯には少し早いですから、できればお茶でお願いします。」

 観月がそう答えると、美菜は笑顔で了承し、先に立って歩き出す。半歩遅れて隣を歩く真田。まるでVIPを護衛するボディーガードにも見える。

「それで観月さんはどんな取材をされているの。」

 店に着くのが待ちきれないのか、美菜はななめ後ろを歩く観月を振り返る。投げかけられた質問に観月が答えようと口を開きかけた瞬間、真田の声がそれを遮った。

「ほら、よくあるじゃないか。警察密着24時みたいな番組が。そこまで派手なモノじゃないみたいだけど、雑誌のシリーズ連載だそうだ。」

 さりげない口調だが、明らかに割り込んできた。支所の真田ならまずやらないだろう。

「もう、私は観月さんに聞いてるのよ。まったく、知ってることはなんでも自分で答えなきゃ気が済まないんだから。」

 大げさに顔をしかめる美菜に、真田は苦笑している。

「悪かったよ。いつもの癖だ。でも、詳しい話は腰を落ち着けてからの方がいいだろう?」

 一見、朗らかな二人のやり取り。観月はそこにささやかな不自然さを感じた。しかし、その原因を探る間もなく、目的の店に到着してしまう。その店は美菜の言う通り本当に近くだった。

 ログハウス風の外観に、シンプルだが木の温かみのある店内。それ程広くない室内は、明るすぎない照明で落ち着く雰囲気を醸していた。

 観月は勧められるままに、美菜と同じハウスブレンドのホットコーヒーにセットのケーキを注文。真田も同じハウスブレンドのホットだが、コーヒーだけだ。

 店員を呼び、注文を伝えたところで美菜がお手洗いに立った。


 真田がいきなり頭を下げたのは、その時だ。

「詳しくは説明する時間はありませんが、俺は橋倉警察署の留置所係ということにしておいて欲しいんです。スイマセンが、お願いします。」

 そう言って、テーブルに額をこすりつけんばかり勢いの真田。嫌っていたはずの観月に恥も外聞もなく頭を下げている。席同士は背の高い仕切りで隔てられているので他人に見られることはないが、おそらく人目があっても同じようにしただろう。それだけの鬼気迫る雰囲気がその時の真田にはあった。

 呆気にとられた観月。突然のことに判断が追い付かず、吐くべき言葉も見つからない。何と答えようかと考えているうちに、美菜が帰ってきてしまった。

 ドアの音を聞いていたのか、真田は既に顔を上げている。表情も普段通り。いや、一見普段通りだが、その眼には懇願と焦りの感情が浮かんでいるように見えた。

 それと前後して、店員がコーヒーとケーキを運んでくる。美菜は一通りケーキの説明、というよりも自身の好みを語った後で観月の取材に話題を戻した。

「さっき、この人が雑誌の連載だって言ってたけど、実際はどんな記事を書いてらっしゃるの?」

 未だ、完全には落ち着きを取り戻せてはいない観月だが、何とか質問に答えるべく口を開く。

「あ、えーと。基本的にはさっき真田さんが仰っていたような密着記事なんです。繁華街の交番勤務に付き添ってみたり、空き巣の捜査について行ったり。」


 少し迷った末、真田の頼みを受け入れることにした。真田が妻に嘘をついていることは確かに気がかりだったが、観月に頭を下げた時の様子は真剣そのものだったし、何よりマスコミ嫌いで取材にも協力的ではないとはいえ、今まで目にした職務への取り組みは真摯なもので決して悪い人間ではないと思っていたからだ。嫌な奴だが悪い奴ではないと言ったところか。

 なにか、理由があるのだろう。

 真田は安心したのか一瞬、ため息をこらえるような顔をした。

「真田さんとは、留置所に一晩泊めていただいたときにお世話になりまして。あ、もちろん取材の一環ですよ。」

「まあ、そうなの。でも、女の子が留置所なんて、いくらお仕事でも大変じゃない。」

 一度、話し始めてしまえば思いのほかスムーズに言葉が出て来た。とういうか、油断すると喋りすぎてしまいそうだ。実際に取材したことがあるわけではないので、ボロを出すわけにはいかない。と、観月は内心で自分に言い聞かせる。

「いや、それがそんなに大変でもなかったですよ。ちょっと窮屈でしたけど、ご飯も『クサい飯』ってほどおいしくないわけじゃありませんでしたし。」

「あはは、それじゃあ私も今度止めてもらいに行こうかしら。この人の勤務態度も見られるし、一石二鳥ね。」

 美菜は朗らかに笑う。一方、真田は顔をしかめて、肩をすくめる。

「勘弁してくれよ。いい年して授業参観なんて、ゾッとしない。それに女性被留置者は女性警察官が担当するから、俺の仕事ぶりは見られないぞ。」

 偽りの職業を語る真田の言葉はこなれていて、警察官であるという嘘が初めてでないことを窺わせる。

しかし、穏やかに話をする二人は、本当に仲の良い夫婦に見えた。対策庁の職員は確かに忌避される職業ではあるが、仮に真田が真実を話しても美菜の心が離れることはないのではないか。

 そう思えるだけに、妻の前で職業を偽る真田の姿は強い違和感とともに観月の目に映った。


 真田の携帯が振動し始めたのは、コーヒーも飲み終わりそろそろ帰ろうかという頃だった。2コールもしないうちに電話をとると、真田はすばやく席を外した。

 着信画面を見た真田の表情。一瞬走った緊張感に、観月は相手が対策庁であることを予感した。

 通話自体はすぐに終わった。5分もせずに席に戻ってきた真田がまずは美菜に向き合う。

「すまない。呼び出しがかかった。今から職場に行かなきゃならない。多分、夕食までには帰れると思うが。」

「ええ、分かったわ。行ってらっしゃい。」

 美菜に動揺は見られない。夫を笑って見送ろうとしてる。続いて真田は観月の方を向いた。

「ちょっとした事件です。観月さん、一緒に来ますか。」

 もちろん。と、観月は肯いた。


「先程、管内でCAMPが発生して第3班が出動しました。」

 表通りに出て、タクシーをつかまえようとする真田。

「でも、なんで真田さんに呼び出しが?」

 疑問を口にする観月。対策庁の勤務は「当番」「非番」「週休」の3つの担当から構成される。勤務に就く「当番」、勤務はしないが当番に出動がかかった際などにCAMPの同時発生に備えて招集される「非番」、そして完全休養の「週休」だ。

 真田が所属する第1班は今日は週休。本来なら呼び出しがかかることはないはずだ。

「現場に対策庁の職員が居合わせたらしい。まだ未確認ですが意識を失ったという情報もあります。第1班(ウチ)の職員かもしれないので、呼び出しがかかりました。」

 そこで、ようやくタクシーが近づいてくる。真田は片手をあげて車を止めると、観月を振り返った。

「俺は一度支所に行きますが、どうします。現場に行くなら少し遠回りになりますよ。」

「お邪魔じゃなければ、私も支所に行きます。今から現場に行っても、おそらく処置は終わっているでしょう。」

 真田は肯くとタクシーに乗り込んだ。続いて、観月も乗り込む。

「CAMP対策庁まで頼む。東竹山町だ。」

 行先を告げると運転手は小さく返事をして、車を発進させた。


 真田は座席に深く腰けた姿勢で、大きく息を吐いた。それから観月に向かって頭を下げた。

「さっきは助かりました。ありがとう。」

「いえ、それよりも何故、あんなことを?」

 観月の言葉に、真田は顔を上げる。そこに宿った苦悩の影に観月は動揺する。

「は、話しづらいことでしたら話さなくても結構ですよ。もちろん。」

 気が付けばそんなことを言っていた。ジャーナリストとしてはもう少し強引に聞き出した方がいいのかもしれないが。

 車内に沈黙が下り、ラジオだけが場違いに響く。

「あなたには迷惑をかけてしまった。嘘に付き合わせたんです。本当なら訳を話すべきなんでしょうが。…すみません。それでも俺は『マスコミ』って奴に身の上話をする気にはなれない。」

 うつむいて、弱々しくそう言う真田。表情は険しく、そこには申し訳なさが感じられた。

「お気になさらず。」

 観月はそれ以外に応える言葉が思いつかなかった。同時に思う。真田のマスコミ嫌いには感情論にとどまらない、なにか確固とした理由があるのではないかと。

 真田は苦い物でも口に含んだような顔で、もう一言だけ付け加えた。

「どうしても気になるのなら、インターネットでも使って俺の名前を調べてみてください。」

 観月は思わず、真田の顔を見返した。しかし、二度言うつもりも、説明するつもりも真田にはないようだった。

 互いに無言のまま、タクシーは支所に到着した。

 中へ入ると、二人を所長の渡が出迎えた。その表情の険しさに嫌な予感が加速した。渡が口を開く。


 現場に居合わせ、意識を失って搬送された職員。それは第1班のオペレーター。斉藤春夫だった。

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