3『ガタガタガタガタガタガタ』
ガタガタガタガタ
ガタガタガタガタ
馬車の揺れる音で目を覚ました。
「目を覚ましたかい?僕の愛しいルビィ?」
俺は何度も己の首がつながっていることを確認する。
「どうやら君は殺しても死なないみたいだね。首を持って下界に降りたのに、まさか首から体が生えてくるなんて!!!!さっすが僕が選んだ君!」
体が重い、まだ首が痛い。
覚えてろよ、、、
声にはならず、喉の奥で呪詛のようにつぶやく。
意識が戻るにつれて、あの「首が吹っ飛んだ瞬間」の冷徹な感覚がよみがえり、背筋にぞっとするような悪寒が走った。
俺は一体何なんだ。
死なない?ふざけんじゃねえ。
首から生えてくる?俺はどっかのヘンテコ生物か?
ガタガタガタガタ
周囲を見渡すと木々の緑。遮るもののない広い空。
ここがもう二度と来たくないと願った「下界」
ボソッ「外にゃこんなんだにゃたんにゃな(外はこんなんだったんだな。)」
スイは長い耳をぴくぴくさせて説明を始める。
「ここは下界の森だよ。モンスターがいっぱいいる。」
「ふーん帰っていいか?」
「ダメに決まってるでしょ!!!!!!」
スイは満面の笑みで、人差し指をチッチッと左右に振った。
「僕のところ以外に君に帰る家なんて最初からないのさ! これからは僕と君、二人だけの新婚旅行なんだからね。ほら、見てごらんよ。下界の森はこんなに緑が豊かだし、君の嫌いな人間たちも、ほら――すぐそこで元気に死にかけてるよ!」
スイが楽しげに馬車の窓の外を指差す。
その言葉に引きずられるようにして外へ視線を向けると、木々の隙間から、鉄の鎧を身にまとった集団が必死に剣を振るっているのが見えた。
「う、動くな! 後衛は早く魔術の詠唱を――」
「ぎゃああああ! 腕が、俺の腕がぁっ!」
薬品の臭いこそしないが、鼻腔をくすぐるのは生々しい血の香りと、肉が焦げる嫌な臭い。
人間たちの悲鳴。そして、それをすり潰そうと咆哮をあげる、巨大な牙を持ったモンスターの群れ。
かつて自分を狭い檻に閉じ込め、実験動物として体をいじくられ、家族を奪った「人間」という存在。
いま目の前で無様に襲われている彼らを見ても、と哀れみや同情の感情は一ミリも湧いてこない。あるのは、ただただ泥泥とした深い嫌悪感だけだ。
「・・・」
心底不快そうに顔を歪め、少しでもそこから離れたそうにスイを見つめる。
スイはスッと目を細めると、まるで獲物を見定めた獣のような、妖しくも美しい微笑みを浮かべる。
「あはは!!本当に人間が嫌いなんだね君は。……ねえ、じゃあさ。君の気が済むまで、あの人間たちを僕がバラバラに引き裂いてあげようか? それとも――」
スイは俺の顔にそっと手を伸ばし、猫のような耳を撫でる。
「君が自分の手で、あの虫ケラどもをひねり潰してみる?」
外からは、いよいよ結界が破れたのか、人間の絶望に満ちた叫び声が一段と大きく響き渡った。
「ぎゃあああああ!」
「結界が崩壊した! モンスターが中まで入ってくるぞ!」
外で喚いているのは醜悪な容貌をしたモンスター。喰らうためだけに、鋭い爪を振るい、人間たちを文字通り蹂躙していた。
……かつて俺を檻に閉じ込め、炎で焼き殺した人間ども。
その醜悪な悲鳴は、本来なら俺にとって心地いい音楽であるはずだった。
なのに。
(痛い 苦しい なんで?なんでだ?なんでだ?痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
目の前でモンスターの吐き散らす火炎に巻かれ、叫びながらのたうち回る人間の姿が、あの日々の自分の記憶と最悪な形でシンクロする。
その恐怖を他人に与えているモンスターの姿を見て、俺の胸の奥で人間への嫌悪とは全く別の変な感情が渦巻く。
「え?」
スイが怪訝そうに首を傾げたときには、俺の身体は動いていた。
嫌いだ。人間は今でも大嫌いだ。
ドゴン、と馬車の扉を蹴り破り、俺は戦場へと飛び出した。
「グルァ!?」
人間に襲いかかろうとしていた巨大な狼型のモンスターを殴り飛ばす。
モンスターたちは瞬時に理解した。目の前に現れた「人間の形をした何か」が、自分たちなど足元にも及ばない恐怖の具現化であるということを。
生き残った人間たちが、腰を抜かしたまま俺の背中を見上げて目を輝かせている。
助けるつもりなんてない。ただ、胸糞悪い光景を消し去りたいだけだ。だって、、、、、
パシャ、パシャ。
血の混じった泥を弾ませて、馬車からスイがゆっくりと歩み出てきた。
彼は周囲の凄惨な死体など目に入らないとばかりに、目を輝かせ
「あはは! まさか人間を守るなんてね! でも、怒って髪を逆立てている君も本当に可愛いなぁ……。」
スイは顎に手を当て、嬉しそうに赤い瞳を細めた。
「人間は嫌いだけど、目の前で理不尽にやられてるのは我慢ならない、ってことだよね? 自分の経験と重なっちゃったのかな。……やっぱり君は、残酷で、そしてとっても優しい。僕の未来のお嫁さんにふさわしいよ!」
「にゃあああああ!」
俺の怒号(鳴き声)と同時に、しびれを切らした一匹の大型モンスターが、恐怖に耐えかねたように狂った咆哮をあげて突進してきた。
標的は俺ではなく――腰を抜かしている人間たちの方だ。
「ひ、ひぃっ……!」
人間が短い悲鳴をあげる。
咄嗟に体が動こうとした、その瞬間。
パチン、とスイが軽やかに指を鳴らした。
瞬時に、突進していたモンスターの巨体が、内側から弾け飛ぶようにして静かに消滅した。血の一滴すら残さず、まるで最初からそこに存在していなかったかのように、虚空へと還元される。
「おっと、僕の可愛い君にこれ以上無駄なエネルギーを使わせるわけにはいかないからね。雑魚の手出しはここまでさ」
スイは空色の髪を揺らしながら、生き残ったモンスターたちを冷ややかに見据える。
その圧倒的な「魔王」としての威圧感に、残されたモンスターたちは一斉に背を向け、一目散に森の奥へと逃げ惑っていった。
静寂が戻った戦場。
パチパチと、まだどこかで燻る炎の音だけが響く。
「た、助かったのか……? 俺たちは……」
鎧を着た人間の一人が、震える声で呟きながら、恐る恐る俺たちへと近づいてこようとする
薬品の臭いと炎の熱さが、また脳裏をかすめる。胸の奥からせり上がる強烈な嫌悪感に、俺はただ冷たく、威嚇するように目を細めた。
「にゃㇲイクニャ(スイ行くぞ)」
その場から一秒でも離れたくて俺は速足で逃げ出した。
パシャパシャと血混じりの泥を踏み鳴らし、俺はただひたすらに、あの人間たちの視線から逃れるように森の奥へと足を速めた。
「もう、そんなに急がなくても人間たちは追ってこられないよ。腰を抜かしてたしね」
気づけばスイが俺のすぐ横に並んで歩いていた。
彼は何がそんなに嬉しいのか、機嫌よさそうに長い耳を揺らしている。
「それにしても、僕の名前を呼んで『行くぞ』なんて言ってくれるなんて……! つまりそれは、僕たち二人の駆け落ちを君が認めてくれたってことだよね!?」
「チガニャウ」
スイは相変わらず「意思疎通魔術」で俺の意図を正確に読み取って、ケラケラと笑っている。
「わかってるよ。でも、君が人間を前にしてあんなに怯える……じゃなくて、嫌悪感を剥き出しにするなんてね。下界に逃げて早々、君のトラウマを刺激しちゃったのは僕の落ち度だ。ごめんね?」
「・・・」
しばらく進んだところで、不意に、森の空気が「パキリ」と凍りついたような感覚に襲われた。
先ほどのモンスターたちの放っていた、泥泥とした生々しい殺気とは違う。
なんかこう、、、威圧感だろうか、、、
「おっと、そこまでだ。美人さんと、それから……正体不明の化け物さん?」
頭上から、低く、おちゃらけた男の声が降ってきた。
ビクッとして俺が足を止めると同時に、スイがスッと俺の前に出て片手をかざす。
見上げると、巨大な大樹の太い枝の上に、一人の男が立っていた。
男は、下界の対魔王組織である「魔術連合局」の、このファンタジア区域を担当する魔術師、テンリュウ・ガストだ。
「ひどいな。こっちは極秘の逃避行中なんだけど、歓迎されすぎじゃないかい?」
スイはいつもの軽い調子で応じるが、その赤い瞳は少しも笑っていない。
「安心してくれ!俺はお礼をしに来ただけなんだ。」
「お礼だって?」
スイは怪訝そうに眉をひそめ、かざした片手は下ろさないまま、赤い瞳で木の上の男をじっと睨み据えた。
「そうさ! 先ほどはうちの無能な部下どもをモンスターから助けてくれて、本当に感謝している。……と言いたいところなんだけど、、、」
「お礼を言うにしても、相手がヤベエ魔力をダダ漏れにして、しかも見たこともない魔術を使ってたらねえ、、、。魔術連合局のファンタジア区域担当としては、このまま『はい、さようなら』と見送るわけにはいかないんだ」
じりじりとガストが近づいてくる
「にゃ、にゃあ……っ(こいつ、近寄るな……!)」
俺の喉から出た怯えと威嚇の鳴き声に、テンリュウはほんの一瞬だけ意外そうに目を見開いた。
「おや、ずいぶんと警戒されているな。俺を怖がっているのか、それとも……激しく『嫌悪』しているのか。どちらにせよ、そんなに殺気立たないでくれよ。せっかくの美女の顔が台無しだぞ?」
「そこまでにしろ、魔術師」
スイの声が、いつもの軽薄さを完全に失って低く響いた。
彼の背後に、先ほどとは密度の違う、空間を歪ませるほどの漆黒の魔力の火の玉がいくつも浮かび上がる。
「僕の可愛いお姫様をこれ以上怖がらせるなら、いくら君がファンタジアの担当だろうと、ここで塵にしてあげるからさ」
「で~一つ提案があるんだが」
ガストはおちゃらけた笑みを浮かべた。
「君たち、魔術連合局に入らない?」
「ニャッ?」
俺の喉から、思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「はは、冗談がきついね。僕たちがなぜ、君たち人間の組織に手を貸さなきゃいけないんだい?」
スイの声は冷徹そのものだった。背後に浮かぶ漆黒の火の玉が、ガストをいつでも消滅させられると言わんばかりに不気味に揺らめく。だが、ガストは怯むどころか、大樹の枝から軽やかに飛び降り、俺たちとの絶妙な距離を保って着地した。
「魔術連合局に入れば、君たちが何者であれ、『戸籍』と『安全』をやる。何より、連合局の任務はモンスターの討伐だ。君たちの圧倒的な力があれば、下界を脅かす魔獣やモンスターどもを合法的に、好きなだけ蹂躙できる。お互いに悪い話じゃないだろ?」
スイは俺の肩を抱き寄せようとしたが、俺はそれを全力で前足(手)で押し返した。
俺の頭の中は混乱していた。人間は嫌いだ。だが、先ほど目の前で理不尽に蹂躙されていた人間と、それを嘲笑うように蹂躙していたモンスターの姿がフラッシュバックする。
あの時、俺の体が動いたのはなぜだ。助けるつもりなんてなかった。ただ、あの檻の日の記憶を思い出させる、理不尽な暴力を消し去りたかっただけだ。
なのに、、、、、、、
「入っちゃう?魔術連合局に。」
ガストは、まるで「お茶でも飲んでいかない?」とでも言うような軽いノリで、もう一度そう繰り返した。
その言葉が、俺の頭の中にすとんと落ちてきた瞬間、何かが激しく弾けた。
「……にゃ」
俺の喉から、低く地を這うような声が漏れる。
人間は大嫌いだ。かつて俺を実験動物として扱い、最終的に焼き殺した人間という種族を、俺は一生許すつもりはない。
だけど――。
さっきのモンスターどもは、それ以上に胸糞が悪かった。
弱者をいたぶり、怯える声を娯楽のように楽しむあの残虐な姿。それは、かつて俺を檻に閉じ込めて笑っていた「人間の研究者ども」の顔と、完全に重なって見えたのだ。
人間を助けたいわけじゃない。
ただ、あの理不尽な蹂躙の光景そのものが、俺の逆鱗に触れた。
だったら、その元凶をこの手で合法的に、徹底的にねじ伏せられる場所があるというのなら――。
「ニャンがえてもイイにゃもシれにゃい。」
「えええええええええっ!?」
スイが悲鳴のような声を上げる。
長い耳をこれでもかと後ろに寝かせて、俺の前に回り込んで
「ちょっと待ってよ君! なんで!? 人間が大嫌いなんじゃなかったの!? 僕との甘い逃避行(新婚旅行)の約束はどこに行っちゃったんだい!?」
という虚言を吐く
俺が前足(手)でスイの顔面をぐいっと押し返すと、ガストは「あはは!」と愉快そうに腹を抱えて笑い出した。
「入るってことでいいのか? いやあ、話がわかる化け物さんで助かるよ。歓迎するぜ、魔術連合局へ」
ガストは懐から古びた、だが奇妙な魔力を放つ羊皮紙を取り出し、空中で指を滑らせた。すると、紙の上に淡い光の文字が浮かび上がる。
「これが『戸籍』の代わりとなる仮登録証だ。君たちの素性は知らんが俺が上にうまく書類を回して隠蔽しといてやる。ただし……」
ガストの目が、悪戯っぽい光から、一瞬だけ鋭いプロの魔術師のそれに変わった。
「タダで匿ってやるほど、俺も連合局もボランティアじゃない。さっそくで悪いんだが、お前らには、、、、、、」
「魔術師養成学校に入学してモライマアアアアアアアアアアアアアアス!!!!!」
ガストは顔をこれでもかと近づけ、大真面目な顔で、とんでもない爆弾を投げつけてきた。
「……にゃ?」
俺の喉から、今日一番の気の抜けた声が漏れる。
がっこう。にゅうがく。
その言葉をスイが持ってきた本で読んだことがある。
俺がもっとも忌み嫌う「人間」の、それもガキどもがウジャウジャと群れる空間のことだろうか。
「ちょっと待ってくれよガスト君!」
すかさずスイが、オイオイと突っ込みを入れる。
「僕のよめは生まれたばかりなんだぞ!?(※数日前) それに、、人間のガキどもに混ざって机を並べるだって? 冗談じゃない、そんなの僕たちの新婚生活の邪魔でしかないじゃないか!」
「おっと、落ち着けって」
「さっきも言っただろ? 君たちの素性は完全に隠蔽する。そのためには、外から来た『正体不明の化け物』じゃ都合が悪いんだよ。連合局が直轄する『ファンタジア高等魔術師養成学校』の生徒として籍を置く。それが、下界で一番怪しまれずに身分を偽装できる方法なんだ。それに……」
ガストは今度は俺の方を見て、人差し指をチッチッと振った。
「そこのお嬢さん、文字はなんとなく読めるみたいだけど、ここの常識も、まともな発声もできないだろ? 学校ってのは、そういう『足りない知識』を詰め込むにはうってつけの場所なんだよ。嫌いな人間にナメられたくないなら、まずは人間のルールを学ぶことだな」
「……っ」
俺はぐうの音も出なかった。
確かに、スイのおかげで文字は読めるようになってきたが、言葉はまだ「にゃーにゃー」としか発音できない。意思疎通魔術がなければ、スイとの会話すらまともにできないのが現状だ。
何より、あの薬品の臭いがする実験室の人間どもは、俺には理解できない「高度な術式」を使って俺を縛り付けていた。
人間に復讐するにしても、人間をこの世界から無視するにしても、『知る』ことが必要だ。
「入学手続きは俺が済ませておく。制服と教科書は明日、馬車で宿まで届けさせるよ。じゃあな、新入生のお嬢ちゃんとその旦那さん。怒って学校を消滅させたりするなよ?」
ガストはそう言い残すと、ひらひらと手を振りながら、風のように森の奥へと消えていった。
最悪だ。人間を殴り飛ばすはずが、人間の学校に行くことになってしまった。
明日から始まる「学園生活」とやらは、一体どうなってしまうのだろうか、、、、、、、




