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開拓するクズ

 能力には限界がある。そして限界があるなら、伸ばせる可能性もある。翌朝、テントの中で目を覚ました誠二は、真っ先にそう考えた。元の世界でもそうだった。営業だろうが女の扱いだろうが、最初から上手い人間などそうはいない。数をこなし、失敗し、慣れた人間が最後には勝つ。もしこの力が筋肉や技術と同じようなものなら、使えば使うほど成長するかもしれない。逆に言えば、ここで慎重になりすぎれば、いつまで経っても森の中の遭難者のままだ。誠二は朝食代わりに生成したおにぎりを二つ胃に流し込み、残りを毛布の上へ置くと、その日から本格的な能力検証を始めることにした。


 最初に試したのは水だった。掌から水を出し続け、それを片手鍋へ溜める。疲れたら休み、回復したらまた出す。ただそれだけの単純作業だったが、続けてみると意外に得るものは多かった。勢いよく出そうとすれば消耗が早く、細く長く出す方が負担は少ない。さらに、掌の上に直接水を生み出す感覚と、周囲の湿気を集めている感覚が微妙に違うことにも気付いた。前者は疲れやすく、後者は遅いが楽だった。理屈は分からない。だが、感覚として区別できる以上、使い分ける価値はあった。


 三日ほど繰り返すと、明らかな変化が現れた。当初は鍋一杯分の水を出すだけで頭痛と吐き気に襲われていたのに、今では二杯、三杯程度なら問題なく出せる。気のせいではない。能力の上限そのものが増えている。誠二はその事実を確認すると、森の中にもかかわらず思わず笑みを浮かべた。成長する能力など、どう考えても反則だった。しかも、教師も試験も資格もいらない。ただ使えば伸びる。そういう単純さは嫌いではない。


 次に食料や日用品で試してみる。おにぎりを十個、二十個と出し続け、煙草を一箱ずつ生成し、ペットボトルの水を並べる。さらに、ナイフ、ライター、工具箱と徐々に質量を増やしていった。やはり重い物や複雑な構造を持つ物ほど消耗は激しい。しかし、数日前には一本出すだけで寝込んでいた鉈を、今では三本程度なら問題なく生成できるようになっていた。誠二はノートとボールペンを出し、能力の使用回数や生成物を記録し始めた。異世界だろうが何だろうが、データを取る習慣は会社員時代に嫌というほど叩き込まれている。


 検証を進める中で、能力の条件もさらに見えてきた。やはり、触れたことのない物は出せない。テレビCMで見ただけの高級車は出ず、ネット通販で欲しいと思っていた腕時計も出なかった。しかし、実家にあった古い電気ケトルや、コンビニで買ったことのある弁当、ホームセンターで手に取ったことのある工具類は問題なく出せる。誠二は、自分の人生経験がそのまま能力の幅に直結していることを理解した。そう考えると、出張で全国を飛び回っていた会社員時代も、風俗店で雑多な物品を扱っていた経験も、案外無駄ではなかったのかもしれない。


 もっとも、能力は万能ではなかった。試しに犬を思い浮かべたが、何も起こらない。昆虫や魚も同様だった。生物は駄目らしい。冷静に考えれば当然だ。生き物まで作れるなら神の領域である。誠二は少し考えた末、納豆を出してみた。パック自体は出現したが、味はおかしかった。発酵していないのである。菌や微生物は再現できないらしい。その結果、奇妙な粘り気のある豆の塊ができあがった。ひどい味だった。誠二は一口で吐き出し、二度と試さないと決めた。


 その一件で、生成される食べ物の扱いにも注意が必要だと分かった。ハンバーガーやおにぎりは問題なく食べられる。だが、発酵食品や菌に依存する食品は再現が怪しい。ヨーグルトも試したが、ただ酸味のある乳製品のような何かになった。酒は出せた。缶ビールも安いワインも、過去に飲んだことのある物なら出現する。しかし酔いすぎれば判断力が鈍る。森の中で酔い潰れるなど自殺に近い。誠二は、酒は気分転換用に一本だけと決めた。自制できるなら長生きする。自制できないなら、だいたい誰かに利用されて終わる。


 一週間ほど能力の鍛錬を続けた頃には、誠二の生活は完全に実験中心になっていた。朝起きて食事を取り、能力を使って倒れそうになるまで物を出し、休憩してまた繰り返す。森の探索は最小限だ。もちろん、このまま森を抜けられない可能性も考えていたが、無計画に歩き回るより拠点を作る方が生存率は高い。特にこの森は異常だった。歩けど歩けど景色は変わらず、人の痕跡も見当たらない。大型獣の気配はあるのに、獣道すら存在しない。下手に遠出して帰れなくなれば笑い話にもならなかった。


 テント生活もそろそろ限界だった。毛布を増やしたとはいえ、夜は冷えるし、雨でも降れば終わりである。何より、地面が硬い。四十を過ぎた体にはかなり堪えていた。寝起きの腰痛は日ごとに悪化し、肩も首も固まっている。森で死ぬ前に、腰をやって動けなくなるかもしれない。誠二は昔使っていた折り畳みベッドを生成しようとしたが、これが意外に重く、一度目は失敗した。二度目は出せたものの、生成直後に膝をつき、しばらく動けなかった。


 それでも、ベッドがあるだけで生活は変わった。ブルーシートを敷き、その上に折り畳みベッドを置き、毛布を重ねる。寝心地は安いビジネスホテルにも及ばないが、地面に直接寝るよりは遥かにましだった。誠二は横になりながら、天井代わりのテント布を見上げる。人間というのは、少し快適になるだけで次が欲しくなるものだ。水が出れば鍋が欲しくなり、鍋があれば火が欲しくなり、火があれば屋根と壁が欲しくなる。欲望には際限がない。だが、誠二にとって欲望は悪ではなかった。欲しいと思うから人は動く。欲しがらない奴から死んでいく。


 まともな建物が欲しい。しかし、プレハブ小屋のような大きな構造物を所有したことはない。どうしたものかと考えていた時、誠二はふと思い出した。会社員時代、地方出張の途中で立ち寄った無人駅である。その駅は廃線寸前だった。木造平屋建ての小さな駅舎で、待合室と事務室、宿直用の小部屋があり、何より薪ストーブが備え付けられていた。利用者などほとんどいない駅だったが、冬場に訪れた時の暖かさが妙に印象に残っていた。


 出張先へ向かう途中、電車を一本逃して一時間ほど滞在しただけだった。だが、誠二はその駅舎をよく覚えていた。古びた木の匂い。擦り減ったベンチ。窓際に置かれた丸い薪ストーブ。事務室の奥にある小さな流し台。宿直用の畳敷きの部屋。あの頃は、どうしてこんな寂れた駅に金をかけて残しているのかと馬鹿にしていた。だが今となっては、その記憶が宝に見える。誠二は試しに、駅舎全体を頭の中で思い浮かべた。


 結果、盛大に失敗した。駅舎らしき木材の塊は出現したものの、生成途中で意識を失ったのである。目を覚ました時には半日が経過していた。頭痛と吐き気は酷く、全身から汗が噴き出していた。だが、その苦労は無駄ではなかった。目の前には、歪ながらも木造駅舎が存在していたのだ。完全ではない。地面の整地をしていなかったせいで床は傾き、一部の壁も歪んでいる。それでも、屋根があり、壁があり、扉があり、待合室と事務室と小部屋がある。誠二はしばらく無言で建物を眺めた後、低く笑った。


 もちろん、すぐに住める状態ではなかった。扉は閉まるが隙間が多く、窓枠も一部が歪んでいる。床は歩くたびに軋み、壁の一部には妙な段差ができていた。だが、雨風を防ぐには十分だ。誠二は生成した工具を使い、歪んだ部分を少しずつ補修していった。釘、金槌、ドライバー、木ネジ、金具。ホームセンターで触ったことのある物なら、たいてい生成できる。建築の専門知識はないが、素人補修でも穴を塞ぐくらいはできた。


 駅舎の最大の価値は薪ストーブだった。煙突も含めて生成されていたため、煙を外へ逃がせる。もちろん安全性には不安があったが、火を屋内で扱える恩恵は大きい。誠二は周辺の枯れ枝を集め、薪として乾かし始めた。太い木は鉈と鋸で割る。これがなかなかの重労働だった。会社員時代も風俗店勤務時代も、肉体労働とは縁遠い。スポーツはある程度できたが、薪割りは別物だった。何度も手に豆を作りながら、それでも誠二は続けた。寒さで死ぬよりは、手の皮が剥ける方がましだった。


 そこから先は早かった。誠二は小川の近くを正式な生活圏に定めた。水源があり、比較的開けた土地でもある。まず鉈や鋸を使って周囲の木々を整理し、駅舎の周辺を整地する。さらに倒木を利用して簡単な柵を設置し、侵入経路を限定した。大型獣を防げるほどの強度はないが、少なくとも接近すれば音が出る。森の中では、それだけでも十分価値があった。空き缶に小石を入れて紐で吊るし、簡易的な鳴子のようなものも作った。見た目は間抜けだが、音が鳴れば起きられる。


 生活環境も急速に改善された。薪ストーブがあるだけで夜の不安はかなり減る。毛布と寝袋を重ねれば、少なくとも凍えて起きることはなくなった。問題は水道と電気だった。水については、大型ポリタンクを複数生成し、小川から水を汲み上げて利用することにした。しかし、毎回手で運ぶのは面倒だ。誠二はホームセンターで見た塩ビパイプや継手を生成し、高所へ設置した大型タンクから自重で水が流れる仕組みを作り始めた。


 完成した設備は、正直言って酷いものだった。単管パイプを組み上げた不格好な櫓の上にタンクを載せ、そこから塩ビパイプを駅舎まで引いただけである。固定は雑で、ところどころビニールテープと結束バンドに頼っている。見た目は素人工作そのものだったが、水は流れた。蛇口を捻れば水が出る。たったそれだけのことに、誠二はひどく感動した。文明のありがたさを、異世界へ来てから初めて理解した気がした。


 もちろん、小川の水をそのまま使うのは危険だった。飲み水は能力で出したものか、一度煮沸したものに限る。洗い物や掃除には小川の水を使い、飲用や料理用には生成水を使う。そう決めるだけで、生活はかなり安定した。さらに、実家で見たことのある簡易浄水器も生成できたため、精神的な安心感は増した。誠二は自分が清潔好きだったわけではないと思っていたが、汚れた鍋や臭う服に囲まれていると気が滅入る。清潔さは贅沢ではなく、精神を保つための武器だった。


 電気についても似たようなものだった。大型発電機は出せる。しかし、ガソリンが有限である以上、常用する気にはなれない。能力でガソリンを出せるか試したところ、携行缶に入った形なら生成できた。触れたことがあるからだ。ただし、液体燃料は水よりも明らかに負担が重かった。火災の危険もある。悩んだ末、誠二は自宅のベランダに設置していた小型ソーラーパネルを思い出した。試してみると問題なく生成できたため、駅舎の屋根へ設置する。蓄電池も出せたため、スマートフォンやLED照明程度なら十分運用できた。


 ドライヤーや電子レンジを長時間使う余裕はない。洗濯機も一度生成してみたが、動かす電力と水量を考えると現実的ではなかった。だが、夜に明かりが灯るだけで精神的な余裕は段違いだった。暗闇は思考を悪い方へ引っ張る。明かりがあると、ここがただの森ではなく、自分の支配下にある場所のように見える。誠二はLEDランタンを壁に吊るし、事務室の机にノートを広げた。そこには、生成可能な物品の一覧、消耗の程度、設備の改善案が雑に書き込まれている。


 気付けば一か月近くが経過していた。森を抜けるどころか、誠二は完全に定住生活へ移行していた。駅舎の待合室にはベンチとテーブルが置かれ、事務室は寝室になっている。薪ストーブには夜ごと火が入り、東屋は倉庫代わりだ。周辺には薪置き場まで作られていた。さらに、昔所有していたキャンプ用品や工具類も増え続けている。テントは予備の寝床として畳まれ、ブルーシートは雨除けや物置の屋根として使われていた。


 食生活も安定していた。朝はおにぎりかパン、昼はカップ麺かレトルト、夜は鍋で温めた惣菜や缶詰。野菜不足が気になったため、過去に買ったことのある野菜ジュースやサプリメントも出している。効果があるかは知らないが、何もしないよりはましだ。生鮮食品は扱いが難しい。肉や魚は出せるが保存できないため、その日のうちに食べる必要がある。冷蔵庫は出せても電力が足りない。結局、常温保存できる物が中心になった。誠二は文句を言いながらも、飢えていた初日を思えば贅沢すぎると理解していた。


 能力も成長していた。当初はテント一張りを出すだけで気絶していたのに、今では大型タンクやソーラーパネルを複数生成しても倒れなくなっている。成長速度は緩やかだが、確実に上限は増えていた。ただし、調子に乗ると痛い目を見る。ある日、誠二はバイクを生成しようとした。昔乗っていた中型バイクである。生成自体は成功したが、その場で気絶した。目を覚ますと夕方で、体は鉛のように重かった。しかも森の悪路では、バイクはほとんど役に立たなかった。タイヤはぬかるみに取られ、倒木を越えられず、結局駅舎の裏に放置されることになった。


 その失敗は、誠二に現実を教えた。文明の道具は環境が整っていて初めて力を発揮する。道路のない森でバイクを出しても、ただの重い鉄塊でしかない。電子レンジも洗濯機も、電力がなければ箱だ。インターネットにつながらないスマートフォンも、保存された写真とメモ帳以外は大して役に立たない。元の世界の便利さは、道具単体ではなく、それを支える巨大な仕組みの上に成り立っていた。誠二はそのことを理解し、同時に、自分が再現できる文明には限界があると認めた。


 だが、限界を認めることと諦めることは違う。誠二はまず、森で役立つ道具を優先することにした。刃物、ロープ、防寒具、雨具、保存食、照明、警報、簡易医療品。包帯や消毒液、湿布、鎮痛剤は生成できた。薬については少し怖かったが、過去に服用したことのある市販薬なら出せる。効果が同じかどうかは試すしかない。幸い、軽い頭痛薬は普通に効いた。これだけでもかなり大きい。怪我をした時に何もないのと、最低限の薬品があるのとでは、生存率が違う。


 そして誠二は、ある日、自分の財布を眺めながら妙なことを思いついた。財布の中には現金が入っている。千円札、五千円札、一万円札。試しに一万円札を取り出し、それと全く同じものを生成してみた。出現した紙幣は、見た目では本物と区別がつかない。元の世界なら偽札製造で一発アウトだが、この世界に日本の法律はない。そもそも日本円が通用する可能性もない。それでも、紙幣を生成できるという事実は大きかった。


 次に硬貨を試した。十円玉、百円玉、五百円玉。いずれも問題なく出せる。金属そのものを生成できるのなら、異世界の貨幣を一度手に入れれば増やせるかもしれない。そう考えた瞬間、誠二の頭の中で商売の算段が一気に広がった。貨幣を複製できるなら金持ちになれる。希少な金属製品を出せるなら、鍛冶技術の低い世界ではさらに価値が出る。布、鏡、刃物、酒、砂糖、香辛料。何が高く売れるかは分からないが、何も売れない世界など存在しない。


 もちろん、見せびらかせば奪われる。誠二はその程度のことは理解していた。元の世界でも、金を持っていると分かった人間の周囲には、必ずタカリが湧く。善意の顔をした寄生虫もいれば、最初から暴力で奪う連中もいる。異世界ならなおさらだ。こちらには戸籍も後ろ盾もない。妙な力を持っていると知られれば、王侯貴族だか魔法使いだかに囲われる可能性もある。だから、能力は隠す。売る物は選ぶ。由来は誤魔化す。必要なら嘘をつく。誠二にとって、それは悪事ではなく当然の防衛策だった。


 そこまで考えて、誠二は少しだけ帰還について考えた。元の世界に未練がないわけではない。風呂にも入りたいし、柔らかいベッドで寝たい。インターネットも恋しい。お気に入りの漫画の続きも気になる。だが、元の世界へ戻ったところで、待っているのは面倒な店の仕事と、腐った人間関係と、先の見えない中年の生活である。こちらには危険がある。だが、同時に自由もある。働かなくても食える。誰からも指図されない。能力を使えば、一財産築けるかもしれない。


 その結論に至った時、誠二は自分が思ったほど絶望していないことに気付いた。むしろ、少し楽しんでいる。もちろん森は怖い。夜の獣の声には今でも身が竦む。だが、拠点が整うにつれて、恐怖は管理可能なリスクへ変わりつつあった。リスクは避けるだけではなく、利用するものだ。危険な森の奥にあるからこそ、この拠点は簡単には見つからない。見つからないからこそ、能力を隠して試せる。そう考えれば、この辺境は不幸ではなく、準備期間として都合が良かった。


 誠二は一度、小川を下ってみることも考えた。ゴムボートを生成し、川沿いに進めば人里へ辿り着けるかもしれない。水は低い方へ流れる。人間は水辺に住む。理屈としては悪くない。しかし、もし何もなかったらどうするのか。戻る途中で大型獣に襲われたらどうするのか。川が途中で滝になっていたら、あるいは急流に変わっていたら、ボートごと終わる。戻らなくても新たに拠点を築けばいいという考えもあったが、ここまで整えた環境を捨てる気にはなれなかった。


 結局、誠二は冒険を諦めた。無謀な挑戦は英雄の仕事だ。誠二は英雄ではない。あくまでどこにでも居る性格の悪い中年であり、現実主義者だった。逃げ道を残しながら利益を積み上げる。それが彼の流儀である。だからこそ、彼は拠点を捨てない。まずはここを固める。周囲を把握する。能力を鍛える。もし人が来るなら、こちらが優位な場所で迎える。その方が安全で、交渉にも強い。自分から危険へ飛び込む必要などない。


 その後の数日、誠二は拠点の防備と快適性をさらに上げた。駅舎の周囲にロープを張り、空き缶や金属片を吊るして音が鳴るようにする。見通しを良くするため、邪魔な低木を切り払う。小川へ向かう道には目印を付け、迷わないようにした。さらに、薪置き場の屋根をブルーシートで覆い、雨でも燃料が湿らないようにする。こうした地味な作業は面倒だったが、終わるたびに生活圏が少しずつ広がっていく感覚があった。


 ある夜、誠二は待合室のベンチに座り、薪ストーブの火を眺めていた。外では風が木々を揺らし、遠くで獣の鳴き声が響いている。だが、駅舎の中は暖かい。手元には安いワインと缶詰。壁にはLEDランタンが灯り、机の上には生成物の一覧を書いたノートがある。異世界の森の真ん中にしては、悪くない生活だった。誠二はワインを一口飲み、薄く笑う。もしこの姿を元の職場の連中が見たら、どう思うだろうか。死んだと思って笑うか、羨ましがるか。どちらにせよ、もう関係ない。


 人間は環境に慣れる。最初は恐怖しかなかった森も、今では自分の庭のように感じ始めていた。もちろん錯覚だ。少し奥へ入れば、六本脚の獣も羽毛の化け物もいる。だが、拠点周辺だけは違う。ここには誠二の手が入っている。切り払った木、張り巡らせたロープ、積み上げた薪、歪んだ駅舎、不格好な水道、屋根のソーラーパネル。すべてが自分の所有物であり、自分の支配下にある。元の世界では大した資産もなかった男が、異世界で初めて領地めいたものを持ったのである。


 その感覚は、誠二の中の欲をさらに刺激した。もっと広げられる。もっと整えられる。人間を使えれば、さらに早い。自分一人では限界があるが、誰かに作業させればいい。食料を出せる以上、雇うための餌はある。問題は信用できるかどうかだが、信用など最初から期待しなければいい。首輪の付け方を考えればいいだけである。金、食料、安全、快適な寝床。人間はそういうもので簡単に動く。特に、飢えている人間は安い。誠二は元の世界で、それを嫌というほど見てきた。


 だから、最初の来訪者が現れる前から、誠二は他人を助けるつもりなどなかった。利用価値があれば助ける。なければ追い返す。危険なら殺すことも選択肢に入れる。人を殺めた経験はない。だが、必要になった時にためらい続けるほど善人でもない。そんな自分を最低だとは思わなかった。最低でも生き残る奴と、善良だが死ぬ奴なら、誠二は迷わず前者を選ぶ。


 それから数日後、森の空気がわずかに変わった。朝から鳥の声が少なく、遠くで何かが移動するような気配があった。大型獣かと思い、誠二は鉈を手に警戒したが、音は妙に不規則だった。獣にしては足取りが乱れている。複数いる。しかも、小川の方角からゆっくり近付いてくる。誠二は駅舎の陰に身を潜め、息を殺した。やがて木々の間から現れたのは、三人の人影だった。


 その瞬間、誠二は森に来て初めて、自分以外の人間を見た。正確には、人間に見えるものだった。気の強そうな顔つきの女。背の高いひょろりとした男。小柄で太り気味の男。三人とも薄汚れ、疲れ切り、まるで蛮族か盗賊のような格好をしている。だが、腰には武器があり、背には荷物の残骸があった。誠二は鉈を握る手に力を込めながら、まず最初にこう考えた。助かった、ではない。情報源が来た、と。森で一か月暮らした男の思考は、すでにそれほどまでにこの世界へ馴染み始めていた。

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