表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

可能性のクズ

 目を覚ました瞬間、誠二は自分がまだ生きていることに軽く驚いた。冷たい地面に背中を預けたまま眠ったせいで、全身の関節が軋んでいる。落ち葉を集めて敷いたつもりだったが、そんなものは薄い布団にもならず、腰と肩には鈍い痛みが残っていた。夜の間に何度も目が覚め、そのたびに周囲の闇へ耳を澄ませた記憶がある。遠くで獣の鳴き声が響き、枝が折れる音がして、そのたびに心臓が縮むような思いをした。だが、どうにか食われずに朝を迎えた。誠二は鼻をすすりながら上体を起こし、まず自分の手足が揃っていることを確認した。


 森は昨日と同じだった。冷えた朝の空気に針葉樹の匂いが濃く混じり、木々の隙間から差し込む光が苔の上に薄く広がっている。幻想的と言えば幻想的だが、誠二にはそんなものを楽しむ余裕はなかった。喉が渇いている。腹も減っている。昨日見つけた小川が近くにあるだけ、まだ運はいい。問題は食料だった。森の中に食えるものがある可能性はあるが、素人が見分けられるほど甘くはない。毒キノコを食って腹を壊すくらいなら、何も食べない方がましだ。誠二は立ち上がり、ふらつく足で小川へ向かった。


 水を飲みながら、誠二は昔テレビで見たサバイバル番組を思い出していた。蔦を切れば水が出るとか、葉に溜まった朝露を集めるとか、そういう知識である。実際に役立つかどうかは分からないが、試さないよりはましだ。誠二は小川の近くに生えていた蔦のような植物を見つけ、ポケットナイフで切ってみた。しかし出てきたのはわずかな樹液だけで、飲めるのかどうかすら怪しい。葉を丸めて簡易的なコップを作ろうともしたが、すぐに裂けて使い物にならなかった。器がない。鍋がない。水はあるのに持ち運べない。文明というものが、どれほど小さな道具の積み重ねで成り立っていたのかを、誠二は嫌というほど思い知らされた。


 苛立ちが募った。昨日から何もかもが思い通りにならない。元の世界では少なくとも、スマートフォン一つで食事を注文できた。コンビニへ行けば水も弁当も買えた。店では女をどう売るか、客からいくら引っ張るか、そういう面倒はあっても、飢え死にを心配する必要などなかった。誠二は濡れた手を見下ろし、思わず舌打ちした。


 「水くらい出ねぇのかよ」と呟いたのは、ほとんど八つ当たりだった。何かに祈ったわけでもないし、奇跡を期待したわけでもない。ただ、あまりにも不便な状況に腹が立ち、口から出ただけの言葉だった。


 次の瞬間、掌に冷たい感触が生まれた。誠二は眉をひそめた。両手を広げると、掌の中心から透明な水がじわりと滲み出している。汗ではない。滴になった水が指の間を伝い、地面へ落ちた。誠二は数秒間それを見つめた後、恐る恐る手を傾けた。水はなおも少しずつ湧き続けている。手品でも幻覚でもない。誠二は慌てて両手を口元へ寄せ、溜まった水を舐めた。冷たい。味はない。小川の水よりも癖がなく、少なくとも口に含んだ瞬間に異常を感じるようなものではなかった。


 誠二はしばらく無言で掌を見続けた。六本脚の鹿や羽毛の化け物を見た時点で、常識の外側に放り込まれていることは理解していた。しかし、自分の体から水が出るとなると話は別だった。化け物がいる世界に迷い込んだだけなら、まだ被害者で済む。だが、自分にも何かが起きているとなると、使い方次第で状況を変えられる可能性がある。誠二は再び水を出そうと意識した。掌に水が集まる。今度は少し多い。小さな湧き水のように水が溢れ、指の間からこぼれ落ちる。そこで急に軽い眩暈がした。頭の奥を薄く削られたような疲労感が走り、誠二は慌てて意識を切った。


 疲れる。水を出すと疲れる。まず分かったのはそれだった。無限に出せるわけではないらしい。だが、出せること自体が異常だ。誠二は水辺の石に腰を下ろし、次に何ができるか考えた。水が出せるなら、食べ物も出せるのではないか。そう思った瞬間、朝に食べたファーストフードのことが頭に浮かんだ。転移前の朝、駅前の店で買ったハンバーガー。安い肉の匂いと、少し潰れたバンズと、紙に包まれたあの感触。腹が減っていたせいで、記憶は妙に鮮明だった。誠二は右手を見つめ、頭の中でそれを強く思い浮かべた。


 掌の上に、ずしりと重みが生まれた。誠二の手には、白い包装紙に包まれたハンバーガーが乗っていた。見覚えのあるロゴこそなかったが、形も重さも匂いも、記憶の中のそれとほとんど同じだった。誠二はまず包装紙を開け、匂いを嗅いだ。腐ってはいない。温かくはなかったが、冷え切ってもいない。恐る恐る一口齧る。肉の味がした。パンの味がした。ケチャップとピクルスの酸味が舌に広がる。誠二はその場で笑いそうになった。異世界だろうが何だろうが、食えるものを出せるなら話が変わる。


 だが、誠二はすぐに食べ切らなかった。半分ほど食べたところで手を止め、残りを包み直す。食料を出せる能力があるとしても、条件も制限も分からない。浮かれて使い潰せば死ぬ。誠二は次に、同じハンバーガーをもう一つ出そうとした。出た。今度は明らかに頭が重くなった。二つ目を地面に置き、三つ目を試す。出たが、胃の奥がひっくり返るような不快感があった。四つ目を試そうとした瞬間、視界が一瞬暗くなり、誠二は慌ててやめた。量に比例して負担が増す。少なくとも無制限ではない。


 水と食料が出せる。ならば道具はどうか。誠二は自分のポケットナイフを取り出し、それを見ながら同じものを思い浮かべた。掌に金属の冷たい重みが生まれ、同型のナイフが現れた。刃を開き、元のナイフと見比べる。細かな傷や汚れまでは再現されていないが、形はほぼ同じだった。刃も使えそうだ。次にライターを想像する。これも出た。火も点いた。誠二は思わず口角を吊り上げた。水、食料、刃物、火。生存に必要な最低限の要素が、突然手元に揃ったことになる。


 そこから誠二は慎重に実験を始めた。もし人間社会があるなら、この力で出したものを売れば一気に金持ちだ。そう考えた瞬間、昨日まであった絶望が、別の形の欲に塗り替えられていくのを自覚した。


 ただし、何でも出せるわけではなかった。誠二は試しに、テレビCMで見た新作の高級腕時計を出そうとした。出ない。画像で見たことのあるスポーツカーも出ない。ネットで欲しいと思っただけの服も出なかった。逆に、昔持っていた安物の腕時計は出た。家にあった古いマグカップも出た。コンビニで買ったことのある弁当は出たが、広告で見ただけの限定商品は出なかった。誠二はそこで一つの仮説を立てた。自分が実際に触れたことのあるもの、所有したことのあるもの、少なくとも手に取った経験があるものなら出せる。見ただけ、欲しいと思っただけのものは出せない。


 食べ物についても同じだった。朝食べたハンバーガーは出せる。過去に買ったことのある牛丼やコンビニのおにぎりも出せた。だが、テレビで紹介されていた高級寿司は出せなかった。触れたことがないからだろう。誠二は、ここで自分の過去に少しだけ感謝した。会社員時代には出張が多かった。全国のビジネスホテルに泊まり、駅弁を買い、コンビニ飯も外食もそれなりに経験している。風俗店で働くようになってからも、差し入れや客からの土産を扱うことは多かった。豊かな食生活とは言えないが、種類だけはそれなりにある。少なくとも森で飢え死にするよりは、遥かにましだった。


 誠二は半日ほど能力の検証に費やした。水を出し、食料を出し、ナイフを複製し、ライターで火を点け、煙草を一本だけ吸った。煙が肺に入った瞬間、ようやく自分の精神が少し落ち着いたことを感じた。元の世界では健康に悪いだの臭いだの散々言われたが、今この状況では精神安定剤として十分に役立っている。問題は疲労だった。何かを出すたびに、体の奥から熱を抜かれるような感覚がある。水のように軽いものは負担が小さい。食料はそれなり。金属製のナイフはさらに重い。質量か、複雑さか、あるいは両方か。詳しい理屈は分からないが、能力には燃料のようなものが必要らしい。


 日が傾き始めた頃、誠二は寝床を本格的にどうにかする必要を感じた。昨日と同じように地面で眠れば、寒さと獣に殺される可能性が高い。火を焚けば獣除けになるかもしれないが、逆に何かを引き寄せる可能性もある。安全な場所が欲しい。木の上に登ることも考えたが、四十代の体で夜通し枝にしがみつくのは無理がある。そこで誠二は、昔キャンプで使ったタープを思い出した。友人に誘われて数回だけ使った安物だ。大して楽しくもなかったが、道具だけは触っている。誠二は頭の中でタープの生地、ポール、ペグ、ロープを思い浮かべた。


 現れた。地面に丸められたタープ一式が落ちる。誠二は膝に手をつき、荒い息を吐いた。思った以上に負担が大きい。だが、これで雨風は多少しのげる。次にテントを思い浮かべた。会社員時代、後輩に誘われて一度だけ使った二人用のドームテントだ。あの時は設営をほとんど後輩にやらせ、自分は酒を飲んでいた記憶しかない。それでも触れたことはある。数秒後、収納袋に入ったテントが足元に現れた。そこで視界が大きく揺れた。誠二は木に手をつき、吐き気を堪える。大きいものを出すと危ない。今の自分の限界を知らずにやれば、意識を飛ばす。


 それでもテントは必要だった。誠二は休み休み設営を始めた。説明書はないが、記憶と構造を見ながら何とかポールを通し、ペグを打つ。地面が柔らかい場所を選び、周囲に枝を並べて簡単な目印と障害物を作る。火を焚く場所は少し離し、落ち葉をどかして地面を露出させた。鍋が欲しいと思い、実家で使っていた片手鍋を生成する。これも出せた。水を入れ、ライターで火を点け、拾った枝を燃やす。湿った木が多く煙ばかり出たが、ナイフで乾いた内側を削れば何とか燃えた。誠二は現代人としては情けないほど不格好な手つきで、それでも生きるための小さな野営地を作り上げていった。


 火を見つめながら、誠二は自分の能力について考え続けた。これは単なる物品の生成なのか。それとも、もっと広い意味で現象を起こせるのか。水を出した時、掌から湧いたように見えたが、もしかすると周囲の水分を集めただけかもしれない。ハンバーガーは明らかに質量が増えている。だとすれば、何か別のエネルギーを使って物質化しているのか。考えたところで専門知識はない。ただ、能力が欲求に反応していることだけは分かった。水が欲しい。食べ物が欲しい。道具が欲しい。その欲求に、何かが応えている。


 夕食はおにぎりとカップ麺にした。カップ麺は出せたが、湯を注いで待つだけという便利さに、誠二は思わず笑った。箸も出せる。割り箸なら何度も触っている。熱い汁を飲み込むと、体の芯が温まっていく。こんな森の中でカップ麺をすすっている自分の姿は滑稽だったが、笑えるだけ昨日よりは余裕があるということだ。誠二は食後、毛布を出そうとした。自宅の押し入れにあった、まだ新しい毛布である。出た。だが、その瞬間、膝から力が抜けた。体が重い。瞼が落ちる。色々と生成しすぎた負担が重なったのだろう。


 倒れ込む前に、誠二はどうにかテントの中へ這い込んだ。入口を閉め、毛布を体に巻き付ける。火の管理が気になったが、焚火は小さくしてあり、周囲の落ち葉もどかしてある。完璧ではないが、今の体力ではそれ以上できなかった。眠気というより、意識そのものが底へ沈んでいく感覚だった。能力を使いすぎると気絶する。最後にそう記憶へ刻み込む。誠二は自分の間抜けさに舌打ちしたかったが、その余力すらなかった。


 翌朝、誠二は寒さと背中の痛みで目を覚ました。毛布があるだけ昨日よりはましだったが、地面の硬さは容赦がない。テントの内側には薄く結露がついており、吐く息はわずかに白かった。幸い、焚火の跡は大きな問題を起こしていない。獣に襲われた形跡もなかった。誠二はしばらく寝転がったまま、昨日の出来事を反芻した。能力は本物だ。水も食料も道具も出せる。ただし、触れたことがあるものに限られ、使いすぎれば倒れる。体力なのか魔力なのかは知らないが、上限がある。


 状況は最悪に近い。見知らぬ森。人里なし。危険な獣。帰る方法も分からない。だが同時に、普通の遭難者とは違う。自分は食料を出せる。道具を出せる。金も出せる。これがもし人間のいる世界なら、やりようはいくらでもある。元の世界では、年齢も職歴も人間関係も、じわじわと誠二の選択肢を狭めていた。だがこの世界では、少なくとも今のところ、過去の失敗を知る人間はいない。戸籍もない。借金もない。店の面倒な人間関係もない。あるのは、危険な森と、使い方次第で金になる力だけだ。


 帰りたいという気持ちはあった。風呂に入りたいし、柔らかい布団で寝たいし、スマートフォンでくだらない動画も見たい。だが、働かなくても食える可能性があるという一点だけで、誠二の中の恐怖は少しずつ欲に押し退けられていった。人間社会に辿り着けば、同じことが出来る人物がいるなら別だが、この力は必ず価値になる。食料、布、金属、道具、薬。何が高く売れるかは知らないが、何も売れない世界など存在しない。必要なのは情報だ。どこに国があり、どんな貨幣が流通し、どんな物が希少で、どんな連中を避けるべきか。それを知るまで、まずはこの森で生き延びるしかない。


 誠二はテントから這い出し、冷たい空気を吸い込んだ。昨日までの自分なら、こんな場所で一か月も過ごすなど考えもしなかっただろう。しかし今は違う。水は出せる。食料も出せる。道具も少しずつ増やせる。ならば、当面の目標は単純だった。安全な寝床を作る。能力の限界を調べる。人里を探す。危険なら逃げる。使える相手がいれば利用する。助け合いなどという綺麗事は、余裕のある人間が口にするものだ。誠二にとって、他人はまず危険であり、次に情報源であり、最後に利益の種だった。


 小川で顔を洗い、掌から出した水を飲み、残っていたハンバーガーを食べる。冷えたバンズは硬くなっていたが、それでも腹には入る。食後、誠二は昨日出したナイフを手に取り、刃の具合を確認した。問題なく使える。ライターも点く。毛布も消えていない。生成したものは一時的な幻ではなく、少なくとも現実の物体として残り続けている。これは大きい。使い捨てではなく蓄積できるなら、時間をかければ生活環境を整えられる。誠二は周囲の木々を見回し、昨日までとは違う目で森を見た。ここは牢獄ではなく、材料置き場かもしれない。


 もちろん、楽観しすぎるつもりはなかった。肉食獣がいる以上、音や匂いには注意が必要だ。食べ物の残りを放置すれば獣を呼ぶ。火の煙も目立つかもしれない。生成能力を使いすぎて気絶すれば、その間に襲われる可能性がある。誠二はまず、小川から少し離れた場所に野営地を移すことを考えた。水場は便利だが、獣も集まる。小川を見下ろせる少し高い場所を探し、そこにテントを移す。荷物は増えたが、必要ならまた出せる。そう考えた瞬間、自分が少しずつこの異常に慣れ始めていることに気付いた。


 慣れとは恐ろしいものだ。昨日までなら、掌から水が出るだけで大騒ぎしていただろう。今の誠二は、その水で顔を洗い、カップ麺を作り、次に何を出せるか考えている。人間は便利なものにはすぐ慣れる。風俗店で働いていた頃もそうだった。最初は客の欲望の醜さに引いていた新人が、一か月もすれば笑顔で追加料金を勧めるようになる。慣れれば倫理など鈍る。鈍れば金になる。誠二は自分も同じだと思った。異世界だろうが能力だろうが、慣れて使いこなした奴が勝つ。


 その日、誠二は移動をやめた。無闇に森を歩いて体力を削るより、まず拠点を作る方が生存率が高いと判断したからだ。小川の位置を基準に周囲を少しずつ調べ、見通しの悪い茂みを避け、比較的乾いた地面を探す。途中、遠くで獣の足音らしきものを聞き、すぐに身を伏せた。相手の姿は見えなかったが、音の重さから小動物ではないと分かる。誠二は息を潜めながら思った。武器がいる。ナイフでは足りない。だが銃は出せなかった。触れた経験がないからだ。玩具のエアガンは出せたが、当然ながら化け物相手には意味がない。


 代わりに鉈を出した。昔、実家の物置にあったものを使った記憶がある。重い刃物は出すだけで少し頭が重くなったが、手にすると心強さが違った。さらに、ホームセンターで買ったことのある作業用手袋、ロープ、ブルーシート、折りたたみ鋸も出せた。ホームセンターに通った記憶が、ここで妙に役立っている。誠二は苦笑した。人生のどこで何が使えるか分からない。もっとも、その人生を真面目に生きていたかと問われれば、答えは間違いなく否だが。


 夕方までに、新しい野営地は少しだけまともになった。テントの上にタープを張り、周囲に枝を組んで簡単な柵を作る。獣を防げるほどの強度はないが、少なくとも接近すれば音が鳴る。地面にはブルーシートを敷き、その上に毛布を重ねた。寝心地はまだ悪いが、昨日よりは遥かにましだ。食事はレトルトカレーとパックご飯にした。電子レンジはないが、鍋で湯煎すれば何とかなる。米の匂いが漂った時、誠二は少しだけ泣きそうになった。異世界の森で食う安いレトルトカレーは、人生で一番うまいとは言わないが、間違いなく一番ありがたい飯だった。


 食後、誠二は焚火の前で今後の方針を紙に書き出した。紙とボールペンは出せた。会社員時代、嫌というほど触っていたからだ。まず能力の検証。次に周辺地形の把握。三つ目が恒久的な拠点作り。四つ目が人里の捜索。五つ目が情報収集。書いていて、誠二は自分が妙に冷静なことに気付いた。普通なら絶望してもおかしくない。だが、彼の中には別の感情が育ち始めていた。元の世界で詰みかけていた中年男が、突然、何のしがらみもない場所に放り込まれ、しかも特別な力まで持たされた。これは不幸なのか。それとも、やり直しの機会なのか。


 善人なら、この力で人を救おうと考えるのかもしれない。困っている者に食料を分け、文明を広め、皆に感謝される未来を夢見るのかもしれない。だが誠二は違った。彼が最初に考えたのは、この力をどう隠し、どう高く売り、どう自分だけが得をするかだった。無償で与えれば、人は感謝するより先に次を要求する。安く売れば足元を見られる。珍しいものを見せびらかせば奪いに来る。ならば、見せる相手を選び、値段を釣り上げ、必要なら嘘を混ぜるべきだ。誠二はそういう人間だった。


 夜が更ける頃、誠二は毛布に包まりながら、掌をじっと見つめていた。この手から水が出た。この手にハンバーガーが現れた。この手で、元の世界なら犯罪になるような金も簡単に作れた。世界が変われば、罪の形も変わる。ここに警察はいない。戸籍もない。知り合いもいない。自分をセージと呼ぶ店の連中も、面倒な客も、金に汚いオーナーもいない。あるのは森と獣と、未知の人間社会だけだ。誠二は薄く笑った。怖い。確かに怖い。だが、それと同じくらい、面白いとも思っていた。


 眠りに落ちる直前、誠二は明日の予定を決めた。能力を倒れる寸前まで試す。限界を知らない力ほど危ないものはない。使えば疲れるなら、鍛えれば伸びる可能性もある。筋肉も仕事も女の扱いも、だいたいは回数をこなせば上手くなる。魔法だか超能力だか知らないが、同じ理屈が通じるかどうか試す価値はある。もし上限が伸びるなら、いずれもっと大きなものも出せるはずだ。家、風呂、発電機、工具、薬。想像すれば欲しいものはいくらでも出てくる。欲望だけなら、誠二は人並み以上に持っていた。


 翌朝から、誠二の生活は遭難者のそれではなく、奇妙な実験者のものへ変わっていく。生き延びるための能力確認であり、同時に、自分がこの世界でどれだけ楽をして、どれだけ他人の上に立てるかを測る作業でもあった。彼は救いを求める主人公ではない。世界を救う勇者でもない。森に捨てられた、欲深く、打算的で、性根の腐った中年男だった。だがそのクズは、誰よりも現実を見ていた。だからこそ、彼はまだ死なない。死なずに、少しずつ、この異世界に根を張ろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ