災厄、来訪す②
森に侵入したガイは、木の幹、草葉、砂や砂利など、至る所に血痕を発見した。
ガイは幼い頃、事故で瀕死になった人間も見たことがある。その上、不可思議な死体を目撃したばかりだ。
それ故に、たかを括っていた。例え血みどろに塗れた現場であろうと、平常心を保てると。
だが、しかし。
「流石にこれは堪えるな……」
発見した血痕は、凄惨としか言えないような量だった。見つけた血肉をかき集めただけでも、数人程度の人間が出来上がると思えてしまうほどに。
一つ、また一つ。森の奥へ進んでいくたび、血痕の量は増えていく。
それなのに、魔物の正体が分かるような物は一切残っていない。
死体を村に逃した時点で知能は低いと推理したが、少し考え直した方がいいかもしれない。一見ミスに見えるその行動すらも、何か考えがあった上での行動かと勘繰ってしまう。
ガイが、生存者を探すことよりも、血痕を見つけることを重視しそうになってしまった、その時。
「た、助けて……くれ……!!」
茂みの奥。木々の合間の、丁度死角になるような場所から、男の声が聞こえてきた。
ガイは、すぐさま声の方へと走る。
そこには、髪が腰のあたりまで生えた、血まみれかつ髭面の、ボロ切れのような男が木を背にしてうずくまっていた。
が、その体に酷い損傷はない。ガイは一安心して、男に手を差し伸べた。
「よかった……立てますか?」
「あ、あぁ……」
男が子鹿のように足を震わせた。
「大丈夫、焦らないで……」
ガイは男がすぐに直立出来なさそうだと判断し、尻餅をついた状態から、なんとか膝立ちの状態に体勢を促した。
そこで、ガイは男が腰に帯剣していることに気づいた。
無造作に伸びている髪のせいで分かりづらいが、自分と服装も似ている。違うのは細部の装飾と、血によって赤黒く染められた色だけだ。
「もしかして、貴方は……」
王国騎士は、基本的に鎧を身につけない。鎧が悪魔が放つ魔法に、有効な防御手段となり得ないからだ。
ならばいっそ身体の保護は内在魔法に一任し、装備は軽装にして基本は回避に徹するというのが、戦闘の定石である。
魔法に対抗できるのは、魔法のみ。防御や回避をを内在魔法に頼る今のガイの姿が、まさしくそれを表している。
逆説的にいえば、馬に乗った死体は鎧を着込んでいたので、彼は内在魔法を使える騎士ではなく、盗賊などの退治を仕事にした護衛兵ということになる。
そこまで思考が及んだ、刹那、ガイの背筋に悪寒が走る。
脳内で情報が完結するよりも先に、ガイは体を捻っていた。
その動きと同時に、生存者であるはずの男は、"刀身が発光している剣"を、下から跳ね上げるかのように振り抜いていた。
赤い軌跡が、宙を斜めに切り裂く。
ザシュ、と乾いた斬撃音と共に、ガイの右肩から鮮血が舞った。道中幾度となく見たのと似た血痕が、新しく作られる。
「オイオイ、マジかよ!! アレを避けるのか!」
金切り声を発しながら、男は剣を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。その立ち振る舞いに、先程までの弱々しさはない。
ガイはバックステップを踏みながら、腰の剣を抜いた。
「んだよ、ガキが一丁前に剣を向けやがって……王国騎士の真似事か?」
「ガキで悪かったな……」
ガイの剣が、赤く明滅する。それを見た男は、驚嘆の声で騒いだ。
「おいおい、まさか華の法も使えちゃったり?」
「さぁな……」
ガイは、はぐらかしながらコートの襟で頬の傷を拭った。
しかし、溢れ出る血潮は収まる気配がない。右肩の傷はそれ以上に深く、古びたコートが赤くに染め上げられている。
小さく舌打ちをしながら、ガイは内在魔法の一つ、"治癒術"を使うために、右肩の傷に魔力を集中させた。
途端、まるで傷口だけがぬるま湯に浸かったかのような暖かな熱と、少しの鈍痛が走る。
──復帰まで、10分。
ガイが、脳内で呟く。
四肢に走る血管の輪に剣を加える。それが、華の法の論理だ。しかし、治癒術はその輪に走る魔力を傷の部分でせき止めてしまう。
一言で言えば、治癒術と華の法は相性が悪く、併用する場合、どちらかの出力は不安定になり、実質的に制限されてしまうのだ。
男は、"まさかとは思ったが"と口にし、初撃を右肩狙いで放った。
それは偶然ではあるまい。相手は、華の法の弱点を知り尽くしている。
確信を得たガイは、後退りしながら、距離を測りかねている男に問うた。
「アンタだって、人のことは言えないだろ、盗賊堕ちの騎士のくせに」
息も絶え絶えなガイを嘲笑うかのように、ゲラゲラと男が鳴いた。
「元っていうか、追い出されただけなんだがな……ま、盗賊って部分は正かーいっ!!」
男が、奇声と共に剣を振り下ろす。
「ぐっ……」
ガイは、その一撃をかろうじて剣の腹で受け止めた。芯をとらえた鈍い音と、激しい火花が舞う。
一瞬にも満たない剣戟の勝者は明確だった。ガイの体は大きく弾かれ、背中が木の幹に叩きつけられた。
その衝撃で、剣が手からこぼれ落ちる。男は瞬時に気味の悪いステップで詰め寄り、ガイの喉元に剣尖を突きつけ、問いかけた。
「お前は何でここに来た?見た目からして散歩にはみえねぇが」
掠れ声で、ガイが答える。
「馬に乗った死体が、俺の村に来た……」
「やっぱそうかぁ……馬はいい金になるからなぁ……下手な欲出さずに、ぶった斬っちまえば良かった」
ヘラヘラとした態度を崩さずに、男はそう言ってのけた。やはりこの男は、あの死体を作り出した、張本人なのだ。
ガイは、これまで目にした、男の犯行の痕に、煮えたぎる怒りが湧くのと同時に、この絶望的な状況に打開策はあるのかと、半ば諦念の言葉が脳裏に浮かんだ。
肩の傷の回復まで、あと8分以上。
喉元には、生暖かい刃が血飛沫が舞う瞬間を今か今かと待っている。
「なぁ、坊主。俺と取引しないか?」
「どう言うことだ」
男は、剣を一切動かさないまま続けた。
「俺は、ジャルカットってもんだ。弱っちい奴らから物を奪って暮らす、元王国騎士の盗賊よ……んでよ、今回分かったんだけど、やっぱ1人でやっていくには限界があるわけ」
「……何が言いたい?」
男──ジャルカットの自分勝手な開示に堪えきれなくなったガイは、声を荒げながら叫んだ。
「ここからが本題さ。お前、俺の部下にならないか? 弱っちい奴らから奪って、気に入らない奴をぶっ殺す生活!! 王国騎士なんかより、よっぽど楽で楽しいお仕事さ! どうだ?!」
「……嫌だね。俺の隣に立つ男は、残念ながらもう決まってんだよ」
演説じみた語り口で話すジャルカットの言葉を、ガイはすぐさま一蹴した。
「なら、生かしておく訳にはいかねぇな」
ジャルカットが、剣を握る手に力を込めた。刀身から発せられた、赤く、おどろおどろしい閃光が、ガイの顔を下から照らす。
──ごめん、フーマ。俺はここまでみたいだ。
ガイが死を回想した、その時だった。
キィン!
微かな金属の音が、ガイの耳に入る。
「……あ?」
その不可思議な音は、ジャルカットにも聞こえたようだ。奴は顔を上げ、背後に目を向ける。
視線の先にあるのは、僅か五メートルの位置に生えた、何の変哲もない木。
しかしてその直後、異音を発した木の幹が、ぬるりと横へスライドした。
五メートル近い原木が、先についた葉を激しく揺らしながら、ジャルカットに向け倒れ込む。
「なっ……!?うおっとっ?!」
ジャルカットは、流石の反応速度で飛び退いた。
コンマ数秒後、ジャルカットのいた場所を、原木が膨大な質量を持って地面を叩く。エネルギーの余波が、地響きとなって森中に響いた。
「……な、何が?」
目前まで迫った枝葉に、呆然とするガイ。その手を、背後から伸びてきた手が掴んだ。
「……フーマ?!」
「逃げるぞ、ガイ!!」




