華の法②
俺は、逃げ込むように自分の家のドアを開け、隙間に体を捩じ込んだ。閉めたドアに寄りかかったまま、ずるずると膝を曲げる。
──やってしまった。
俺がガイに甘えっぱなしなのは言うまでもないが、流石にこれはまずい。
森にガイを呼び出しておきながら、自分から逃げ出すなど、自分勝手にも程がある。
あと三日で、ガイは王都に旅立ってしまう。このままでは喧嘩別れもいいとこだ。早いとこ謝罪と、積もった借金を返さなければ──
そう、思っていたのだが。
「フーマ──!! フぅマぁ──!! もう騎士だなんて言わないから、出て来てくれよ──!!」
別れてから数時間後、村中に響くかと言う大声を出しながら、ガイは俺の家に訪ねてきた。
「……怒ってないのか?」
自分の部屋にガイを通した俺は、開口一番にそう問いかけた。
恐る恐る差し出したティーカップに、ガイは「ありがとう」と言って口をつける。
「怒るわけないだろ。……鬱陶しかったよな。事情も知らずに誘ってさ……」
ガイの口振りはいかにも残念そうで、かつ誠実そのものだった。その分、申し訳なさが加速度的に上がっていく。
「いや、悪いのは俺だ……自分勝手に抱え込んで、急にキレてさ……ごめん」
耐えきれなくなった俺は、勢いに任せて、俺は用意してあった革袋を机の上に出した。
どさりと置かれた物体に、ガイが目を見開く。
「これは?」
俺は、その問いに早口で答える。
「借りてた分のお金」
金貨十枚。数ヶ月は暮らせるほどの大金だ。借りた回数は覚えていなくても、金額自体は覚えていた──と言っても、言い訳にしかならないが。
「ん。確かに……でも貰えないね」
中身を確認したガイが、トンっと机に革袋を丁寧に置く。
「貰えないっておま……」
「いいの。俺、お金持ちだし」
事実、ガイの父親は広大な土地を所有しており、本物のお金持ちだ。多分、王都の中流階級と大差ないだろう。
だが、流石のガイの家も、この量のお金を不要だと一蹴できるほどでは無いと思うが──
そう考えていると、ガイはパンっと手を叩いて代案を出した。
「じゃあこうしよう。多分、今日か明日辺りでキャラバンが来るはずだ。そこで何か買ってくれよ」
「餞別替わりってことか?」
俺の問いに、ガイが頷く。キャラバンというのは、半年に一度の頻度で村に来る商隊のことだ。
生活必需品から酒のような趣向品、果ては子供のおもちゃなどを、馬車数台分の品物を広場に所狭しと並べ、商いをする様は圧巻の一言に尽きる。
そんな品物の中には、金貨十枚とはいかずとも、それなりに値が張る物もある。
借金の返済として成り立つような気もするが、どうして受け取る金額を少なくするようなことをするのか。
「あと……一つだけ頼まれて欲しい」
言い切るよりも早く、ガイの手が動いた。何処にしまっていたのか分からないほどの大きさの包みを、目の前の机に置く。
「なにこれ?」
「見ればわかる。俺が居ない間、預かってて欲しい」
ガイの説明不足な台詞に、少しだけ眉をひそめてしまう。
何が入ってるんだか分からない袋と、大金が入った革袋が机の上に広がる光景は、闇取引そのものだ。
同時に、一体どんなブツを押し付けられるのかと言う興味も湧いた。
見た目や質感からして、長方形の硬い物体が入っていることは確かだが、逆に言えばそれ以外何もわからない。
異様なオーラを発している袋に、俺はそっと手を伸ばし、開封する。
紙袋から出てきた物体は、まさしく宝の山とも言うべき代物たちだった。
センセーショナルな表紙の中から飛び出てきたのは、職人が、一筆一筆魂を込めて描いたであろう魅惑の線で描かれた女神たち。
つまり、これは、即ち──
「エロ本じゃん!!」
「何を。れっきとした医療器具だよ」
俺の絶叫に、コンマ数秒で返された食い気味のレスポンス。それは、あらかじめ用意してあった言葉をそのまま音読したかのように思えた。
「………なんだって?」
ガイはそっぽを向き、顔を星空でも眺めんと言わんばかりにあげ、ボソボソと呟く。
「大切なのはさ……あることよりも……使えること……勃つことだと思うんだ」
「ん? あぁ……そう……」
大変失礼なことに、俺はガイの放った悲哀の叫びに、なるほどと一人で納得してしまった。
昔から不思議だったのだ。あの金持ちの嫌なところを煮詰めたかのようなガイの両親が、息子が騎士を目指すのを承認しているのが。
財産の次に後継を大切にする。これは古今東西変わりない富豪の真理と言って良い。
にも関わらず、ガイの両親はガイが家を出て騎士になることを了承、いや、望んでいた。
記憶の中のガイは、満面の笑みを貼り付けた両親に手を引かれて俺と出会っている。
酷い言い草にはなるが、二つの意味でムスコに期待出来ぬなら、村の外で名誉と大金を手にしてもらおうと言うことだろう。
「そうだ! あと一つお願い! 荷造り手伝って!!」
重くなった空気を取り払うかのように、ガイが口を開いた。俺もまた、なんとか普段の調子を取り戻し、口を尖らせる。
「しれっとお願い増やしてんじゃん……」
「お金」
「はい、やります。やらせてください」
「うむ、宜しく頼むよ」
***
今からでも来てくれと言うガイの誘い、もとい脅迫に乗り、俺はガイの家へ行くことになった。
たわいもない話をしながら、十分ほど歩いたところで、不意にガイが立ち止まった。
「何か聞こえない?」
ガイが、明後日の方向を見つめながら言う。視線の先にあるのは、先ほど俺が森から抜ける為に走ってきた、一本道とその詰所だ。
数時間前、涙ながらにそこを通り、衛兵に不思議な顔をされた記憶が蘇る。
顔がかあっと赤くなる感覚が俺を襲ったが、ガイはそれに気づく様子もなく耳を澄ませていた。
俺もそれに倣うと、確かに金属を硬いものにぶつけたかのような音が、一定のリズムで聞こえてくる。
「馬の蹄の音……キャラバンか? 間が悪い……お金、持ってくればよかった……」
王都に続くこの道を使う人間は、キャラバンと出稼ぎから帰ってくる人間だけだ。
そして、後者は馬を使えるほどの財はない。蹄の音が聞こえた時点で、対象は絞れる。
という俺の推理に、ガイは納得のいかない表情で耳をそばだてながら、小さく呟く。
「それにしては小さいような……馬一匹分でしょ、これ」
ともすると、それは最悪の事態を意味する。キャラバンが魔獣に遭遇してしまった場合だ。
勿論キャラバンとて対策なしに練り歩いているわけではない。危険のあるなしに関わらず、充分な量の護衛をつけているのが通説だ。
しかし、安全と費用を天秤に乗せ、費用の方に傾くキャラバンもごく稀に存在する。
少し前、魔獣に襲われたキャラバンの一人が、村に逃げ込んできたことがあった。それをガイと一緒に対処して、俺は華の法の不全に気づいたわけだが──
その時、上り坂になっている部分から、馬の細長い頭部が顔を出した。
だが、様子がおかしい。
馬の後ろに荷台はなく、搭乗しているのは甲冑に身を包んだ人間。その遥か後ろを、詰所にいた衛兵が、大声を出しながら追いかけている。
「スピード、出しすぎじゃ……」
「っ……!! ガイ!! 危ない!!」
そう叫んだ俺は、ガイの体に覆い被さった。二人して地面に勢いよく倒れ込む。
数秒後、俺たちが立っていた場所を、暴走馬がとんでもない勢いで通り抜けた。流れる視界の隅に、乗馬者の顔が映る。
その顔に、俺は信じられないものを見た。
「あ、ありがと、フーマ……」
馬の足に散らされた砂埃で、ガイが咳き込む。
しかし、俺はガイの感謝を全く耳に入れることが出来なかった。無理矢理ガイを立たせてから、すぐさま暴走馬の後を追う。
一歩遅れて俺の後ろを走るガイが、乗馬者に向かって必死に呼びかける。
「ちょっと!! 手綱ちゃんと握って!! 」
鎧に身を包んだ乗馬者の反応はない。項垂れ、体を揺らしながら、手を隠すように股の前に置いている。疑惑が、確信に変わった瞬間だった。
俺は内在魔法を使った。足を駆け巡る血脈が、沸騰したかのように熱を帯びる。
風よりも早く動いた足のお陰で、俺は暴走馬のサイドに陣取ることができた。有無を言わさず、無理矢理手綱を掴む。
──ヒヒーンッ!!
突然手綱を掴まれた馬が、勢いよく立ち上がる。鎧をつけた乗馬者が、地面に叩きつけられ、ガシャッガン! と鈍い重低音を出した。
「フーマ!? 何やってん──
ガイの言葉が、不自然に途切れた。
"それ"は、落馬したにも関わらず、苦悶の表情一つすら変えずに、俺たちを見つめていたからだ。
生きた人間──ではない。
肘から下が消え失せた──《死体》が。




