【Side:南村華恋】任務前夜
ブゥゥゥン———
青い空、白い雲。
見渡す限りの雲海。
「退屈……」
窓の外に広がる、変わり映えのしない景色を眺めながら、私は思わずため息をついた。
私の部屋も、がらんとしている。
あるのは、たまに地上へ戻った時に拾い集めてきたぬいぐるみと、いくつかの小さな置物だけ。
そうした飾り物はとても貴重だから、今私が手にしているこの三毛猫のぬいぐるみも、もう何度も繕い直してきた。
今では、最初の頃ほど可愛くはなくなってしまったけれど……
それでも私はこの子が好き。うん。
でも、このまま部屋にいてもつまらないし、先にみんなが何をしているのか見に行こう。
——————
「おはようございます、千夏姉」
「あっ……!恋ちゃん、今日は寝坊しなかったんだ!?」
「そこに注目するんですか!?」
「あはははは!」
目の前にいる、スポーツ用のタンクトップを着て、訓練で全身汗だくになっている茶色いポニーテールの少女は、私の小隊の一員、日向千夏。
私より数歳年上の彼女は、小隊の中で隊の空気を和ませる優しいお姉さんのような役割を担っていて、みんなから好かれている。
私が珍しくトレーニングルームに姿を見せたのを見ると、彼女はすぐにランニングマシンを止め、私の前までやってきた。
「部屋にいても退屈で、特にやることもなかったので、みんなが何をしているのか見に来ただけです」
「あー、わかるわかる!私が朝っぱらからトレーニングルームに来てるのも、それが理由なんだよね。だって……じっとしてても暇なだけだし、退屈じゃん〜」
「あまり筋肉だらけになると、将来もらい手がなくなりますよ?」
「それは鍛えすぎた時の話でしょ!私が目指してるのは、こう……筋肉のラインが綺麗に出た健康美!それに、今の私たちに恋愛してる時間なんてないし……」
「それもそうですね……」
数年前、私がまだ赤ん坊だった頃、地球上の各国は、ほとんど同じ時期に異世界からの侵攻を受けた。
あまりにも突然の侵攻に、大半の国は対応しきれず、わずか数週間のうちに陥落した。
その中で最も長く持ちこたえた国でさえ、六週間が限界だったらしい。
主要都市が異世界の大軍に包囲された時点で、食料の供給網は断たれていた。
その結果、彼らは旧時代の火器に頼って必死に抵抗するしかなく、最後には地球の存亡を懸けたその戦争に敗れた。
ほぼ数日おきに、新たな国が陥落していった。
中には、核兵器を用いて反撃に出た国もあった。しかし、異世界の侵略者たちは未知の魔法技術を有しており、核兵器でさえ彼らの侵攻を止めることはできなかった。
「今、安全なのは空の上だけです……」
「それもどうかな?この前、私たちも魔法砲撃を受けたばっかじゃん?あの時は本気でびっくりしたよ。【アーク】が撃ち落とされるんじゃないかって思ったもん」
「通常の魔法では、そこまで遠くには届かないはずです。おそらく、首領級の敵が地上から無差別に魔法を撃ちまくっていて、私たちが巻き込まれただけかと……ただ、攻城級の怪物からの攻撃ではなかったのが幸いでした。そうでなければ、確実に終わっていました」
「そうだね……子供の頃に見た、あの巨獣のことは絶対に忘れられない。ベヒモスの口から放たれた、あのレーザー。関東地方はあの一撃で、一瞬にして壊滅したんだ」
彼女は関東地方の出身だ。
自分の故郷が滅ぼされるところを目の当たりにするのは、きっとつらかったはず……
はぁ……私がこの話題を出すべきではありませんでした。
「地球を侵略した奴らは、私が必ず全員殺す……この命に誓って……」
「千夏姉……」
——————♪
「「……!」」
【アーク】の艦内に放送が流れた。
しかも、その音はいつも任務が発令される時に鳴る合図音だった。
「雪狐小隊は首領執務室へ出頭してください。繰り返します。雪狐小隊は首領執務室へ出頭してください」
「私たち、呼ばれてるじゃん」
千夏姉はすぐに気持ちを切り替え、再び太陽のような笑顔を私に向けてくれた。
「おそらく、ママが私たちに任せたい重要な任務があるのでしょう」
「えぇ……私、運動したばっかで全身べたべたしてるんだけど……恋ちゃん、私、臭くないよね?」
「会議といっても、そう長くはかかりません。たいていは、これから遂行する任務内容の説明だけです。少し我慢してください」
【アーク】において、雪狐小隊は唯一の精鋭部隊だ。
だから、私たちの出撃が求められる時は、それだけ重要な任務であることを意味している。
しかも、そうした任務はたいてい危険性も極めて高い。
そのため、私たち雪狐小隊にしか引き受けられないのだ。
——————
「到着しました、首領」
「あなたは相変わらず、私の執務室に一番乗りで来るのね」
「はい。小隊の隊長である以上、率先して模範を示すべきです」
扉をノックすると、すぐに中から扉が開かれた。
それからママ……こほん、首領は私たちに、ひとまず執務机の前にある席で待つよう促した。
「ふふ……いいのよ、今はそんなに堅くならなくても。ほかのみんなはまだ来ていないんだから。千夏ちゃん、ケーキは食べる?」
「あっ……!ケーキ食べてもいいんですか!?やった!私、九歳の誕生日以来、もうずっとケーキなんて食べてなかったんですよ!」
「これは【アーク】の料理人が、こっそり私のために焼いてくれたものなの。みんなには内緒よ?」
「ありがとうございます、Boss!いやぁ、私、ちょうど運動したばっかでお腹空いてたんですよね。このタイミングでケーキとか、最高すぎます!」
千夏姉も本当にもう……
目の前にいるのが【アーク】のリーダーであることなどまるで気にせず、嬉しそうに苺のケーキを受け取ると、そのまま執務室の中で豪快に頬張り始めた。
「あなたも食べなさい、華恋。これは料理人に頼んで、あなたのために特別に焼いてもらったものなの」
「では、ママは?」
「大丈夫よ。私はまだお腹が空いていないから。あなたたちで食べてちょうだい」
「ありがとうございます、ママ。でも、せめて少しだけでも食べてください。どうぞ、私が食べさせます……」
「それじゃあ……お言葉に甘えようかしら?うん、本当においしいわね〜」
ママはまだお腹が空いていないと言っていたけれど、本当は自分の分を千夏姉に譲っただけだった。
こうして私が少し分ければ、ママもケーキを食べられるはず。
コン、コン——
誰かが扉をノックしていたので、ママはすぐに立ち上がって応対に向かった。
「えっ!?お菓子あるのに、私を呼んでくれなかったの!?二人ともずるすぎない!?」
入ってきたのは、私の小隊のもう一人の隊員、星野陽葵だった。
彼女は黒髪をツインテールにした、可愛らしい女の子だ。
「ふふん、陽葵ちゃんが早く来なかったのが悪いんだよ」
「むぅ……!ずるいずるいずるい!」
千夏姉はいたずらっぽく手に持った空になった皿を見せつけ、陽葵ちゃんはぷくっと頬を膨らませるほど悔しがっていた。
「ごめんなさいね、陽葵ちゃん。ちょうどここには、ケーキが二切れしかなかったのよ」
「あっ、いえ、大丈夫です大丈夫です。首領、私はただ、ほんのちょっとだけ、ミリくらい……二人がケーキを食べていたのが羨ましかっただけです」
「うーん……それなら、あとで料理部門に聞いてみるわね。ケーキを焼けるだけの材料が残っているかどうか。もしまだあるようなら、あなたの分も焼いてもらうわ。あとで部屋まで届けてもらうようにしておくから」
「……!ありがとうございます!お手数をおかけします!」
ママは本当にすごい……
普段からよく拗ねる陽葵ちゃんでさえ、ママの前ではいつものわがままを見せない。
隊のほかのメンバーが全員揃うと、ママは凛とした表情に切り替えて執務机の前に立ち、タブレットを操作して、資料をプロジェクターに映し出した。
「皆さん、こちらを見てください。これは、かつて二体のベヒモスに襲撃された東京国際空港です。総面積は約15.22平方キロメートル。日本最大の空港です」
スクリーンには、何機もの旅客機が滑走路の上に乱雑に散らばっていた。
機体に明らかに焼け焦げた跡が残っているものもあれば、何らかの外力によって真っ二つに引き裂かれ、地面に墜落したものもある。
そして何より気になったのは、滑走路の上に残された、いくつもの巨大な足跡だった。
その光景を見ているだけで、背筋が凍るような感覚に襲われる。
「近日中に、【アーク】の電力システムは定期メンテナンスに入ります。そのため、太陽光発電と風力発電を一時停止した後、本艦の電力供給システムを維持し、電力不足が発生しないようにするため、一時的に航空燃料による発電へ切り替える必要があります。そこで、雪狐小隊には先行して空港へ降下し、周辺の敵対生物の有無を確認したうえで、存在する場合は排除してもらいます。【アーク】はその後、ステルスモードを維持したまま駐機場へ降下し、燃料補給と電力システムのメンテナンスを行います」
「Boss、この任務を完了するまでの猶予はどれくらいありますか?」
「一週間です。実のところ、定期メンテナンスはすでに二か月遅れています。このまま早急に実施しなければ、故障が発生する可能性があります。そうなれば、修理は非常に困難になるでしょう。最悪の場合、エンジンが爆発する恐れもあります……」
千夏姉に答えたあと、首領も思わずため息をついた。
一週間で、15.22平方キロメートルの空港を調査し、制圧する。
しかも、それをたった九人だけで……
今回の作戦難度は非常に高い。
限りなく不可能に近いと言ってもいい。
けれど、それも仕方ありません……
雪狐小隊以外に、これほど高難度の任務を遂行できる小隊はもう存在しない。
だからこそ、首領はこの任務を私たちに託すしかなかったのだ。
「首領、私たち以外に、ほかの小隊を追加投入することは検討されないのですか?」
「そこが、現時点で最も厄介な部分なの……こちらを見てください」
陽葵ちゃんの問いに対し、首領は画面を操作し、空港の片隅を拡大した。
「「「「「「「「「……!」」」」」」」」」
その映像の中には、太く巨大な尾が映っていた。
「あれは……?」
「現時点では、あれがどの種類の怪物なのか、まだ特定できていません。そのため、ほかの新編成小隊をあなたたちと一緒に出撃させることはできません。画像に映っているこの怪物のほかにも、空港内には犬頭人や上位サキュバスのような一般的な敵も確認されています。あなたたちには、すべての敵対目標を密かに撃破し、敵の誰一人にも自分たちの行動を察知されないようにしてもらう必要があります。そうしなければ、彼らが空港に増援を呼び寄せた時点で、私たちは安全に着陸できなくなります」
あれほど限られた時間の中で、発見されることなく空港の隅々まで制圧する必要があるのですか……
あまりにも高い難度に、その場にいた全員が表情を険しくし、言葉を失った。
いつも笑顔を浮かべている千夏姉でさえ、珍しくその笑みを消していた。
はぁ……
「承知しました。雪狐小隊は一時間以内に準備を完了し、出撃します。事態は緊急ですから、可能な限り早いほうがいい、ということですね?」
「ええ……今回もまた、あなたたちにこのような厳しい任務を引き受けてもらうことになります」
カチッ。
首領は手にしていたタブレットを閉じると、席から立ち上がり、部屋の照明をつけた。
「今、私は一人の母親として……そして一人の年長者として、あなたたちに追加任務を課します」
「内容をお聞かせください」
「全員、無事に帰還すること。何があっても、自分と仲間の安全を最優先にしてください。任務終了後は、必ず全員そろって無事に【アーク】へ戻ってくること。これが私からの追加任務です。必ずこの任務を達成すると約束してくれますか、白鳥の湖?」
「……はい。私たちは必ず、追加任務を達成します」
「ええ、あなたなら必ず約束を守ってくれると信じています。それでは、本作戦を『消灯作戦』と命名します。私は【アーク】から、皆さんが無事に帰還することを祈っています……」
ママ……
その姿を見る限り、私たちをこのような任務に送り出すことは、ママにとっても相当つらいはず。
けれど、今はほかに手段がなく、この重責を担えるのは私たちだけだからこそ、彼女は苦渋の決断として、この任務を私たちに託すしかなかった。




