第1章 チュートリアルは終了しました
「戦争は扉を叩いてはくれません。
ましてや、礼儀正しく事前に挨拶してくれることなど、決してありません」
ドドドドド――――!
空の向こう側で、また連鎖爆発の音が響き、さらに多くの“空”の破片が落ちてきた。
その中には、建物に直撃する巨大な破片もいくつもあった。
あ……
前方の高層ビルが崩れた!
くそ……
今、いったい何が起きているのか、ますますわからなくなってきた。
「みんな、人を助けに行くぞ!」
「そのつもりだよ!早く行こう、じゃないと間に合わなくなる!」
リンは頷くと、俺のあとを追って、一緒に広場へ向かって走り出した。
——————
「危ない!『針糸・捕獲網』!」
「きゃあ――!」
「もう大丈夫だよ、お嬢ちゃん。ほら、お姉ちゃんがママのところまで連れていってあげる」
レイは素早く反応し、空から落ちてきた瓦礫の塊をすべて自分の網で包み込み、大泣きしていた小さな女の子を助け出した。
「ママは……あそこに……」
「……」
けれど、その子はしゃくり上げながら、別の瓦礫の山を指差した。
その瞬間、レイも、俺たちも、言葉を失った。
くそ!
俺たちは、やっぱり一歩遅かったんだ!
「今は自分を責めている場合ではありません、皆さん!助けられる一般市民を、できる限り連れて逃がしてください!『荊棘の庭園』!」
リヤは必死に荊棘を操り、瓦礫の山を一つずつ持ち上げては、その下に埋もれていた人々をそっと安全な場所へ移していった。
「うぅ……どうして、こんなことに……」
「アイリーン……無理しないで。ここは私たちに任せて。あなたは先に、救助された人たちの手当てを手伝って」
「いや……私も、人を助けたい……!うぅっ、『願い叶う美しき夢』!」
アイリーンはマリーに向かって首を横に振ると、頬の涙を拭った。
そしてすぐに自分の【武装化】スキルを発動し、目の前に広がる地獄の一角を、一時的に安全で開けた場所へと変えていった。
一般市民が埋もれている瓦礫の山が突然宙に浮かび上がり、皆はその隙に、下敷きになっていた人たちを一人、また一人と救い出していく。
「うっ……」
けれど、その直後、アイリーンの鼻から血が流れ出した。
「アイリーン、もうやめろ!お前、さっきの戦闘で一度【武装化】スキルを使ったばかりだろ!今のお前の身体は、もう限界に近いんだ!」
「嫌……!もっとたくさんの人を助けたいの!私……」
「アイリーン、もう十分だ!いいから止まれ!このままじゃ、お前の身体が先に壊れる!」
女の子に対して、ここまで大きな声で、しかも乱暴に言ったのは、これが初めてだったかもしれない。
アイリーンも、周りにいた皆も、俺が彼女の手を掴んでいる姿を見て目を見開き、驚いたまま、それでも黙って救助作業を続けていた。
けれど、こうでもしなければ、彼女はきっと取り返しのつかないことになってしまう。
「うぅ……私、どうしてこんなに役立たずなの……ごめんなさい……役に立てなくて、本当にごめんなさい……」
彼女はもう、歩くことさえおぼつかず、全身から冷や汗を流していた。
状況は、これまでにないほど最悪だと言っていい。
それなのに、彼女はまだ無理をしようとしている。
「アイリーン、ここにはお前を責める資格のある奴なんて誰もいない!もし誰かがお前を責めるなら、俺が代わりにそいつを叱ってやる。俺は、お前がこのまま無理を続けて、本当に倒れてしまわないか心配なんだ。わざと怒鳴りたかったわけじゃない。俺は、お前が自分の命まで懸けて人を助けようとする姿を、黙って見ていたくないんだ」
「……わかった……」
「よし。なら、少し休んでくれ。このあと、民衆を落ち着かせるのをお前にも手伝ってもらうつもりだからな。お前が先に倒れたら、俺に付き合ってくれる人がいなくなる」
「ふふっ、あなたに付き合ってくれる人がいなくなるなんて、ありえないでしょう?ありがとう、エミール。ごめんなさい、さっきは私、焦りすぎていたみたい……」
「気にするなって。ほら、早く休んでこい」
そうして、ようやく彼女はマリーのそばまで下がり、マリーと一緒にいてくれた。
ふぅ……
落ち着いてくれてよかった。
さっきはきっと、彼女を怖がらせてしまったはずだ。
あとで、ちゃんと謝っておこう。
「うわ……お前が人を叱るところなんて、初めて見たかもしれねぇな。しかも相手が、まさかのアイリーンちゃんとは」
「仕方ないだろ。あいつのことが心配だったんだよ」
「見りゃわかるって。やれやれ……心配ですって顔に書いてあったぞ」
やっぱり、お前はわかってくれるんだな、我が親友。
とはいえ、周囲では次々と負傷者が出ている。
俺たち数人だけで現場の救助に当たっていても、やはり速度が遅すぎる……
「エミール!手伝いに来たわ!ユリ、右側のほうは、ひとまずあなたに任せてもいいかしら!」
「問題ないよ。そっちは安心して、自分のやるべきことをやってきて。今は私一人でも十分だから」
リリス……!
戻ってきてくれたんだ!
「リリスっち、空が……空がさっき爆発したんだよ!どういうこと!?なんで空が爆発するの!?」
「……爆弾よ。あいつ、罠を残していたの。私に自分の手で爆弾を起爆させて、私たち全員を道連れにするつもりだった。くそ……これは全部、私のミスよ。隠されていた罠に気づけず、結果的にあの爆弾を作動させてしまった……」
リンの問いに、リリスは苦しそうな表情で俯きながら答えた。
アズライル……!
死んだあとでさえ、俺たちを見逃すつもりはないのか?
しかも、あれほど多くの無関係な人たちまで巻き込んで。
どこまでも悪辣なクズ野郎だ……
「リリスのせいじゃない。それより、空はいったいどうなっているんだ?空が落ちてきてるんだぞ!それだけじゃなくて、“空”の外に、また別の空があるなんて……?」
“空”は少しずつ崩壊し、一片ずつ落ちてきていた。
それと同時に、亀裂の向こうから、もう一つの金色の空が姿を覗かせている。
「今は先に人命救助を優先しましょう、エミール。あとで、あなたたちの質問にはすべて答えるわ」
「わかった」
今度こそ、彼女はきっと、ちゃんと俺たちに答えてくれるはずだ。
◇
結局、俺たちは【仙境】から出てきたあとも、今に至るまで現場に残り、救護員たちの救助活動を手伝い続けていた。
……疲れた。
「リン、リヤ、まだ生存者は見つかるか?」
「ううん、今のところ、ほかの人は見つかってないよ……」
「こちらにも、もういないわ、エミ」
この区域で、俺たちが救護員たちと協力して、どうにか救い出せた民衆は四百人余り。
その中で、無傷、あるいは軽傷で済んだ被災者は、四割にも満たなかった。
ちっ。
いったいどれだけの人が、崩れ落ちた建物の下敷きになって、生きたまま押し潰されたのか……
子供も、大人も、老人も……
突然降りかかった災厄からは、誰も逃れられなかった。
「リリス、平気か?」
彼女の顔色は、ひどく青ざめて見えた。
人々の姿を見つめているあいだも、胸元を押さえながら荒い呼吸を繰り返している。
「はぁ……はぁ……大丈夫よ。ただ……今の事態に、少し息が詰まりそうになっているだけ……」
「……なら、先に少し休もう。今はひとまず一区切りついたし、座って現状の情報を共有したい。いいか?」
「ふぅ……ええ、探索委員会の中へ行きましょう。そろそろ、あなたたちと真面目に話すべき頃合いでもあるわ」
リリスは俺が差し出したボトルを受け取り、水を何口か飲んでから、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
そのあと、彼女は俺たちに頷き、ついてくるようにと目で促した。
——————
今、俺たちは探索委員会へ戻ってきていた。
救助された民衆は、全員ひとまずここに収容されている。
というか……
リリスは、ここで全員に説明するつもりなのだろうか?
あ、エイデン会長とクレモンさんを呼んできた。
「初めまして、エイデン会長、クレモンさん。私はリリスです」
「ええ、初めまして。それで、私たちを呼んだ理由を伺ってもよろしいですか?」
初めまして……
まあ、いいか。
それにしても、さすがはエイデン会長だ。
俺たちの前に来るなり、単刀直入に、リリスへ自分たちを呼んだ理由を説明するよう求めた。
「外で何が起きたのか。それから、これから私たちが直面することになる脅威について、説明したいのです」
「君は、外で何が起きたのかを知っているのか?そもそも、我々はどうやって君の話が真実だと信じればいい?」
確かに……
クレモンさんにとって、リリスは本当に“初対面”の見知らぬ相手だ。
彼の性格を考えれば、自分の話を信用するに足る根拠を示すよう、リリスに求めるのは当然だろう。
……
「クレモンさん、俺たちは彼女の言葉を信じています。だから、あなたたちも彼女の話をちゃんと聞いてもらえませんか?俺に免じて、せめて最後まで話を聞いてください」
「わお?エミールくん、なかなか言うじゃない?」
「あははは……恐縮です、ユリさん」
俺はただ、リリスの力になりたかっただけだ。
「ユリでいいよ。名前のあとにさんをつけられると、なんだか距離を感じるし……さっきまで一緒に戦ってた仲じゃん」
ああ、この人は距離を詰めるのが早いタイプなんだな。
ついさっき助け出すまでは、まだ俺たちの仲間というわけではなかったはずなのに……
でも、こういう感じも悪くない。
「パパ、エイデン会長。どうか、彼女の話をきちんと聞いてあげてください。彼女とユリは、おそらくこの中で、何が起きたのかを最もよく知っている二人です」
「セレイア……はぁ、わかった」
おお!
リヤのおかげで、クレモンさんはあっさり説得された。
それから、リリスとユリの二人は、なぜ“空”が落ちてきたのかを俺たちに説明し始めた。
それだけではない。
彼女たちは、ほかにも多くのことを教えてくれた。
リリスが何者なのか。
編織者の紋章は誰が創り出したものなのか。
俺たちが“空”と呼んでいたものの正体は何なのか。
今回、その“空”が爆発した原因。
そして、かつて暴動が起こる可能性を抹消するために、彼女たちが全員に洗脳を施し、俺たちに過去のすべてを忘れさせていたこと。
それから……
――俺たちの、本当の敵が誰なのか。
「ここは地球。そして、あなたたちがいるこの国は、日本と呼ばれていた。けれど今は……あなたたちも知っての通り、日本はもう存在しない。日本だけじゃない。他の国々も、一つ残らず同じよ。地球はもう……滅びたの」
「待ってくれ、ユリ。頭が追いつかない……俺たちは、ずっと過去の記憶を消されたまま、この作り物の小さな世界で生きていたってことなのか?」
「そうだよ。私とリリス……それから、かつての科学者仲間たちは、人類の未来をつなぐために、ずっと努力し続けてきた。でも……はぁ、あのクソ野郎が人類を裏切ったせいで、こんなことになっちゃったんだよ……!」
ユリは怒りに任せて、木製の机を拳で叩きつけた。
その勢いはあまりにも強く、彼女の拳から血が流れ始めるほどだった。
野次馬気分で周りに集まっていた人々も、そこでようやく、事態がどれほど深刻なのかを理解した。
「エイデン会長、私たちが今話したことを理解できましたか?」
「正直に言えば、これほどの話を短時間で信じるのは、あまりにも難しいですよ、リリスさん。異世界の獣人軍団、吸血鬼軍団、サキュバスの魔法師軍団、さらにはデュラハン軍団に、正体のよくわからない怪物たちまで……?私には……今あなたたちから聞かされた話を消化する時間が必要です……」
「理解しています。けれど、もう時間がないのです、エイデン会長。編織者たちを組織してください。戦争は、すぐにでも始まるかもしれません」
戦争。
かつては、俺たちから果てしなく遠い場所にあると思っていたその言葉が、今、確実にこちらへ近づいてきていた。
「あなたたちは、地球に残された最後の人類です。編織者の紋章は、まさにこの時のために、あなたたちへ与えられた力なのです。どうか、その物語の力を借りて、侵略者に抗ってほしい……」
「仮に君の話が本当だとして、相手は複数の世界の兵力を掌握しているということになる。では、我々は?今の我々には、即座に戦闘へ投入できる戦力が、いったいどれほど残っている?」
「統計上、ここ数年でアルカディア内部の人口は五万人近くまで増えています。ですが、子供や戦えない老人、そして先ほどの事故で亡くなった人々を除けば、今の私たちに戦える者は……一万人にも満たないでしょう……」
リリスは沈痛な面持ちで、その絶望的な数字を全員に告げた。
「一万人にも満たない人数で、いくつもの世界の兵力に対抗しろっていうのか……?ふざけるな!そんなこと、できるわけないだろ!」
「でも、私たちが何もしなければ……」
多くの編織者が、すでに戦意を失っていた。
その中でも、特に気性の荒そうな男性編織者の一人がリリスの前まで歩み寄り、彼女を指差しながら、冷ややかな嘲笑を浴びせた。
彼は、自分は絶対に反撃戦には参加しないと繰り返し主張した。
そして、その言葉は人々の不安に火をつけるかのように、かろうじて保たれていた現場の空気を、少しずつ後ろ向きなものへと変えていった。
リリス……
彼女は俯いたまま唇を強く噛みしめ、今にも泣き出してしまいそうなほど追い詰められていた。
このタイミングで彼女を助けないなら、俺はいつ助けるつもりなんだ?
「俺は戦う」
「え……?」
リリスは目を見開き、驚いたように俺を見つめた。
きっと彼女も、俺が自分からそんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。
「おい、坊や。お前、本当に頭大丈夫か?俺たち程度の人数で、本気で勝てると思ってんのか?」
「じゃあ、どうするんだ?ここに座って死ぬのを待つのか?侵略者どもに、俺たちの家族や大切な人を皆殺しにされるのを、黙って見ているつもりか?」
「俺はそういう意味で言ってるんじゃねぇよ。そもそも、この戦争には勝ち目なんてないだろ……」
「勝ち目がなくても戦うしかない。俺たちには、もう退路なんて残されていないんだろ?何もしなければ、本当にここで終わりだ。なら、俺は戦う。今の俺には、リリスや彼女の仲間たちが与えてくれた編織者の力がある。だったら、最後まで足掻いてみる。全力で挑めば、もしかしたら奇跡だって起きるかもしれないだろ?」
「お前……」
その編織者は苛立たしげに振り返り、自分の考えに賛同する者が大勢いると確信しているようだったが……
「まさか……こんな勝ち目のない戦争に、お前らまで参加するつもりなのか?」
「俺には妻と娘がいる。守りたいと思うのは当然だろ!」
「あたしも!」
周囲から、俺を支持する声がどんどん上がり始めた。
さっきまで俯いていた人たちが、一人、また一人と顔を上げていく。
どうやら……
俺の言葉も、少しは無駄じゃなかったみたいだな。
「エミール……ありがとう。本当に、ありがとう……」
「大したことじゃないって。家族同士、助け合うのは当然だろ?」
「うっ……このタイミングでそれを言うなんて、ずるすぎるでしょ!?」
リリスは顔を赤くし、少し気まずそうに顔を逸らした。
ふふ。
俺たちに本音を打ち明けてから、リリスの雰囲気は、ずいぶん柔らかくなった。
それも、彼女が心の底から俺たちを信頼してくれるようになった、わかりやすい変化の一つなのだろう。
「ふん……馬鹿どもが!どうせみんな死ぬんだ。だったら俺は先に、好き勝手楽しませてもらうぜ!」
そう吐き捨てると、その編織者は一人で扉を押し開け、外へ出ていった。
けれど、彼が扉の外へ足を踏み出した、その直後――
バキッ――




