終章 終わり、そして始まり
マリーが堕ちた者になった!?
嘘だろ……
「ふふふ……これで使える駒がまた一つ増えたね」
「誰があんたの駒になるって?もう一回言ってみなさいよ、あぁ?」
「え?」
え?
ところが、マリーは顔に浮かんだ仮面を一気に引き剥がし、炎は赤いマントへと姿を変えた。
それを見て、俺とアズライルは同時に、間の抜けた声を漏らしてしまった。
「マリー……?」
「ちっ。あんた、いつまでマリーを待たせるつもり?その頭には鉛でも詰まってるの?」
パァン――
彼女は俺に馬乗りになると、乱暴に俺の襟元を掴み上げ、そのまま俺の頬を思いきり叩いた。
え!?
俺、今マリーに叩かれたのか!?
目の前にいる“マリー”は、もういつもの優しい口調では話していない。
瞳の色も、ゆっくりと深紅へ変わっていく。
……
俺の上に跨っているこの人が、マリーじゃないことだけは確かだった。
「お前は誰だ?」
「アタシはマナ。科学的に言えば、彼女の第二人格ってやつよ。昔、環境のせいでストレスと鬱屈がひどくてさ。長い時間をかけて、アタシが生まれたってわけ。だから、アタシは彼女で、彼女はアタシ。わかる?まあ、それは置いといて……アタシ、あんたみたいな木偶の坊をずっと見てて、前からムカついてたのよ!」
パァン―――
続けざまに、右頬をもう一発叩かれた。
いや、待て待て待て!
俺、そこまで悪いことしたか!?
「まだ状況を飲み込めてない顔してるわね……いいわ、続ける」
「わわわ!マリー……じゃなかった、マナさん!少し落ち着いてください。私たち、まだ戦闘中ですよ!」
「ちっ、邪魔しないでよ、正妻さん」
マナはリンが伸ばした腕を掴むと、雑に横へ払いのけた。
「この男、物忘れがひどすぎて、今すぐ原形が残らないくらいぶん殴ってやりたくなるのよ」
そして再び、鋭い目つきで俺を睨みつけてきた。
ひぃ……!
マリーの顔で、そんな恐ろしいことを言わないでくれ!
「——————!」
「おい、狂犬。マリーを苦しめた分のツケ、まだ払わせてないんだけど。大人しく寝てなさい!」
「ぐっ……!何だ、この怪力は!?」
地面から炎をまとった巨大な手のひらが伸び、混乱に乗じて奇襲しようとしたアズライルを、力ずくで地面へ押さえつけた。
手のひらにまとわりつく炎はなおも彼の肌を焼き続け、アズライルは苦痛に顔を歪めながら必死にもがいている。
けれど、どれほど抵抗しても、あの炎の手を攻撃しても、彼はそこから抜け出すことができなかった。
強い……!
「学校でマリーに会った時、本当に何も思い出さなかったわけ?」
「えっと……思い出してない。俺と彼女って、初対面じゃなかったのか?ああ、殴らないで!」
彼女の右手がゆっくりと持ち上がり、俺は慌てて自分の頬を守りながら命乞いした。
「本当にイラつくわね……ああああ!そのカエル頭で、もう一回ちゃんと思い出しなさいよ!」
「そう言われても……」
殴られないために、俺は頭の中で過去の記憶を必死に探り始めた。
すると、不意に何かを思い出した気がした。
「もしかして……幼稚園の頃のことか?」
「そうよ、この鳥頭!あんたが初対面みたいな顔であの子に挨拶した時、あの子がどれだけ傷ついたかわかってるの!?」
パシッ。
今度は避けなかった。
これは本当に、俺が殴られて当然だった。
「彼女って、幼稚園の時に俺と同じクラスだった、あの短髪の女の子だったのか!?今も静かなところは変わってないけど、全体の雰囲気がかなり変わっていたから気づかなかった……最初は名前に聞き覚えがある気もしたんだけど、顔を見てもどうしても誰なのか思い出せなくて……」
「それは、あんたに嫌われたくなくて、あの子が必死に自分を変えたからよ。だから今の、あの優しくて世話焼きな女の子になったの!」
「うぐ……そういうことだったのか……あとでちゃんと謝るよ。というか、彼女がどんな子だったとしても、俺が嫌いになるわけないだろ……」
「乙女心ってやつよ!あの子はいつの間にか、あんたに好意を持つようになってたの!」
え?
マリーが……俺に?
「『無効化』!」
「ちっ、イラつくわね。木偶の坊一人だけでも十分ムカついてるってのに、今度は吠える犬まで増えるとか……おい、そこのクズ。さっきマリーに下衆な真似したんでしょ?」
「だったら何だい?アメーバごときが僕に説教でもするつもりかい?『氷魔法・氷嵐』」
アズライルが炎の手の拘束から抜け出したのを見て、マナはようやく俺を解放した。
そして、すぐさま怒りの矛先を彼へと向けた。
やつも負けじと『氷魔法』を使い、大量の氷柱を生み出してマナへ撃ち込んだ。
「氷で火に対抗するつもり?さっきので頭でも壊れたの?」
ジュウウ——————
マナの炎がアズライルの放った氷柱に触れた瞬間、大量の銀白色の霧が噴き上がり、俺たちの視界を遮った。
……!
狙いは、マナの『火魔法』を利用して、視界を塞ぐ霧を作ることか!
「『挑発』!」
「くそ、また君か……!くそがあああ!絶対に君を殺してやる!」
「みんな、今だ!」
マナを奇襲しようとしていたアズライルに気づいた俺は、強引にやつの標的を自分へ向けさせた。
すると、アズライルは怒り狂いながら俺へ突っ込んできた。
再生は……
たぶん、間に合わない。
このあと、俺の体が再生するまで少し時間が必要になるはずだ。
みんな、絶対に勝ってくれよ……
「“動かないで”!」
「また僕の邪魔を……どうして君はいつも……いつも僕の邪魔ばかりするんだ!リリス!!!」
「ナイス、リリス!『大きさ変化』!」
リリスとリン、二人の完璧な連携によって、アズライルは俺まであと一歩というところで足を止めた。
次の瞬間、彼は足元で突然巨大化した石に弾き飛ばされた。
「ぐっ……『氷魔法・氷嵐』!」
「『無害化』!」
「くそ……『硬化』!」
「『透過』!一発もらいなさい!」
「『無効化』……」
「『時間・停止』!」
リンとアズライルは、目にも止まらない速さで攻防を繰り広げていた。
「ようやく捕まえたわ」
ゴォォン——————!
マナは彼の隙を突き、無数の炎の矢を撃ち放った。
続けて火の竜巻をアズライルに絡みつかせ、その隙に爆弾で彼の腕を一本吹き飛ばした。
「ごほっ、ごほごほ……!」
「ぐっ……!早く僕を助けろ、役立たず!」
だが、よりにもよってその時、リヤが荊棘の壁の中から弾き飛ばされた。
ユリさんは荊棘の壁をすり抜け、巨大な花に運ばれるようにしてアズライルのもとへ向かっていく。
……!
もしまたユリさんに回復されたら、俺たちのこれまでの努力が水の泡になってしまう。
「『睡眠』!」
「うっ――……ありがとう、小さなお嬢さん……」
間一髪のところで、アイリーンの制御スキルが間に合った。
ユリさんはその間に自我を取り戻したらしく、自分を制御してくれたアイリーンに小さく礼を言った。
「ちっ、本当に役立たずだね……『二度目の機会』……」
こいつ、まだ奥の手を隠していたのか!?
「やつの傷が……」
やつの体にあった傷が、まるで最初から存在しなかったかのように消えていく。
「考え込まないで、コリン。私に合わせて。行くわよ!」
「ああ。レイ、気をつけろよ!」
吹き飛ばされた腕までもが、再び生え戻っていた。
再び彼へ向かって駆け出したコリンとレイを前に、アズライルはまた勝ち誇ったような不気味な笑みを浮かべ、二人と激しく切り結び始めた。
しかも、やつの体は最初よりさらに強くなっているらしく、今ではコリンの曲刀ですら、その皮膚に傷をつけることができなくなっていた。
……
くそ!
こんなの、どうやって倒せばいいんだよ!?
「リン、お前の【武装化】スキルは……」
「ううん。『愛と希望の物語』は、まだ反応していないよ。たぶん、本当に打つ手がなくなったわけじゃないんだと思う」
これでも、まだ打つ手がなくなったわけじゃないのか……?
「リンリン、私に考えがあります!彼が草地に飛ばした血に触れて、『探し物』で彼の【致命的な弱点】を探してください!」
「概念を探すってこと?アイリーンっち、ナイスアイデア!『探し物』、対象はあいつの【致命的な弱点】!」
アイリーンの提案を受け、キャロリンはすぐに見慣れた半透明のパネルを開いた。
そこには、人狼の人体図のようなものが表示されており、そのうちの一か所だけが赤く染まっていた。
「……胸の傷跡、みたいだな?」
「まさか……!みんな、あの胸の傷跡を全力で攻撃してください!あの傷跡は、ある錬金術師が死の間際に薬品で反撃した時に残した傷――決して癒えることのない傷です!」
困惑していた俺の代わりに、リリスが全員へ指示を飛ばした。
彼女は、あの傷跡のことを知っているらしい。
「……!」
アズライルは「傷跡」という言葉を聞いた瞬間、明らかに肩をびくりと震わせた。
どうやら、それが正解で間違いなさそうだ。
「彼の動きは俺が止める。あとはお前らに任せた」
「ちっ……ちょこまかと、鬱陶しいんだよ!」
アズライルの注意が散っている隙に、コリンはわざと狙いを分散させるように、胴体、脚、そして頭へ連続で曲刀を振り下ろした。
彼の曲刀が狙った部位に触れるたび、白、黄、赤の三色の光が順に灯っていく。
「『残花散華』」
「うわっ……!」
バシャッ―――
アズライルの全身の毛穴から、血が弾け飛ぶように噴き出した。
その効果は、かつてグリックがレイに使ったスキルとよく似ている。
ただし、コリンの攻撃には、皮膚を徐々に枯れさせていく追加効果まで付与されているようだった。
「くそ……僕は神なんだぞ!神が原生生物なんかに膝を屈するわけがないだろうがあああ!『自己治癒』!」
当然、あれだけ血を流しているのだから、彼の体はすでにふらつき始めていた。
それでもなお、彼は必死に踏みとどまり、自分の傷を治そうとしている。
この期に及んで、まだ新しいスキルを隠し持っていたのか!?
「……!『光魔法・閃撃』、『透過』、『時間・加速』!」
「私も合わせるわ、キャロリン!『荊棘魔法・狂乱荊棘』、『体力剥奪』!」
リンとリヤはその隙を逃さず、一斉に飛び込んだ。
手にした武器と魔法を同時に叩き込み、アズライルへ攻撃を集中させた。
「ぐぁ……ああ……」
「『空気・真空牢獄』」
失血、重傷、酸欠。
無敵だった人狼は、ついに俺たちの手で打ち倒され、血だまりの中で虫の息になっていた。
念のため、レイは『針糸魔法』で彼をがんじがらめに縛り上げ、リリスもさらに特殊スキルを使って、彼がこれ以上反抗できないようにした。
周囲にいた破劇者の大軍は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
まるで空気を読んだかのように、全員が一斉に逃げていった。
「よくやりました、みんな。本当にお疲れさまでした……」
「リリスっち!急に何も言わずにいなくなるなんて、私たちがどれだけ心配したと思ってるの?ダーリンなんて、この数日ずっと悩みすぎて眠れなかったんだからね!」
本当だ。
ここ数日、家の中が空っぽになったような感覚に慣れなくて、俺はずっと眠れなかった。
「すみません。もう二度としません。それと、唐突ではありますが、どうしても一つだけ確認したいことがあります……」
「何だ?」
「どうして、あなたたちはまだ私のことを覚えているのですか?私は……私の存在を、アルカディアの人々全員の記憶から消したはずなのに……」
そこまでやっていたのか!?
「リリス、それ本気で言ってるのか?そこまでして、俺たちと縁を切りたかったのか?」
「ああ、違います、違うんです!私はただ心配で……はぁ、そうですね。そもそも最初から、私はあなたたちを巻き込んでしまっていたのですから。すみません。私の判断が浅はかでした」
「俺、本気で怒ってるからな?」
「ごめんなさい……みんな、本当にごめんなさい」
はぁ……
まあ、彼女があそこまで真剣に謝ってくれたのなら、これ以上は追及しないでおこう。
「実は、俺たちにもどうしてこうなっているのかはわかりません。学校中であなたのことを覚えているのは、クリス先生と俺たちだけです。どういう理由で俺たちがあなたを覚えているのか、俺にもわかりません」
「そうですか……わかりました。大丈夫です。その理由は、あとで私が調べておきます」
そう言うと、彼女は表情を切り替え、虫の息になっているアズライルへ向き直った。
「……」
「君たちは後悔する……僕と一緒に彼女を殺さなかったことを、必ず後悔するぞ!」
「あなたの考えは、相変わらず極端ですね……」
「極端?僕はただ事実を述べているだけだろう。この、人類を檻の中で飼い慣らす悪魔め!」
「私はかつて、あなたを私たちの仲間だと思っていました。けれど、あなたは私たちを裏切った。あなたに殺されたみんなのために、あなたに傷つけられたユリのために、そしてシェフィさんとニッキーさんのために……これは、あなたが受けるべき報いです」
次の瞬間、アズライルの全身が震え始めた。
彼は自分の首を押さえ、苦痛に顔を歪める。
リリスは彼の周囲の酸素を奪い尽くし、できるだけ長く苦しませながら殺そうとしていた。
友人たちの仇を討つために。
「ごほっ……君たちは……これから……本物の地獄を目にした時……どんな顔をするんだろうね……?僕は一足先に……地獄で君たちを待っているよ……ひひっ……」
「“ゆっくりと、自分の首をへし折りなさい”。恐怖と苦痛の味を、よく噛みしめてください」
ゴキッ。
リリスは、もうアズライルの言葉を聞きたくなかったのだろう。
彼は最後まで必死に抵抗していた。
それでも特殊スキルの影響からは逃れられず、最後には自分の手で自分の首をへし折った。
「リリス……」
ちっ。
最後の最後で、俺は迷ってしまった。
彼女の復讐を止める資格が、自分にあるのかどうか、わからなかった。
それに一方で、父さんと母さんをあんな目に遭わせた憎い敵が、できるだけ惨めな姿で死んでいくことを、俺自身も望んでしまっていた。
だから俺は、リリスが人を殺すのを止めなかった。
人殺しが間違っていることくらい、わかっていたのに……
「ふふ、これが復讐というものなのですね。一瞬の快感を覚えたあとは、こんなにも空虚になるなんて。私はまた、人を殺してしまいました……」
リリスは力なく自分の両手を見つめ、自嘲するように笑った。
他のみんなも何を言えばいいのかわからず、ただ静かにリリスを見つめていた。
「リリス、俺はさっきあなたを止めるべきだった。俺があの一歩を踏み出せなかったから……」
「あなたのせいではありません、エミール。これまでの日々の中で、私はもう十分すぎるほど人を殺してきました。私が背負う罪も、すでに十分重いものです。今さら一人増えたところで、実際には大した違いはありません。私にはもう、何も残っていませんから……」
……
彼女は過去に、いったい何を経験してきたのだろう。
どうして、あんなにも寂しく、絶望した表情を浮かべるのだろう。
しっかりしろ、エミール。
家族なら、互いに支え合うべきだろう?
彼女がかつてお前を救ってくれたのなら、今度はお前が彼女を支える番だ。
「リリス、あなたには俺がいます。小隊のみんなだっている。それに、ユリさんも無事だったじゃないですか」
「エミール……ええ、ありがとうございます。そうだ、ユリ、無事ですか!?今すぐ助けます!ごめんなさい、さっきは怒りで我を忘れていました……」
彼女はそこでようやく、ユリさんがまだ少し離れた場所でアイリーンに制御されていることを思い出し、慌てて彼女のそばへ駆け寄って仮面を引き剥がした。
「リリス、すごかったよ?私たちの仇を討ってくれたんだね……」
「あなたは堕ちた者の状態から戻ったばかりです。体力もひどく落ちているはずですから、今は喋らないでください!」
「『活性化』。私がどんなスキルを持っているのか、忘れちゃったの?それにしても、まさかもう一度あなたに会えるなんて……うぅ……」
「私もです!本当に、あなたに会いたかったです、ユリ!」
そのあと、ユリさんは治療用の水球を俺たちにも浴びせてくれた。
俺たち一人ひとりの傷は瞬く間に塞がり、体力まで完全に回復した。
その後、彼女はリリスと抱き合い、嬉しそうに涙を流した。
二人はこの間にあった出来事を語り合い、時折、楽しそうな笑い声も聞こえてきた。
彼女たちが再会できて、本当によかった……
「ふん。用事が済んだなら、アタシもそろそろ引っ込むわ」
「マナ?」
「別に大したことじゃないわ。マリーの人格が表に出てきて、アタシの人格がまた眠りにつくだけ。覚えておきなさいよ。アタシは体の中で、ずっとあんたを見張ってるから。マリーを悲しませたら、また出てきて何発かビンタしてやるわ」
怖すぎる!
でも、それはそれで少し寂しくもあるんじゃないか?
「本当に……もう会えないのか?」
「ええ。アタシは、あの子を守るために生まれた第二人格だから。このことは、あの子には言わないで。あの子はただ、これからも幸せに生きてくれればいい。それがアタシの願いよ」
何だよ……
「……じゃあ、あなたは?」
突然、アイリーンがマナに問いかけた。
「アタシ?」
「あなたがマリーで、マリーがあなたなのだとしたら、好きなものもマリーと同じはずですよね?」
「ち、違うわよ……!」
彼女の好きなもの?
「目を逸らしましたね、マナ。あなたもマリーと同じで、エミールのことが好きなんですよね?」
えええ!?
俺!?
「……」
「えっと、その……」
「とにかく、アタシはもう行くから!」
俺が続きを口にするより先に、顔を真っ赤にしたマナは、逃げるように慌ててマリーの人格へ切り替わった。
彼女の瞳も、炎のような真紅から、マリー本来の深い黒へと戻っていった。
「……!アズライルは?戦況はどうなっていますか?私、どれくらい気を失っていたんですか!?」
目を覚ましたばかりのマリーは、本当にマナがしていたことを覚えていないらしい……
「おかえり、マリー。さっき、戦いはもう終わったよ」
「え?」
彼女の俺への気持ちを知ってしまったせいか、そのきょとんとした表情が、いつもより何倍も可愛く見えてしまった。
「さっき、あなたが気を失っている間に、ある臆病者が私たちを助けてくれたんです。でも、その人は今、恥ずかしくなって逃げてしまいました」
「そうだったんですか?残念です。私も直接お礼を言いたかったのですが……」
アイリーンは、マリーが堕ちた者になりかけたあと、マナが彼女と俺たちを救ってくれたことまでははっきり口にしなかった。
けれど、その表情を見る限り、このまま終わらせるつもりはないらしい。
何となく、彼女はいつか必ず、どうにかして相手を見つけ出そうとする気がする……
「そうだな。俺も、もう一度彼女に会いたいよ。お前もそうだろ、アイリーン?」
「はい。次こそ、あの臆病者にしっかりお説教してあげます」
アイリーンは、やる気満々といった様子だった。
それでいい。
今は、ひとまずそれで十分だ。
お前がマリーの中にいるのなら、今の言葉も聞こえていたんだろう、マナ?
さて。
今は、まず俺の約束を果たすとしよう。
「マリー、俺たちって幼稚園の頃に一度会ってたんだよな?」
「え?待ってください。もしかして、あなた……」
「ああ。ある人に言われて、ようやく思い出したんだ。ごめんな。今までずっと気づけなくて」
「い、いえ……大丈夫です。本当に。今、私のことを思い出してくれただけで、すごく嬉しいです。えへへ……」
何だろう。
今の彼女は、いつもより可愛いだけじゃなく、妙に目を引くというか……
彼女が何気ない仕草をするたびに、俺は無意識に目で追ってしまう。
「リン、俺はマリーにあの話をしたいんだけど、いいか?」
「いいよ。というか、その話なら、私たち女子組はとっくに裏で話し合ってるから」
だから、何でお前たちはそういうところだけ手が早いんだよ!?
しかも、マリーの俺への気持ちまで知ってたのか?
マジかよ……
「何の話ですか?」
「あの……マリー。今まで俺が鈍すぎて、お前の気持ちに気づけなかった。これからも、俺のそばにいてくれないか?」
「えっ!?」
「俺は、お前と恋人になりたい。だから、もしよかったら、俺の気持ちを受け止めてくれないか……?もちろん、これからはお前のことも、他のみんなと同じように平等に――」
「うぅ……」
マリー!?
どうして泣いてるんだ?
その時、リンが横から必死に目配せしてきた。
ちゃんと慰めろ、ということらしい。
急に難易度を上げてくるなよ!?
「えっと……ごめん。さっき急に告白して、驚かせたか?」
「違うんです……ただ、私がこの人生で一番聞きたかった言葉をようやく聞けて、少し感情が高ぶりすぎてしまっただけで……あの……」
涙声の彼女は顔を上げ、少し泣き腫らした目で俺を見つめた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします!」
正面から飛び込んできた衝撃で、俺はそのまま草地の上に倒れ込んだ。
そして最後に、俺の上に倒れ込んだマリーと、もう一度互いに見つめ合い、胸の奥から込み上げてくる喜びに、思わず顔を見合わせて笑った。
「はぁ……マリーのこと、ようやくいい形に落ち着いたね。私、急に泣きたくなってきたんだけど、どうしよう?」
「うぅ……というか、私はもう泣いてますよ、リンリン……」
リン、アイリーン、お前たち二人は何をやってるんだ?
でも……
「ありがとう。本当に」
「それじゃあ、帰ったらちゃんとご褒美をちょうだいね、ダーリン」
「ああ、もちろんだ。二人にはちゃんと礼をするよ」
コリンとレイの二人は、自分たちのことなら気にしなくていいと言っていた。
たぶん、帰ったあとも二人でいちゃつくつもりなんだろう。
それなら次は、リリスとユリさんも連れて、みんなで美味いものでも食べに行こう。
盛大に祝うために。
「そういえば、リヤ。さっきからやけに静かだけど、何か探してるのか?」
「……ボタンみたいなもの、見なかった?」
ボタン?
待て……
何だか、ものすごく嫌な予感がしてきた。
リヤは以前、俺がどこかのボタンを押したことで、この世界が滅びる未来を見たと言っていたはずだ……
「リリス!」
「えっと、どうしました?」
「【仙境】の中に、何か危険なボタンみたいなものがあるか知らないか?」
「エミール、あなた……もう少し言いたいことを整理してから、もう一度言ってもらえますか?危険なボタン?【仙境】にそんなものがあるはずないでしょう?」
リリスも知らないのか?
「もういいわ。正直に話すわね……リリス、私は未来の断片を見ることができる特殊能力を持っているの。人狼……つまりアズライルを殺したあと、エミがどこかのボタンを押して、その結果、この世界が滅びる未来を見たわ。何か心当たりはある?」
「あなたは……セレイアちゃん、で合っているわよね?あなたが言っているのは、未来が見えるということ?」
「はい。原理は私にもわかりません。ただ、この世界で未来の光景の一部を見られるのは、おそらく私だけのようです……」
「リリス、これってどこかで聞いたことがある話じゃない!?」
ユリさんは話を聞いて何かに気づいたらしく、すぐにリリスのほうへ顔を向けて問いかけた。
「南村静が以前話していた、あの調査ですか?」
「そう、それ!確か、この世界には地球の過去、現在、そして未来の姿を見ることができる人間がいる、という内容だったはずよ」
「まさか……」
どうして二人とも、急にそんなに険しい顔をしているんだ?
それと、地球って……?
「セレイア。私の推測が正しければ、あなたの未来視には、私の姿が映らないのではありませんか?ショッピングモールで初めて私を見た時、あなたは私のことを“不自然”だと言っていましたよね。それは、未来視の中で私の存在が見えなかったからではありませんか?」
「はい……」
リヤがあの手この手でリリスを俺とリンに近づけまいとしていたのは、俺たち二人を守るためだった。
「それは正常です。あなたの未来視に映るのは、地球人だけです。先ほども言いましたが、私はこの世界の人間ではなく、異世界から来た来訪者です」
「なるほど……?」
「それから、もう一つ。あなたが未来視で見た出来事は……必ず現実になります。あなたがどれだけ変えようとしても、未来はすでに決まっているのです」
何だって?
もう……
決まっている?
「時間がありません。ユリ、動けますか?」
「うん。さっき『活性化』で体力は回復させたから。大丈夫!」
「よし。今、【編織者システム】はどこにありますか?」
「第百階層よ!私が案内する!」
「ちっ、忌々しい……隠し場所が深すぎます!行きますよ!エミール、あなたは先にみんなを連れて地上へ戻ってください。急いで!」
ユリさんは苦しそうに身を起こすと、リリスを連れて【仙境】のさらに奥へ進もうとした。
リリスも去り際、俺にみんなを連れて先に【仙境】の外へ戻るよう、忘れずに指示を出した。
「リリス、ユリさん、どこへ行くんだ?」
「今は私たちのことは気にしないでください。ここは私たち二人に任せて、あなたたちは早く地上へ戻って!地上で他の人たちを守ってもらう必要があります!」
「他の人たちを守る?」
「私とユリが問題を片づけたら、すぐに戻ります。それまで、あなたたちは地上で警戒して、私たちの帰りを待っていてください。以上!ユリ、行きましょう!」
彼女はユリさんと一緒に、そのまま慌ただしく走り去っていった。
……ん?
こ……
これで終わり?
「……まあいい。行こう。地上では、俺たちが思っている以上にまずいことが起きるかもしれない」
「リリスを止めなくていいのか?」
「大丈夫だ、コリン。彼女はさっき、必ず戻ってくるって俺に約束してくれた。だから大丈夫だ」
俺は彼女を信じる。
今度こそ、彼女は必ず約束を守ってくれる。
そんな気がした。
——————
チン―――
何度聞いても、エレベーターの音はオーブンの音に似ているな……
「セレイア?おかえり。どうだった、見つかったのか?」
探索委員会に戻ると、俺たちはクレモンおじさんと鉢合わせた。
「パパ……!ええ、順調よ。人も見つかったわ。ただ、その人は今、もう一人の仲間と用事があって、しばらく私たちとは別行動を取ることになったの。だから、私たちだけ先に地上へ戻るように言われたわ」
「それならよかった……そうだ、君たちの先生も今、探索委員会に来ているぞ。エイデンに君たちの近況を聞いているところだ。早く会いに行ってあげなさい」
「先生というのは……クリス先生のことですか?」
「ああ、そうだ。早く会いに行ってあげなさい。君たちが何日も学校に来ていないから、彼女はとても心配していたよ」
「ええ、伝えてくれてありがとう。行きましょう、みんな!」
◇
手続きカウンターからそう遠くない場所にある食堂に、身なりの整った大人の女性が一人座っていた。
彼女はスマホをいじりながら、時折、落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見回していた。
「クリス先生、戻りました」
「エミールくん、みんな!無事で本当によかった……」
近づいてみて、俺はようやく彼女の目の下に濃いクマができていることに気づいた。
まずは安心させてあげよう。
「安心してください、先生。リリス……指導者さんは見つかりました。彼女は無事です。今は少し用事があって、俺たちとは一時的に別行動を取っています。でも、あとで必ず戻ってきてくれます」
「指導者ちゃん……!よかった……本当によかった……彼女の本名はリリスちゃんっていうのね?できれば、本人の口から聞きたかったけれど……」
クリス先生って、もしかして少し面倒くさいタイプの女性なのか?
「大丈夫ですよ。あとできっと、彼女も本人の口から先生に伝えてくれますから、今は――」
轟————————!
「!?」
俺を含め、探索委員会にいた全員が、その轟音にびくりと肩を跳ねさせた。
「ああ……そんな……エミ、急いで外へ!外の状況がまずいわ!」
「……わかった。先生、俺たちは外の様子を見てきます。先生はここに隠れていてください」
「何が起きているのかはわからないけれど、みんな、気をつけてね!」
◇
探索委員会の外へ出た俺たちは、轟音が響いた方角を見上げて――そこでようやく、自分の目を疑いたくなるような光景を目にした。
同時に、リヤが口にした「まずい」が、どういう意味だったのかもようやく理解した。
――空が……落ちてきた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
もしここまで少しでも楽しんでいただけたなら、ぜひ応援していただけると嬉しいです。
これからの物語は、今まで以上に熱を帯び、さらに大きく動き出していきます。
そして同時に、より残酷で、より暗い展開にも踏み込んでいくことになります。
どうか楽しみにしていてください。
そして、どうか覚悟しておいてください。
改めまして、私はマレーシア出身で、趣味でネット小説を書いているYeetedSushiです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。




