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【Side:■■■】自分の価値

※本話には暴力描写、精神操作、精神的に重い描写が含まれます。

「これは……何ですか……」


第七十一階層の景色は、それまでの階層とはまるで違っていた。


どこもかしこも死んだように静まり返っていて、不快な空気が漂っている。


彼はいったい、どんな物語を【テーマ】にして、この景色を創り出したのだろう……


「僕の予想どおりだ。やはり君は、自分から僕のもとへ戻ってきたね」


「人を、あなたの掌の上で踊る道化のように扱わないでください。そのたとえは、実に吐き気がします」


「ふん……僕の言っていることが間違っているとでも?僕が堕ちた者にしたあの愚か者を見れば、君は必ず自分から戻ってきて、僕を問い詰めるとわかっていた。だから僕は、彼に地上へこっそり戻り、どうにかして君を探し出せと命じたんだ」


目の前には、がっしりとした体格の黒い人狼が、口元を裂くように笑いながら立っていた。


「他人の意思を軽んじ、命すら踏みにじる……あなたは数か月前から、何も変わっていませんね」


「ぷははは……君も同じだろう?頑固で、自分だけは高潔だとでも思っている。だから一人で僕に会いに戻ってきたんじゃないか」


「私は、これ以上誰かを死なせたくなかっただけです」


「おお〜彼らのため、というわけかい?また昔と同じ言い訳だね。聞き飽きて、耳が腐り落ちそうだよ」


なら、そのまま腐ればいい。


あなたの、その醜い顔ごと。


「戦う前に、一つだけ聞きたいことがあります」


「自分を何様だと思っているんだい?この僕に質問へ答えてもらえるとでも?まあいい。どうせ君はこのあと死ぬんだ。せめてもの慈悲として、答えてあげようじゃないか」


心配しなくても、あなたの罪はもう償いきれません。


地獄で会いましょう。


「あなたは、どうやって堕ちた者を生み出したのですか?それと、第七十一階層から先、あなたはいったいどんな物語を【テーマ】にしたのですか?」


「僕は心を操作できるスキルを持っているんだ。肉体的にも精神的にも彼らを限界まで追い詰めてから、スキルで内面世界へ忍び込み、軽く背中を押してあげるだけで……じゃじゃ〜ん。彼らは堕ちた者になる。簡単だろう?ははははは!これはね、以前突然割り込んできて、君を守ろうとしたあの二人の馬鹿のおかげで気づけたことなんだよ」


シェフィさんとニッキーさんが、あの時いったい何をされたのか……


想像するのも難しい。


彼の説明を聞いただけで、私は思わず目眩を覚えた。


「第七十一階層から先の【テーマ】については……僕は【編織者システム】を制御することこそできないけれど、【仙境】に少し手を加える権限くらいはあるんだ。数週間前、僕は【クトゥルフ神話】という物語を読んだ。好奇心からそれを具現化してみたら、ここが僕の創りたい理想世界と完全に一致していることに気づいたんだよ!恐怖と死に満ちた世界……これ……これこそ最高じゃないか!?はははははははは!」


変態……


「あなたの思いどおりにはさせません、井――」


「黙れ!僕はもう、その名を捨てた!今の僕はアズライル。この世界の支配者だ!」


「うっ……!?」


瞬きをした次の瞬間、彼はすでに私の目の前まで迫っていた。


【仙境】にいるどの怪物よりも強いだろうとは予想していた。


けれど、まさかここまでとは……!


彼の拳は、私が咄嗟に凝集させた十枚の空気の壁を一撃で貫き、その衝撃波だけで、私の体を数十メートルも吹き飛ばした。


ぐっ……!


たった一瞬。


それだけの間に、私は正面から一撃をもらってしまったのか……!?


「この物語を手に入れてから、僕は気づいたんだよ……」


早く立ち上がって、態勢を立て直さないと……!


「僕こそが、この世界の主人公なんじゃないかってね?」


「『空気・――」


「俺が喋ってる時に口を挟むんじゃねえよ!」


「がはっ――!」


彼は怒りに任せ、私の背中を踏みつけた。


ぐぁぁ……!


肋骨が折れそう……!


何なの、この怪力は……!?


「『魔弾の射手』。このスキル、見覚えがあるだろう?」


彼の指先に、漆黒の小さな球が現れた。


そのスキルなら、私は嫌というほど知っている。


あれは【ロビンフッド(Robin Hood)】のスキルの一つではないか……!?


「僕はね、誰かを殺したあと、その相手の物語を喰らうことができるんだよ!はははははははは!」


は……?


何をふざけた……


いや、これなら、彼が三つ以上のスキルを持っている理由にも説明がつく。


私は、こんな危険な物語を【編織者システム】に登録した覚えはない。


それらはすべて、封印していたはずだ!


「あの夜、ふと思ったんだ。僕にふさわしい物語は、君が捨てた物語集の中にあるんじゃないかってね。だから、あの物語たちの封印を全部解除したんだ」


「ああ……」


私が一時の情けで、あの時、彼を許してしまったからこそ、この一連の惨劇が起きてしまった……


みんなの死も、グリックが堕ちた者になったことも。


全部……


全部、私が……


「僕と【大きな悪い狼(Big Bad Wolf)】は、まるで互いに引き寄せ合うようだった。僕がそれの封印を解き、それが僕を見つけた!それが僕の身に刻まれた瞬間、僕ははっきりと感じたんだ。僕はそれで、それは僕なのだと……」


全部、私自身のせいだ!


まさか、私こそがすべての元凶だったなんて。


本意ではなかった。


それでも、結果的に私はあまりにも多くの人を死なせてしまった……


「俺たちは……アズライルだ」


人狼の右半分の顔に、ゆっくりと彼の人間としての姿が浮かび上がり、地面に踏みつけられて身動きの取れない私を見下ろした。


彼には、もともと裏切る意思があったのかもしれない。


けれど、あの危険な物語たちに触れたことで、彼の負の感情は物語によって何倍にも増幅され、さらに狂気を深めていった。


まして彼自身も、物語の中の大狼と同じく狡猾な人物だった。


その結果、編織者と物語は噛み合ってしまい、最も危険な存在へと変貌した。


普段は羊の群れの中で羊の皮を被り、皆が油断した時にだけ、その本性を現す。


「僕は、その顔が見たかったんだよ!最高だ、最高すぎる……!気持ちよすぎて、頭がおかしくなりそうだ……!」


彼は私の背中を踏みつけていた足をどけると、突然、私の髪を乱暴に掴み、そのまま引き起こした。


「どうだい?君が今まで必死に手に入れてきたもの(仲間)を、ぜ〜んぶ僕に奪われた気分は?さぞ気持ちいいだろう?」


『空気・圧縮』……


「ぺっ!ざまあみろ。僕はこの悔しさを抱えたまま、今まで黙って耐えてきたんだよ!」


「『空気・爆発』」


「うわっ、このクソ女……ここまでされても、まだ抵抗するつもりか!?いいよ、まだ逆らうっていうんだね?」


外した……


くそ……


激昂した彼は、そのまま私を地面へ叩きつけ、私の頭を掴むと、何度も何度も床へ打ちつけた。


私の顔が血まみれになるまでそれを繰り返したあと、彼はようやく私の髪を掴んで顔を上げさせ、無惨に打ちのめされた私の姿を楽しむように眺めた。


「おい、指導者さんを放せ!」


「……?」


え?


この声は……


「コリン!」


「わかってる!『強奪』!」


どうして彼らがここに……!?


それに、聞き間違いじゃないわよね……?


どうして、まだ私のことを覚えているの……?


「ほう……?君はここを離れていた間に、先生なんてものになっていたのかい?ぷははは……君が先生をやったところで、まともな生徒なんて育つはずがないと思っていたけれど、案外、義理堅い子たちじゃないか」


「私の……生徒を……侮辱しないでください……」


今、体が動くなら、この命に代えてでもあなたの口を引き裂いてやるのに!


「そうだ。次はこうして遊ぼうか。ふふふ、きっと面白いものが見られるよ。『沈黙』。これから君に、自分の価値というものを思い知らせてあげる」


この男、何をするつもり……?


待って、声が出ない……!?


「みんな、自分の安全を最優先にしろ。あの破劇者は普通じゃない」


「破劇者?ああ、僕のことを言っているのかい?はははは!すまない、すまない。ずっと『人狼化』を維持したままだったから、そこに気づかなかったよ。誤解させてしまって、本当に申し訳ない」


アズライルは【武装化】を解除し、全身から熱い水蒸気を立ち上らせながら、人間の姿へ戻った。


そして、私を地面へ投げ捨てると、芝居がかった態度でエミールに話しかけ始めた。


「みんな、あいつは敵だ。手加減する必要はない」


「おやおや、君はこの子の知り合いかい?初対面の相手をいきなり敵呼ばわりするなんて、少し失礼すぎるんじゃないかな?はぁ、本当に馬鹿だね。発言の一つひとつが、まるで頭の発育が追いついていないみたいだ……」


「指導者さんをここまで傷つけておいて、敵じゃないなら何なんだよ」


「ふふ、君はそれだけで僕を敵だと決めつけるのかい?ははははは!愚かだね!本気かい……君、そんなくだらない質問を僕にするのか?」


今度は、何を企んでいるの……?


「僕はアズライル……神だ!この肉体に身をやつし、君たちへ福音を授けるために降臨した!さあ、その頭を垂れて敬意を示したまえ!」


「……こ、この人、いったい何を言ってるの……?」


「ふふ……まあいい。君たちのようなアメーバにも劣る下等生物には、神へと進化した僕という存在が何を考えているのか、当然理解できるはずもないだろう。だが、構わない!慈悲深きこの僕は、君たちの無知を許すことにした!」


「そんなことはどうでもいい。今すぐ指導者さんを返せ!」


「指導者さん?ああ、彼女のことかい?はははは!まさか君、地上で先生なんてやっていたのかい?笑わせてくれるね。どう見ても向いていないだろう?」


その顔で、私に偉そうな口を利かないでください……


「おい、いい加減にしろ!彼女を放せ!でないと、こっちも容赦しないぞ!」


「本当にいいのかい?これから僕は、君たちのためにこの諸悪の根源を処理してあげようとしているんだよ?まあ、それも彼女の頭の中にある情報を全部掘り出してからの話だけどね〜」


「彼女は俺の友達だ。口の利き方に気をつけろ」


「たとえ彼女が君の両親を堕ちた者に変え、そのことを何も知らないふりをしながら、何食わぬ顔で君のそばに居続け、君を利用していたとしても、君はまだ彼女を友達だと思えるのかい?」


彼は今、エミールに何を言ったの……!?


「ふふ。それなら君の口から、この被害者くんに教えてあげたらどうだい?僕の言っていることが本当かどうかをさ。ほら、起きろ。この程度の攻撃で気を失うはずがないことくらい、僕は知っているんだよ?」


「ごほっ、ごほごほ……!」


お腹……


「『精神操作』〜」


この卑怯者……!


こいつ、こっそりスキルを使って、私とエミールの心を操っている!


彼の言葉を聞かないで、エミール!


心の中では、彼らに伝えたい言葉が無数に溢れていた。


けれど今の私は、声を出せないだけでなく、体を動かすこともできない。


まずい……


「本当に、お前が父さんと母さんをあんな目に遭わせたのか!?」


彼は私の罪悪感を増幅させ、思わず視線を逸らすように仕向けただけではない。


エミールの怒りまで煽り、彼から理性を奪った。


「おい!答えろよ!」


「……」


うぅ……


本当は、彼に答えたくてたまらない。


それなのに、今の私にはどうしてもそれができない……!


「ダーリン、落ち着いて!考えてみて。もし指導者さんがおじさんとおばさんを殺すつもりだったなら、どうしておじさんに直接とどめを刺さなかったの?わざわざ手加減なんてする必要、ないはずでしょ?彼女の実力なら、たとえおじさんが堕ちた者になっていたとしても、圧倒できる相手だったはずだよ?」


キャロリン?


ああ……ありがとうございます……!


こんなことになっても、まだ私を信じてくれて……本当に、ありがとうございます……


「指導者さん、最後にもう一度だけ聞きます。父さんと母さんをあんなふうにしたのは、あなたが故意にやったことなんですか?真実を話してくれなければ、俺はあなたを信じていいのかどうか判断できません」


うっ……!


動いて……


動いてください……!


何度も必死に試みた末、ようやく私の体は私の願いに応え、彼らに向かって小さく首を横に振った。


「へえ……?僕が『精神操作』を使ったのに、それでも彼女を信じることを選ぶのかい?ふふ……ふはははは!自分を信じてくれる相手がいるって、いいものだよねぇ?ねえ、君も今、とても嬉しいんじゃないかい?」


この外道が……


「はぁ、まあいいさ。なら、こいつらに君の正体を見せてあげようじゃないか」


また何をするつもり……!?


まさか……!


「『擬装解除』」


いやああああ!


今はだめ!


私の角を彼らに見られたら、きっともう終わりだ!


「これこそが彼女の本当の姿だ!彼女はね……人の皮を被った悪魔なんだよ!そしてこれから、僕たちの世界を滅ぼそうとしている。それに比べて、僕は違う。僕はこの世界を守るために、彼女を殺そうとしている救世主なんだ!」


違う……


私は、あなたたちの世界を守るために、ここまで来た。


ただ、あなたたちを助けようとしているだけ。


彼が言うような悪魔なんかじゃない……


「だから、もうわかっただろう?たとえ単細胞生物でも、目の前にこれほど明確な脅威が現れたなら、誰が君たちの味方なのかくらい、さすがに見分けられるはずだよね?」


信じないで、エミール!


彼に騙されるなと声を上げて伝えたいのに、あの忌々しい『沈黙』のせいで……


「さあ、隊長くん。僕は君たちの味方だよ?彼女を排除したら、一緒に平和な世界を創ろうじゃないか」


「いいですよ。俺も、平和な世界を創りたいと思っています」


……


泣きたい。


けれど私の目からは、もう涙の一滴すら流れてこなかった。


「それでいい!どうやら君にはまだ理性が残っていたようだね。悪魔なんかを信じるほど、愚かではなかったというわけだ!」


アズライルは手を広げ、私を引きずりながら、一歩ずつエミールへ近づいていく。


その顔には、偽りの笑みが浮かんでいた。


これは、彼の勝利だ。


私の努力も、私のすべても……


価値なんてなかった。


彼は、私がこれまで積み重ねてきたものすべてを、何の意味もないものへと貶めた。


うぅ……


ドン——————!


「うわっ!」


突然、私の頭を掴んでいた手から、凄まじい衝撃が全身へ伝わった。


アズライルは私を掴んでいた手を離し、エミールの大剣に弾かれるようにして、そのまま吹き飛ばされた。


同時に、私の喉を縛っていた異物感も消えていく。


「人を馬鹿にするのも大概にしろ。さっきこっそり俺にスキルを使って、指導者さんへの信頼を失わせようとしたばかりだろ。それなのに、今度はいきなり俺に媚びを売って、手を組もうだと?俺を馬鹿だと思ってるのか?」


エミール……?


「確かに、俺は平和な世界が欲しい。でも、それは指導者さんと一緒に創りたい世界だ。お前みたいな下衆とじゃない。それに、彼女が悪魔かどうかなんて知るか。この間まで、俺は彼女と同じ屋根の下で暮らしていたんだ。彼女のことなら、嫌というほどわかってる」


「お前は……」


エミールの背後にいたみんなも次々と武器を抜き、アズライルは目の前にいる少年少女たちを警戒し始めた。


そこでようやく彼は、彼らが二言三言で騙されるような愚か者ではないと理解した。


「お前より、俺は他人のために動ける指導者さんを信じる。少なくとも俺には、今のお前のほうがよっぽど悪魔に見えるよ」


「ごほっ、ごほ……!エミール、みんなを連れて逃げてください!彼は強い……」


「心配しないでください、指導者さん。今の俺たちはもっと強い。いつもはあなたが俺たちを守ってくれていました。だから今度は、俺たちがあなたを守る番です」


ああ……


ほんの数か月前までは、私が雛鳥のように大事に守っていた彼らが、いつの間にか一人前に立てるほど成長していたなんて。


私とアズライルの間に立ちはだかるその背中は、普通の高校生と変わらない身長のはずなのに、まるで山のように大きく見えた。


「だから笑ってください、指導者さん。今度は、もう一人で勝手にいなくならないでくださいね?」


ドクン―――


これは……何……?


エミールの顔に浮かんだその笑みを見た瞬間、私の体に力が満ちていくような感覚があった。


傷も、痛まない。


それに、胸の奥が少し……


温かい……?


「私は、本当にあなたたちのそばにいてもいいのですか……?」


「もちろんです」


“心配しないで。あなたはいつかきっと、あなたを大切にしてくれて、あなたを信じてくれる別の良い人に出会える。その時は、新しい家族が私の代わりにあなたを支えてくれるはずだから”


「私は……あなたの家族になれますか?」


脈打つ鼓動に促されるように、私は無意識に彼へそう問いかけていた。


「それは俺の光栄です、指導者さん」


私はかつて、自ら命を絶つことを考えたことがある。


けれど今の私は……


――珍しく、まだ生きていたいと願っていた。


彼のそばで、そして私の生徒たち()と一緒に。

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