第2章 初めての調査
「……」
「「「「「「……」」」」」」
あの薄い膜が人体に害を及ぼさないことを確認してから、俺たちはすぐにその膜を通り抜けた。
すると、街の入口へ足を踏み入れた瞬間、目の前の景色が一変した。
「さっき軍用車両に乗ってた時は、この街、確かにボロボロだったはずなのに。なんで……」
目の前には高層ビルが立ち並び、少し離れた場所には軍事基地まで見える。
ここにあるものは何もかもが元の姿を保っていて、まるでさっき俺が見た荒廃した光景のほうが嘘だったみたいだ。
「異常すぎるわ……」
リヤの言う通りだ。
一見すると何の異常もないこの光景こそ、本当の意味で異常だった。
俺は軍用車両の中でもう一度任務資料を読み返していた。
それによると、この世界はエスギルの侵略を受けただけではない。
かつて【湮滅異構体】によって、すべての生命体を抹消され、いわゆる“廃棄化”した世界になったらしい。
なのに今は、まるで何事も起きなかったかのようだった。
大人たちは懸命に働き、子供たちは大通りで楽しそうに遊び回っている。
「エミール、私……やっぱりニコさんに一度相談したほうがいいと思う……」
「そうだな。俺も一度話しておいたほうがいいと思う。ちょっと待っててくれ。今すぐ連絡してみる」
さすが、実際に戦場を経験してきただけあって……
リリスは本当に慎重だな。
ザザッ――
ん?
「本部に繋がらない……?ビデオ通話をかけても、タブレットがまったく反応しない」
「アンテナ……!エミールくん、先に人目のない場所を探して、アンテナを設置しない?」
「そうだ、アンテナがあった!えっと……あそこの茂みの裏に設置しよう。人通りも少なそうだし、茂みで隠せるから、人目にもつきにくいはずだ。マリーナ、悪いけど、みんなと一緒に周囲の警戒を頼む」
「分かったわ」
まだ何が起きているのか、俺たちには分からない。
念のため、先にアンテナを設置しておいたほうがよさそうだ。
「華恋、アンテナの設置は俺がやる。次に何をすればいいか教えてくれ」
「いいよ。まず下の脚を広げて、それから上のアンテナを伸ばして」
「オーケー」
こうして隣でやり方を教えてくれる人がいるのは、本当に助かる。
「……次に、左上の赤いボタンを押して起動して」
カチッ――
華恋に言われた通りボタンを押すと、装置から小さな引き出しみたいなものが飛び出してきた。
お?
これで起動したのか?
「リリス、出番だよ」
「私は何をすればいいの?」
「飛び出してきたその小さな差し込み口に、少し魔力を流し込んで。そうすれば、あとは周囲の環境から自動的に魔力を吸収して動くようになるから」
「分かったわ」
ガチャガチャ――
リリスが魔力を流し込んだ途端、アンテナから機械音が鳴り始めた。
見たところ異常はない。
設置は成功したみたいだ。
「最後に、このレバーを下ろして……よいしょ。これで大丈夫」
華恋がそのレバーを下ろすと、俺のタブレットから聞こえていたノイズが消え、画面も再び“通信中”の表示に戻った。
「このアンテナ、オペレーター用の指輪が近くにある時だけ、自動で防護シールドを解除するみたいね。これなら安全そう……アイリーン、ちょっと手伝って」
「は~い、今行くよ~」
俺たちが離れたあと、振動なんかでアンテナが倒れないように、リヤとアイリーンは周囲からそれなりに重さのある石をいくつか拾い、脚の上に載せて固定した。
「ふぅ……これで完璧ね」
「相変わらず細かいところまで気が回るな、リヤ」
「当たり前じゃないわ?」
リヤが嬉しそうに胸を張った、その時だった。
俺のオペレーター用タブレットから、ようやくニコさんの声が聞こえてきた。
「……!待って、ニコさんとビデオ通話が繋がったみたいだ!もしもし、ハンドラー・ニコ!俺の声、聞こえますか?」
「童話小隊……!よかったぁ、さっきまで全然連絡がつかなくて、もう焦りまくってたよ……」
タブレットの向こうには、少し慌てた様子のニコさんが映っていた。
どうやら、向こうもさっきから俺たちに何か連絡しようとしていたらしい。
でも、その隣には完全武装したカズの姿まで見える……?
なんであいつまでそこにいるんだ?
「すみません。この膜、やっぱり通信を妨害する効果があるみたいです。俺たちもさっきまで、そっちとまともに連絡が取れませんでした」
「なるほど。やっぱりBossの判断は正しかったみたいだね……そうだ、さっきオペレーター・カズを緊急で本部に呼んだんだ。みんなも、彼が持ってきた情報を聞いて」
ニコさんが後ろへ退くと、今度はオフィスチェアに座っていたカズも画面に映り込んだ。
「えっと……よう……?童話小隊のみんな、聞こえてるか?」
「はい、はっきり聞こえています。説明をお願いします、オペレーター・カズ」
ニコさんがわざわざカズを本部へ呼び出したってことは、これから話す内容は十中八九、エスギル軍に関係することだろう。
「ごほん!じゃあ、単刀直入に話すぞ。リリス……いや、オペレーター・リリス。お前、エスギルに戻ってから数日後には軍団を離れて、一人でEarth-003へ向かったんだよな?」
「ええ、その通りよ。当時、あなたたちが次にEarth-003へ侵攻するつもりだと聞いたから、私はあなたたちより先に向こうへ行って、現地の人たちを助けようとしたの。何か問題でもあるの?」
「実は、お前がエスギルを離れてからしばらくしたあと、ノヴァリスの制圧に成功した侵攻部隊との連絡が、原因不明のまま途絶えた。だが当時、トレイズは軍団にEarth-003への侵攻を優先しろと命令してた。それで結局、その件はいつの間にかみんなの記憶から薄れていったんだ」
「……?連絡が途絶えた?私がノヴァリスを離れる前には、確かにエスギルがあの世界を完全に支配下へ置いていたはずよ?」
「俺たちも、兵士たちからノヴァリスの制圧に成功したって報告は受けてた。だが、ある日を境に突然、何の連絡も来なくなった。俺が知ってるのはそれだけだ。少しでもお前たちの役に立てばいいんだが……」
エスギルの兵士たちはノヴァリスの制圧に成功した。
なのに、そのあと原因不明のまま連絡が途絶えた?
本当にそんなことが起こるのか?
エスギルの兵士たちは、きちんと訓練を受けた異世界の戦士たちだ。
普通の状況なら、何か別の要因で簡単に潰されるような連中だとは思えない。
だとしたら……その“別の要因”が、あいつらにとっても巨大な脅威だったってことか。
今、俺の頭に浮かんでいる可能性は二つだけだ。
エスギルの兵士たちが集団で脱走したのでなければ……
制圧に成功したあと、あいつらですら対処できないような緊急事態に遭遇したか。
エスギル兵たちの祖国に対する忠誠心は、洗脳されているんじゃないかと思うほど強い。
集団脱走なんて真似をするとは思えない。
でも……
【湮滅異構体】は、文明を破壊することしか知らない怪物のはずだ。
そんな奴らが、一度破壊された文明を元通りにするなんてあり得るのか?
そんなはず、ないよな……?
「実は……こっちからも報告したいことがあります、ハンドラー・ニコ」
そう言って俺は左腕を持ち上げ、背後の光景がタブレットのカメラにはっきり映るようにした。
「こ……こんなことがあり得るのか!?そこ、まるでエスギルに侵略される前のままじゃねえか……」
その光景を目にしたカズも、思わず立ち上がって画面へ顔を近づけてきた。
エスギルの侵略を受けた以上、今みたいに何事もなかったかのような状態であるはずがない。
通り沿いの建物にさえ、襲撃を受けた痕跡らしきものはまったく見当たらなかった。
「……オペレーター・エミール。みんなは、現地の住民と接触しましたか?」
「まだです。目の前の光景があまりにも異常だったので、先にアンテナを設置して、ニコさんへ連絡することを優先しました。現地の人たちと接触したほうがいいですか?」
「うん。そこはみんなにお願いするよ。どうにかして、現地の人たちからもう少し情報を集めてみて。今の私たちは、現状についてほとんど何も分かってないからね。こんな状況で調査を続けるのはかなり危険だけど……今は、可能な限り安全を確保したうえで、ある程度の危険は冒すしかないかな」
「了解。それじゃあ、いったん通信を切ります」
「大丈夫だよ。アタシはみんなのレコーダー越しに周囲の状況を監視してるから。必要があれば、こっちからタブレットに連絡するね」
参ったな。
報告する前より、むしろ余計に分からなくなってきた。
エスギルの大軍に踏み荒らされ、戦争で破壊されたはずの街が、今は何事もなかったみたいにここに存在している。
なんだか、この場所は少しヤバい気がする。
「みんな、次は一度【武装化】を解除して、二人一組で行動しよう。この街に来たばかりのよそ者を装って、近くの住民に話を聞いてみる。何か使えそうな情報がないか探ろう。リリス、王冠と角を隠すのも忘れるなよ」
「分かってるわ。ふぅ……この姿になるのも久しぶりね。人間のふりをするなんて、本当に久しぶりだわ」
リリスは何でもないことのようにそう答えながら、自分の姿を人間に偽装していった。
「そういえば、二人一組で行動するなら、一人だけ余るんじゃない?」
「大丈夫だよ、リリス。俺は一人で行動する。三十分後に、みんなでまたここへ戻って集合するってことでどうだ?」
「分かったわ。危ないことしちゃダメだよ、ダーリン?」
「はは、ちゃんと加減は分かってるって。心配するな」
——————
みんなで組み分けをして、その場から散開したあと、俺はオペレーター用タブレットを上着の長袖の中に隠した。
それから街を歩く人たちの中から、花に水をやっていた一人のおばあさんに適当に目をつけ、声をかけた。
「おはようございます~」
「おはよう。あら、見ない顔ね?もしかして、この街に来たばかりなのかい?」
「え?おばあさん、どうして俺がここに来たばかりだって分かったんですか?すごいな……本当にその通りですよ」
「ふふ、なんせ私はもう六十年以上もここで暮らしてるからねぇ。みんなの顔なんて、とっくに頭の中に入ってるのよ~。もうこんな歳だけど、記憶力にはまだまだ自信があるんだから」
そう言って、おばあさんは穏やかに笑った。
それから、二十代の頃に好きだった人と一緒にこの街へやって来て、二人で必死に働きながら暮らしていた頃の話を聞かせてくれた。
全体的に見れば、何もおかしくない。
少なくとも……彼女の話からは、特に異常らしいものは感じ取れなかった。
「そういえば、何の花を育ててるんですか?すごく綺麗だから、どんな種類なのかちょっと気になって」
「ああ、これは澄海鈴っていうのよ。花びらは海面みたいに澄んでいて、花の中心は深い海みたいに静かでね。若い女の子たちにも人気なのよ。昔、私より一足先に逝ってしまったあの人も、澄海鈴の花束を抱えて私に告白してくれたの。ふふ、だから今でもこの花が大好きなのよ」
チリン、チリン――
目の前に咲く澄海鈴の花々から、心地いい鈴の音が響いた。
「ほら、そよ風が吹くと、こうして小さく鈴の音まで鳴るのよ。珍しいでしょう?」
たしかに……
でも、俺がこの花から受ける印象は、おばあさんとは少し違った。
あの暗い青色をした花芯を見ていると、なんというか……
底の見えない深淵と、じっと見つめ合っているような気分になる。
本当に気持ちが悪い。
まるで、このまま深い水の底へ沈み、溺れてしまいそうな感覚だ。
「わぁ……すごく幻想的ですね。そりゃあ、おじいさんもおばあさんのことを口説き落とせるわけだ。きっと、おばあさんの雰囲気がこの花に似てるって思ったんでしょうね。気品があって、優雅で……みたいな」
「ふふふ、そんなこと言われたら照れちゃうわねぇ。でも、あの人も本当に同じことを言ってくれたのよ。坊やったら、口が上手なんだから~」
すみません。
適当に話を合わせようと思って、人を褒めてるように聞こえる言葉をいくつか並べただけなんです……
さて。
そろそろ、本題に入ってもいい頃だろう。
「ふぅ……平和っていいですね~。街にも活気があるし、風に吹かれてると心まで落ち着いてくる~」
「平和……?坊や、もしかして昔は……あまり穏やかな暮らしじゃなかったのかい?」
「ええ。信じてもらえないかもしれませんけど、俺の故郷なんて異世界人に踏み潰されたんですよ。ここはそういう戦争を経験したことはないんですか?」
ザッ――
おばあさんだけじゃない。
通りにいた全員が、突然その手を止めた。
そして一斉に目を見開き、まっすぐ俺を凝視してきた。
やばい!
俺、何かまずいこと言ったか!?
その瞬間、全身の毛が一気に逆立った。
周囲の空気まで凍りついたみたいで、息をすることすら苦しく感じる。
「あ……見たところ、そんなことなさそうですね~。すみません、変なこと聞いちゃって」
「ふふ、そんなの見れば分かるでしょう?坊や、ここはとても安全なんだから、安心してここで暮らせばいいのよ。ここでは誰にもあなたの暮らしを邪魔されることはないからね」
「そ……そうですね。俺もこれからここで暮らすのが楽しみです。それじゃあ、ありがとうございました、おばあさん!」
「あら、もう行くの?気をつけてね~」
今、俺の頭の中にあるのは、ただ一つ。
一刻も早く、このヤバい場所から逃げないと!!!
俺は無理やり会話を切り上げると、アンテナを設置した入口まで必死に逃げ帰った。




