第4章 生命が、消えゆく
「英雄とは何か。
一振りであらゆる敵を薙ぎ払い、衆生を救う者か?
違う。
あるいは、無数の奇跡を起こすことのできる者か?
それも違う。
英雄とは、すべての人を救えないと知ってなお、手を伸ばすことをやめない者たちのことだ」
「トレイズ……貴様、いったい何をした?まさか、エスギルを……」
「昨日は気に入っていた。今日は飽きた」
「は?」
「飽きたと言ったんだ」
唯さんが問い詰めても、トレイズはただ淡々とそう答えただけだった。
彼はそのまま窓の外を見つめ続け、赤ワインをもう一口含むと、口元にかすかな笑みを浮かべる。
その姿は、まるで目の前に広がる煉獄を心から楽しんでいるかのようだった。
ガチャッ――!
「我が王!外が……ぐっ……!?」
大広間の扉が勢いよく開かれ、隻腕の首なし騎士が一人、飛び込んできた。
彼は俺たちの存在に気づいた瞬間……
いや、正確には【群星の守護者】の存在に気づいた瞬間、その場で呆然と立ち尽くしてしまった。
「……」
「ホーンズ、私は先ほど、客人と会っていると言ったはずだが?」
「失礼いたしました、我が王。しかし、外が……」
「しっ……外がどうなっているのかくらい、当然知っているよ。何しろ、魔獣たちを瘴気で狂わせたのは私なのだから」
「そ、それは……あなた様がなさったのですか!?」
ホーンズと呼ばれた首なし騎士は言葉を失い、自らの主君がどれほど滅茶苦茶な決断を下したのか、理解できずにいるようだった。
やがて、ようやく我に返った彼は、それ以上何も言わなかった。
ただ黙って身を低くし、その場に静かに控えていた。
「そういえば、この間はオロマートでホーンズの相手をしてくれてありがとう」
「今はホーンズのことなんてどうでもいい!他の異世界へ攻撃を仕掛けるだけでも十分ひどいのに、どうして自分の民まで……」
「ふふ……伊藤唯、知っているか?あの連中は普段、広場に集まって、軍団が他の世界を攻め落とす様子をリアルタイム中継で観戦し、娯楽として楽しんでいたんだよ。では、彼らの立場が突然、高みの見物をする“観客”から、大規模に虐殺される“獲物”へと切り替わった時、どんな表情を浮かべたと思う?」
「……」
「彼らは恐慌に陥り、必死にエスギルから逃げ出そうとした。だが残念ながら、俺はすでに都市の封鎖を命じていた。どれだけ逃げようとしても、逃げ場などない。彼らは嘆き、声を枯らして俺の名を叫び、必死に俺の助けを求めてきた!ははははは!人間とは本当に醜く、愚かな生き物だ。昔から今に至るまで、何一つ成長していない」
「気持ち悪い……」
今は、そんな話をしている場合じゃない……!
さっき、黒い角を生やした小さな女の子が、カザリア・リッパーに追われて路地裏へ逃げ込むのが見えたんだ!
「唯さん、さっき小さな女の子が機動兵器に追われて、あそこの路地裏へ……!くっ……」
「構わないよ」
「何だって?」
「君たちは人助けに行ってもいい。私は、この状況で君たちがいったいどれだけの命を救えるのか見てみたいんだ。君たちの活躍には本当に期待している。だから……英雄様方、どうか精一杯頑張って、私を楽しませてくれたまえ~」
トレイズは俺たちを止めるどころか、笑みを浮かべたまま数歩後ろへ下がり、道を開けた。
そのうえ、自分は俺たちを妨害しないとでも言うように、軽く手で示してみせる。
だが、その行動がかえって皆の警戒心を煽った。
彼が何か悪巧みをしているのではないかと誰もが疑い、誰一人として軽々しく動くことができなかった。
「安心しろ。俺は本当に、ただ見ているだけだ」
「……行くぞ!」
唯さんはトレイズを睨みつけると、すぐに転移門を開き、俺たちを城門前へと戻した。
そして俺たちは、俺がさっき指差した路地裏へ向かい、あの子を助けようとする。
「……」
「行こう」
「うん……」
リリスは、まだお母様のことを気にしていた。
迷うように一度だけ彼女を振り返ってから、リリスはようやく俺の後を追い、共に転移門の中へ入った。
——————
唯さんの転移門では、俺たちをエスギルの城門前まで戻すことしかできなかった。
その結果、俺たちは救助に使えるはずだった時間を、移動に取られてしまった。
「エミール、この路地で合っているな?」
「はい!まっすぐです!」
くそ……
間に合ってくれ……!
◇
「「「「「「「「……」」」」」」」」
だが、残念ながら、もう遅かった。
俺たちの目の前にいた小さな女の子……
いや、その小さな女の子だったものの死体は、すでにカザリア・リッパーによってバラバラに切り裂かれていた。
彼女の四肢と、抱えていたクマのぬいぐるみは、暗い路地裏に散らばっている。
あまりにも惨い死に様に、俺たちは誰一人として直視することができなかった。
「うっ……間に合わなかった……くそっ!どうして……」
ほんの少し前まで、俺は確かに彼女が必死に逃げている姿をこの目で見ていた。
それなのに、今はもう……
「覚悟しておけ。これから先、君たちはきっと、こんな光景を何度も目にすることになる」
唯さんは目を閉じ、カザリア・リッパーへ向けて手をかざした。
「そして、お前は死ね!」
唯さんが放った水の刃は、機動兵器の胴体に沿って上へと走り、その機体を真っ二つに切り裂いた。
二つに割れた機体は、重い音を立てて地面に崩れ落ちる。
内部からは暗赤色の液体が地面一面に流れ出し、鼻を突くような腐臭を放っていた。
割れた機動兵器の頭部の中には、脳に似た何かが収められているように見える。
待て……
「まさか、このカザリア・リッパーは……?」
「君の想像どおりだ。こいつらは人間の脳を機体に移植して作られた生物兵器だ。ただ、試作機だからな。脳に防腐処理が施されていない。そのせいで、大半はすでに腐り始めている」
うっ……
人間の脳を……
「エミール、今はあまり考えすぎるな。人命救助が先だ。ナセフィン、生存者は見つかったか?」
「私たちから四百メートルほど離れた建物の中に、生存者の一団が隠れています!現在、大量の敵対目標に包囲されています!」
「くそっ、急がないと……!」
唯さんは王宮の方を一瞥してから、何かを決意したように小さくため息をついた。
「君たちはナセフィンの指示に従って、人命救助に向かってくれ。今見つかった生存者たちは俺が引き受ける。あとで手が空いたら、誰でもいいから空に向かって合図を撃ってくれ。民間人は全員、君たちのところへ連れていく。『超加速』!」
シュン――――――!
一陣の強風とともに、唯さんの姿が俺たちの前から消えた。
直後、少し離れた場所から交戦音が響いてくる。
どうやら、あれが彼が今までずっと温存していた切り札らしい。
ただ、今はその切り札をトレイズに見られるかどうかを考えている余裕さえないと判断し、無理を押して使ったのだろう。
「……この状況なら、アタシもそろそろ本気を出すべきね。ナセフィン、クロエ!あれを使うわよ!」
「ああ、了解!私の支援魔法はいつでも発動できます!」
「私も準備できています!」
魔王リリカは空へ向かって手を掲げた。
次の瞬間、その手のひらの前に五つ、十、二十……
「『魔導嵐』!」
やがて、数百もの魔法術式が幾重にも重なり合っていく。
ナセフィンとクロエも、それぞれ自分の魔法とスキルを発動した。
「『探知魔法』」
「『弾道誘導』!」
三人の魔法とスキルは再び重なり合い、最後には一つの巨大な魔法術式を形作った。
「「「『合奏魔法・星海綻歌』!!!」」」
三人が力を合わせて構築した魔法術式から、無数の魔法弾が、壮大な銀河に浮かぶ星々のように噴き出し、赤く燃える空を彩っていく。
それらは空中でわずかに停滞し、地上にいるすべての標的を捕捉した後、凄まじい速度で一斉に撃ち込まれた。
周囲から響く咆哮、建物が崩れ落ちる音、そして魔法が炸裂する音が入り混じる。
なんだよ、これ……
まるで空から流星雨が降り注いでいるみたいだ。
美しさと暴力を兼ね備えたあまりにも規格外の攻撃に、初めてその光景を目にした俺たちは、思わず呆然と見入ってしまった。
「ぼーっとしてないで、急いで!ナセフィンがいくつか場所を特定してくれたわ。ここにはまだ生きている人たちがいる!新しい敵が現れる前に、彼らを救出しないと!」
姫川さんはそう言い残すと、他のオペレーターたちと一緒に路地裏を飛び出していった。
「……」
「カズ、みんな行ったぞ」
「すぐ行く!くそっ……!」
カズは地面に落ちていたぬいぐるみの切れ端を拾い上げてから、一番後ろで慌ただしく俺の後を追ってきた。
道中、彼はずっと、どうしてさっきもっと早く動けなかったのかと自分に問い続けていた。
その顔には、隠しきれない罪悪感が滲んでいる。
◇
「十時方向の瓦礫、カズ!」
「ああ!任せてください、ナセフィン閣下!『剛力』!」
カズは全身の力を振り絞り、スキルで崩れ落ちた家屋の一部を持ち上げた。
そして俺たちは、瓦礫の隙間にできた空間の中で、強く抱き合ったままの魔族の兄妹を見つけた。
「ふ、二人ともまだ生きています!『上級治癒』!」
二人の胸がまだわずかに上下しているのを見て、フローラの胸に一瞬で希望が灯った。
「私とマリーで二人を見ます!」
そして彼女が二人の治療を終えると、アイリーンとマリーも急いで、まだ意識の戻らない二人を瓦礫の中から抱き上げた。
バキッ――!
アイリーンがカズに持ち上げられた瓦礫のそばを離れた直後、次の瞬間には、瓦礫の横にまだ立っていた壁が崩れ落ちた。
「び、びっくりした……」
「アイリーン、怪我は!?」
「大丈夫。驚いただけです」
「ふぅ……」
人命救助に集中しなければならない。
それでも今の俺は、彼女たちの安全が何より気がかりだった。
ここには、どこにでも命取りになりかねない危険が潜んでいる……
これ以上長く留まれば、俺たちでさえ命に関わるかもしれない。
「こっちにも生存者がいたよ!でも、二人を押し潰しているこの壁、私じゃ持ち上げられない!ダーリン、早く手を貸して!」
「今行く!」
ああ……もう!
本当に、一瞬たりとも気を抜く暇がない!
俺たちは、できる限り多くの人を救い出そうとしていた。
特にフローラは、『極光聖域』の使いすぎによる疲労に耐えながら、もう二時間も連続で無理をし続けている。
けれど、時間が経つにつれて、ナセフィンは探知魔法に表示されている中立ユニットの反応が、一つ、また一つと消えていると言った。
『極光聖域』で彼らの命が失われる速度を遅らせていても、現場では犠牲者がどんどん増えていく。
今の時点で、俺たちが救い出せたのは七十人ほどしかいなかった……
「ナセフィン、ここにはまだ生存者はいますか?」
「……いません」
「はぁ……」
ナセフィンは沈んだ顔で、力なく首を横に振った。
彼女はそのまま、道端に横たわるいくつもの遺体を静かに見つめていた。
その表情には、強い自責の念が滲んでいる。
救出した生存者たちは、全身に大小さまざまな傷を負っていたが、そのほとんどはすでにフローラによって治療されていた。
けれど……
彼らの心の傷だけは、俺たちの誰にも癒やすことができない。
今では、少しずつ意識を取り戻す者たちも出始めている。
しかし、彼らを待っていたのは、エスギルが滅びた光景だった。
その現実を前に、彼らは次々と茫然自失に陥っていく。
嘆き悲しむ者もいれば、互いを責め合う者もいる。
そして、大切な人を失い、頭を抱えて泣き崩れる者もいた。
「地球でも、あの時はこういうことが起きたんだよな?」
「うん……お母さんから聞いた話では、私の実の両親は混乱の中で、人々に踏み殺されてしまったそうです……」
「こういうことは、あまり考えない方がいいな。悪い、嫌なことを聞いた」
「大丈夫です。今はもう、二人が私のもとを去ってしまったことも受け入れていますから。今の私には、南村静という立派な母がいます。それに、私の友達も……私の未来の家族たちも、そばにいてくれます。だから……」
そうか……
本当に強いな、華恋。
「未来の家族たち、ですか?華恋、あなたはもうそこまで考えていたのですね?」
「しまった!ちょっと感傷的になって、つい本音が出ちゃった!からかわないでください、セレイア!」
華恋が慌てふためく姿に、それまで表情を強張らせていたリヤも、ようやくわずかに笑みを浮かべた。
華恋に対する俺の第一印象は、格好よくて経験豊富な小隊長だった。
けれど、彼女と長く一緒にいるうちに、俺たちは彼女に少しだけ天然なところもあると気づいた。
だが、そのおかげで、周囲の空気もほんの少しだけ和らいだ。
「そろそろ唯さんを呼び戻すべきか?」
時間的にも、もう頃合いだろう。
周囲には、これ以上瓦礫に埋もれた生存者はいない。
それに、さらに厄介なことに、太陽が沈みかけている。
エスギルの中の光量はどんどん落ちてきていて、もし街の火まで消えてしまえば、救助はさらに難しくなる。
「海龍様、私たちの代わりに合図を出していただけますか?」
「お安い御用だ。ひと吠えすればいいんだろ?」
「はい。こちらの捜索が完了したことを、あの方に伝えられればそれで十分です」
ミアの頭の上にいた小さな姿の海龍様は、本来の大きさへと戻ると、そのまま空に向かって一声吠えた。
助け出された人々は、その声量と巨大な姿に驚いてしまった。
けれど、海龍様が先ほど自分たちを救ってくれたミアのそばにぴったり寄り添っているのを見て、彼らはようやく安堵の息をついた。
彼らは、瓦礫の中から自分たちを救い出したのが誰なのかを知っていた。
そして、今の俺たちが自分たちにとって敵なのか、それとも味方なのかも、はっきり理解していた。
しばらくすると、俺たちの左側にある少し離れた瓦礫の山のそばから、いくつもの人影がこちらへ歩いてくるのが見えた。
唯さんの背後には、数十人ほどの生存者たちが、不安そうに身を寄せ合いながらついてきている。
彼は約束どおり、生存者たちを連れて戻ってきた。
「捜索は終わったのか?」
「はい。私たちが見つけられたのは、これだけでした……」
「そうか……君はよくやったよ、ナセフィン」
「うん。うぅ……本当に悔しい。もし私の支援と指揮がもっと効率よくできていたら、もっと多くの人を救えたのでしょうか……?」
「自分を追い込みすぎるな、ナセフィン。俺たちは人間であって、神じゃない。どうしても限界はある。すべての人を救えないのは、どうしようもないことなんだ……」
唯さんは、悔し涙をこぼすナセフィンを強く抱きしめ、慰めていた。
絶え間なく続いた過酷な救助活動で、ナセフィンの心も限界に近づいていたのだろう。
……
みんなは大丈夫だろうか?
俺も唯さんのように、彼女たちのことを気遣ってみよう……
カツ、カツ、カツ――
その時、あの嘘くさい笑みを浮かべた男が、妻と護衛を連れて俺たちの方へ近づいてきた。




