第3章 冷たい親情
「それでは、今日の我々の出会いに乾杯!」
なぜか、トレイズは異様なほど上機嫌で、赤ワインの注がれたグラスを手に取り、俺たちに向かって乾杯を促した。
けれど、誰一人として彼の乾杯に応じる者はいなかった。
そのせいで、場はしばし静まり返ってしまう。
彼の妻でさえ、ただ彼の隣の席に静かに腰かけ、俯いたまま何を考えているのか分からない様子だった。
「あれ?乾杯しないのかい?はぁ……これは私が大切に取っておいた赤ワインなのだがね。まあいい。料理を運んでくれ」
彼は気にした様子もなく笑うと、扉のそばに立っていたメイドへ手を上げ、指示を出した。
何人ものメイドたちが次々とワゴンを押して大広間へ入り、一皿、また一皿と、俺たち一人一人の席へ料理を並べていく。
最初の料理はシーザーサラダ。
定番の前菜だ。
だが、アンナでさえすぐには手をつけず、唯さんとナセフィンの次の指示を待っていた。
「安心しろ。料理に毒は入っていない。まだ俺を信用できないって言うなら、ラミリスにそのシーザーサラダを『解析』させればいい」
……こいつ、ラミリスがどんなスキルを持っているのかまで知っているのか。
トレイズは何気ない言葉の中で、自分が俺たちのことをよく知っていると匂わせた。
そのせいで、唯さんの眉間の皺がさらに深くなる。
つまり、デボラの言っていたことは本当だったということだ。
奴らはずっと、俺たちを観察していた。
敵の掌の上で踊らされているようで、本当に気分が悪い……
「ラミ」
「うん。全員の料理から、有害物質は一切検出されていないわ」
「分かった。なら、いただこう」
唯さんがサラダを口へ運んだことで、他の皆もようやく食器を手に取り始めた。
その間、俺はトレイズがずっと嬉しそうに唯さんを見つめていることに気づいた。
「慎重だな、君は」
「老獪な狐を相手にしているんだ。当然だろう?」
「おや、俺のことを何か誤解しているんじゃないか?」
「誤解だとは思わないけどな?」
トレイズは意味ありげに笑い、唯さんの冷たい言葉さえ気にした様子はなかった。
彼は俺たち全員が前菜を食べ終えたのを見ると、指を鳴らした。
すると、メイドたちが二品目の料理――ロブスターの海鮮スープを運んできた。
ラミリスはメイドたちが料理を並べた後も、俺たち一人一人の分を順番に調べ、問題がないことを確認してから、ようやく俺たちへうなずいた。
その時、トレイズが口を開いた。
「それにしても、長年行方知れずだった私の娘が、ここまで美しく成長しているとは思わなかったよ……君が姿を消してから、私は随分多くの者を使って、あちこち捜させたのだがね」
彼は温かな目で、俺の隣に座っているリリスを見つめた。
だがその視線は、彼女の中に長年積もり続けていた感情を、一気に噴き上がらせた。
「今さら、良い父親のふりをするつもり?たくさんの人間を使って私を捜した?どうせ、私の『言霊』が必要だったからでしょう?昔、私とママは毎日お腹を空かせて過ごしていた。あなたは私たちに何をくれた?カビの生えたパンを二つ?」
その瞬間、リリスのお母様の瞳孔がわずかに縮み、身体が小さく震えた。
リリスは以前、自分の過去を俺に話してくれたことがある。
彼女の母親もまた、トレイズの毒牙にかかった被害者だった。
だから幼い頃から、リリスのお母様はリリスのことをひどく嫌っていた。
リリスを見るたびに、トレイズが自分にした数々の暴行を思い出してしまう。
そのせいで、リリスの幼少期には、家族の温もりなど一欠片も存在しなかった。
けれど彼女は、リリスが過去に自分から受けた仕打ちを責めるのではなく、むしろ自分のために怒りをぶつけようとしているとは思っていなかったのだろう。
「私がお前たちに負い目があることは分かっている。だが、それは父に向けるべき態度ではない」
「はっ、父?あなたがしたことなんて、私とママを利用して、私を戦場へ送り込んだことだけじゃない。そんな人間のどこに、父親を名乗る資格があるの?私の人生に、“父親”なんて役割は最初から存在しなかった!いったいどの面を下げて、今さら私に説教しているわけ?」
「お前……!」
二人の言い争いは、次第に激しさを増していった。
トレイズは怒りのあまり、勢いよくテーブルを叩いて立ち上がり、自分の娘を指差した。
今にも皆の前でリリスを叱りつけようとしている。
だが、リリスも一歩も引かなかった。
彼の言い分をすべて否定しながら、自分と母親が長年受けてきた理不尽と怒りを、全力でぶつけていた。
「見ていられないな。あんたの怠慢のせいで、娘はずっとつらい子供時代を過ごしてきたんだぞ。それなのに、開口一番、態度が悪いって指差すのか?正直、この状況で誰が笑ってあんたに感謝できるんだ?あんたに感謝するようなことが、いったい何かあるのか?」
リリスは、今にも泣き出しそうになっていた。
トレイズは本当に……
「角なしの人間。ここにお前が口を挟む余地はない。自分の身の程を弁えていろ」
「あるに決まっている。彼女は俺の伴侶だからな。好きな相手が理不尽な目に遭っているのを見て、黙っていられると思うのか?たとえあんたが彼女の父親でも、俺はリリスの味方をする。あんたは間違っている。それも、どうしようもないくらいにな」
「伴侶?所詮は部外者だろうが?」
「なら、その“立派な父親”であるあんたに聞かせてもらう。彼女の名前は何だ?」
「……」
リリスは言っていた。
彼女の名前は、かつて戦場で、敵の首領から与えられたものだと。
だが、それ以前、軍の者たちはずっと彼女をバンシーと呼び、父親も母親も、彼女に名前を与えなかった。
なぜなら彼女は、トレイズが母親に暴行を加えた結果として生まれた存在だったからだ。
「リリス、だったな?」
「“だったな”?父親であるあんたでさえ、それが本当に彼女の名前なのか確信できていないじゃないか!今さら父親面をするな!」
「ちっ……」
一瞬、トレイズの顔色が変わったように見えた。
その表情はひどく陰り、俺を見る目には殺意さえ滲んでいた。
だが、ここがまだ晩餐の場であることを思い出したのか、すぐにその殺意を押し込める。
……
俺は別に構わない。
リリスを悲しませるなら、たとえ目の前の相手が彼女の父親だとしても、俺はリリスのそばに立って彼女を支える。
そして彼女のために、この男のすべてを否定してやる!
「トレイズ、子供相手に顔を真っ赤にして言い争うな。大人げないぞ?他にも、君に話がある者がいるんだ」
大広間の空気が今にも火花を散らしそうになっているのを見て、唯さんは慌てて俺たちの間に割って入り、双方の感情をなだめようとした。
それから彼はカズの方を指し示し、彼にも話があることを示した。
当然、カズはこのタイミングで唯さんに話を振られるとは思っていなかったらしく、しばらく呆然としてから、ようやく我に返った。
「あ……ああ!そうでした。俺もお前に……いえ、あなたに、お伝えしたいことがあります」
「おや?お前もここにいたのか。ミカエルからは、お前たちは地球での戦いで全員命を落としたと聞いていたのだが……どうやら、彼の報告は間違っていたようだ」
それだけ……?
彼は、あんたの部下だぞ?
カズを心配するどころか、すでに死んだミカエルに責任を押しつけるつもりなのか!?
「エミール、大丈夫だ。俺は平気だ。本当に」
俺は、罪深いカズを庇いたいわけじゃない。
ただ、トレイズのあまりにも他人事のような表情が、どうしても見ていられなかっただけだ。
けれど、カズは俺に向かって首を横に振り、この件には口を挟まず、自分に任せてほしいと示した。
……
ちっ。
当事者がそう言うなら……
「トレイズ……様。デボラは一昨日の戦いで、薬剤を使用した影響により怪物へと変異し、最終的に戦場で命を落としました」
「ほう?彼女が死んだのか。それで?」
「なっ……こほん!彼女は戦いの最期まで、あなたが彼女にしてくださったことを想っていました。ですから、やはりあなたにお伝えしておいた方がいいと思ったのです」
「それは仕方のないことだろう?戦場に立つ以上、殺される覚悟は持っているべきだ。あれほど強大なデボラであっても、死は避けられないものなのだから」
「……!?」
カズは信じられないというように目を見開き、胸の内に浮かんだ感情を必死に押し殺しながら、平静を装っていた。
どうやら、唯さんの予想は正しかったらしい。
トレイズは……
自分の周囲の人間がどうなろうと、本当に何とも思っていない。
それどころか、皆が自分のために尽くすことを“当然”だと考えているのだ。
「まあ……強いて言うなら、少し惜しいとは思っているよ……」
「そ、そうですね。俺もそう思――」
「これで有能な軍団長が一人減ってしまったわけだからね……まあ、いい。それならそれで、すべてがより面白くなるだけだ。悪くはないさ」
「トレイズ様」
カズの纏う空気が変わった。
怒りで全身を震わせている彼の、強く握りしめた両拳からも血が滲んでいた。
「デボラは“軍団長”としてあなたに忠誠を誓い、命の最期の瞬間までそれを貫いたのです!」
「私は彼女を人間の奴隷の身分から解放した。ならば、彼女が私に恩を返すのは当然のことではないか?」
「彼女はあなたを慕っていました。奥様の前で口にするには相応しくない話ですが、それでもお伝えしたいのです……彼女は軍団にいた頃、私たちと交わす十の言葉のうち九つは、あなたに関することでした。彼女は本心から、あなたを慕い、愛していたのです」
「それは彼女が勝手に抱いた錯覚であって、私には関係のないことだ。当時の私は、彼女が強大な魔力と魔法の実力を持ち、これからの私のゲームをより円滑に進めてくれると判断した。だから、彼女と他の者たちをついでにエスギルへ拾い上げただけだよ」
「……」
もう諦めろ、カズ。
あいつの思考は、まともな人間に理解できるものじゃない。
「……最後に、もう一つだけお聞きしたいことがあります」
「何でも聞くといい。今日は旧友と娘に再会できて、私はとても気分がいい。私が知っていることであれば、答えてあげよう」
「では、遠慮なくお聞きします。人狼族についてです。人間を怪物へ変える返祖薬剤を錬成するために、人狼族を捕らえて錬金素材にするよう、あなたがデボラに指示を出したのですか?」
「ああ。君たち人狼族は数が多いからね。まずは一部を徴用して、錬金素材にするよう彼女に命じた」
「トレイズ、てめえはいったい人の命を何だと思っているんだ!?」
ここで、カズはついに堪えきれず、トレイズに向かって怒鳴りつけた。
けれど、相手は先ほどまでと変わらず、平然としたままだった。
……カズの怒りでさえ、あいつの顔に波紋一つ生むことはできないのか?
やがて、彼は何かを考えるように席を立ち、巨大なガラス窓のそばへ歩いていった。
トレイズは手にした赤ワインのグラスを掲げたまま、空っぽのエスギルを見つめていた。
「トレイズ、今回の件はさすがにやりすぎだぞ?」
「イソリオン、お前は相変わらず、正義にこだわりすぎる。死んだから何だというんだ?人間は強い。数が減ったなら、繁殖で補えばいいだけだろう?」
「俺が言っているのは、君に他人の生死を決める権利がどこにあるのか、ということだ」
「俺が彼らの王であり、彼らの主人だからだ」
「たとえ王であっても、命を消耗品のように扱っていいわけじゃない」
「そもそも、彼らは自分たちの意思で俺に従うことを選んだ。ならば、その命をどう使うかを決める権利は俺にある」
トレイズは相変わらず、まるで自分が間違っているとは思っていない様子だった。
そのせいで、唯さんは一度、苛立たしげに手で顔を覆った。
もちろん、この場にいる全員が、トレイズの本音に言葉を失っていた。
「知っているか?最初は俺も、ただ面白半分で反旗を翻しただけだった。当時の人間の王は賢王と呼ばれていたが、それでも一部の者たちは、密かに反乱を起こし、自分たちが新たな王になろうとしていた」
彼はまるで自分とは関係のない出来事を語る第三者のように、淡々と自分の過去を語り始めた。
「ある日、俺は反乱者たちの酒場に迷い込んだ。そこで彼らの演説を聞いたんだ。俺がその時、何を考えていたか分かるか?」
「どうせ、ろくなことじゃないだろうな」
「ははっ、やはりお前は俺のことをよく分かっているな!その時、俺はこう思った。自分も壇上に上がって、適当に何か喋ってみても面白いんじゃないか、とな。さて、その結果だが……聡明なイソリオン、次に何が起きたと思う?」
彼は楽しげな笑みを浮かべたまま、唯さんへ話を振り、その返答を待っていた。
「そのまま、反乱者たちのリーダーにでも祭り上げられたのか?それと、俺の名前は伊藤唯であって、イソリオンじゃない」
「ふふ……分かった分かった。今のお前の名前で呼ぶことにしよう。だが、伊藤唯、お前は本当に賢いな。まさか当ててしまうとは」
トレイズはぱちぱちと手を叩き、さらに唯さんに向かって親指を立てて褒めてみせた。
だが、唯さんは明らかに、そんなことに少しも興味を示していない。
俺には、彼が何を考えているのか何となく分かった。
今、彼がここまでトレイズに話を合わせているのは、単純に会話の中から少しでも多くの情報を引き出すためなのだろう。
「あの日から、酒場には俺の演説を聞きに来る馬鹿がどんどん増えていった。中には、それを反乱軍の標語として使う者まで現れた。気づいた時には、俺の背後には大勢の愚か者どもが集まっていたよ。滑稽だろう?俺はただ、人を煽るような言葉を適当にいくつか口にしただけで、自分のために命を投げ出す駒を手に入れたんだ」
トレイズは残っていた赤ワインを一息に飲み干すと、ゆっくりと自分の席へ戻っていった。
「人間とは、本当に笑える生き物だ。昔から、ずっとそうだった」
「だから、君は賢王に反旗を翻した。最後には反乱軍と民間人を大規模に虐殺し、その隙に王位を奪い取って、自分が新たな王になった」
「驚いたな……君は本当に、他人の過去を覗けるスキルを持っていないのか?君の知っていることは、ほとんど事の全容そのものじゃないか」
トレイズは自分の席のそばへ戻ると、わざとらしく目を見開き、驚いたふりをしながら唯さんを見つめた。
「とはいえ、まあ……あの時、禍根を断っておかなければ、後になって反抗しようとする者たちが突然反乱を起こすかもしれなかった。それでは面倒だ。だから、見せしめが必要だったんだよ」
その後、彼はまた赤ワインを少しだけ注ぎ、グラスを手にしたまま、再び巨大なガラス窓のそばへ戻っていった。
トレイズはそのまま自分の記憶に浸るように、赤ワインを一口含んで喉を潤した。
「それから、俺はもう一つ思いついた。どうせエスギルの王になったのなら、異世界へ攻め込んでみるのも……いや、いっそ占領してみるのも面白いのではないか、とな。もちろん、他の世界を攻めた一番の目的は面白そうだったからだが、それ以上に大きかった理由は……」
「俺か?」
「そうだ。お前だ!」
彼は唯さんを指差した。
そのせいで、唯さんはますます訳が分からないという顔になっていた。
「俺は、自分の親友を探し出したかったんだ。次は必ずこの手で俺を殺すと誓った、あの男をな!今度は、お前とどんな遊びができるのか……俺はずっと楽しみにしていた」
トレイズの口調が、それまでとは変わった。
まるで昔の友人と再会した少年のように、彼は興奮した様子で、自分の最終的な目的を唯さんに語り始めた。
「トレイズ、そんな冗談は少しも笑えない。戦争で死んでいった命は、君のそんな一言二言で簡単に片づけていいものじゃない」
「だが、事実はそうだ。もう一度お前と遊べるのなら、多少の命を代価にしても惜しくはない」
頭が追いつかない。
こいつは無数の世界を滅ぼし、あれほど多くの人を殺して……
それが、唯さんを見つけるためだった???
本当に、そこまでする人間がいるのか?
「お前、狂ってるだろ……?」
「好きに思え、角なしの人間。あいつのように、本来存在しない未来を切り開ける者は二人といない。王を演じるより、あいつと遊ぶ方がよほど面白いんだよ」
面白いから大勢を殺して、ついでにいくつもの世界を滅ぼした?
こいつの頭の中がどうなっているのか、もう俺には分からない……
「お前たちは【世界記憶】を知っているか?」
「「……!」」
「ふふ。どうやら知っているようだな。それなら、説明の手間が少し省ける」
リヤとイヴの二人がびくりと身体を震わせ、勢いよく顔を上げて彼を見た。
その様子を見て、トレイズは満足げにうなずいた。
「世界の歴史とは、一本の一方通行の道のようなものだ。そして、お前も、俺も、この世界の……いや、宇宙に存在するすべての生命は、その一方通行の道を歩いている」
うう……
どうして急に、話がこんな哲学みたいになったんだ?
「かつて、未来を予知できる女性がこう言っていた。我々は誰一人例外なく、ただ暗闇の中を歩き続け、生と死を繰り返すことしかできないのだと。だが、彼女の予言の中で、私の古い友人は本来存在するはずのない道を、いくつも創り出した」
彼はグラスを揺らし、半分ほど残った赤い酒越しに唯さんを見つめた。
「最弱で無力だと見なされていた彼は、その女性から“明けの明星”と称えられた。だから、最も近い場所で彼の背中を見ていた私も、彼の行動に倣うことにしたのだ。運命の顔面に、思いきり拳を叩き込んでやりたいと思ってね」
トレイズの言葉には、謎めいた狂熱が宿っていた。
その姿は、まるで唯さんを信仰する狂信者のようにさえ見える。
「その時、俺はふと思いついた。もし、あいつが新しい道を創っているのなら、その後で俺がその道を破壊したらどうなるのか、とな。そう考えた瞬間、胸が躍って仕方がなかった。その時になって、俺はようやく心の奥底に埋もれていた願いに気づいたんだ。俺はな……友と世界を賭けて、一つのゲームをしてみたかった。あいつが勝てば、世界は新生を迎える。俺が勝てば、あいつの創り出した奇跡はすべて消え去る」
彼は別の形で、誰も望まない可能性を創り続けてきた。
今日、この瞬間に至るまで。
今の彼の瞳は空っぽでありながら、その奥にはわずかな狂気が浮かんでいる。
もはや、俺たちは彼の所業を人間の尺度で理解することさえできなかった。
「まあ……結局、最後には全員死に絶えて、俺たちも相打ちになったわけだがな。正直……今でも、俺はあの結末に納得していない。まるで何か決定的な欠片が足りないようで、どうしても完全な結末には思えなかった」
彼はゆっくりと唯さんに手を差し伸べ、期待に満ちた目で唯さんを見つめた。
「だから、報告でお前の話を聞いた時、俺は考えたんだ……今度は敵同士ではなく、仲間として、一度協力プレイでもしてみないか、とな」
「協力プレイ……だと?君は、俺に一緒に世界を滅ぼせと言っているのか?」
「その通りだ。やはりお前は勘がいい!今度こそ、俺たち二人が手を組めば、きっと――」
「断る」
トレイズは、自分が期待していた答えを得ることができなかった。
その瞬間、彼はまるで時間が止まったかのように、呆然と唯さんを見つめていた。
「頭に水でも詰まっているのか?俺が何のためにここへ来たと思っている?」
「たとえば、俺からの招待状を受け取ったお前が、俺と戦い以外の形で和解できるかもしれないと期待して、俺が何を考えているのかを直接聞きに来た、とか?」
「違う。大間違いだ。俺は君を止めに来た、トレイズ。これで償いになるには到底足りないが、それでも今のうちに大人しく手を引き、エスギルを解放することを勧める。その後で、自分が犯したすべての罪に対して、受けるべき裁きを受けろ」
「くくく……くはははは!」
唯さんが何もない空間から剣を取り出し、トレイズへ突きつけた。
だが、トレイズは突然、腹を抱えて笑い出した。
「今の俺の言葉に、笑えるところは一つもなかったはずだが?」
「お前はこの国が欲しいのか?はははは、いいぞ!くれてやっても構わない」
……そんなにあっさり?
それは完全に皆の予想を裏切る言葉だった。
俺たちは思わず互いに顔を見合わせ、自分たちが今の言葉を聞き間違えたのではないかと確認し合った。
「どうせ……エスギルは、もうこんな有様なんだ。お前が欲しいなら、持っていっても構わない」
パチン――
落ち着き払ったその一音とともに、ガラス窓の外に広がる景色が一変した。
先ほどまで灯りに満ちていたエスギルは、まるで滅びの波に呑み込まれたかのように、無惨な姿へと変わっていた。
崩れ落ちた瓦礫が四方に散らばり、手足の欠けた人型の死体や、魔獣の死骸が至るところに転がっている。
先ほどまでそこにあった街並みは、トレイズが指を鳴らした、たった一度の合図だけで、ことごとく崩れ去った。
エスギルを覆っていた偽りは、すでに砕け散っている。
今、俺たちの目の前に広がっているものこそが、エスギルの本当の姿だった。
――火の海に沈む煉獄。
【設定や用語の概要】
——————————
イソリオン(Isorion)
遥か昔、原初時代において、衆生から神として崇められていた存在。
しかし、彼の能力はあまりにも目立たないものだったため、当人でさえ自らが能力を有していることに気づかず、一時は、自分を何の力も持たない無力な存在だと思い込んでいた。
世界が【■■■■■■】の侵攻によって滅亡の淵へ追い込まれた時、立ち上がったのは、仲間たちから最弱だと誤解されていたその神だった。
彼は衆生を率いて逃がした後、何一つ持たぬまま、たった一人でその場に残り、すべてに決着をつけようとした。
そして、長い戦いの果てに命を落とした。
後に彼は、敬虔な使徒と衆生によって、【文明と希望の神】として祀られることになる。
「ご主人様……
どうして、あなたは残ることを選んだのですか?
どうしてあなたまでママと同じように、私を置いていってしまったのですか?
どうして……
私はあなたたちと一緒に、この世界を離れることができなかったのですか……」※重要




