第2章 異世界での初めての救援作戦
今、俺たちは草むらの陰に身を潜めていた。
「グルルルル……グアァァァァァッ!」
前方から突然、獣の咆哮が何度も響き渡り、初めて異世界に足を踏み入れた俺たちは、思わず声も出せなくなってしまった。
しかし、唯さんたち一行とリリスは、それに対してまったく反応しなかった。
ただ静かに、前方の状況を観察しているだけだった。
どうやら、彼らにとってはもう慣れきった光景らしい。
「ナセフィン、情報は?」
「種別不明、計二十六体。村の左側に二体が孤立しています」
「なら、ちょうどいいな。アルカディア小隊のみんな、残りの敵は俺たちに任せてくれ。お前たちはカズと一緒に、その二体を担当してくれればいい。肩慣らしだと思ってな」
俺たちがカズと一緒に戦う……?
敵に背中を預けて、本当に大丈夫なのか?
「私が制限します。“お前は、私たちの誰にも手を出せない。もし手を出せば、その場で四肢が折れる”。それから、“逃げようとしても、同じように四肢が折れる”」
「ちっ……忌々しいバンシーめ……」
リリスは多くを語らず、すぐに『言霊』でカズの行動を制限した。
瘴気を失い、『言霊』に抗うことができなくなったカズは、悔しげな顔をしながらも、彼女の言いなりになるしかなかった。
「おおおお?『言霊』!そのスキル、すごく強そう!」
魔王リリカはカズの文句などまったく気にせず、今度は唯さんへねだるような視線を向けた。
「お前は『言霊』がなくても十分強いだろ?」
「私もそういうスキルが欲しいの~。帰ったら、私にも『言霊』ちょうだい?戦闘で絶対役に立つと思うの!」
「本音は?」
「それがあれば、あなたに好き放題いたずらできるから」
「却下!やっぱり『言霊』で俺をからかうつもりだったんじゃないか……今は救助が優先だ。先に行くぞ」
自分のお願いを却下された魔王リリカは、頬を膨らませて拗ねるしかなかった。
それでも唯さんがまったく動じないのを見ると、最後には大人しく戦闘準備に入った。
……こういう関係、少し羨ましいな。
「リリス、アルカディア小隊はあなたに任せます。皆さん、行きましょう!私は後方から、各種支援魔法であなたたちを援護します」
「ええ、分かりました」
ナセフィンは俺たちの指揮をリリスに任せると、そのまま唯さんたちと共に戦場へ向かった。
「ふぅ……私たちも行きましょう。カズ、あなたは最前列で盾役を務めてください。命を懸けてでも、敵を私たちに近づけないように」
「ちっ……分かった……」
リリス、容赦ないな。
カズに敵の攻撃を受け止めさせるなんて……
でも、それも理解できなくはない。
カズはもともと俺たちの敵だし、肉弾戦の実力もかなり高い。
だから、この隊列なら彼の長所を活かせるとも言える。
ただ……瘴気を失った今、彼の身体能力がどれほど弱体化しているのかは分からない。
今の日向さんと星野さんは、見て分かるほど上機嫌だった。
彼女たちはリリスに「よくやった」と何度も褒め、カズは自分の不運を嘆くように、黙って俺たちの前へ歩いていった。
あの二人、本気でこのままカズが目の前で死ぬところを見たいと思っているんじゃないか……
◇
襲撃を受けていたのは、小さな村だった。
そこに建てられていた簡素な木造の家々は、そのほとんどが暴れ回る魔物に破壊されるか、火を放たれて燃え上がっていた。
村の中はひどく混乱していて、あちこちから泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
……
まるで、かつて俺たちがエスギルに襲われた時のようだった。
けれど今回は、俺たちの立場が違う。
地球を侵略したエスギルの地で、誰かを助けるという状況に、俺たちアルカディア小隊の胸中は、どうしても複雑なものになってしまう。
「カズが敵の攻撃を引きつけてくれるとはいえ、エスギルの魔物は、あなたたちがこれまで見てきたどの怪物よりもずっと強いです。ですから、くれぐれも油断しないでください」
村へ向かう途中、リリスは俺たちにそう注意を促した。
「きゃああああっ!来ないで!あっち行ってよ!」
「「「「「「「「「「……!!!」」」」」」」」」」
俺たちの少し前方で、空を飛ぶ小さな影が村の中から飛び出してきた。
その少女は、巨大な怪物に追われていた。
「『生命の支配者』!」
「グアァァァァッ!」
身体能力を強化した俺は素早く前へ飛び出し、目の前の怪物へ剣を叩き込んだ。
だがそこで、ようやく気づいた。
そいつはただ醜悪な顔をしているだけではなかった。
全身から生えた骨の棘はひどく硬く、体そのものも、まるで腐りかけているように見えた。
「なんてこと……!こいつは腐敗オークです!力が強いだけでなく、体表に露出している骨の棘は鋭いうえに毒まであります。しかも武器まで使ってくるんです!皆さん、骨の棘で傷を負わないように注意してください!」
「ふん。腐敗オークか……こんなものがここに現れるとはな。面白ぇ!」
リリスとカズは、一目でその怪物の正体を見抜いた。
異世界のオークって、どれもあんなに大きくて、あそこまで恐ろしい見た目をしているのか?
身長なんて、大人三人分くらいはありそうなんだけど?
【仙境】に出てくるオークBossのほうが、まだずっと可愛げがあったぞ……
「はあっ!」
カズは全力で腐敗オークに拳を叩き込んだ。
しかし相手は、よろめくように数歩後退しただけだった。
直後、腐敗オークは自分に襲いかかってきた人狼を見下ろし、巨大な斧を持ち上げ、そのまま力任せに振り下ろした。
カズもただ突っ立っていたわけではない。
彼はすぐに俺たちのそばまで飛び退き、距離を取った。
そして信じられないといった様子で自分の拳を見つめ、怒りに身を震わせていた。
「くそっ、あいつ本当に硬すぎるだろ!しかも俺の拳が効かねぇだと?ふざけんなよ!?」
たぶん……
これが瘴気を失った今の、カズの戦闘力なのだろう。
ああいう連中が危険を冒してでも瘴気を使おうとする理由が、少し分かった気がする。
「『空気・爆発』!」
ドォン――!
リリスが空気を極限まで圧縮し、それを腐敗オークへ向けて解き放っても、その爆発は相手に軽い傷を負わせる程度にしかならなかった。
腐敗オークはその隙を逃さず、すぐさま地面を蹴って俺たちへ突進してきた。
体はあれほど巨大なのに、その速度は恐ろしいほど速かった。
「キャロリン、私に合わせて!」
「うん!『時間・加速』、『閃光剣』!」
リヤはまず荊棘を腐敗オークに巻きつけ、その動きを完全に封じ込めた。
続いて、リンが自分の速度を活かしてその背後へ回り込み、腐敗オークの首筋へ一撃を叩き込む。
けれど残念ながら、二人の攻撃も大きな効果はなかった……
俺たちが手詰まりになりかけていたその時、醜いアヒル――星野さんが前に出た。
「どいたどいた!私に任せな!」
リンが俺たちのそばへ戻ってきた直後、一本のチェーンソー斧が正面から腐敗オークの首元へ叩き込まれ、火花を散らした。
星野さんのチェーンソー斧はそのまま腐敗オークの体へ食い込み、肩口から奴を真っ二つに切り裂いていった。
ようやく一体倒した。
さすがは雪狐小隊の強襲担当。
彼女の実力は本物だった。
「六時方向、全身から青い光を放つ怪物がもう一体突っ込んできます!『羽毛の抱擁』、『羽根の舞』!」
俺たちへ向かって襲いかかってきたもう一体のウサ耳の猛獣は、華恋が撃ち出した羽根を器用にかわした。
しかし、自分の意識が突然遠のいていくことまでは、さすがに予想していなかったのだろう。
「『睡眠』」
その猛獣は顔面から倒れ込み、そのまましばらく地面を滑ったあと、草地の上で穏やかに眠りについた。
「『目覚め』、『睡眠』」
パキッ――
「『目覚め』!」
パキィィン――!
その怪物の体に、突然いくつもの亀裂が走り、青い血が大量に噴き出した。
アイリーンのスキルが効いたのだ。
「こういう怪物は、火で焼き払うのが一番よ!」
「グアァァァァッ!!!」
猛獣の足元から、真紅の炎が噴き上がった。
眠りからぼんやりと目を覚ましたばかりの猛獣は、反応する間もなく、そのまま灰になるまで焼き尽くされた。
マナの火力は、相変わらず凄まじいな。
「華恋が気づいてくれたおかげで、あの急襲ウサギに背後を取られずに済みました……ありがとうございます、華恋」
「当然のことです。私たちは仲間ですから」
リリスからの真摯な感謝に対し、華恋は小さくうなずくだけで、すぐに視線を戦場へ戻した。
それより俺としては、さっき牙を剥きながら突っ込んできたあの化け物についてツッコミたい。
あれがウサギ……?
異世界って、本当にどこもかしこも危険だらけだな。
エスギルに住んでいる人たちが、普段どんな日常を送っているのか、まるで想像できない……
「日向さん、先ほど助けた子はどうなりましたか?」
「私の頭の上にいる……」
さっき俺が腐敗オークを迎え撃つために飛び出した時、日向さんはリリスの指示を受け、マリーと一緒に、追われていた小さな少女の治療を優先していた。
リリスによると、彼女はピクシーと呼ばれる小柄な種族らしい。
そのピクシーの傷がすべて癒えると、彼女はそのまま日向さんの頭の上にちょこんと乗っていた。
そのせいで、もともと異世界人を強く憎んでいる日向さんは、かなり困った様子を見せていた。
最初、日向さんはそのピクシーを追い払おうとしていた。
けれど相手はどうしても彼女から離れようとせず、ぴったりと寄り添ったまま、いくら追い払っても離れなかった。
「ううっ……わ、わたくしはオーロラと申します。お助けいただき、ありがとうございます。で、ですが……どうして、あの方がここにいらっしゃるのですか?」
カズが俺たちの隊にいることに気づいた途端、オーロラと名乗ったピクシーは怯えたように日向さんの髪の陰へ隠れ、恐る恐る顔をのぞかせながらカズを指差した。
「……俺は先に離れておく」
「忘れないでください。逃げようとすれば、あなたにかけた『言霊』が発動しますよ?」
「ちっ……うるせぇ!そんなこと、分かってる!」
カズは、自分がその場にいるだけで村の住民たちを怯えさせてしまうと分かっているらしく、先に村から少し離れた大木の下まで歩いていき、そこで横になった。
どうやら、しばらく俺たちの会話には加わらないつもりらしい。
あれ?
瘴気が抜けてから、目つきがずいぶん澄んだだけじゃなく、態度まで意外と協力的になっているような……?
「もう大丈夫だよ、オーロラちゃん。怖くない、怖くない。カズは先にここから離れさせたから」
「お兄さんたちも、お姉さんたちも、すごく強いんですね!そ、そうだ、村が……!私たちの村が襲われているんです!お願いです、村のみんなを助けてください!わたくし……私は何でもします。だから、どうか村のみんなも助けてください!」
「心配しなくていいよ。別のお兄さんたちとお姉さんたちが、俺たちより先にほかの人たちを助けに行ってくれている。あの人たちはすごく強いから。もう君を、あんな怖い怪物には近づけさせない。だから安心して」
「ううっ……そう、なんですね。やっと……やっと、助けが来てくれたんですね……ううっ……」
よほど怖かったのだろう。
オーロラは日向さんの髪をぎゅっと掴んだまま、すすり泣いていた。
自分だって怖くてたまらないはずなのに、それでも先にほかの人たちを助けてほしいと願える、その心の在り方は……
本当に、尊敬せずにはいられなかった。
「ああああっ!!!私の髪で鼻水を拭くな!おい、いい加減にしろ!降りろ!」
「あう……ご、ごめんなしゃい……!安心したら、わたくし、つい……」
あははは……
ついに日向さんが我慢できずに怒鳴ると、オーロラはびくっと全身を震わせた。
それでも、彼女は日向さんから離れようとはしなかった。
日向さんが何を言っても、相変わらず彼女の頭の上にしがみついたままだった。
「オーロラちゃん、あまり気にしないでください。彼女は個人的な事情で、この世界の人たちが少し苦手なんです。だから、ひとまず私のところへ来ませんか?」
「嫌!あなたから黒くてモヤモヤしたものが出ています!怖い!」
リリスは優しく手を差し伸べ、オーロラを自分のそばへ招こうとした。
けれどオーロラはかえって怯え、さらに強く日向さんにしがみついてしまった。
そのせいで日向さんはますます苛立ち、星野さんにはずっとからかわれ続けていた。
「たぶん、彼女には唯さんたちが言っていた瘴気が見えているんだと思う。だからリリスを怖がっているだけで、本当に嫌っているわけじゃないよ」
「はぁ……あとで唯さんに聖水を少し分けてもらって、飲むことにします……」
ほら、そんなに落ち込むなよ、リリス。
「ひとまず、唯さんたちと合流しに行かないか?向こうの戦闘は、もう終わっているみたいだし」
さっき俺たちが戦っている間に、別の場所から聞こえていた戦闘音は、いつの間にか消えていた。
最後に俺は、みんなとオーロラを連れ、魂が抜けたように落ち込んでいるリリスの手を引きながら、唯さんたちと合流するために村の中へ向かった。
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俺たちが現場に到着した時には、あたり一面に怪物の破片が散らばっていた。
周囲の草地には、ぬめぬめした緑色の液体も大量に飛び散っている。
「よう、来たか」
「うわあああああっ!」
全身緑色の液体まみれになった男が突然背後に現れ、俺は驚きのあまり武器を構えて叫んでしまった。
「おいおい、俺だ、唯だ!落ち着け!」
「びっくりした……!お願いですから、次からいきなり背後に現れないでください!心臓に悪すぎます……というか唯さん、どうしてそんなひどい有様に?」
「ああ、これか?さっき、とんでもなくでかい虫型の魔物が俺の頭上に現れてな。虫が苦手なリリカが反射的に、超高威力の『風魔法』でそいつを吹き飛ばしたんだ。そのあとのことは、まあ、想像がつくだろ?魔物の血と内臓を全身に浴びた」
そういうことだったのか……
道理で、唯さんの後ろにいる魔王リリカが、申し訳なさそうな顔をしているわけだ。
というか……
魔王様なのに、虫が怖いのか?
「俺は服を洗ってくるから、少しだけ離れるぞ。……そうだ、カズは?」
「オーロラ……このピクシーがカズをかなり怖がっているみたいなので、彼は先に村の外で待っています」
「分かった。あとであいつが何をしているか見に行ってくる。じゃあ、少し行ってくるな」
「唯、あとで私が服を乾かしてあげるわ。私も一緒に行く」
その後、唯さんは魔王リリカを連れて、その場を離れていった。
この人たちと一緒に冒険していると、本当に一瞬たりとも退屈しないな……




