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蕭条静香


 今から四年前。 まだ冬の寒さ残る、三月初めのことだ。

 〈違法点〉は、ある能力者を組織に加えようと動いていた。

 その能力者の居場所は特定済み。 後は、数人でその能力者の下へ行き、勧誘するだけ。

 

「鬼山。 お前にも来てもらう。 いいな?」

「……はい」


 戸影慎一とかげしんいち。 能力者集団〈違法点〉のトップであり、人の心を読むことができる男。

 オールバックにした白髪。 まるで外国人モデルのようにも見える、堀の深い顔。 がっしりとした体格で姿勢も良く、その恵まれた容姿は見る者に威圧感さえも与えていた。

 

 当時、五十六歳だった戸影は、いつも黒のスーツを着ていた為、一見どこかの会社の役員のように見えた。 

 しかし、その眼を見ればすぐわかる。 戸影がそこらの人間とは大きく異なる存在であることに。

 

 数千人もの人の心を読み続け、あらゆる感情に文字通り直接触れてきた人間が、どのような眼をするのか。

 もはやその眼は、人が人を見る眼にあらず。

 自分が人であることを忘れたのか。

 他者が人であることを忘れたのか。

 その眼はどこまでも虚ろで、どこまでも哀しい眼をしていた。




 俺は戸影と竜崎の二人と共に、その能力者の居場所へ向かっていた。

 どうやらお目当ての能力者は、非常に有用な能力を持っているらしい。 

 既に二人の記憶を奪っていた俺は、後一人だけ記憶を奪う余裕があった。 もし相手の能力者が戸影の誘いに乗らなかった時の為に、俺も同行することになったというわけだ。


「ここか……」


 そして俺たちは、目的地である住宅街に辿り着いた。 時刻は午後二時過ぎだったのを記憶している。

 目の前には、まだ築十年も経っていないと思われる、一戸建て。 黒色の屋根に、薄茶色の外壁。 他の家と比べて特に目立った点があるわけではない、普通の家だった。


「この家に、蕭条静香しょうじょうしずかという能力者の女性がいるんですね?」

「……その通りだが、何か変だな」

「変、とは?」

「人は確かにこの中にいる。 しかし、その人物の心の色は、壊れている……」

「壊れている……?」

「その身に余る絶望は、人の心を噛み砕いていく。 結果として、そこに残る色は壊れた色だ。 綺麗な色でも、薄汚れた色でもない」

「……………………」


 戸影が何を言っているのかよくわからなかったが、この家の中にいる人物の様子がおかしいということは察することができた。

 

「インターホンを押しても反応はないな。 鍵も閉まっていない。 とにかく、中に入るぞ。 ……竜崎、先頭を頼む。 俺と鬼山の身を守れ」

「……………………」


 戸影の命令に、コクリと頷いて前へ出る竜崎。

 俺は、竜崎の声を一度たりとも聞いたことが無い。 

 淡い金色の頭髪に、どこまでも深い海のような碧眼。 華奢で、背丈は小さく、中性的な顔立ちも相まって、女のようにも見える美青年。

 

 そんな竜崎は、まるで人形のように、その表情を変化させることがない。

 常に無表情。 竜崎に感情というものが果たしてあるのだろうか。 そう思うほどに、竜崎の存在は人間らしくなかった。



 

「……やはり、そういうことだったか」


 しばらく家の中を進んだところで、戸影が一言、そう言った。

 今俺がいるのは、二階にある寝室の扉の前だった。

 嫌な予感は、あった。 さっきから、何かがおかしいと思っていた。

 

「竜崎。 もういい、下がっていいぞ。 ここで戦闘が起きることはないだろう」

「この中に、蕭条静香はいないということですか?」

「いや、蕭条静香はこの部屋の中にいる。 しかし、彼女はもう動かない」

「動かないって、まさか……」

「――蕭条静香は死んでいる」


 探していた能力者が、死んでいる。

 こんな偶然、あるのだろうか。

 いや、もしかすると、本当は死んでいないんじゃないか。 戸影の発言が正しいとは限らない。 実際にこの目で死体を確かめるまでは、わからない。

 

「とりあえず、中に入るぞ。 鬼山と竜崎は、ここで待っていてもいい」

「いえ、俺も入ります」


 こうして俺は、戸影の後に続いて寝室の中へと入っていった。

 

「……っ……!!」

「これはどうやら、蕭条静香とその夫の死体のようだな。 鋭利な刃物で何度も突き刺されている」


 そしてすぐに、後悔した。

 寝室の中で待っていたのは、二体の死体。 四十代後半くらいの、男と女だ。

 その身を包む衣服は血によって真っ赤に染まっており、体中の至る所に赤黒い傷が刻まれていた。

 あまりにも生々しい、人間の死体。 漂う血の匂いが、胃に強い圧迫感を与えてくる。

 

「……大丈夫か、鬼山。 お前は酷く、恐怖しているぞ」

「…………大丈夫です。 それにしてもこれは、一体どういうこと何でしょうか……?」

「さあな。 俺だって知りたい。 そこにいる生き残りに色々と聞きたいところだが、心が壊れてしまっては、まともな返答も得られないだろう」

「生き残り……?」


 戸影の視線の先を追う。

 すぐ近くにあった、ベッドの下。 そこをよく見てみると、

 

「…………………………」


 人が、いた。 

 制服を着た、一人の少女。 セミショートの黒髪で、まだ幼さの残った顔。 ちょうど今年、高校生になったばかりといった感じだ。

 

「彼女は……」

「蕭条静香の娘だろう。 蕭条静香には、今年で十六歳になる一人娘がいる。 このベッドの下に隠れることで、襲われずに済んだのだろうな。 運が良いと言うべきか、運が悪いと言うべきか。 この様子だと、この娘は見てしまったようだな」

「……両親が殺されるところを、ですか?」

「そうだ。 両親が殺されるのを間近で見て、この娘は壊れてしまった。 強い怒りや悲しみが限界を超えると、人はこうなる。 よく、覚えておけ」

「……………………」


 蕭条静香の娘は、眠っているわけでも、気を失っているわけでもなかった。

 その目は確かに開いており、両親に死体の方を見ていた。

 しかし、本当にその目には両親の姿が映っているのか。

 戸影とはまた違った、虚ろなまなこ。 まるで俺たちには見えない何かを見ているような目をして、彼女は横たわっていた。




 後日。

 蕭条静香を殺した犯人は、すぐに捕まった。

 事件発覚当初は、遺体に刻まれた無数の傷から、犯人は被害者に強い恨みを持つ者との線が強かった。

 しかし、犯人は蕭条静香とは何の関わりもない、ただの強盗殺人犯でしかなかった。 既に殺傷事件を起こしていて、その逃亡中にたまたま蕭条静香の家に侵入したということらしい。 

 〈違法点〉はもちろん、この事件に能力が絡んでいるのかを調べた。 が、この事件に能力が絡んでいるなんてことはなく。

 

「……蕭条静香は恐らく、能力を使う前に襲われたのだろうな」


 いくら能力者とはいえ、人間だ。 死ぬ時は、死ぬ。 

 

「惜しい人材を失ってしまった。 また新たに能力者を探さねばな」


 その死はあまりにもあっけなくて、俺の心を酷く不安定にさせた。

 

「……戸影さん。 あの、娘は……。 蕭条静香の娘は……これから、どうなるんでしょうか……」

「鬼山。 お前も見ただろう。 ああなってしまっては、もうどうにもならない。 見かけ上、元に戻ることができても、その心は壊れたままだ」

「その壊れた心を治すことは、できないんですか?」

「できない。 多くの人は、心の傷が癒えると思っているが、そんなことはない。 脊髄と同じだよ。 一度損傷すれば、修復されることはない。 万が一、遥か遠い未来にそれが可能になっていたとしても、その時に俺たちは生きていないだろう」

「……………………」




 俺はあの日以来、何度も何度も夢を見た。

 俺が立っているのは、あの寝室だ。 血だらけの死体が二つ、横たわっている。

 ベッドの下には、虚ろな瞳をしたあの少女。

 彼女はその眼を死んだ両親の方へ向けたまま、何も言わない。

 何も求めず、死んでいるように生きている。

 

「……………………」


 夢から醒める度に、俺の中のある思いが強まっていった。

 

 彼女を、救いたい――。

 

 どうしてそう思ったのか、当時の俺はわからなかったが、今ならわかる。

 他の誰でもない俺自身が、救われたかったから……。 だから俺は、彼女を救いたいと思ったんだ。

 



 更に数日後。 俺は、蕭条静香の娘が入院している病院を特定し、その病院へ向かうことにした。

 彼女と面会をするのには、協力者が必要だった。 そんな都合の良い協力者がいるのかと思ったが、それはすぐに見つかった。

 

「……静香の知り合い、ねぇ……」


 蕭条静香もその夫も、親族とは縁を切っていた。 

 とはいえ、両親を失った一人娘に対し何とも思わないほどではないのだろう。 

 蕭条静香の姉とされる人物と接触し、俺は彼女と面会をすることに成功する。

 

「……………………」


 数日ぶりの、再会。 病室のベッドの上にいるのは、紛れもなくあの時の少女だ。 患者衣を着て、窓の外を眺めている。

 

「……ずっとこんな調子なの。 まるで、抜け殻みたいでしょ?」

「……………………」


 否定はできなかった。 確かにこれは、抜け殻だ。 相も変わらずその眼は虚ろで、病室に入り込んだ俺に対し反応する様子はない。

 あまりにも大きなショックを受けて、意識が現実から離れてしまっているのだろう。

 意識だけ、現実とは異なる別世界に生きている。 そんな印象を抱かざるを得なかった。

 

「全く、静香のやつ……。 急に死んだかと思えば、こんな面倒事まで残して……」


 面倒、事……?

 確かに、蕭条静香の姉にとっては、面倒事なのかもしれないが……。


「……仮にも親族のあなたが、彼女のことを面倒事呼ばわりするのか……!」


 つい、語気を荒らげる。 感情を抑えられるはずがなかった。

 

「なっ、何怒ってるのよ……。 親族だなんて言われたって、知らないわよ。 少し血が繋がっているだけで、何でもかんでもしなきゃいけないわけ!?」

「そうだ。 彼女が頼ることのできる人間は、他にいない……! 親族が味方になってやらないで、どうする」

「……ばっかみたい。 わたしたちから離れていったのは静香の方だって言うのに。 血の繋がりなんてね、たかが血の繋がりでしかないのよ。 今までロクに顔も合わせてこなかったのに、親族だからという理由だけで優しくできるほど、わたしはお人好しじゃないわ。 わたしが今ここにいるのは、最低限の義務を果たす為よ。 それ以外の何にでもない」

「彼女がこのままで、良いと言うのか……!?」

「だって、どうしようもないでしょ。 わたしにはわたしの家庭があるの。 この子の為にこれ以上時間を割くことなんて、できないわ」

「……………………」


 これ以上は何を言っても無駄だと思った。

 

 そうか、これが現実なんだ。

 蕭条静香の親族は、彼女の味方に成り得ない。

 多少の金銭的援助はあるのかもしれないが、根本的な解決を目指して奮闘するような者は誰一人としていない。

 たかが血の繋がり。 その通りだ、血の繋がりがあるだけではどうしようもない。 双方の間には今まで積み重ねてきたものがないのだから。

 

「……まったく、何でわたしが説教されなきゃいけないのよ。 アンタが静香とどういう関係なのかは知らないけど、そこまで言うんなら、アンタが面倒見ればいいのよ」

「……………………」


 そうだ、その通りだ。 俺も最初から、そのつもりでここに来ていたんだ。 

 

 血縁者が誰一人として味方になってくれないのなら――。

 俺が、彼女の味方になろう――。

 

 戸影は言った。 壊れた心は治せないと。

 本当に、治せないのか……? 治す方法が、あるんじゃないのか……?

 

 例えば、そう。 壊れてしまった原因を、完全に取り除いてしまえば――。

 彼女は、両親が殺されるのを間近で見てしまった。 忘れたくても忘れられない、凄惨な光景を見てしまったんだ。 そのせいで、彼女の心は壊れてしまった。 

 だから、両親が殺されたという記憶を彼女から消せば、その眼に再び光が宿るのではないか?

 

「……そうだな。 俺が彼女の面倒を見よう」

「えっ、本気……?」


 普通、都合よく人の記憶を消すことなんて、できやしない。

 しかし、俺にはあるじゃないか。 不可能を可能にする、異能力。

 

「ああ、本気だ。 彼女の――蕭条八重しょうじょうやえの面倒を、俺が見てやる」


 記憶を奪う能力。 これを使えば、彼女を救うことができるのではないか……?

 本人が忘れることができないのなら、俺が忘れさせてやればいい。

 残酷な過去のせいで未来へ進むことができないのなら、その過去を消してしまえばいい。

 まだこれから、多くの人との出会いや楽しい日々が待っていたはずの彼女が、ここで暗闇の中に沈んだまま無為に時間を過ごしていいわけがないんだ。


――絶対に、救い出してやる。


 俺の能力は、もしかするとこの時の為にあったのかもしれない。

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