過去と記憶と心の傷と
蕭条八重の記憶を奪う。 そうすることで彼女を救おうと思い至ったが、問題はいくつもあった。
まず、俺が記憶を奪って本当に蕭条八重は抜け殻状態から脱することができるのかということだ。 こればっかりは実際にやってみないことにはわからない。
しかし、失敗した時どうするのかもある程度考えておく必要はあるだろう。
次に、勝手に能力を使うことを、戸影にどう説明するかだ。
俺の能力は、既に二人の記憶を奪っている。 これは、戸影の命令によるものだ。 戸影がその二人を支配したいが為に、俺は能力を使った。
見方を変えれば、これは俺にとって強みになる。 何故なら、その二人は俺が記憶を奪うことで戸影の駒となっているわけだ。 記憶を取り戻してしまえば、その前提は揺らぐ。
とはいえ、俺一人が戸影と敵対するのは厳しい。 俺が記憶を奪っているという弱みを握っているからといって、俺が自由に動けるとも限らない。
ましてや、俺の能力に高い利用価値を見出している戸影が、俺が蕭条八重を救うという理由で能力を使うことを許すわけがない。
戸影が俺に手を出すことができない決定的な状況をうまく作り出すことができれば、あるいは……。
次に、これらの問題が無事解決したとして、その後どうするかだ。
彼女を普通の生活に戻す。 それができれば何よりだが、前に通っていた高校に戻すことはできない。 過去の記憶に関わるものから遠ざける必要がある。
それに、俺が何者なのかをどう説明するかも大事だ。 何せ俺は、蕭条八重にとって見ず知らずの年上の男性。 警戒されないわけがない。
彼女の新しい生活環境をどう用意するのか。 俺一人でどうにかなりそうな感じではない。
かといって、俺には協力者がいるわけでも……。
「君は確か、鬼山竜紀だったかな?」
「………………?」
そんな俺に話しかけてきたのが、後に魔術会を設立し、魔術会会長となる男・家守恭介だった。
「……そうですが、何か……?」
「私が誰か、わかるかね?」
「家守さんですよね。 『扉』を生み出す能力を持っている……」
「そう、よくわかっているじゃないか。 そして私も、君のことはよくわかっている」
「俺の、ことを……?」
何故、家守恭介が話しかけてきたのか。 その理由がわからなかった。
同じ〈違法点〉に属する仲間だからといって、強い仲間意識があるわけでもない。 仕事以外での交流は皆無だ。
「君は、記憶を奪う能力を持っている。 ……いや、正確には違うな。 君の能力は奪うというよりも、記憶を凍結させていると言った方が正しいか。 そして戸影はそんな君の能力を利用し、竜崎を操り人形同然の存在にした」
「……………………」
そうだ。 俺の能力は、正確には記憶を奪っているわけじゃない。 能力を使用した時点から過去の記憶を、再生できないよう凍結させているんだ。 だからといって、自力で記憶を取り戻すことは不可能に近い。 記憶を奪っていると言っても、そう間違ってはいないわけだ。
それにしてもこの男、そこまで知っているとは……。
俺の能力が記憶に関するものだということ自体、戸影以外は知らないはずだ。 どうやって、この男は俺の能力について調べたのだろう。
「竜崎は戸影にとって、唯一無二の宝剣たる存在だ。 戸影が竜崎を失うことは、戸影の死を意味すると言っても過言ではない」
「…………!! それは、本当なのか……!?」
「ああ、本当だ。 私から言わせれば、皆、戸影に踊らされているのだよ。 よく考えてもみろ、戸影は何の能力を持っているのか」
「……俺たちは常に、戸影の能力によって、心を読まれている……。 それは、つまり……」
「戸影は全て、わかっているのだよ。 どんな言葉を叩きつければ、この人間は逆らえなくなるか。 どんな言葉を与えれば、この人間は味方になるのか。 我々は必要以上に戸影慎一を恐れているが、戸影自身はそこまで強いわけじゃない。 強いのはあくまで、竜崎だ。 我々は戸影にうまく飼いならされているのだよ」
「……それを俺に伝えて、どうするつもりですか?」
「そうだな、回りくどい話は止めにしよう。 ――君は、〈違法点〉を抜け出したくはないか?」
家守恭介は当然、俺が蕭条八重を救おうとしていることは知らない。
だが、このタイミングで……。 〈違法点〉を抜け出したくはないかと聞いてくるとは。
俺が蕭条八重を救うことは、神にでも仕組まれているというのか。
「……詳しく話を聞かせてください」
それから俺は、家守恭介から色々な話を聞いた。
竜崎は戸影にとって、唯一無二の宝剣たる存在。 そしてそれを維持させているのは、俺の能力に他ならない。 つまり俺も、戸影にとってはキーとなる存在であって、裏切られては困るということ。
家守恭介には既に何人かの協力者がいて、あらゆる方面において役立つ人材がいるということ。
そして、何よりも――。
「鬼山。 君の存在は確かに抑止力成り得るが、それだけでは足りない。 戸影だって、君が突然裏切って竜崎の記憶を戻してしまうような事態を想定していないわけじゃない。 君と竜崎がいないと確かに窮地に立たされるだろうが、君と竜崎だけに依存していると考えるのは危険だ」
「では他に、戸影が安易に手を出せなくなるような何かが用意してあるんですか?」
「もちろん、用意してある。 用意してあるから君と交渉しているのだよ。 何の用意もないのに、君が私に協力してくれるとは思っていない」
「……何を、用意してあるんですか?」
「異世界の力を手に入れたと言ったら、君は信じるかな……?」
「異世界……? まさか、笹倉桜の生み出した――」
魔術の力。
この時既に、家守恭介は第二世界に通ずる『扉』を生み出していた。
〈違法点〉で活動する関係上、『扉』から家守恭介が離れてしまった為、『扉』は一度消えてしまったものの、その一回で魔術の力を手に入れる手段と方法はある程度確立されていた。
「……どうかな? 私に協力してくれるかな、君は」
「協力させて欲しい。 けど、その変わりに……」
こうして俺は、蕭条八重のことを家守恭介に話した。
「……ほうほう、なるほど。 どうやら私は、絶妙なタイミングで君に話を持ちかけていたようだな」
もし俺が、蕭条八重を助けたいと思っていなかったら。 俺はたぶん、家守恭介の誘いに乗っていなかった。
そう考えると、今の魔術会が存在しているのは、蕭条八重の存在あってのものなのかもしれない。
「ちょうどいい。 君が無事、彼女を救うことに成功した後。 彼女が文字通り第二の人生を歩む場所として、魔術会の施設を用意しようじゃないか。 魔術師は一人でも多くいた方がいい」
話はどんどん進んでいった。
家守恭介の協力により、蕭条八重をあの病院から連れ出す為の諸々の手続きは完了した。
俺はすぐに、〈違法点〉を去ることになった。 戸影に心を読まれてしまうのを避ける為でもある。
家守恭介はというと、彼は戸影を前にしても己の本心を隠し通せるらしい。 怪物のようなメンタルの持ち主だ。
魔術会設立の準備期間中、俺は家守恭介の用意した山小屋で蕭条八重と過ごすことになった。 彼女の記憶はまだ奪っていない。 家守恭介の準備が整ってから記憶を奪うことにした。
「さて、ようやく準備が整った。 〈違法点〉は、私たち魔術会に手を出すことはないだろう。 互いに不可侵というこの平和的な状況を、戸影も崩したくはないはずだ」
魔術の力と俺の存在。 その二つによって、戸影が手を出せない状況を作りだした。
俺たちは無事、〈違法点〉を抜け出して、魔術会を設立したのだ。
それから数日後。 四月某日の夜のことだ。
「…………………………」
ついに、この時がやってきた。
蕭条八重の記憶を奪う。 蕭条八重を蕭条八重たらしめていた過去を消す。
「……俺が今からやろうとしていることは、君を殺すようなことだ。 決して、許されることじゃない」
俺の言葉に対し、反応はない。 俺の存在など、彼女の見る世界に映っていないのだろう。
「それでも俺は、君を暗闇から救い出したかった。 何よりも、俺自身の為に。 どんなに罪を背負おうが、何もしないよりマシだと、自分に言い聞かせてな」
善意の押し付け。 彼女から許可を貰ったわけでもない。 救いを求められたわけでもない。
「許してくれとは言わない。 俺のこの行為を正当化するのは、俺だけで充分だ。 何の見返りも必要ない。 ただ――」
俺には何も与えられなくていい。 どんな罰を受けてもいい。 だから――。
「君にもう一度、この世界で生きて欲しい」
そして俺は、能力を使った。
その結果、蕭条八重は記憶を失った。
そして、翌日――。
「あの、わたし、自分の名前以外何も思い出せなくって……。 ここは、何処なんですか? あなたは、一体……」
俺は蕭条八重の声を、初めて聞いた。
* * *
「……こうしてお前は、魔術師として生きることになった。 もちろん俺は、お前を魔術師にしたくはなかったが、家守恭介の協力あっての現状だ。 文句を言うわけにもいかなかった」
「…………………………」
津波の如く押し寄せる情報に、脳が破裂しそうだった。
灯台下暗しという言葉が、わたしの頭に浮かぶ。
答えは意外とすぐ近くにある。 その通りだった。
わたしが失っていた記憶は、鬼山さんが持っていたのだから。
「……驚いたな。 鬼山さんに、そんな過去があったなんて」
「竜紀さんは、わたしのお父さんと共に魔術会を設立した。 魔術会設立当初の、メンバーだった」
「……そういうことになるな。 家守恭介とは、〈違法点〉にいた頃からの付き合いだ。 だから俺は、能力者のことも第二世界のこともある程度は知っている」
わたしの両親は、殺された。 わたしは両親を殺されるところを、この目で直接見てしまった。
話を聞いただけでは、その時の光景を鮮明に思い出すまでには至らない。
それでも――
「…………蕭条!?」
「……だ、大丈夫です……。 少し、目眩がしただけで……」
頭は熱くて仕方ないのに、体は凍えるように寒い。
胃から込み上げてくるのは、吐き気だ。 体の中に渦巻く何かを追い出そうと、わたしの胃を絞り上げる。
「……やはり俺は、間違っていた。 最初から、間違っていたんだ。 俺の能力は、その場しのぎでしかなかった。 お前の心に刻まれた傷は、癒えなかった。 俺は能力に頼らず、ゆっくりとお前の心と向き合っていく必要があったんだ」
「……………………」
鬼山さんがこんなに弱気な顔を見せるのを、わたしは初めて見た。
辛そうで、悔しそうで、悲しそうで……。
鬼山さんは、確かに強い人だ。
だけど、たくさん傷ついて、平気でいられるわけじゃないんだ。 平気なように見えたのは、鬼山さん自身がその傷に気づかないフリをしていたから。
わたしは勝手に、記憶を奪われた。
いくらわたしが、魂の抜け落ちた人形のような状態だったからとはいえ、鬼山さんの行為を全面的に肯定するわけにもいかない。
でも、わたしは……。
こんな鬼山さんの顔を、見たかったわけじゃない。
今のこの関係に、どんな背景があったとしても。
今まで積み重ねてきた思い出は、嘘じゃないから――。
「……鬼山さんの話に出てきた、戸影慎一が言ってましたよね。 壊れた心は治らない。 その心は、壊れたままだって」
一度損傷すれば、修復されることはない。 心に刻まれた傷は、永遠に残り続ける。
「わたしも、その通りだと思います。 心の傷は永遠に残るもの。 都合良く忘れ去ることは出来ないんだと思います」
「蕭条……」
心の傷は、治せない。 それは、正しい。
でもそれは、当たり前のことなんだ。 心の傷は、体の傷とは違う。 時間の経過によって完治したように錯覚することはあっても、その傷が無くなったわけではない。
「……だからと言って、傷ついた心を持つ人の未来が失われるわけじゃありません……! 一度傷ついたからそれで終わりだなんて、どこの誰にも言わせませんよ……!」
「……………………!」
何よりも、わたしがそう信じたいから。
どんなに辛い過去があったのだとしても、その過去に縛り続けられる必要なんてないんだから。
「鬼山さん、以前こう言ってましたよね。 犯した罪は、一生消えない。 どんなに償ったところで、その罪が消えることはない。 贖罪は、人が人であり続ける為にあるって」
「……ああ、言ったな」
「だったら鬼山さんは、償わないといけませんね? 鬼山さんが人としてあり続ける為に。 理由や結果はどうであれ、わたしの記憶を勝手に奪ったんですから。 その責任を、取らなきゃですよ?」
「………………ああ」
言いたいことは、たくさんある。
それでも、まず――
「記憶を……戻してください。 そしてわたしが、心に刻まれた傷に苦しんでしまった時は、鬼山さんがそれを和らげてください。 それくらいしてくれなきゃ、償いにはなりませんよ?」
過去と、向き合うこと。
そうしないことには、前へ進むことはできないと、わたしは思った。
「……何だろうな、俺はいつも、お前に力を分けてもらってばかりだ――」
そう言って鬼山さんは、わたしに記憶を戻すことを約束してくれた。




