タイトル未定2026/07/20 20:42
流花が務める、設計事務所。
机の回転椅子に座っていた、上司の安達の側に立っていた。
「来月、休みたい日があるんですが」
「いつ、休みがほしい?」
安達は回転椅子に座ったまま、机の上に置いてある卓上カレンダーに手を伸ばした。
休みはあっさり了承され、流花はホッとしながら自分の机に戻った。
業務を終えた流花は、事務所を出た。
田中と野田の勤務終了時間が合わなく、流花は一人で帰ることが多かった。
外は、すっかり真っ暗だった。
駅に向かって流花は、早足で歩きだした。
電車とバスを乗り継いで、流花はアパートに帰った。
いつもなら真っ暗な部屋なのに、今夜は明かりが灯っていた。
不思議に思いながら、鍵穴に部屋の鍵を差し込むと、鍵がかかっていないことに気がついた。
……不用心だなぁ。
流花はドアを開けて、部屋に入って行った。
テレビがある部屋は、部屋の隅に追いやったテーブルの上に物が散乱して、布団が敷かれているいつもの光景だった。
ただ一つ違っていたのは、布団の中に母親がいた。
「こんな時間にいるなんて、珍しい。仕事は?」
流花の言葉に、母親は何も答えなかった。
不審に思った流花は畳の上に膝をつき、母親の肩に触れた。
母親の肩は、異常なほど熱かった。
母親の額を触ると、明らかに熱があった。
流花が仕事から帰って来たことに、母親は初めて気がついた。
「あっ、帰っていたの」
「いつから、こんなに熱が出たの?」
「今朝、仕事から帰ってきたら、なんかだるくて」
「今まで、寝ていたの?」
「熱くてだるくて、起き上がることもできない」
「何も、食べていないんだ」
「食欲なんてない」
「今は、食べれそう?」
「少しくらいなら」
立ち上がった流花は、台所に行って冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中はかろうじて卵があるだけで、食材と言う食材が何もなかった。
流花は、大きくため息をついた。
タオルを水に湿らせ、両手でしっかり絞った。
流花は何も言わず、母親の額にタオルを置いた。
台所に戻り、米を研ぐと多めの水を入れ、炊飯器の中に研いだ米を入れ早炊きのスイッチを押した。
流花は何も言わず、部屋を出て行った。
部屋を出た流花は、近くのコンビニに向かった。
スポーツドリンクとゼリーやヨーグルト、アイス、バナナ、菓子パン等を購入した。
部屋から戻ると、母親は眠っていた。
額に載せたタオルは、ずり落ちていた。
流花はタオルを掴み、台所へ行き、タオルをまた水で湿らせて両手で絞り、眠っている母親の額に乗せた。
テーブルの上を片付け、浴室に行きシャワーを浴びた。
上下水色のスウェットに着替え、自分の部屋に戻り、テーブルを部屋の隅に移動さてから布団を敷いた。
部屋の隅に置いたテーブルの前であぐらをかき、一級建築士の資格の勉強を初めた。
遠くで米が炊き上がった電子音が聞こえ、流花は部屋から出て行った。
台所に立ち、卵を入れた雑炊を作った。
雑炊が出来上がった頃、母親が起き出した。
流花は少なめに雑炊をよそい、コップにスポーツドリンクを注いだ。
お盆に雑炊とドリンクとスプーンを乗せ、テーブルの上に置いた。
「雑炊、少しだけよそったけど」
「この量なら、食べれそう」
起き上がった母親は、ゆっくり雑炊を食べ出した。
流花も雑炊を、母親の側で食べ始めた。
「流花が作った料理を、食べるなんてね」
「雑炊だよ。大袈裟」
流花と母親は、静かに雑炊を食べた。
少ない量の雑炊を食べていた母親は、すぐ食べ終えた。
「ゼリーやヨーグルトを買ったけど、食べる?」
「そうね。ヨーグルトを、もらおうかな」
流花は母親が食べ終えた食器を持って、台所に行った。
台所で母親が使った食器を洗い、冷蔵庫からヨーグルトを出した。
母親にヨーグルトとスプーン渡し、雑炊を食べ続けた。
雑炊を食べながら、流花は何気に母親に聞いた。
「父さんって、どんな人?」
「なによ、突然」
「前から、聞いてみたかった」
「あの人は背が高くて、とにかく誰にでもやさしくて、凄く誤解をされやすい人だった」
「やさしい人だったんだ」
「誰にでもやさしいから、あちこちに女を作っていたわ。でも、本人自覚なし。女性同士のトラブルが絶えなかったわ」
「それが、離婚の原因?」
「まぁ、私も浮気をしていたから、お互い様だけどね。その二人が、流花の両親よ」
「うわ、最悪」
「流花だって、あちこちにいい顔をしているでしょ」
「そんなこと、していないよ」
「その、自覚がないところ。父さん、そっくり!」
流花は、ただただ母親を見つめていた。
「ご馳走様」
母親は空になったヨーグルトのカップと、スプーンをテーブルの上に置いた。
布団の中に入った母親は、畳の上に置いてあったハンドバックを指さした。
「ハンドバックの中に財布があるから、財布の中身を見て」
流花は言われた通り、ハンドバックから財布を出した。
長財布の中から、少し色あせた一枚の写真が出て来た。
流花は写真を両手に持つと、食い入るように写真をみつめた。
写真は幼い頃の流花を真ん中にして、両サイドに背が高い流花の両親が写っていた。
目鼻がくっきりとした母親と、やさしく微笑む父親。
両親の真ん中で、カメラを睨んでいる不細工な顔のおかっぱ頭の流花がいた。
……この真ん中の子、誰?私?
自分とはわかっていても、流花は自分の顔に笑ってしまった。
記憶にない父親を、流花はじっと見つめた。
マスターの顔と似ていないのに、やさしく微笑む父親がマスターと重なる。
母親が言っていた言葉を、思い出す。
『誰にでもやさしいから、あちこちに女を作っていたわ』
……マスターは、そんなことしないよ。
写真を持って立ち上がり、流花は部屋に行った。
部屋に入ると、持っていた写真をテーブルの上に置き、携帯で写真を写した。
テレビがある部屋に戻り、流花は写真を母親の長財布に戻し、長財布をハンドバックにしまった。
母親は、いつの間にか眠っていた。
流花は、母親の寝顔を眺めた。
……こんな写真を、持ち続けているなんて。
流花は、正直驚いていた。
……別れても、夫婦なんだ。
流花は手を伸ばすと、部屋の電気の紐を引っ張った。
オレンジの豆電球の明かりが灯り、部屋の中はほのかに暗くなった。




