5話「青髪さん(仮称)」
『ジリリリンッ!』という、短いスパンで繰り返される音で目が覚めた。
何故か首の上を横断している充電コードをたぐり寄せて端末を確認すると、液晶には『12:00』と表示されている。
学校が始まるまでの休日期間とはいえ、流石に寝すぎた。
(――あれ?)
アラームを止めて端末から目線をそらすと、見慣れない天井が広がっていた。
何時から俺の部屋の天井は、さいの目格子付きの木目調に変わったのだろう?
まどろみながら首を少し右に捻ってみた。
カーテン開けっぱなしの大きな窓。
晴天の空を、鳥と並んで自転車にまたがった人が飛んでいる。
空を飛んでいるという事は、魔術仕掛けの自転車に乗っているのだろう。
――いや待て、俺の部屋にこんな巨大な窓は無いぞ?
寝ぼけて幻覚でも見ているのかと、寝転がったまま伸びをして腕を上げた。
「痛ッ⁈」
しかし次の瞬間、何か硬い物に左手を思いっきりぶつけた。
指と手首から『グキッ』と如何にも嫌な音が鳴り、皮膚に感じる表面的な痛みではなく、内部からくる鈍痛が意識を一気に覚醒させる。
そうだった、昨日から一人暮らしだったんだ。
体を起こして視線を後ろに向けた。
枕元、即ち枕の真上に置かれた段ボールには綺麗に拳型の凹みが出来ていた。
風呂から部屋に戻ると強烈な睡魔に襲われ、そのまま寝落ちしたらしい。
着替えようと衣類の入った段ボールを枕元に下した所までの記憶しかない。
「よっこいしょ……っと」
布団から立ち上がり、窓際に移動しながら改めて背伸びをして深呼吸。
畳特有の匂い――イグサの香りだろうか? それが鼻腔一杯に広がった。
この匂い、結構好きだ。
「――とうとう帰って来たんだな?」
「えぇ、美都子から頼まれた時は私も驚いたわ。もっとも、結構忘れているみたいだけど」
「当然。そう簡単に呪いが解かれたとあっちゃ『ユニヴェル・デ・ソルシエル』の二つ名が廃るってもんだ。……とは言っても、ここまで来たらもう時間の問題だぜ?」
部屋から廊下に出てすぐの事。
雅美さんと誰かの話し声が、階段下から聞こえてきた。
一階へ下りると階段の正面、⊿荘の大玄関で大小のシルエットが立ち話をしている。
昨晩は静かすぎて気が付かなかったが、ちゃんと俺以外の住人もいたらしい。
大きい方、即ち雅美さんは大玄関の掃除でもしていたか頭にバンダナを巻き、足元にはバケツやらブラシやらを転がしていた。
両手には、箒とチリトリを装備している。
「……お? ようやく起きたか寝ぼすけ! 相変わらずだなぁ?」
そう呆れ笑いを俺に向けて来たのは、雅美さんと向き合う瑠璃色髪の人物。
顔の左目側をあえて隠したボブカット。
見えている右目はぱっちりとした二重まぶたに長いまつげ。
金貨のような瞳をもった外国人だ。
ちょうど出掛けるところなのか、手には黒い布を丸めて抱えている。
口調こそ粗暴だが、華奢な体つきやソプラノ声から察するに、恐らく女性だろう。
わざわざ『恐らく』と表現したのには、彼女の服装に理由がある。
首から上は、洋画なら主演女優を務めるレベルの美女。
しかしその出で立ちは、サイズ違いながらも男性物の革ジャンパーを羽織り、無地のインナーにダメージデニムと、どう見てもメンズファッション。
似合ってはいるが、明らかに隣の誰かさんと服装を交換するべきだ。
「今回も泊りでお仕事なの?」
雅美さんの問いに、青髪さん(と勝手に命名)は「ニ、三日は空ける」と答える。
「留守中、部屋の事は頼むぜ?」
「大丈夫、ウチの警備システムの頑丈さは知ってるでしょ? 部屋よりも、私はマルちゃんの体の方が心配よぉ。声をかけなきゃ、貴女しょっちゅう徹夜するんだもの」
『マルちゃん』と呼ばれた青髪さんは苦笑しながら「耳が痛ぇわ……」とこぼしつつ、嵌めていた腕時計(やはり男性物のデカい奴)を雅美さんに見せつけ、文字盤をトントンと指で叩く。
「それより、そっちこそ時間大丈夫か? 雅美はただでさえのんびり屋だからなぁ?」
時間を確認した雅美さんは「まぁ!」と口元に手を当てすっとんきょうな声を上げた。
どうやら青髪さんなりの仕返しのようだ。
「もうこんな時間⁈ 気づいてたのなら言ってちょうだいよ、まだ髭も剃ってないのにぃ!」
雅美さんは掃除用具をバケツに全て突っ込むと、タタキ(着靴、脱靴する場所)から一段高くなった玄関の板間にジャンプ。
慌てた様子で俺の脇を通り抜け、管理人室に引っこんだ。
「何も用事がある日に掃除なんかしなきゃ良いのに……。なぁ?」
ドタバタと音を立てる管理人室をしり目に、青髪さんが『やれやれ』と呆れた様子で俺に話を振ってくる。
不意の事に俺は「え!」とか「あ~」とかの擬音しか返せなかった。
それに対して雅美さんは「少しでも綺麗な方が、住んでいても気持ちが良いでしょー?」と声だけで言い返した。
「おっと、それを言われたら何にも言えないな。――さて……」
青髪さんが、おもむろに俺へ向き直る。
「な……、何すか?」
こんな美人に見つめられると何だか居たたまれない。
でもその表情は、どことなく嬉しそうな、それでいて悲しそうな――『哀歓』とでも言うのだろうか?
とにかく、複雑な感情が入り混じっているような気がした。
「………うし!」
一しきり俺を見つめた青髪さんは何か言ってくる訳でもなく、抱えていた布を広げて玄関へ歩き出した。
布の正体は、彼女の肩幅ほどある大きなツバと円錐が組み合わさった黒い三角帽。
常用するにしては、随分と特徴的な帽子だった。
(……?)
帽子をかぶり、ツバを直しつつ玄関の引き戸を開ける青髪さん。
差し込む日光がその後ろ姿を黒く染めた瞬間、喉にまた『小骨』が引っかかった。
同時に感じる強烈なデジャヴ。
俺はいつかどこかで……、この人影を、何度も見ていたような気がする。
「あ、あの!」
自分でもビックリするような大声で、俺は玄関を出ようとする青髪さんを呼び止める。
俺はこの人と、猛烈に話したかった。
「それじゃぁ、行ってきまぁーす」
しかし聞こえている筈なのに彼女は止まるそぶりを見せず、そのまま外へ出て行ってしまう。
「ちょっ、待って下さい!」
(無視することなくね⁈)
後を追うために急いで玄関を出る。
「――うぉっ!」「痛ッ!」
所が庭先に出るや否や、俺は誰かにぶつかってしまい、玄関のタタキへ弾き戻されてしまう。
「お、おいおい? ダイジョーブか、宇治?」
開けっぱなしの玄関から入って来たのは、みかん色の物体を頭に乗せたジャージ姿の青年、果たして富士野だった。
衝突の影響でジンジンする鼻先を押さえつつ、差し出された彼の手を掴み立ち上がる。
「……あ、あれ?」
その背後に、青髪さんの姿は見当たらなかった。
「ん、どした?」
「な、なぁ富士野、さっき誰かとすれ違わなかったか? 外国人の女の人」
「外人さん? いんや、俺がアパートの門くぐった時は誰も居なかったぞ? なぁポチ?」
富士野の問い掛けに、ポチは肯定の鳴き声を上げる。
「そんな、馬鹿な……」
改めて玄関から出て周囲を見回すが、やはり何処にも青髪さんはいない。
敷地から出る門まではそこそこ距離があるのだから、富士野とすれ違わないはずが……。
「エイちゃーん? センサーが反応したけど、誰か来たのぉ?」
管理人室から雅美さんが顔を出す。
化粧途中の濃ゆい顔面に、思わず「ウッ……」と声が漏れてしまった。
「ちわッす、雅美さん」
「あらぁ、ミゾレちゃんじゃない。昨日のお約束通り、エイちゃんに会いに来てくれたの?」
「えぇ。今日はこの辺と学校の場所を案内してやろうかとぉ……」
言いながら、富士野の視線が俺の足元に向けられる。
「て言うか宇治、裸足で何やってんだ?」
「え? ……あ」
言われるまで失念していたが、俺は裸足のまま飛び出していた。
「あ! こぉら、エイちゃん! 裸足でお外に行くなんて許さないわよ!」
子供を叱りつける母親よろしく、眉をV字にした雅美さんに叱られる。
勿論本気ではないだろうが、自分よりも高い位置から見下ろされると威圧感が半端ではない。
「ご、ごめんなさい! すぐ上がります」
怯えながら板間に上がる俺を、雅美さんは「あぁ、待って待って!」と制止する。
「足の裏が汚れちゃってるでしょ? 今拭く物もって来るから」
「すいません……」
俺は仕方が無いので、大人しく板間に腰掛けて待つ事にした。
「何だ? その外人さん、裸足で追っかけたくなるほど美人さんだったんかよ?」
「いや、そういう訳じゃ……」
自分で言って『じゃあ何でだ?』となる。
顔見知りの可能性があるだけの女性に、俺はなぜ必死になっていたのだろう?
確かに青髪さんの容姿は、俺史上で間違いなくトップクラスの美女だったと思う。
だがどうにも俺は、そういう目であの人を見る気にはなれない。
「ほとんど反射的だったんだよ。ただどうしても、話さなきゃいけない気がして……」
「はいはい、みなまで言うな。下心を認めたくない、思春期特有の気持ち、オレにはよく解ってるぜ? んで、どんな人だったんだ? ほれ、お兄さんに言うてみ?」
富士野はニヤニヤしながら俺の隣にドカッと腰掛けると、青髪さんの容姿などを根掘り葉掘りと聞いてくる。
もう勘違いさせたままにしておこう。一々否定するのも面倒くさい。
しかし青髪さんはどこへ――というより、どうやって消えたんだ?
恐らく何らかの魔術を使用したのだろうが、姿を消す魔術なんてゲームや漫画ならともかく、一般的には聞いた事が無い。
スマホ型端末も手にしていなかったし追従型を従えていた様子も無かった。
となると装着タイプ?
はたまた俺と同じ『札付き』なのか……。
「ぬぅぉぁああああーッ!」
消失マジックのタネを考えて込んでいると、突如、⊿荘に響く獣の咆哮。
あまりの大音量に両手で耳を塞いだというのに、衝撃波とでも言うのか、今度は二人揃ってタタキ側に吹っ飛ばされた。
「な、何だ今の……」
「うはぁ、すっげぇ耳鳴り!」
「大変大変! マルちゃんったら、荷物忘れて行っちゃってるじゃないのよぉ!」
富士野と二人で何とか立ち上がると、管理人室から発声源――もとい発生源の雅美さんが慌ただしく飛び出してくる。
パリッとした桃色のスーツ(サイズが小さいらしく切れそうになっている)に身を包んでいるが、手には年期の入ったトランクを抱えていた。
『色あせた茶色』という色合いからして、雅美さんの物で無い事は明白だ。
「エイちゃん悪いんだけど、これを後でマルちゃんのお店に持って行ってあげて! あ、カギはテーブルに置いてあるから戸締りもお願い。ご飯も置いてあるから、ちゃんと食べてね?」
雅美さんは俺にトランクと足拭き用のタオルを押し付けると、俺の返事も聞かず出て行ってしまった。
ハイヒールなのに、何であんなに速く動けるのか不思議だった。
(……てか、このトランク重……)
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