第85話 本を置いて、君のいる場所へ
最高だ。
実に最高だ。
俺は今、人生において極めて貴重な時間を過ごしている。
放課後の教室には、ほとんど人が残っていなかった。試験前で部活動も休みになっているから、普段ならグラウンドや体育館から聞こえてくる掛け声も今日はない。廊下を歩く生徒の足音も、時折遠くから聞こえてくる程度だ。
窓から差し込む六月の午後の日差しは柔らかく、机の上に四角い光を作っている。開け放たれた窓から入ってくる風が白いカーテンをゆっくり膨らませ、また静かに戻していく。
風に揺れる木々の葉。遠くから聞こえる鳥の声。時計の秒針が進む小さな音。そして、本のページをめくる音。
完璧だ。
これだよ。
俺が高校生活に求めていたものは。
俺は自分の席に姿勢よく座り、机の上に本を広げていた。普段の俺を知っている人間が見れば、「山神が姿勢よく座っている」と驚くかもしれないが、読書に適した姿勢というものは大切だ。長時間の読書では首や肩への負担を軽減しなければならない。
つまりこれは健康管理である。決して俺が珍しく真面目な高校生になったわけではない。今読んでいるのは、人間の意思決定と心理について扱った本だ。人間は合理的に判断しているつもりでも、実際には様々な心理的要因によって選択を左右される。
実に面白い。なぜか脳内で物理学者が渋い声で言っている。
隣には、マーケティングについて書かれた本も置いてある。こっちは次に読む予定だ。心理学を読んだあとにマーケティングを読むと、人間の心理がどう商売に利用されているのかがつながって見えることがある。
本というものは、一冊だけでも面白い。だが、別の分野の本を続けて読むと、それまで無関係に見えていた知識同士が突然つながる。この瞬間がいい。
「……素晴らしい」
思わず声が漏れた。
誰も返事をしない。それがまた素晴らしい。
誰も俺に話しかけない。
誰も本を閉じさせない。
なんということだ。世の中には、こんなにも美しい時間が存在していたのか。
俺は知らず知らずのうちに、ずいぶん過酷な環境で生きていたらしい。
ページを一枚めくる。紙が指先を滑る、かすかな音。
また風が入ってきた。カーテンが揺れ、その向こうには青い空が広がっている。白い雲が、急ぐ必要などどこにもないと言わんばかりに、ゆっくり流れていた。
穏やかだ。
平和だ。
平穏という言葉を辞書で引いたなら、今の俺の写真を参考資料として載せてもいいんじゃないだろうか。
俺は静かに息を吐き、もう一度本へ視線を落とした。
最高だ。至福の時間が続いている。このまま夏樹たちが戻ってくるまで、何事も起こらなければいい。
いや。今日はきっと大丈夫だろう。
こんなに天気がいいんだから。
――ドォン!!
「っ!?」
突然、腹の底まで響くような爆音が轟いた。
空気そのものが震えたような感覚に、俺は反射的に顔を上げる。
何だ、今の音。
雷――ではない。少なくとも、さっきまであれだけ晴れていた空が、俺の読書時間を狙い撃ちするためだけに突然雷を落としたとは考えにくい。
いや、そんなことはどうでもいい。
俺は本を机に置き、椅子から立ち上がった。教室の窓から外を見る。
ここから見えるのは校舎に囲まれた中庭だ。植え込みも、渡り廊下も、駐輪場の一部も、見たところ何も変わっていない。
「どこだ……?」
音はかなり大きかった。校内のどこか――いや、学校の近くだ。
廊下からざわめきが聞こえてきた。俺は教室を飛び出す。残っていた生徒たちも異変に気づいたらしく、何人かが廊下の窓際へ集まっていた。
「今の何!?」
「爆発?」
「外じゃない?」
そんな声が飛び交っている。
俺も人の間から窓の外を覗き込んだ。
こちら側からなら、グラウンドが見える。最初に目に入ったのは、いつもと変わらない土のグラウンドだった。
その向こう。
グラウンドの端。
「……は?」
黒い煙が上がっていた。一本の柱のように立ち上った煙が、風に流されながら空へ広がっていく。その根元にある建物を見た瞬間、頭の中からさっきまで読んでいた本の内容が全部消えた。
部室棟。グラウンドの横にある、運動部の部室。
『放課後、サッカー部の部室に一人で来てほしい』
昼休みに見た、あの手紙の文章が蘇る。
夏樹たちは、そこへ行った。柴田さんが呼び出されて、夏樹が一緒についていって。
『じゃ、創ちゃん、行ってくるからちゃんと待っててね?』
『んー』
言われた通り、教室で本を読んで待っていた。
「……夏樹」
考えるより先に身体が動いた。窓から離れ、そのまま廊下を走り出す。
「山神!?」
誰かが呼んだ気がした。
無視した。
階段へ向かう。廊下は走るなとか、そんな校則が頭のどこかをよぎったが、今だけは知ったことじゃない。階段を一段飛ばしで駆け下りる。
足音がやけに大きく響く。
心臓がうるさい。
頼む。
ただの火事であってくれ。いや、火事の時点で十分おかしい。
だったらせめて。二人とも、もう外にいてくれ。無事でいてくれ!!
「くそっ……!」
階段を駆け下りながら、俺は歯を食いしばった。数十秒前まで、平穏とはこういうものだなんて考えていた。
静かで。天気がよくて。誰にも邪魔されず、本が読めて。
最高だと。
そんなものは、もうどうでもよかった。
俺は全力で部室棟へ向かって走った。校舎を飛び出した俺は、そのままグラウンドへ向かって全力で走った。途中で何人もの教師や、まだ校内に残っていた生徒たちとすれ違ったが、足を止めている余裕なんてない。
「山神! どこへ行く!」
後ろから教師の声が聞こえたが、振り返ることもなく、そのままグラウンドへ飛び出した。
視界の先では、さっき廊下から見えた黒煙が、青い空を塗り潰すように大きく広がっている。近づくにつれて焦げ臭さが強くなり、それとは別に、鼻や喉を刺激するような嫌な臭いも混じり始めた。
「……っ」
息を整える余裕もないまま走り続け、ようやく部室棟の全体が見える場所までたどり着く。そこで目にした光景は、教室から想像していたものより、はるかに酷かった。
一階部分は複数の部屋から激しく炎が上がり、窓の外にまで赤い火が噴き出している。さらに二階の窓からも大量の黒煙が吐き出され、風に流されながら空へと昇っていた。
爆発音がしてから、まだそれほど時間は経っていないはずだ。それなのに、どうしてここまで火が回っている。
「夏樹ーーーーー!!」
聞き覚えのある声に、俺は視線を向けた。
「返事して! 夏樹ーーー!!」
柴田さんが部室棟の前に立ち、二階を見上げながら何度も夏樹の名前を叫んでいる。いつも冷静な柴田さんからは想像できないほど取り乱していて、制服も髪もひどく乱れていた。
「柴田さん!」
「山神……!」
俺に気づいた柴田さんが振り返る。顔から血の気が引いているのを見て、嫌な予感が一気に現実味を帯びた。
「何があった!?」
「夏樹が……夏樹が二階にいるはずなの!」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が強く跳ねた。
「二階のどこだ?」
「ミーティングルームよ! 私がここで待ってる間、そこで待つって言ってたの!」
柴田さんはそう言うと、再び建物へ向かって走り出そうとした。
「夏樹! 今行くから!」
「待て!」
俺は慌てて柴田さんの腕を掴み、そのまま強引に引き止める。
「離して! 夏樹がまだ中にいるの!」
「分かってる! でも、そのまま入ったら柴田さんまで出られなくなる!」
「だからって、ここで待ってろっていうの!?」
「そうじゃない! まず状況を確認する!」
自分でも驚くほど大きな声が出たが、それで柴田さんの動きが一瞬だけ止まった。その隙に俺は建物へ向き直り、今見えている情報を頭の中で整理する。
一階では複数の場所から炎が上がり、二階にはすでに大量の煙が回っている。さっき聞こえた爆発音と、この異常なまでの燃え広がり方も無視できない。さらに近くまで来たことで、普通の火災とは少し違うような刺激臭も感じる。
「……薬品?」
「え?」
「普通の火事じゃないかもしれない」
薬品なのか、可燃性の建築資材なのか、それとも何かの燃料なのかは分からない。俺は消防士でも化学の専門家でもない以上、煙の色や臭いだけで原因を断定することなんてできない。むしろ、何が燃えているのか分からないという事実そのものが、今は一番怖かった。
風向きが変わり、こちらへ流れてきた煙に思わず咳き込みながら、俺は制服の袖で口元を覆う。火も危険だが、それ以上に気になるのは二階へ上がっている煙だった。
夏樹がミーティングルームにいるなら、すでに相当な量の煙が部屋まで入っている可能性がある。火災では、炎に触れなくても煙を吸い込めば動けなくなる。どれくらい時間が残されているのか、それすら今の俺には分からない。
視線を建物全体へ走らせると、一階のほとんどの窓から炎が見えていた。しかも、一度大きな爆発のようなものが起きている。
建物そのものがどれだけ持つのか。
熱によって構造がどこまで傷んでいるのか。
もう一度何かが破裂する可能性はないのか。
外から見ているだけの俺に、それを正確に判断する方法なんてなかった。
「くそ……」
こんなときに限って、分からないことばかりだ。普段なら、分からないことがあれば調べればいいし、本なら前のページへ戻ることだってできる。情報を集めて、比較して、間違っていると思えば最初から考え直すこともできる。だが今は、そんな時間がない。
俺が考えている間にも火は燃え続け、黒煙は二階の窓から絶え間なく吐き出されている。そして、その向こうには夏樹がいる。
ほんの少し前、夏樹はいつものように笑っていた。俺は面倒くさそうに返事をして、待ってるように言われた通り教室で本を読んでいた。
静かで、天気がよくて、誰にも邪魔されない。あれこそが平穏なんだと、馬鹿みたいに満足していた。
「……ふざけんな」
何が平穏だ。今はそんなもの、どうでもいい。
俺は建物から目を離さないまま、隣にいる柴田さんへ声をかけた。
「消防と救急は?」
「分からない……。私も出てきたばかりで……」
だったら、まず通報の確認が必要だ。
教師たちもこちらへ向かっているから、消防への連絡や周囲の避難は大人に任せたほうがいい。そのうえで、二階へ行く別の経路はないのか、窓から助け出す方法はないのかを考える。俺は一階から二階へと視線を動かしながら、使えそうなものが周囲にないか必死に探した。
炎の位置、煙の流れ、二階の窓、建物中央にあるはずの階段。
遠くからは教師たちの叫ぶ声と、騒ぎを聞きつけた生徒たちのざわめきが近づいてくる。
怖くないわけがない。
頭の中では何度も、消防を待つべきだという当たり前の答えが浮かんでくる。それが正しいことくらい、俺にだって分かっている。それでも、その正しさが間に合うのかだけが分からない。
「……夏樹」
黒煙の向こうにいるはずの幼馴染の名前を、小さく口にする。
今まで本で読んできたことも、目の前に見えているものも、まだ分からないことも、全部使って考えろ。
一秒でも早く、夏樹をここから出す方法を見つける。俺は燃え上がる部室棟を睨みながら、これまでにないほど必死に頭を回転させた。
部室棟の周囲には、異変に気づいた生徒や教師たちが続々と集まり、燃え上がる建物を呆然と見つめていた。突然の爆発と目の前の炎に状況を飲み込めていないのか、誰もが何をすればいいのか分からず立ち尽くしている。
「火事……?」「さっきの音は何だったんだ?」と声が飛び交うが、今はそんなことを話し合っている場合じゃない。
「なにぐずぐずしてる! すぐに消防に連絡しろ! まだ中に人がいる!」
自分でも驚くほど大きな声が出ると、それまで呆然としていた教師たちが、ようやく我に返ったように動き始めた。一人の教師がスマートフォンを取り出して消防へ連絡し、別の教師は集まってきた生徒たちを建物から離れさせている。
それを確認した俺はポケットからスマホを取り出し、震えそうになる指で夏樹の名前を押した。呼び出し音を聞きながら二階の窓を見上げるが、そこからは相変わらず大量の黒煙が吐き出されている。
頼むから出てくれ。
今なら、さっきの爆発に驚いてスマホを落としただけでも、音に気づいていないだけでも構わない。しかし、しばらく待って聞こえてきたのは、俺が一番聞きたくなかった機械的な声だった。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため――』
「……くそっ」
電話を切ってもう一度かけ直してみるが、やはり夏樹の声が返ってくることはなかった。スマホが壊れただけかもしれないし、爆発の衝撃でどこかへ落としてしまった可能性だってある。電話がつながらないからといって、夏樹が動けなくなっていると決まったわけではない。
そう自分に言い聞かせても、二階から立ち上る黒煙を見ていると、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでくる。
俺はスマホを握ったまま柴田さんへ近づき、もう一度だけ確認するように問いかけた。
「柴田さん、本当に夏樹は二階にいるんだな?」
「ええ……。 私がここで待つから、夏樹は二階のミーティングルームで待ってるって言ってたの」
「そのあと、夏樹が建物から出てきたところは見てない?」
「見てないわ。 私もあのあと色々あって…… でも、夏樹が外に出たところは見てない」
柴田さんの声は震えていたが、今聞いた内容に関しては、はっきりと覚えているようだった。
俺はもう一度二階を見上げ、窓から絶え間なく流れ出している黒煙を睨むように見つめた。夏樹がすでに別の場所から逃げている可能性はあるが、それを確認する方法が今の俺にはない。
消防を待つべきなのは分かっている。装備も専門知識もない俺が中へ入れば、助けるどころか救助される人間が一人増えるかもしれない。それでも、消防車のサイレンはまだ聞こえてこない。その間にも煙は二階へ回り続け、そのどこかに夏樹が取り残されている。
『じゃ、創ちゃん、行ってくるからちゃんと待っててね?』
ほんの少し前に聞いた夏樹の声が、頭の中に蘇った。
でも、もう待てない。
俺はポケットからハンカチを取り出し、口元へ当てた。こんな布一枚で火災の煙を防げるわけじゃないが、何もないよりはましだと思いたかった。
「山神……何をするつもり?」
俺の行動に気づいた柴田さんが顔色を変え、行かせまいとするように腕を掴んできた。
「待って! まさか中に入るつもりなの!?」
「夏樹が二階にいる」
「だからって、あなたまで入ったらどうするのよ! 消防が来るまで待ちなさい!」
「さっき、お前だって行こうとしてたじゃないか!!」
柴田さんの言うことは正しい。さっき、取り乱して突入しようとしていたが、人が集まってきて少し落ち着いたのかもしれない。それに、普段の俺なら、間違いなく消防を待とうと言っている。
危険なのも分かっているし、俺は誰かを助けるために命を懸けるような英雄でもない。
ただ、夏樹があの中にいるかもしれないのに、ここで待っているという選択だけはできなかった。
「……分かってる」
俺はそれだけ答えると、腕を掴んでいる柴田さんの手を外した。
「山神!」
「先生! 山神が中に入ろうとしてる!」
誰かの叫び声が聞こえ、離れたところにいた教師たちが慌ててこちらを振り返った。
だが、そのときにはもう走り出していた。
「夏樹……!」
口元にハンカチを押し当てたまま、俺は黒煙に覆われた部室棟の中へ全力で駆け込んだ。建物の中へ飛び込んだ瞬間、外とは比較にならない熱気が全身を包んだ。
「……っ!」
熱い。
顔を上げているだけでも皮膚が焼かれるようで、反射的に身体を低くする。口元にはハンカチを当てているが、こんなものが頼りになる状況じゃない。視界も悪く、さっき外から見たときより、はるかに濃い煙が建物の中を覆っていた。
「夏樹!!」
声を張り上げた瞬間、煙が喉に入り込んで激しく咳き込む。
「ごほっ……夏樹!! 聞こえたら返事しろ!!」
返事はない。
聞こえるのは炎が何かを焼く音と、ときおり何かが崩れ落ちる鈍い音だけだった。一階の廊下は、すでに元の姿が分からないほど酷い状態になっている。扉は外れ、棚らしきものが倒れ、部活動で使っていた道具があちこちに散乱していた。
爆発の衝撃で飛ばされたのか、床にはボールや靴、バッグまで転がっている。
「邪魔だ……!」
足元の荷物を蹴るように避けながら、建物中央にあるはずの階段へ向かう。
夏樹は二階。柴田さんは、ミーティングルームで待っていると言っていた。だったら、とにかく上へ行けばいい。
普段なら、もっと考える。安全な経路はどこか、煙はどちらへ流れているか、別の階段や出口はないのか。
今だって考えていないわけじゃない。考えなければ、夏樹のところまでたどり着く前に俺が倒れる。それでも、頭の中に浮かんでくるのは夏樹のことばかりだった。
朝、眠そうな顔で階段を下りてきた夏樹。
一緒に朝飯を食べた夏樹。
学校までの坂道で、俺の横を歩いていた夏樹。
そして、ついさっき笑っていた夏樹。
「……今行くぞ」
こんな状況になると知っていたら、最初から一緒に行っていた。いや、そんなことを今考えても意味がない。
倒れた棚を跨ぎ、転がってきた何かを足で避ける。熱気に顔を背けながら進むと、ようやく階段らしきものが煙の向こうに見えた。
「あそこか……!」
階段の周囲にも、いろいろな物が飛び散っていた。スポーツバッグや段ボール箱が落ち、何本もの棒状の備品が階段を塞ぐように転がっている。
上から落ちてきたのか、途中にはカラーコーンまであった。こんなときまで俺の進路を妨害するとは、運動部の備品に恨まれるようなことをした覚えはない。
「どけ……!」
足で押し退けながら、一段ずつ上がっていく。途中で手すりに触れそうになり、熱を感じて慌てて手を引いた。
「夏樹!!」
もう一度叫ぶ。
返事はない。
それでも上る。
八段上がれば踊り場。そこで折り返して、さらに七段。さっき外から建物を見たときに確認した構造を、必死に頭の中で組み立てる。
あと少し。
「待ってろ……」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
夏樹が待っている保証なんてない。もう逃げていてくれたほうが、ずっといい。別の場所から外へ出ていて、俺が馬鹿みたいに燃えている建物へ入っただけなら、それでいい。
あとで怒られてもいい。
柴田さんに馬鹿だと言われてもいい。
夏樹に泣きながら殴られたって構わない。
だから。
「無事でいろ……!」
足元の障害物を越え、煙の中をさらに進む。
喉が痛い。目も開けているのが辛い。息をするたびに身体が、この先へ行くなと訴えている。
それでも、止まるという選択肢だけは頭に浮かばなかった。
「夏樹!!」
俺は煙の向こうへ向かって、ありったけの声で幼馴染の名前を叫んだ。
返事をしろ。
頼むから。
どこにいるのか教えてくれ。
そのことだけを考えながら、俺は炎と煙に包まれた階段を上っていった。




