第76話 言葉にした覚悟
教室の空気が、明らかに変わっていた。誰かが山本さんを責めたわけじゃない。露骨に距離を取った奴がいるわけでもない。
ただ――視線が違う。
さっきまで「すごいね」「大変だったね」と山本さんを囲んでいた連中が、困惑した表情で互いの顔を見合わせている。山本さんを見る目にも、ほんの少しだけ疑念が混じっていた。
「…………」
これはまずい。山本さん自身もそれに気づいたのか、不安そうに周囲を見回している。
「えっと……私も、こんなの知らなくて……」
「山本さん。気にするな。たぶん、これフェイクだ」
「え?」
俺の声に、教室中の視線が集まった。
……嫌だな。目立ちたくない。だが今はそんなことを言っている場合でもない。
「山神、フェイクってどういうこと?」
クラスメイトの一人に聞かれ、俺は夏樹が持っていたスマホを借りた。
「もう一回、最初から見てみろ。いや、全部見る必要はない。問題の部分だけでいい」
再生位置を戻す。まず映ったのは食堂やまもとの外観。次に、腹を押さえて歩く男。
「この人、食堂から出てきてるじゃん」
「本当にそうか?」
「え?」
「よく見ろ。食堂の入口からこの男が出てくるところ、映ってないぞ」
動画を少し戻す。食堂やまもとの外観。
そこでカット。
次の瞬間には、腹を押さえて歩いている男。
「あ……」
「ほんとだ」
教室の何人かがスマホを取り出し、自分でも確認し始めた。
「次、インタビュー」
映像を進める。
『何を食べましたか?』
『定食です。野菜も食べました』
そこで止めた。
「この人、一言でも『食堂やまもとで食べた』って言ったか?」
「…………」
誰も答えない。夏樹が俺の横から画面を覗き込む。
「質問も『食堂やまもとで何を食べましたか』じゃない。ただ『何を食べましたか』だけだ」
「じゃあ……この背景は?」
誰かが指差す。証言者の後ろには、食堂やまもとの映像が映っている。
「そこが一番タチ悪いんだよ」
人間は、前後に並べられた情報に関連があると無意識に考えやすい。広告なんかでも似た手法は使われる。商品の映像と、嬉しそうな人間や魅力的なイメージを続けて見せることで、直接説明されていなくても両者を結びつけて受け取る。
映像編集では、前後のカットの組み合わせによって、本来そこには存在しない意味まで感じさせることができる。今回の動画は、それを悪質な方向に利用しているように見えた。
「食堂を映す。次に腹を押さえた人間を映す。その後で『定食と野菜を食べた』という証言を流して、背景にまた食堂を出す。そうすると、見ている側が勝手に全部をつなげちまうんだ」
「……私、完全につなげてた」
「俺も」
「俺も食中毒出したって意味だと思った……」
「だろ? 俺も最初はそう思った」
だから厄介なんだ。嘘そのものを見せる必要すらない。『本当かもしれない映像を都合よく並べて、見た側に間違った結論を出させればいい』
「少なくとも、この動画だけを根拠に食堂やまもとの料理が危険だとは判断できない。体調不良になった人が実際にいる可能性までは否定しないけど、その人たちが食堂の客だったという証拠も、この動画にはない」
「そうだよ!」
それまで黙っていた夏樹が勢いよく声を上げた。
「私、一昨日まで熱を出してたんだけど、昨日、店長さんが作ってくれた料理を食べたよ。それからすごく元気になったんだから!」
「それは食堂の安全性とは直接関係ないかもしれん…」
「創ちゃん!」
「いや、気持ちはありがたいけど」
そこへ柴田さんまで加わった。
「私も昨日、アルバイト先で賄いを食べたわ。今のところ腹痛も吐き気もないし、いたって健康よ」
「ほら!」
「いや、だから夏樹。個人の経験だけで安全性を証明するのも――」
「山神、今は黙ってなさい」
「……はい」
援護射撃を始めた二人から、なぜか俺が撃たれた。解せぬ。
だが、そのやり取りで教室の緊張が少しだけ緩んだらしい。あちこちから声が上がり始める。
「ほんとじゃん! うまく作ってるけど、誰も食堂やまもとで食べたとは言ってない!」
「これ、背景が食堂やまもとになってるだけで、合成じゃね?」
「うわぁ~……めっちゃ感じ悪い印象操作じゃん」
「俺、普通に騙されたわ……」
山本さんを見る視線も、少しずつ元に戻っていく。
「み、皆さん……」
山本さんが目をぱちぱちさせている。そして今度は、何人かが動画のコメント欄を開き始めた。
「これ指摘した方がよくね?」
「もうコメントする。『証言者は食堂やまもとで食べたとは一言も言ってません』っと……」
「俺も書くわ」
次々とスマホを操作し始めるクラスメイトたちを見ながら、俺は小さく息を吐いた。少なくとも、この教室の誤解は解けた。
ただ――。この動画を見ているのは、ここにいる連中だけじゃない。画面の隅で増え続けている再生回数を見ながら、俺はどうにも嫌なものを感じていた。
「これ、コメント欄でも指摘しておいた方がいいと思う。無理に擁護する必要はないから、『証言者は食堂やまもとで食べたとは言っていない』って、動画から確認できる事実だけ書いてくれ」
「了解!」
「こういうの腹立つしな」
「私も書く!」
「頼む。ただし喧嘩はするなよ。配信者を誹謗中傷するのもなし。余計にややこしくなる」
そこまで伝えたところで、
「山神、ちょっといいかい?」
背後から声をかけられた。振り返ると山田が立っている。
「山田か。どうした?」
「ちょっとここでは話せないから、廊下でもいいかな?」
「あ……あぁ」
いつもの山田に比べ、妙に表情が硬い。
俺は一度山本さんの方を見る。夏樹や柴田さん、それにクラスメイトたちが周囲に残ってくれている。そのまま山田について教室を出ようとすると、夏樹と目が合った。
心配そうな顔をしている。
――大丈夫だ。山本さんを頼む。
目だけでそう伝える。夏樹が小さく頷いた。
――もちろん、そのつもりだよ。
……たぶん、そう言っている。
長年の付き合いである。これくらいなら分かる。というか最近、俺の周りには俺の顔を見るだけで思考を読み取る人間が増えてきたんだから、俺にもこのくらいの特殊能力が発現していいはずだ。
教室を出ると、山田が小声で言った。
「ちょっと父さんが山神と話をしたいって言ってるんだ」
「園長が? どうしたんだ?」
「それは直接確認してよ。スピーカーでかけるから、隅の方に行こうか」
「分かった」
もうすぐホームルームが始まる時間だ。さっきまで生徒が行き交っていた廊下も、今ではほとんど人がいない。俺たちは階段からも教室からも少し離れた廊下の隅へ移動した。
山田がスマホを操作する。数回の呼び出し音。ほどなくして画面が通話中へ変わった。
「あ、父さん? 山神に来てもらったよ」
『ありがとう』
「おはようございます、園長。俺に話って何ですか?」
『山神君、おはよう。授業が始まる前に悪いね。ちょっと耳に入れておこうかと思った件があってね』
「何ですか?」
嫌な予感がした。
『昨日、篤弘から旧道奥の広場の調査を今日やることになったと伝えていたと思うんだ』
「はい。聞きました」
『でもね、保健所が急遽対応しないといけないことができたから、延期になったんだよ』
「…………」
保健所。
急遽対応。
今日。
頭の中で三つの単語がつながった。
「まさか……」
『流石、察しがいいね。山神君の予想通りだよ』
一拍置いて、園長が続けた。
『食堂やまもとに調査へ行くことになったみたいなんだ』
「……あの動画のせい?」
『あの動画、君も見たんだね』
「今、教室中で話題になってます」
『そうか……。おそらく動画も影響しているだろうね。ただ、それだけじゃないみたいなんだ』
「それだけじゃない?」
『保健所に直接、複数の体調不良を訴える連絡が入っているらしい』
「…………」
俺は言葉を失った。動画だけならまだ分かる。ネット上で適当な映像をつなぎ合わせ、食堂やまもとで食中毒でも起きたように見せる。悪質ではあるが、さっき確認した限り、映像自体には不自然なところがいくつもあった。
「でも、あの動画はフェイクですよ? 食堂やまもとが悪く映るように誘導しているだけで……」
『それは分かってる』
園長の声は落ち着いていた。
『お節介かと思ったんだけど、うちの顧問弁護士にも伝えて見てもらったんだよ』
「弁護士さんに?」
『ああ。少なくとも映像を見る限りでは、山神君が言っているのと同じ見解だった。食堂で食事をしたと証言していない人物と食堂の映像を意図的に結びつけて、視聴者に誤認させるような編集になっている。かなり悪意のある誘導だろうってね』
やっぱりか。俺たちの見立てだけじゃなかった。
「だったら、保健所もそんなこと分かってるんじゃないんですか?」
『おそらく分かっていると思うよ』
「じゃあ何で……」
『行政機関としては、動画が怪しいからという理由だけで、寄せられた体調不良の申告まで無視するわけにはいかないんだと思う』
「あ……」
『動画とは別に、複数の人から直接連絡が入っている。だったら確認する必要がある。むしろ食堂側に問題がないなら、それを確認してもらった方が後々のためになるかもしれない』
「そう……ですか」
理屈は分かる。保健所が食堂を犯人扱いしているわけじゃない。疑わしい申告があれば確認する。それが仕事なんだろう。
でも――。
そのせいで、今日予定されていた旧道の調査が延期になった。俺は無意識に廊下の窓へ目を向けた。
偶然か?今日、このタイミングで?
『高校生の君にこんなことを伝えるのは酷なように思ったんだけどね』
園長の声で思考が中断された。
『ここまで関わってもらっておきながら、伝えないのも違うと思ってね。僕も店長を支援するよ。事が大きくなりすぎないよう、できることはやってみるつもりだ』
「……はい。ありがとうございます」
『それから――篤弘、聞いているかい?』
「うん。聞いてるよ」
『萌ちゃんをしっかり支えてあげるんだよ?』
隣にいた山田の表情が引き締まる。
『今回の動画はフェイクである可能性が高い。でも、こういう時は事実より先に噂が広がることがある。学校で萌ちゃんが孤立しないように、必ずそばにいてあげるんだ。いいね?』
「うん。分かった」
『頼んだよ。それじゃあ山神君も、授業前にすまなかったね』
「いえ。教えてもらえて助かりました」
『また何か分かったら連絡するよ』
「お願いします」
通話が切れると、それまで園長の声が響いていた廊下が急に静かになった。俺は腕を組み、窓の外へ視線を向けながら、今聞いた話を頭の中で整理していく。
あの動画が公開され、食堂やまもとで食事をした人間が体調を崩した――ように見える情報が広がり始めた。それとほぼ同じタイミングで、保健所には複数の体調不良を訴える連絡が入っている。そして保健所はその対応を優先し、今日予定されていた旧道奥の広場の調査を延期して、食堂やまもとへ向かうことになった。
結果だけを並べれば、妙に出来すぎている。だからといって、全部がつながっていると決めつけるのは早い。偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない。今の段階で俺が勝手に答えを作れば、あの動画とやっていることは大して変わらなくなる。
必要なのは、推測じゃなくて確認できる事実だ。
動画が公開された時刻はいつなのか。保健所への申告はいつ入ったのか。体調不良を訴えている人間は、本当に食堂やまもとを利用していたのか。そして、あの動画で使われている映像はいつ、どこで撮影されたものなのか。
少なくとも、動画そのものは保存しておいた方がいい。後から削除されたり編集されたりしたら、今見ているものと比較できなくなる。証言の内容も整理して、食堂やまもととの関係を実際に示している部分があるのか確認する必要がある。
店長にも知らせないと――。
そこまで考えて、いや、と頭の中で訂正する。
保健所が今日調査に入るなら、すでに店長のところへ連絡が入っている可能性が高い。だったら、何も知らない俺が慌てて電話をかけたところで、忙しいところに仕事を一つ増やすだけかもしれない。
……落ち着け。今、俺にできることは何だ。
食堂やまもと。山田農園。旧道に埋められている正体不明の物。そして、突然出てきた今回の動画。頭の中でそれぞれの情報を並べてみる。まだ一本の線にはならない。ただ、どうにも引っかかる。旧道の調査が行われることになった、その翌日にこれか。偶然なら、それでいい。むしろ偶然であってほしい。でも、もし偶然じゃないのだとしたら――。
俺はそこまで考えたところで、いったん思考を止めた。証拠もないのに、その先を考えるべきじゃない。
まずは確認だ。
「……山神」
「ん?」
山田が俺を見ていた。
「何だよ?」
「いや……」
何とも言えない顔をしている。
「普段あんなに面倒くさそうにしてるのに、こういう時はそんな顔できるんだなって」
「どんな顔だよ」
「必死に考えてる顔」
「俺だって考えるくらいするわ」
「授業中は本ばっかり読んでるのに?」
「それとこれとは別問題だ」
失礼な奴だ。俺を何だと思っている。
「ははっ。まあ、そうだよね」
山田は小さく笑ってから、教室の方を見た。
「戻ろうか。そろそろ先生来るよ」
「ああ」
俺も教室へ向かって歩き出す。ただ、頭だけは止まらなかった。次に何をするべきか。その最適解を探して、俺の思考はすでに全速力で走り始めていた。
山田と一緒に教室へ戻ると、入った瞬間に異様な空気を感じた。
「うえぇぇぇぇん!」
「…………」
異様というか、原因は一目瞭然だった。
山本さんが泣いている。
それも、ちょっと涙ぐんでいるとか、目元をハンカチで押さえているとか、そういう可愛らしいレベルではない。夏樹の胸に顔をうずめ、「せっかく山神君や夏樹ちゃん、直美ちゃんが頑張って助けてくれていたのに~!」 びえぇぇぇっ! と号泣である。
「萌! 私たちは大丈夫だよ。絶対何とかなるから。大丈夫だよ」
「うえぇえぇえぇん! ゔあぁぁああぁああぁん!」
慟哭。
もはや教室というより葬儀会場みたいになっている。いや、縁起でもない。やめよう。
山本さんを中心に、クラスメイトたちが遠巻きに集まっていた。さっきまでの疑いの視線はもうない。むしろ全員、どう声をかければいいのか分からず困っているようだった。
夏樹は山本さんの背中を何度も優しく撫でている。その夏樹の目にも涙が浮かんでいた。周りの女子も何人かもらい泣きしている。
集団感染してるじゃねぇか。涙って空気感染するのか?
そんなくだらないことを考えていないと、俺まで気分が沈みそうだった。
柴田さんは山本さんの頭を静かに撫でていた。表情はいつもと大して変わらない。ただ、目が怖い。あれは悲しんでいるというより怒っている。
仮面の動画配信者が今ここに現れたら、きっと血を見ることになるだろう。そうなっても、たぶん俺は止めない。
……いや、止めよう。犯罪になる。
「創ちゃん……」
「ん?」
夏樹と目が合った。目元に涙を浮かべながら、俺をじっと見ている。
なんだ、その目。やめろ。
俺をそんな期待に満ちた目で見るな。俺は未来から来た動物型ロボットでもなければ、万能解決装置でもない。
何でもできると思うなよ?
だが――。
「うぅ……お父さんとお母さん……また、お店……」
山本さんの小さな声が聞こえた。
「…………」
ああ、もう。分かったよ。
「山本さん……聞いて?」
なるべく優しい声で呼びかける。
「うぅ……」
夏樹の胸に顔をうずめたままだったが、号泣は少しだけ収まった。時々「ひっ……」としゃくり上げる声だけが聞こえる。
俺は一度口を開き――閉じた。これから言おうとしている言葉が、喉の奥に引っかかった。
簡単に言っていいことじゃない。大丈夫だなんて保証はない。動画はすでに広がっている。保健所まで動き出した。旧道の調査も延期になった。この先、もっと大きな問題になる可能性だってある。俺一人に何ができるのかも分からない。
それなのにこれから伝えようとする言葉は、あまりにも無責任じゃないか?
……でも。今、目の前で泣いている山本さんに「今後の状況を精査してから判断しよう」なんて言えるわけがない。
俺は小さく息を吐いた。
言うか。
一度言ったら、もう知らん顔はできないぞ。
……まあ。今さらか。
「食堂やまもとは大丈夫だ」
「……グスッ」
「必ず何とかなる。何とかする」
自分で言っておきながら、胸の奥が妙に重くなる。それでも続けた。
「夏樹と柴田さんが付いてる」
「グスッ……ズズッ……」
山本さんが夏樹の胸元から、ほんの少しだけ顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃだ。
俺を見る。
「それに……」
言え。ここまで言ったんだから、最後まで言え。
「俺が全力で力になってやる」
「…………」
教室が静かになった。
……あれ?なんで?
山本さんが目を見開いている。
夏樹まで俺を見ている。
柴田さんも。
山田も。
周りの連中も。
やめろ!全員こっちを見るな!恥ずかしくなってきただろうが!
「……まあ、俺にできる範囲でだけどな」
付け足してから俯く。
言わなきゃ良かった。
いや、本当に。
なんで俺は「全力」とか言っちゃったんだ。もう少しこう、「可能な限り協力する」とか「善処する」とか、大人が責任を回避するときに使う便利な日本語があっただろう。
だが――。吐いた言葉は戻らない。
俺が全力で力になる。
そう言ってしまった。
なら、やるしかない。
店長にも、奥さんにも、山本さんにも、今まで散々世話になった。美味い飯を食わせてもらった。
働かせてもらった。
金がなくて困っていた俺を、店長は笑って受け入れてくれた。
山本さんにも、何だかんだ助けられている。
だったら。今度は俺が返す番なんだろう。
山本さんが、涙で真っ赤になった目で俺を見ていた。俺はその視線から逃げるように顔を逸らす。
「だから……そんなに泣くな。まだ何も終わってねぇんだから」
俯きながら話してしまったので、聞こえにくかったかもしれない。でも、言葉にしてようやく自分でも分かった。俺はもう、この件から降りるつもりがないらしい。
腹は括った。
食堂やまもとは――俺も守る。
「山神君!!……」
涙でぐしゃぐしゃになった山本さんに名前を呼ばれ、俺は俯けていた顔を上げた。
「ん?」
その瞬間だった。山本さんが突っ込んできた。
「え?」
何が起きたのか理解するより早く、両腕が俺の首へ回る。続いて勢いよく跳び上がった山本さんの両足が俺の腰へガッチリと巻き付いた。
「ぬおっ!?」
突然、人間一人分の重量が正面から加わり、思わず後ろへよろける。
倒れる!
反射的に足を踏ん張る。日々のスクワットがこんな形で役に立つとは思わなかった。
「や”ま”がみ”ぐ~~~ん! うわぁあぁぁぁん!!」
耳元で大音量の泣き声が炸裂した。
「お、おう……」
どうやら慰めようとして、逆に涙腺の堤防を完全決壊させてしまったらしい。人生とは難しい。
「ありがどぉぉぉぉぉ!!」
「わ、分かった! 分かったから――ぐぇっ!」
首に回された腕に、さらに力が入った。
……待て。これは抱擁ではない。絞め技だ!!
「ちょっ……! 萌!」
夏樹の慌てた声が聞こえる。
「ぐ……ぐぅお……首が……絞まってる……」
「うわぁああぁああん! びえぇえぇえぇえん!」
駄目だ!聞こえてない!
感極まった山本さんには、俺の生命活動を示す微弱な電波が届いていない。
「な……なつき……助け……ぉぐぅお……」
「ちょっと萌! 本当に創ちゃんが死んじゃう!」
夏樹が慌てて山本さんの腕を掴んだ。
「萌! ちょっと力を抜きなさい!」
柴田さんも参戦する。二人がかりで引っ張るのだが――。
「うわぁぁぁん!」
「ちょっ、萌! 離れて!」
「嫌でずぅぅぅ!」
「なんでよ!」
恐ろしく強い。
普段、あれだけ小動物感を漂わせている人間のどこにこんな力が眠っていたんだ。火事場の馬鹿力という言葉は知っていたが、号泣時にも発動するらしい。
「おい! 山神! この野郎!」
突然、男子から怒声が飛んできた。
何だ!?助けてくれるのか!?
「うらやまけしからん奴だ!」
「代われ!!」
「…………」
敵だった。
薄れゆく意識の中で、俺は人間社会の無情さを知った。
「代われるもんなら今すぐ代わってやる……」
「ふざけんな! 自慢か!」
「こっちは死にかけてんだよ!」
なんで俺が責められるんだ。
「萌! いい加減にしなさい!」
「山本さん! 俺の首! 首から腕を外そう! 話はそれからだ!」
「や”ま”がみ”ぐ~~~ん!」
「会話が成立しねぇ!」
夏樹が腕を引き、柴田さんが腰に回った足を外そうとする。それでも山本さんは離れない。俺もどうにか呼吸を確保しながら踏ん張る。
なんだ、この状況!さっきまであんなにシリアスだったのに…。
俺、結構いいこと言ったのに全部台無しじゃねぇか!!
――キーンコーンカーンコーン。
「あっ!」
無情にも一限目開始のチャイムが鳴った。そして教室の前扉が開く。
「おーい、席に着け――って……何してるんだ、お前ら?」
一限目担当の先生が固まった。
そりゃそうだろう。女子生徒一人が男子生徒にしがみつき、別の女子二人が全力で引き剥がそうとしている。俺が教師でも職員室に戻りたくなる。
「先生……」
「なんだ、山神」
「助けてください……」
「……とりあえず事情は後で聞く」
「お願いします……」
最終的には先生まで加わり、どうにか山本さんを引き剥がすことに成功した。
「はぁ……はぁ……」
解放された俺は、自分の首を押さえながら大きく息を吸う。空気が美味い。生きているって素晴らしい。
こうして俺は、食堂やまもとを全力で助けると宣言した直後――。
その食堂の一人娘によって、危うくこの世から退場させられるところだった。




